<龍宮神社>:小樽(2023.05.13)

特段に大袈裟な荷物を持っていた訳でもないのだが、滞在する宿に荷物を置いて身軽になると、何か酷く晴れ晴れとした気分にもなり、辺りを少しばかり散策してみたくなる。そういう思い付きに身を任せ、小樽の街へ出た。

↓小樽駅前の道を、バスターミナル等とは逆な側へ進むと、坂道の上り口のような場所を経て、こういう鳥居が在るのに出くわす。
13-05-2023 X100F (75)

↓鳥居を潜って坂道を進めば、こういう石柱が在る。
13-05-2023 X100F (76)
↑<龍宮神社>の入口だ。

箱館の戦いで、幕府方の指導者として政府軍と戦った榎本武揚は、後に政府に出仕て開拓使の仕事をすることとなった。

その榎本武揚は1876(明治9)年に「北海鎮護」と献額し、北海道への移民の安寧を願って、アイヌ達が祭礼を行っていた場所でもある現在地に社を起こした。その後、有栖川野宮熾仁親王の揮毫を頂いたことで<龍宮殿>と号したが、一条実孝侯爵の揮毫を頂いたことから1916(大正5)年に<龍宮神社>と改称して現在に至っているのだという

↓静かな境内に上ってみた。
13-05-2023 X100F (77)

↓社を起こしたという榎本武揚の銅像も在る。
13-05-2023 X100F (78)

↓榎本武揚の紹介も掲出されている。
13-05-2023 X100F (79)

↓何度か立寄った経過も在る龍宮神社だが、また立寄る機会が在ったこと、無事に小樽に着いたことに感謝の意を表すべく参拝した。
13-05-2023 X100F (81)

↓運河の側、海の側へ下り坂の道が視える。神社辺りから運河や海の側とを結ぶ通が、<龍宮神社>に因むのだと思うが、「龍宮通」と呼ばれている
13-05-2023 X100F (82)

小樽駅から然程遠くないような辺りに、辺りが少しずつ拓かれた経過を想起させる、比較的知られた史上の人物に所縁が深い場所が在るのは興味深い。少し気に入っている場所だ。

この記事へのコメント