鰊漁で大変に栄えたという祝津には、独特な漁場建築が伝わっている。そして古くからの建物の集まり方から、鰊漁を生業とした集落の様子をも窺い知ることが叶う。
祝津では「御三家」と呼ばれたことに知られた網元が在り、関連の建物等が見受けられる。青山家、茨木家、白鳥家が「御三家」として知られる。蝦夷地で特別な利権を有した大名の松前家による規制が廃された明治初期以降、この「御三家」のような民間の人達が鰊漁を推進していたのだった。
↓「祝津漁港」というバス停の傍に、やや目立つ建物が在る。
↓祝津の「御三家」の一つである茨木家の礎を築いたとされる、山形県出身の茨木輿八郎が建てた邸宅であるという。
↑道路に面した建物と、奥側の建物を組合わせたモノである。道路との区切りに石柱を立て、奥側を囲むように板塀が設えられている。家族用と来客用だったらしいが、玄関も複数設けられている。
特段に見学は出来なかったが、古い神社にも近く、鰊漁を生業とした集落の雰囲気が伝わる。
↓こちらは旧茨木家中出張番屋だ。鰊漁関係者が集まっていた伝統的な番屋の様子を伝える建物だ。
↑傷んでしまっていたモノが修復されたそうだ。
こういうモノを眺めながら、好天に恵まれた中で海に近い辺りを歩き廻って過ごしたのだった。
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