街が興って行く経過の中、「2つの地区の境界」という意味合いで「堺町」という呼び方になった辺りが、現在に至っても「堺町通」と呼び習わされている。小樽の街では「散策するのが愉しい」という感じの場所だ。
少し見れば2020年3月に立寄った経過が在ったが、今般は「早朝に散策…」という中で同じ場所の辺りで提げていたカメラを使った。
↓建物の写真を撮り悪い感じの光加減かもしれない。が、逆に「濃い陰影で面白い」という側面も在る。少しシャッターを押す回数が増えたかもしれない。
1904(明治37)年に辺りで大きな火災が発生した経過が在ったそうだ。その少し後に、防火の見地も加わって、鉄骨や石材を使って造った建物なのだそうだ。画の建物は、防火の意味も在るという“卯建”(うだつ)の大きなモノが設えられているのが少し面白いと思った。
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