小樽駅前からバスに乗って祝津へ移動した際、バスが手宮の博物館の傍を通ることに気付いた。
手宮の博物館については3月にも立寄った経過が在ったのだが、その時は屋外の展示が積雪の為に休止中で、寧ろ企画展を興味深く観た。少し様子が違うような感じであったように思う。
そういうことなので、祝津からバスに乗って小樽駅方向に引揚げようとした際、手宮の博物館の傍で下車し、博物館に寄ることを思い付いたのだった。
↓博物館に入って直ぐ、この明治時代の機関車には目を奪われてしまう…
↑明治時代に北海道に鉄道が走り始めた頃、米国企業の工場に発注した蒸気機関車が導入されたのだが、後に「7100形」という呼称が与えられた一連の機関車の1輛が館内の展示室出入口辺りに鎮座している。
↓機関車の正面の「6」は「6号機」ということである。
1880年製造の1号機が<義經>(義経)、2号機が<辯慶>(弁慶)と、1882年製造の3号機が<比羅夫>、4号機が<光圀>と、1884年製造の5号機が<信廣>と各々愛称を与えられた。1885年製造の6号機は<しづか>と命名された。間隔が少し開き、1889年に2輛製造されているが、これらには愛称は冠せられていなかった。同型が計8輛在ったのだ。
↓運転台の辺りに「SHIZUKA」と在る。<しづか>の名である。
↓テンダーにも<しづか>と名が入っている。
↓国内の蒸気機関車の中では小柄な感じになるのだとは思うが、米国生まれで“西部劇”風という独特な風貌とも相俟って、近くで観ると意外に迫力も在る。
↓一頻り博物館内を観て、出口へ向かう前に再度眺めてしまった。この明治時代の蒸気機関車は貴重なモノである訳だが、なかなかに味わいが在って気に入っている。
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