誰でも、住んで居る地域で普通に頂く機会が多いようなモノが「美味い」と思っているのだと思う。地域の名物であるとか、名店の味であるという必然性は無いと思う。その辺の店で売っている、極々平凡なモノであっても構わない筈だ、そういうようには思うが、それでも土地の産物の旬というようなことで、その佳いモノが在ると聞けば「時には…」と愉しんでみる場合が在るかもしれない。
「北海道」ということになると、他地域に知られる様々なモノが在る。主に食材だが、考えてみれば、それらを然程頻繁に頂くのでもない。結局、大都市圏等に各地の最良のモノは送り出される。故に各地で知られる様々なモノは概して高価である。それは同時に、各産地でも安価とは言い悪いということと同義でもある。
「北海道」ということでは、蟹や雲丹というイメージが非常に強いかもしれない。山の中のような、海産物とは縁遠いような場所で蟹の料理を供する旨を訴える幟を立てている例を何度も観たような記憶も在る程度だ。山の中のような場所で立寄って食事が摂れるのであれば、食事を摂ることが出来る旨が判れば好い筈で、蟹が供されているか否かは如何でも構わないような気もするのだが。
蟹や雲丹のような「北海道」というイメージと大きく重なっているらしいモノは、年中頂き易いというのでもない。旬が在る。実は最近、その雲丹の旬が巡って来ている。冬季に出回り悪かったモノが市場に現れ易くなっている。そして方々で供され始めている。
ハッキリ言って雲丹は安価でもない。雲丹を頂く機会が在ると思う。「人類で初めて雲丹を食べた人は、何を想ってあの“棘が在る丸っこいモノ”を掴んで、それを割って中の身を口にしたのか?」というようなことだ。或いは、海岸に打ち上げられた雲丹を海鳥が嘴で突いている様でも観て「あの妙な丸っこいモノの中身に、食べられる何かが?」とでも気付いたのか?そんな「だから?」というようなことを時々思うが、雲丹に限らず、「人類で初めて食べた人は?」と首を傾げてみたくもなる食材は色々と在るような気もする。
雲丹というのは、昆布の周辺に在って、昆布を齧って育つという生物だ。この近海の雲丹は、良質な利尻昆布を齧っている。何処の地域にも負けない程度に良質な餌を食み、好い感じに育っているという訳である。それを採集する訳だが、採集した後に殻を剥いて身を集めるのに手間が要る。それだけで安価にはならない理由となってしまう。その雲丹も、海産物全般に言えるが、出回る量等の諸条件で市況が形成される。今季は「やや高価」と聞いた。
御近所に<納得のいくウニ丼>を謳い、毎年の旬、夏季になると供している御店が在る。
「納得のいく」とは些か不思議に聞こえるかもしれない。「納得のいく」というのは「良質で間違いなく美味いモノ」という雲丹が用意出来たので、それを使用したウニ丼を供するという意味で付けた呼称であるようだ。言葉を換えると「雲丹を召し上がりたい?今日は佳いモノが入手したので、御薦め出来る」ということでもあると思う。
実は昨夕、その御店に立寄ってみれば、その<納得のいくウニ丼>が在った。御店に入った時には別なモノを頂くことを思い描いていた。が、誘惑に完全に屈した。
↓こういうモノの誘惑に抗ってみようとするのは「無駄な抵抗」の極みである…
↓ムラサキウニだ…
↓合掌して「頂きます!!」と唱和して頂いた…
↓因みに添えられた「ホタテ稚貝の味噌汁」というのも、稚内ではポピュラーで美味いモノである。
夕刻に持っていた小遣い銭を使い果たしたが、コンビニATMは7時から稼働だ。大きな問題は無い…更に、美味いものはプライスレスなのだ!
この記事へのコメント