稚内港天北1号埠頭辺りから国道側へ歩を進めようとした。国道に面した百貨店の建物の裏側が視えるような辺りに差し掛かり、「この辺り…暫く振りに通っている…」という程度に思った。
↓こんなモノが眼に留まった。歩を停め、偶々提げていたカメラを使った。
↑ロシア語の名前、「НЕВЕЛЬСКАЯ УЛИЦА (ネーヴェリスカヤ ウーリッツァ)」というモノが掲げられている。「ネべリスク通り」である。
↓反対側は、看板の一部が傷んでいた…確か、金属製の看板の痛みが目立って、修繕をした経過が在ったように思う。
「〇〇通」というような、街路に冠した名前は、一部の街では公に住所となっているが、そうでもない例、単なる通称という場合が日本国内では多いように思う。稚内でも「〇〇通」は通称で、そして定着している場合も、余り意識されていないと見受けられる場合も在る。
1972年に稚内市はサハリンのネべリスク市と友好都市提携をしている。1988年に当時のネべリスク市の市長に相当する「市執行委員会議長」の来訪が在った際、「友好都市15年記念」として、この通を「ネべリスク通り」としたのだ。
「1988年」は相対的には新しいかもしれないが、35年程も経っている。それでも公に住所となっているのでもない通称で、辺りに多くの人が出掛けるような何かが多く在るでもないので、「ネべリスク通り」が人口に膾炙するという程でもない。「知る人ぞ知る」という感であろうか?
思うと2022年はネべリスク市との友好都市50年ということであったが、特段に話題にはならなかった…
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