永山神社…(2023.09.29)

旭川駅との間を列車で往来する際、少し北になるのだと思うが、永山駅を何時も通り過ぎる。旭川駅・永山駅間は普通列車で12分程度である。普通列車を利用する場合、視る限りでは存外に乗降も多い感じの永山駅だ。「永山」という住所は旭川市内では存外に広い範囲であるように見受けられる。その「永山」の鉄道駅に近い辺りに、地域の歩みと共に在る社が鎮座すると聞き、訪ねてみたいと思った。今般、午後の一時を利用して足を運んでみた。

↓永山駅から10分程度も歩くと、鳥居に出くわす。
29-09-2023 X100F (89)

↓大きな標柱が据えられている。
29-09-2023 X100F (90)

↓「永山神社」と扁額も掲げられている。
29-09-2023 X100F (91)

↓永山武四郎将軍(1837-1904)の像が迎えてくれる。像の姿は、明治後期位の陸軍将官の礼装を身に着けているようだ。
29-09-2023 X100F (94)
↑この像は、「創祀100年」を記念して建立が計画されたもので、1994(平成6)年に建ったそうだ。

永山武四郎は薩摩の島津家中の武士の家に生まれている。「武四郎」の名で察せられるが四男だったという。長じて後に開拓使出仕となり、屯田兵の司令官として各地の開拓に携わり、旭川に設置された第7師団の師団長も務めている。

1891(明治24)年、岡山県から入植した人達が郷里の神社から天照大神、大国主神の御分霊を受けて祠を設けた。それが永山神社の基礎になっている。1898(明治31)年に社殿が設けられて以降、神社は地域の発展と共に存在感を増して行った。1914(大正3)年には「村社」ということになった。やがて村開拓の祖として敬愛される永山武四郎将軍を祀るということになり、1920(大正9)年に合祀した。

↓小さな鎮守の森を経て境内へ進むようになっている。
29-09-2023 X100F (96)

↓地域の人達に敬愛されて来た風格が感じられる社だ。
29-09-2023 X100F (97)

↓大正時代の社殿の老朽化が著しかったことから現在の社殿に建て替えた。1993(平成5)年から現在の社殿であるという。
29-09-2023 X100F (99)

この日は、やや強い俄かな雨が交じる場面も在ったが、雨に当たって難儀ということもなく過ごしていた。「何かに護られている」というようなことも想い、神社を訪ねて参拝ということを思い立った。そして、現在は旭川市の一部となっている永山の地名に名を遺す永山武四郎将軍を祀った神社を訪ねた訳だ。

↓参拝を記念し、永山神社の御朱印を頂いた。
29-09-2023 X100F (109)
↑地方に出る際、御朱印帳を持参する場合も在る。今般もスティック糊と合わせて持参し、書置き方式の御朱印を頂いて貼った。

北海道内では、村を興す、拓くというような場面で「入植した人達の郷里から神社を分祀」というようなことが行われ、それを基礎に発展した神社が「地域の社」として敬愛されている例が多く見受けられる。そういう神社を心の拠所のようにして、様々な努力を重ねた先人達に想いを巡らせてみるのも時には好いであろう。

この記事へのコメント