「罪から清められた人は幸い」…(2023.11.05)

旭川の街を、朝から午後までにかなり長く歩き廻った。もっと寄ってみたい場所も在ったが、何から酷く歩き廻って、終いに「足の動きが好くない?」という具合、所謂「足取りが重い」という状況にも陥り、遅い昼食と一寸した買物という時間を経て宿へ引揚げ、早朝迄休んだ。

↓そういう日の午後にこんなモノに出くわした。
05-11-2023 X-Pro2 (91)
↑「余り顧みられていない?」という風な、鉄道の脇の空地を囲う、草が酷く伸びた感じの場所を囲う古びたフェンスに掲出された看板だ。

人の“罪”なるモノは簡単に「清められる」という性質なのだろうか?誰しもが各々に“罪”とでも名付けるべきモノを負って人生を歩むのであれば、それが簡単に清算されるモノとも思い悪い。が、そういうモノが清められるのであれば、それは「幸い」とでも呼ぶ他に無いであろう。

「見過ごしそうな…否、多くの場合に見過ごしているであろう看板」だが、何か考えさせられた。

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