「些か早い?」とは感じながら、早目に夕食も愉しみ、宿の居室で飲むモノも仕入れているので、「何時でも御休み頂いて構いません」という態勢に入って、宿の居室で寛いで居る。前日や前々日よりも些か早めな時間帯にそういうことをしてしまっているというだけのことだ。
眠ければ眠り、眼が開けば起きていて、また眠れば好い訳で、面倒なことが在るのでもない。夜行バスに乗り込んだ後、連日のようにその「眠ければ眠り、眼が開けば起きていて、また眠くなれば眠る」という程度に過ごし続けている。その延長線上というものだ。
前夜は富山の宿の居室に在って、何となく「眼が冴える」という感じで「夜更かし傾向?」となってしまった。日中に精力的に動いたので、眠りたいという希望は強いのだが、「何時でも御休み頂いて構いません」という様子で、変に寛いでしまっていた。やがて休み、深く眠って眼を開け、また眠ってというようなことを繰り返していて、何やら早朝の時間帯に入っていた。或いは「身体の消耗」を「愉しい故の昂り」が凌駕し、昂った気分で眼が冴えているのかもしれない。気が張っているということではないのだから。
余り早くから動いても、色々な場所が開いているのでもない。少し「ゆっくり」という始動を意図して、朝は居室で寛いだ。居室は18階建ての建物の11階に在る。窓からの眺望も好い感じで、少し寛ぐには好適だと思う。
宿の朝食を頂いた後に一息入れて、午前8時台に始動ということにした。前日も似たようなものだが、今般はチェックアウトをして嵩張る荷物を預けるというようなことが無用だ。何処か「この街に在る中で休日を過ごす」という気分になる状況だ。「随意に過ごす時間を設ける」という中では、こういうように「出先」を強く意識しない程度に過ごすのが心地好いかもしれない。
富山では「市電」と呼んでいる路面電車が活躍している。、これは専用軌道の電車と区別して、街の併用軌道を行き交っている電車を「市内電車」と称し、それを略した言い方のようだ。この「市内電車」に650円で1日何回でも随意に乗降可能な“1日券”が在る。宿の直ぐ傍に在る富山地方鉄道の窓口で求められる。それを入手し、何となく市内を巡り、昼食後に宿で一息入れ、また出て、また引揚げて夕食まで更に一息である。
今般は岩瀬を訪ね、所謂「北前船」での繁栄の経過に触れることが叶った。これは非常に興味深かった。この他、「路面電車が在る街」、「立山連峰を望む街」という風情を少しのんびり愉しんだと思う。見聞等は何れゆっくりと綴りたい。富山はもう少しゆっくりと過ごすことも好いかもしれないと思った。今般、岩瀬で旧い「北前船」で活躍した人達の家を見学したが、他には資料館的な場所は訪ねていない。敢えてそうせずに、何となく動き回っていたという感じになる。
夕食は、前日にいきなり出会った<とやま鮨>を再度訪ねた。非常に気に入った!「氷見寒ブリ」のブリ大根、ブリのモツ、のどぐろの吸い物というような料理、気に入ったホタルイカの沖付けや黒作り、そして若干の寿司だ。何か「寿司が美味かった富山」というように記憶してしまいそうでもある。
12月23日の夜遅くに発ち、12月24日は動き続け、12月25日も精力的であった。ここで「少しだけゆっくり」というようになっていたかもしれない。それはそれで好いであろう。明日は富山を離れる。
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