
↑機関車のメンテナンスを手掛けるような、見学者が自由に出入り出来ない箇所に在るのだが、古風な姿が酷く目立つ。
↓小樽に在る<しづか>の同型機である<義經>である。

1880年製造の1号機が<義經>(義経)、2号機が<辯慶>(弁慶)と、1882年製造の3号機が<比羅夫>、4号機が<光圀>と、1884年製造の5号機が<信廣>、1885年製造の6号機は<しづか>と各々愛称を与えられた。間隔が少し開き、1889年に2輛製造されているが、これらには愛称は冠せられていなかった。同型が計8輛在ったのだ。
「平泉で自決した」とされる源義経に関しては、現在の北海道へ落ち延び、大陸に渡って活躍したという伝説が在る。その伝説の地である北海道で活動した機関車に<義經>の名が与えられていたのだ。
↓確か小学生の頃だった。当時は神戸の工場に在った<義經>を小樽迄運んで、<しづか>と「再会」という催しが在った。“親父殿”に小樽迄連れて行って頂いて見学したというようなことを微かに憶えている。

↑序でに右奥に写っているC56については、これも小学生の頃、札幌へ運び込んで札幌・小樽間で客車を牽引するというイベント列車が運行され、未だ幼かった“賢弟”を引き連れて乗車してみた記憶も在る。
そういう個人的な思い入れも在る車輛に、こうやって京都鉄道博物館で対面出来るのは嬉しい。米国生まれで“西部劇”風という独特な風貌で北海道に現れた蒸気機関車は、神戸の工場へ行った後に大阪の博物館に入り、京都の博物館の開設時に移っているのである。
「1880年」という次元の旧い車輛は、とにかく貴重だと思う。
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