<川越まつり会館>…(2023.12.25)

<蔵造りの町並み>と呼ばれる辺りを歩き廻っていた。

↓こういう建物を眼に留めた。
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辺りの様子に馴染んだ感じ、特殊でもないとは思ったが「まつり会館」なる看板が気になって近付き、入ってみた。

如何いう場所なのか尋ねれば、「<川越まつり>の山車を展示している。本物が置かれている」ということで、有料の展示施設だった。「面白そう?」と入ってみた。

↓こういう具合に<川越まつり>の本物の山車が展示されている。
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↑ビデオや三脚の使用等は御遠慮願うとのことだが、館内の写真撮影は構わないということだった。

この山車が飾られたホールでは、<川越まつり>を紹介する6分間程度のビデオが上映され、関係者が来館者に色々な話しをしてくれるようになっている。それを通じて、<川越まつり>のこと、祭に登場する山車のこと、それに関連する地域の歴史等を知ることが叶うのだ。

↓新旧色々なモノが混在しているが、29基の山車が在る。基本的に町内で山車を持っていて、祭では町内関係者が山車を曳く催事に参加する。1基は嘗て地元企業が製作して市に寄贈したモノで、山車の町内以外で希望する児童生徒の中から抽選で選ばれた人達が曳くというようにしているそうだ。
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↓現在はこの<八幡太郎>の山車がホールに在る。
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↓もう一つ<鏡獅子>の山車も在る。
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↓背が高い山車はこういう骨組みになっている。これは<川越まつり>の発展に寄与しようと製作を手掛けた方が在ったが、志半ばで他界されたことを受け、御遺族が市に寄贈したモノということである。
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↑頂上に「魂を降臨させる」という人形を載せるのだが、その頂上部分は「引っ込む」仕掛けになっていて、高さが少し低くなるのだという。

こういう山車を使う祭は、江戸で起こって盛んになり、それが川越にも伝わった。江戸では祭の山車が江戸城の中を練り歩いて将軍が観るという場面も在ったということで、城門を潜る場合の高さの制約というものが在るので「頂上部が引っ込む仕掛け」が考案されて普及したそうだ。それが「そのまま」に川越の祭で使う山車にも受け継がれているのである。

↓「江戸彫」と呼ばれる精密な彫刻が施された山車は見事なものだ。
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↓西陣織等の華麗な布で飾るという場合も在るようだ。
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こうした山車だが、新造すると「億円」の桁の費用を要するようだ。

↓山車を曳く人達は揃いの衣装を身に着ける。現在、ホールに在る山車の関係者の使う衣装が飾られていた。
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祭に際しては、踊りや御囃子も在り、各々に進む山車が出会って、競うように御囃子の演奏が行われて掛け声を出し合うという賑やかな場面が繰り広げられるのだそうだ。

この<川越まつり会館>はかなり深い奥行きに設えられた建物に、画のような様々なモノが展示されている。素晴らしいのは、関係者の皆さんが熱心に判り易く御話ししてくれることだった。川越の人達が愛し、大切に受継がれている貴重なモノに関して非常に強く伝わる。そして祭に携わった様々な人達の談話のようなモノが館内に掲示されていたのも興味深く拝見した。

それにしても、川越の山車を使う祭は江戸で起こって伝わったのだというが、江戸では山車を使う祭が廃れてしまった。それは路面電車の架線のようなモノが街に広く張り巡らされ、背の高い山車が使い悪くなり、肩に担ぐ神輿を使うというのが専らになって行ったということのようだ。川越ではそれが残って受継がれた訳だ。ということは、「川越」でこそ「江戸の文化」が古き善き姿で受継がれているというようなことになるのかもしれない。

何となく眼に留まって立寄ったのだったが、凄く興味深い展示施設に出遭えた。非常に善かった。

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