大阪では南北に延びる道を「筋」、東西に延びる道を「通」と呼び習わす。こういう区別が、存外に合理的で好いというように思う場合も多い。
その「筋」の代表的なモノである御堂筋で、南側の難波辺りを起点に北上し、本町に至った。
↓高速道路の高架の下に建物が在って、<船場センタービル>と称している。
↓大晦日なので、<船場センタービル>のテナントも閉まっている。が、それはそれとして、空間と光の醸し出す雰囲気は好い。
この辺りでは、地下鉄御堂筋線の本町駅が近いので、そこから地下鉄を利用して滞在中の宿に引揚げることが出来ると思った。が、一寸思った。御堂筋から東側の堺筋に進み、地下鉄の堺筋線を利用すると、特段に乗換えも無く、目指したい天神橋筋六丁目駅に至ることが叶うのである。
↓この辺りで東西を結ぶ道である中央大通に入って、東寄りを目指すこととした。
↓中央大通と並行するような高速道路の高架下には、相当に長い範囲で建物が建っている。何となく見ると「延々と続いている?」というようにも見える。
↓<船場センタービル>の「9」というような表示が在った。
↓少し進むと<船場センタービル>の「8」というような表示で「心斎橋筋」とも示されている。
<船場センタービル>は1970(昭和45)年にオープンしたという。辺りの東西を結ぶ道を拡幅して中央大通を整備しようとした際、移転をせねばならない様々な沿道の用地利用者の補償のため、従前利用していた面積が利用可能になることを目指し、高速道路の高架の下に10棟のビルを建てたというモノなのだ。「1号館」から「10号館」まで在り、写真は「9号館」や「8号館」ということになる。
↓進み続ける。「7」は「7号館」だ。「丼池筋」(どぶいけすじ)という表示も在る。
↓「6」は「6号館」だ。「三休橋筋」(さんきゅうばしすじ)という表示も在る。
↓「5」は「5号館」で「中橋筋」(なかばしすじ)となっている。
↓「4」は「4号館」で「藤中橋筋」(ふじなかばしすじ)となっているが、古くは難波橋筋(なにわばしすじ)と呼ばれた。街の変遷の中で難波橋が架け替えられて辺りに無くなり、新しい藤中橋が架かったことから藤中橋筋という呼び方が登場したのだという。
↓漸く地下鉄堺筋線の堺筋本町駅の出入口が見えた。
↓堺筋の辺りも、先程見ている御堂筋辺りと同じような設えが見受けられる。
結局、御堂筋から堺筋へ向けて中央大通を歩き、中央大通と交わる何本もの「筋」を見たということになった。他方、後から考えると御堂筋辺りの本町駅と堺筋本町駅とは地下鉄の中央線で結ばれて1駅間だった。それに乗車しても好かった訳だが、その時は「一寸だけ歩けば…」というようにしか考えなかったのだ。
<船場センタービル>について、御堂筋の辺りで中を通って地下鉄御堂筋線の駅に出入した、または館内の御店で食事を摂ったということは在った。が、高速道路の高架下に拡がる様子をゆっくり眺めるという機会は、設けられそうで設け悪いかもしれない。そういう意味で、何となく歩いて面白かった。出先では、こういうような「何となく面白い」を少しずつ重ねる程度の過ごし方をするのが好いのかもしれない。
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