気比神宮…(2023.12.27)

敦賀に着いて、宿を求めたのだったが、宿に入る前に是非とも気比神宮を訪ねてみたかった。

敦賀駅には観光案内の窓口も在り、辺りを歩き廻る際に使い易い地図も頂ける。ハッキリ言おう。自身にとっては、その種の紙の地図が最も使い易いのだ。その地図を参照して街を歩き、気比神宮に辿り着いた。

↓非常に大きな鳥居で、凄い存在感だ。
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↑既に嵯峨天皇の時代である810(弘仁元)年には鳥居が設けられたと伝わる。そういう古い鳥居は災害等で損なわれた経過が在って、1645(正保2)年に礎石を現在位置に移して大きな鳥居を建てた。それが現在に伝わる鳥居であるのだという。扁額は有栖川宮威仁親王(ありすがわのみやたけひとしんのう)(1862-1913)の筆であるそうだ。

↓明治期以降に神社の格付けをしているが、「官幣大社」とは、「全ての神社の上に在り、社格のない特別な存在」とされた伊勢神宮を除いて、最上級の格付けである。
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↑古くから「北陸道総鎮守」、「越前国一宮」とされて崇敬された神社だ。

『古事記』や『日本書紀』では仲哀天皇、神功皇后、応神天皇の時期にこの気比神宮の場所い纏わる記述が在るのだという。こういうような時代に関しては「西暦XXX年」と言い悪い面も在るが、西暦200年よりも以前に神社が起こっているというような話しになる。要は、相当に古くから在る神社という訳だ。そして古代、中世、近世と神社の経過が在って、明治期以降の近代になる。更に現代に迄、神社は受継がれている。

↓大きな鳥居を潜った後、社殿の辺りに至った。
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↓国内外からの来訪者が散見した境内ではあったが、人通りが途切れる間隙も在った。「茅の輪くぐり」の設えが在る社殿の美しい様子を眺めていた。
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↓少し前に雪が降り積もった日は在ったのだろう。些か雪は残っていたが、気になる程でもなかった。
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↑重要な港を要する敦賀は第2次大戦期の戦禍で色々と古い建物等が損なわれている経過も在るという。気比神宮の建物も戦後の再建が多いそうだ。

↓確り参拝した。左側が気比神宮の御朱印だ。
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↓気比神宮に立寄ることが出来て善かった。こういう眺めが「忘れ難い眺め」に数えられるようになると思う。
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