何度か辺りを通り過ぎていて、訪ねてみた経過は無い。そういう場所が気になれば、何とか機会を設けて訪ねてみたくなる。
↓そういう訳で訪ねてみた場所だ。
「門跡」というのは、皇族や摂関家等の身分が非常に高い家の子弟が入って代表というような地位に就く寺を指し示す表現である。比叡山の中に在った僧房に起源を持つとされる青蓮院もそうした「門跡」の一つだ。
1150年頃に現在の場所で鳥羽上皇の祈願所の一つとしての位置を固めて「門跡」というようになって行ったようだ。時代が下って、1788(天明8)年に大きな火災が在った際、当時の後桜町上皇の仮の仙洞御所が青蓮院に置かれた経過が在り、地名に因んで「粟田御所」とも呼ばれているそうだ。因みに後桜町上皇は、2023年現在、「女性の天皇」の「最後の例」ということになるようだ。
↓こうした史跡をゆっくりと拝観する、参拝するというようなことは興味深いものだ。
↓建物の改修等も行われ、史跡を、貴重な旧い建物を後世に伝える努力が重ねられている。
↓写真撮影は原則的に認めていないという様子も伺える屋内を見学し、庭の側に出てみた。
↓この種の竹林は北海道では見受けられないので一寸注目する。
↓境内や辺りの楠は「青蓮院の楠」として少し知られている。
↓これはやや驚く。
↓鐘楼の鐘を随意に撞いて構わないことになっている。
実は殆ど開門と同時に青蓮院門跡に入った。施設管理の仕事に携わっている方が「お待たせしました…」と開門して、来訪者に声を掛けている。自身も話し掛けられたが、「中へ入られるなら鐘に注目して頂きたい。京都の数在る古刹で鐘を随意に撞いて構わないことになっている例は殆ど無い」と御紹介頂いた。「有難うございます!」と中に入って見学したが、なるほど、随意に撞いて構わないことになっている。
↓こういうように注意書きは在った。出鱈目に鐘を鳴らすものでもない…
自身が無事に京都へ至ってゆったりと過ごしていることに感謝の意を表しながら、仏の心で不穏な世界情勢が安定するようにというようなことを祈りながら、慎重に金を撞いてみた。大きな反響の音も響く様子を聞いて、手を合わせて祈った。
「青蓮院」という名に関しては、幕末の歴史に登場する中川宮が青蓮院に在って「青蓮院宮」とも呼ばれたというようなことが記憶に残っていて、場所に少し興味が在った。そういうことで、ここを訪ねられて善かったと思う。
地下鉄東山駅から近い、訪ね易い場所でもあるので、また訪ねてみたいというように思う。
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