難波から本町の辺り迄、御堂筋を歩いてみた。「12月31日」というのは、賑やかなような、静かなような、何か微妙な空気感だと思いながら歩を進めた。
↓難波神社に至った。
↓仁徳天皇(にんとくてんのう)を祭神とし、素盞嗚尊(すさのおのみこと)を配祀している。加えて境内に博労稲荷社を擁し、倉稲魂尊(うかのみたまのみこと)を祀る。その旨が記されている。
↑倉稲魂尊(うかのみたまのみこと)というのは、稲荷社に祀られる稲荷神のことである。
この社の起こりは相当に古いようだが、943(天慶3)年には現在の天王寺区上本町に鎮座していたという。1597(慶長2)年には豊臣秀吉から立退料が支払われ、現在地に遷座したという。
やがて「大坂夏の陣」の後、境内地の多くが幕府に没収されたという。江戸時代には、仁徳天皇等を祀る神社というよりも、「博労稲荷社」として知られ、人々に親しまれていたようだ。商家の多かった船場―地下鉄の本町駅や堺筋本町駅の周辺地域という―が近いことから、商家の関係者の間で、商売に御利益が在るという「稲荷社」として篤い信仰の対象となったようだ。
明治期には「府社」に列せられる。1945(昭和20)年の空襲で焼失してしまい、1974(昭和49)年に再建されている。
↓「街のど真ん中」というような場所だが、この鳥居の中は少し静かな「神社らしい」という雰囲気が溢れていると思う。
↓明治期に列せられた「府社」と明記されている。
↓空襲で損なわれ、少し長い年月を経て再建が成った社殿だ。
↑大阪で好い時間を過ごしていたこと、無事に2023年が過ぎようとしていたことに感謝の意を表しながら参拝した。
↓境内の木だが、空襲による大火災の中を生き残ったと伝えられる。大変に貴重な木だ。
↓この木を暫し見入っていた。
↓「初詣」の参拝者を迎える時が近付いており、こういう干支の画の様々な飾りが辺りには見受けられた。
こういうような、広壮な公園というような様相でもない境内ながら、街中で存在感を放つという社が、何か凄く好い。
この記事へのコメント