↓海が視えるような辺りに、趣深い建物が在った。
↓1831(天保2)年から1832(天保3)年頃に建築されたと伝えられる。行政事務、商業関係の事務を執り進める村会所であった場所であるという。18世紀以降、2万石の森家が赤穂の城を本拠地に辺りを知行地としていたが、この建物は森家でも休憩所として利用した例が在ったそうだ。
↓資料館でもあるらしいが、「年始休業」の中、建物外観を眺めるだけに終始した。
こういう場所は興味深い。今般、中を観ていないので「何時かまた…」という想いを募らせながら辞去したのだった。
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