↓<川村カ子トアイヌ記念館>に測量の作業をしている人物の写真が在った。
↑この人物が川村カ子ト(「カ子ト」は「かねと」)である。
川村カ子ト(1893-1977)は近文コタンに一家が住み始めたような頃に産れている。「カネトゥカアイヌ」(「金を稼ぐ人」の意)がアイヌ語の名であるが、戸籍上は「カ子トアイヌ」であった。長じて働くようになった際、「兼登」で「かねと」と読ませるようにしていた時期も在ったようだ。
古くからのアイヌの暮らしが出来なくなり、農業も厳しい状況であった中、川村カ子トは就職を考え、幼少の頃に憧れた鉄道に携わろうと測量技手となった。北海道内、長野県、樺太、朝鮮半島と各地の鉄道建設現場に出て、測量の仕事に携わっていたという。
↓鉄道建設に携わった際に受けた辞令が展示されていた。
↓川村カ子トが携わった路線に関するモノも展示されていた。
川村カ子トは父の川村イタキシロマが逝去した後に帰郷して記念館を引継いだ。測量の仕事で得た資金で記念館の充実を図ったというが、火災の際にも私財を投じて建物を再建する等していた。
↓川村カ子トに関しても色々と紹介されていて興味深く拝見した。
川村カ子トは、明治、大正、昭和の鉄道建設現場で立派な事績を遺し、同時に民族の歴史と文化を伝える活動でも大きな事績を遺している。こういう人物が在ったと知り、この場で出会えたということになる。多少ドタバタしながらこの<川村カ子トアイヌ記念館>を訪ねられて善かった。
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