「利尻礼文サロベツ国立公園指定50周年」のバナー…(2024.03.07)

↓稚内駅で眼に留めた。
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「利尻礼文サロベツ国立公園」というのは、利尻島と礼文島の約半分、稚内市から豊富町・幌延町へ続く海岸砂丘林とサロベツ原野が指定されているのだそうだ。24,166ヘクタールにもなるという。241.66平方キロメートルだが、277万人余りが住むという大阪市(225.33平方キロメートル)よりも広いということになる。

1965(昭和40)年に「利尻礼文国定公園」となり、1974(昭和49)年の国立公園に指定されているので、今年が50周年なのだという。

「国立公園」というのは、自然公園法に基づいて、「日本を代表する自然の風景地を保護し利用の促進を図る」という目的で環境大臣が指定し、国(環境省が所管)が自ら管理する。これに対して「国定公園」は国立公園に準じる景勝地として自然公園法に基づいて環境大臣が指定するもので、都道府県が管理するのだそうだ。

「利尻礼文サロベツ国立公園」と指定されているということは、「日本を代表する自然の風景地」と国(環境省)が「推している」ということにもなる。

考えてみると、稚内辺りでは当初の「利尻礼文国定公園」が登場した昭和40年代頃から「観光」が地域で存在感を拡大させたかもしれない。利尻島や礼文島と稚内とを結ぶ航路に、車輌甲板にそのまま車輌が乗込むように積載出来る“フェリー”が初登場したのが1970(昭和45)年と聞いている。やがて昭和50年代には、所謂「200カイリ」の件で水産に些かの揺らぎが生じ、他の分野に注力しようというようなことも在ったかもしれない。漁業関係を営んでいた人達が、宿泊施設経営に転じるというような動きが見受けられたとも聞く。

↓こういう具合に「50年」というようなことが紹介されると、「その半世紀の間?」と色々な経過、関連の歴史にも想いが巡る。
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朝にぼんやりと歩き廻って出くわしたバナーだったが、こういうモノも好い。

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