建物…:<塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅>(2024.05.11)

塩狩駅の直ぐ傍に看板が在る。
11-05-2024 X-Pro2 (55)

↓小高くなった辺りに建物が在る。
11-05-2024 X-Pro2 (68)

↓こういう建物で、<塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅>ということになる。
11-05-2024 X-Pro2 (56)

三浦綾子は3冊組の『道ありき』という自伝的作品を綴っている。その第2部に、眼前の建物に纏わる事柄が詳しく綴られていた。

『道ありき』の第1部、第2部は、「主人公の“綾子”が、教員の職を辞した後、考えていた結婚を病気の故に諦めるが、長い療養生活の中で伴侶に巡り合い、結婚する。そして小説家になって行く」という“小説”という風で非常に興味深い。

結婚後、最初に住んで居た借家を出るということになった際、住まいを見出そうとするのだが、結局「思い切って建てよう」ということになった。それがこの建物で、三浦綾子はここで「三浦商店」という雑貨店を営み、傍らで創作活動もしていた。懸賞小説で、三浦綾子が作家デビューする契機となった『氷点』は、この家で綴られていた。懸賞小説の「12月31日消印有効」という当日、深夜2時頃に完成し、パートナーの三浦光世が街の郵便局の本局へ足を運んで送ったらしい。それが「作家三浦綾子」の登場への道を拓いたことになる。

↓聖書の言葉や教会の催事案内を貼り出したという小さな掲示板も再現されている。味わいの在る建物だと思った。
11-05-2024 X-Pro2 (63)

1970年代に夫妻は別な家に移った。年月を経て、この建物が解体されることになった時、想い出多い家が完全に姿を消すことを夫妻は酷く惜しんでいたのだという。そこで有志が「あの『氷点』が綴られた家」ということで、部材が綺麗に残るように手作業で解体して部材を保管したのだという。

この家では、非常によく知られた作品である『塩狩峠』も綴られた。それを踏まえ、この塩狩に家を再建した。新築部分の展示交流コーナーと合わせて<塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅>ということになり、1999年4月にオープンした。

オープンの際には三浦夫妻も訪れている。三浦綾子は、当時は病身であって、その年の10月に他界してしまった。オープンの際の写真が館内に在った。想い出多い家で嬉しそうな三浦綾子の様子、傍らで見守る三浦光世の様子が凄く記憶に残る感じだ。

↓稚内から列車でここを訪れるのであれば、早朝の列車から乗り継いで塩狩に至り、昼の列車で旭川に出るというのが、開館時間の中で中を見学する最も現実的な方法だと思った。
11-05-2024 X-Pro2 (64)

色々な作品に親しんだ作家に所縁の場所を訪ねてみるのは興味深いものだ。

この記事へのコメント