「文学紀行」…?=運行日誌(2024.05.12)

「何時でも御休み頂いて結構…」という態勢で寛いでいる。宿の居室に在る。簡単に綴っておきたい。

前日の宿の居室では、「何時でも御休み頂いて結構…」という態勢で寛いだ。そして早目に休んでしまった。宿に入った後、別段に居室から出ていない。

そういう感じで深夜帯に目覚めた。少し長く眠っているので、速やかに再度眠るということも叶わず、暫く起きて居た。やがて眠気が射し、ベッドに横たわった。

そして早起きして午前6時台には既に動いていた。目指したのは上富良野だ。早朝の列車で向かい、昼に引揚げるという計画で動いた。

上富良野という場所は、明治時代後期からの入植の経過が在った後、「大正泥流」の甚大な被害が在り、そこから復興している。「開拓」を「2回」もやっているような面が在る。

そういう経過が判る資料館を訪ねたかった。上富良野駅から3km弱らしい。これを歩いて往復した。

更に上富良野神社を訪ね、古い役場の庁舎を模したという建物の郷土館を訪ねた。

郷土館では、「大正泥流」の日だった「5月24日」にその時代の物語を伝える紙芝居を上演するということで、関係者の皆さんがリハーサルをしていた。観て構わないということで、拝見した。興味深かった。関係者の皆さんも、「見知らぬ旅行中のおっちゃん」が約1名、真面目に聴いているという様子であれば「本番に向けたリハーサルとして好適」と考えて下さったようだ。

紙芝居にも話題が在った。「大正泥流」の頃、凄まじい破壊力の泥流で、鉄道の線路が「底から抉って持ち上げられた」というように破壊された。これを数百人の作業員による工事で、数日で列車が通れる程度に復旧したという。何やら凄い。この破壊された鉄路に関して、モノが郷土館にも展示されていた。郷土館の方とも言葉を交わし、なかなかに愉しかった。

結局、『泥流地帯』、『続 泥流地帯』を興味深く読み、それで覚えた興味を満たすという感じで上富良野を訪れた。或る種の「文学紀行」をしたということかもしれない。

往時、大切な輸送手段として、災害で「とんでもない状態」になったモノを懸命に復旧した歴史に触れた。少し複雑な想いが湧いた。近年は、災害で傷んだ鉄路がなかなか復旧せず、何やら廃線になっているという例が目立つような気がしたからだ。

その復旧の歴史が在る鉄路で旭川に引揚げて少しゆっくりしていた。やがて夕方、午後4時台に旭川駅へ足を運んで入場券で入った。<花たび そうや>が稚内から旭川に帰って来るのだ。今般、キハ54の2輛連結の前後にキハ40を連結ということだったのだが、旭川に向かう際に先頭になるキハ40が好い。嘗て、宗谷線にキハ261系ディーゼルカーの特急列車が登場する前に走っていた急行列車で使用されていた車輛の外観を再現したというモノである。これを観に行ったのだ。何か嬉しかった。嘗ての急行列車には、丸いヘッドマークが掲出されていたが、今般も<花たび そうや>の丸いヘッドマークが掲出されて「雰囲気満点」だった。

実は上富良野から引揚げた後、宿の居室に入った際に30分間程の居眠りに及んだ。そんな訳で、暗くなる前から宿で寛いで居る。今般の見聞等は順次綴りたい。

「何時でも御休み頂いて結構…」という態勢なので、眠気が強まれば抗わずに休む。

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