↓蒸気機関車の運転台である。ボイラーを焚いて蒸気を起こして、それを調整して動輪を動かす訳だが、石炭を投入する場所が設けられ、その蒸気の調整を担う機器類が搭載されている場所だ。
↓D51 398号機である。
「D51」を「デゴイチ」というようにも呼んでいたと思う。幼少の頃には「デゴイチ」という呼び方が「蒸気機関車の代名詞」でもあるかのようだったような記憶が在る。
D51形は1935(昭和10)年から1945(昭和20)年と長く製造されたが、製造総数が1184輌に及ぶのだという。全国で広く活躍していて御馴染であったことや、長く製造が続いたことが示すように、扱い易く現場で好評であったということから「デゴイチ」が「蒸気機関車の代名詞」という様子になって行ったのであろう。
幼少の頃には、未だ「蒸気機関車牽引の貨物列車」が少し見受けられた。“親父殿”と車で出掛けて、踏切の辺りでその「蒸気機関車牽引の貨物列車」を見たという記憶、そして「黒い怪物のようなモノが、長い真っ黒なモノを引いて、煙等を撒き散らすように通り過ぎて行った」と考えたというような記憶が僅かに在る。「デゴイチ」は黒く、ボイラーを焚く黒い煙が煙突から上り、白い蒸気が噴き出し、牽引しているのは大概が石炭を積んだ黒い貨車だった。そこで幼少期に「黒い怪物のようなモノが、長い真っ黒なモノを引いて、煙等を撒き散らすように通り過ぎて行った」と思ったのであろう。後から“親父殿”に、嘗ては線路の上を走るモノと言えば、蒸気機関車が牽引する貨物列車や旅客列車ばかりであったこと等を教えてもらったというようなことも在ったかもしれない。
↓何か「眼に馴染む」という感じだ。「蒸気機関車の代名詞」でもあるかのように言われた「デゴイチ」だけに、「蒸気機関車」とでも言えば「こういうような感じ」を思い浮かべるかもしれない。
製造数が多いので、D51が保存されている例は方々に在る。近年では旭川、室蘭、神戸、加えて<京都鉄道博物館>で観た。
更に、(当時)ソ連サハリン州へ向けての輸出用にこの「デゴイチ」が製造されたという経過が在り、使用されなくなってからも日本国内で見受けられるように展示されている例を観たことが在る。日本国内では機関車のプレートに「D51 XXX」と記すが、サハリンで見受けられる仕様は「D51-XX」となっている。
↓「D」というのは「4動輪」を示す記号だ。何となく動輪を眺めていたが、「C」という「3動輪」に比べて径が小さめだ。が、「4動輪」はより大きな牽引力を発揮するので、主に貨物列車の牽引で活躍していた。
この「デゴイチ」の姿は、今後も長く伝えて欲しいと思う。殊にこの<排雪列車「キマロキ」編成>の398号機は好いと思う。
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