『塩狩峠』はよく知られた小説だと思う。作品を読んでいなくても、題名位は耳にしたことが在るという場合も少なくないことであろう。
この『塩狩峠』のクライマックスということになる出来事が起こった場所に近い塩狩駅の傍には、この小説が綴られた頃に作者の三浦綾子が住んでいた家の一部を利用した記念館も在る。
↓辺りにこういう碑が在る。何方かが御酒を御供えしたようだ。碑に名の在る御本人が酒を愛したか否かは知らないが。
↑小説の『塩狩峠』は、実際の出来事に着想を得ている。連結器が外れて、下り坂を滑るように動き始めた列車を何とか停めようとして轢かれてしまったという人物は実在する。その人物が長野政雄である。
『塩狩峠』の作者である三浦綾子は、旭川の街に在る旭川六条教会に通っていたというが、実はこの長野政雄も鉄道勤務の他方で旭川六条教会に通っていた。そういうことが、小説の執筆の契機にもなっているのであろう。
↓碑の反対側では、小説のモデルとなった出来事に関わった、実在した人物である旨等が紹介されている。
結局、地域間を結ぶ鉄道のようなモノも含め、色々な人達の努力や犠牲が在って「今日の暮らし」が創られているのだと思う。名寄から旭川への列車が不具合を来してしまった時に何が如何なったのか、真相は判らないかもしれない。が、小説は色々な事を考える材料を提供してくれると思う。
更に、名寄から旭川の区間を含む宗谷線を年に何度も利用していることも在り、小説とそれに着想を与えた出来事に関しては、是非とも記憶に留めたい。
自身で『塩狩峠』を読んだのは然程以前でもない。寧ろ最近だ。が、作品や作家と出会い、関係の場所や展示施設を訪ねる機会を設けられたのは大変に幸いだ。
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