↓鳥居が連なっている場所に出くわした。奥に建物も見える。神社の参道であるようだ。
↓上富良野神社の参道である。
↓現在の社殿は1989(平成元)年のものであるらしい。
↓上富良野の総鎮守という、なかなかに風格が在る社殿だと思った。
この辺りには色々な人達が入植して種々の農場を拓くようなことをしていたが、各々の纏まりで暮らしの安寧や仕事の成功を祈るような社を設けていた。例えば「三重団体」と呼び習わされた三重県出身の人達が水田等を拓いていた辺りでは草分神社が在った。この種の神社の一部は現在でも伝わっているようだ。
そういう色々な人達の「各々の社」の他方、1899(明治32)年の(現在の富良野線ということになる)鉄道開通を契機に形成されて行った市街には、神社は無かった。そういうことで、1902(明治35)年に創祀され、翌年に分村というようなことも在って「上富良野神社」と号するようになり、「村の総鎮守」ということで経過して行くことになる。
↓上富良野で好い時間を過ごしていることに感謝の意を表すべく参拝した。
上富良野を訪ねようと考える契機になった小説『泥流地帯』であるが、「大正泥流」が発生する終盤寄りの辺り迄は、小学校の教員になって行く主人公が祖父の薫陶を受けて育っていくというような内容が多いが、そういう中に上富良野神社に纏わる話題が出て来る。市街の上富良野神社での祭は、大正10年代頃には既になかなかに盛大なものになっていて、人々が様々な催事を愉しんでいた様子が描かれている。
↓地域の歴史を見守って来た、そしてこれからも見守る存在の、地域を代表する神社の存在感は好いと思う。
<上富良野町開拓歴史広場>の辺りから上富良野神社迄歩いたが、小説『泥流地帯』の作中世界の人々が祭を見物に出ようと歩いたような道筋であったかもしれない。こういう過ごし方が好い。但し、列車で旭川に引揚げた後、やや多く歩いた関係で足取りが些か重くはなってしまったのだったが。
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