<上富良野町郷土館>…:上富良野の街角(2024.05.12)

「開拓記念館」を訪ねようと上富良野駅から(多分)3km前後の道程を歩き、その同じ道を引き返しながら、上富良野駅を通り過ぎた市街地に至った。

↓こういう看板を見掛けた。
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↑施設を紹介している場面で<かみふらの郷土館>となっている例も見受けられた。が、この看板が強く記憶に残るので、記事件名は<上富良野町郷土館>とした。多分、町立の施設であって、公には「上富良野町」としているだと思う。来訪する人達等への宣伝の意味合いで「かみふらの」と敢えてする場合も見受けられるということなのであろう。些事だが。

↓上記の看板の或る側へ少し歩を進める。「何処?」と左側を向くと立派な建物が在った。
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↑確りと正面の壁の上方に「郷土館」と在る。間違いない。

↓なかなかに貫禄が在る見映えなのだが、往年の村役場を模した建物であるのだという。1919(大正8)年に登場した、他所でも類例が稀な程度の建物であったという「上富良野村役場」庁舎を模した。
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↑1978(昭和53)年、現在へ連なる自治体の礎が築かれて80年を記念して建てられたのだという。

「入場無料」となっている。日付、人数、町内または町外の別、町外の場合は何処からかというのを表に書き記すというようになっている。

1階は左側が事務所のようになっていて、右側が展示室だった。「十勝岳ジオパーク 美瑛・上富良野エリア」という活動に関連し、自然関係、十勝岳を紹介する見地で「大正泥流」の話題を提供するという展示だった。

偶々なのだが、この場所で来る5月24日に上演するという紙芝居のリハーサルを行っているところだった。上演する際と同様に通してやってみるという場面になっていて、それを拝見した。「大正泥流」の挿話等の物語で、なかなかに興味深かった。

1階奥の真中に上へ上り、右、左と2方向に枝分かれした、往年の官公署や会社の建物に見受けられそうな設えだ。右側へ上り、2階の展示を一回りして左側から下りるという順路になっていた。

その2階は歴史関係である。

「開拓記念館」は、主に「三重団体」が入った経過や、「大正泥流」の際に懸命だった吉田貞次郎の事績等に少し絞り込まれた展示で、あの建物自体が興味深い。<上富良野町郷土館>はもう少し幅広く、街での暮らしや、農業等の変遷というようなことが判るような内容も加わっている。

当然ながら<上富良野町郷土館>でも「大正泥流」関係の紹介が在る。驚いたのは鉄道の件である。館内に枕木やレールがグチャグチャに流されて溜まってしまったような様子が判るようになった展示や、災害当時の記録写真、一部に「モノクロ写真の色復元」という処理を施した写真も在った。その中に、線路の下の土を抉って、そこから線路を捲り上げたようになっている写真が在った。「泥流」の威力の凄まじさが窺い知れる。

だが、凄まじい破壊以上に驚いた話しが在る。完全に破壊されてしまった鉄道だったが、数百人の作業員を投入して、数日後には列車が通ることが出来るようにし、以降は順次整えたということらしい。この「完全に破壊されたような鉄路を、数日でとりあえず使えるようにした」という史実に関して、或る意味で破壊の様の紹介以上に驚かされた。そして「最近の災害で鉄道が傷んでしまった時の様子は?」と、少々余計な事も頭の中を過った。

↓既に45年を経て、やや古くなった建物ではあるのだが、中の展示は興味深い。「開拓記念館」と相互に或る程度補完しながら上富良野の歴史が伝えられていると感じた。
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「郷土誌」という語が在る。「郷土史」と似ているが、やや違う。

「郷土誌」とは、「郷土の地方的特性を、歴史、地理、風土、信仰、習俗、産業等の多方面から調査した記録」というような意味の語だ。上富良野では、地域のことを伝えるとして、歴史や十勝岳のことや産業の変遷というようなことを総合的に伝える、文字どおりに「郷土誌」的な取組をしていると観た。

何度か列車で通り過ぎたというだけだった上富良野である。「大正泥流」の後の人々の努力によって、今日でも列車で通り過ぎられる。それを初めて上富良野で列車を下りて、色々と見学をした中で知った訳である。

色々な意味で記憶に残る上富良野訪問だった。

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