駅前通の案内標識…:栗山(2024.05.13)

栗山駅の正面から延びている道路を「駅前通」と呼ぶようだ。その通を栗山駅の側へ進んでいた。

↓こういう案内標識を眼に留めた。
13-05-2024 X-Pro2 (69)
↑直進すると栗山駅で、既に駅も見えていて70m程度先だという。右は札幌へ通じる道路に繋がる。左の「角田」とは何だろう?

「角田」というのは、栗山町の中に在る地区のことだ。栗山町は、嘗ては「角田村」と呼ばれた。

仙台の伊達家は62万石と、江戸時代には屈指の大藩だった。こういう大藩には1万石程度(またはそれ以上)という大名並みの知行地を与えられていた人達も見受けられた。そして、そういう人達も大名家のように家臣団を抱えていて、それは大名家のように「御家中」と呼ばれていた。

仙台の伊達家の中に、現在の宮城県角田市に相当する辺りに石川家の知行地が在った。「角田石川家御家中」というモノが江戸時代を通じて在ったことになる。

この「角田石川家御家中」に泉麟太郎が在って、1888(明治21)年に「夕張開墾起業組合」を設立し、北海道へ入植した。その入植した地域を、故郷に因んで「角田」と命名したのだ。やがて辺りは「角田村」ということになって行った。

1900(明治33)年に「角田村戸長役場」が設けられ、独立した自治体としての礎が築かれた。やがて市町村制度の変遷は在ったが、「角田村」ということで経過する。

この他方、1892(明治25)年に鉄道(室蘭線)が開通した翌年に栗山駅が開設され、駅の近くに市街が発展し始めた。

そして人口も増えて町制を施行するという話しになった。そうなった時、入植が始まった頃の経過を踏まえた「角田」とする考え方と、町制施行時点で人口等もより多い「栗山」とする考え方がぶつかり合ってしまった。協議が難航し、1949(昭和24)年に至って角田村が改名され、栗山町が発足である。

そんな経過も少し興味深い。が、この案内標識に関して「眼前の駅、少し離れた大きな街、同じ町の中の地区名」という3者が示されていて、少し不思議な気もしたのだった。

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