前夜…(2024.12.24)

12月の第3旬ともなると「フェイドアウト…」という気分が強まる。時間を設けて随意に過ごしながら、年が暮れて行き、新たな年がやって来るのを迎えたいというようなことを思う。

例年、そういう気分に沿った行動を選択する。12月下旬から1月初旬迄の期間に時間を設けて随意に過ごすというようにするのだ。今年もそういうことにしたのだったが、「スタート」が近年の中では「やや遅い?」という感じだ。

昨年のことを思い出していた。

昨年は、稚内から旭川へ列車で移動し、旭川空港へ出て飛行機に乗ろうというようなことを考えた。が、利用しようとした列車が運休となってしまった。「大雪の影響により」ということだった。昨年の12月は「一気に夥しい雪が降る」という様子が見受けられたのであった。

列車運休を受け、急遽手配したのは夜行のバスだった。深夜に走って朝の札幌に着くというバスが運行されている。何とか切符が1枚在って、それを求めて乗車した。そして朝の札幌に到着後、列車で旭川に移動し、旭川で一息入れてから、予定どおりに旭川空港へ向かって予定のフライトを利用した。

その「札幌を巡って旭川に出る」という道中、頭の中に或る考え方が巡っていた。夜行バスで札幌まで出るのであれば、そのまま新千歳空港に行くと、午前中のフライトを利用可能な筈で、午後の早い時間帯には到着地域に在るという状況だということだった。

その時のアイディアが何時迄も頭の隅に残っていた。そういう訳で、それを実践しようと思い立ち、夜行バスの切符と午前中の航空券とを用意してみたのだった。

用意したモノを使うのが待ち遠しいと暫くの間思っていたのだが、いよいよその前日ということになった。少しだけ気分が昂揚しているかもしれない。

誰にでも、常々思っているような“行動原理”或いは“活動原則”とでも呼ぶべき考え方が在るのだと思う。自身の場合は「可能な範囲で出来るように」ということであるような気がしている。年末に「フェイドアウト…」という気分で、年始迄に時間を設けて随意に過ごすというようなことを、俗に「休暇取得」と「休暇時の活動」と言うのだと思う。「休暇取得」や「休暇時の活動」というようなことにかんしても、「可能な範囲で出来るように」という程度に考えている。

「自 X月X日 至 X月X日」という、時間を設けることが可能な期間は自ずと定まってしまうと思うのだが、この期間で時間を設けるというような事柄が「可能な範囲で」ということに他ならないのだと思う。そしてその範囲で、色々と思い描きながら随意に動く。それは「出来るように」という以上でも以下でもない。

「随意に過ごす」と言っても、多種多様な内容が考えられると思う。自身の場合は、専ら「何処か他地域へ出て、気が向くように徘徊する」ということ、俗に「気儘な旅」という営為に他ならない。

年末近くというのは、「今日、ここに無事に在る」というようなことに感謝したいという感が少し募るような気がする。そういう中なので、「多少、勝手知った(つもりになっている)他所」、「やや見覚えが在る程度の他所」、「知らない土地」と様々な場所を随意に動き回ってみたい気分も増す。何処か、他所の地域で歩き廻ると、「こんな場所で自身は生きている」というような念が多少強まる。そういう念を強く感じて確かめてみたいと、漫然と思うのだ。

「気儘な旅」ということで出掛ける場合、最初に思い描いた様子と、実際の様子とが乖離するということも珍しくはない。出先で予定を随時立てながらゆったりと進んで行くからである。今般もそういうような感じ、「第X日に辿り着いた街の宿で、翌朝の事と翌日に辿り着く辺りを検討して決める」という方式を採ろうとしている。

多分、今般は「やや見覚えが在る程度の他所」で知らなかった文物に触れるようなことと、「知らない土地」を通り抜けて様々な文物に触れながら移動するというようなことが混然と組み合わさるような様子になるのだと思う。そして年末年始に関して、各地で天候が余り好くない場合も在るらしいので、少しだけ慎重を期しながら動く感じになるような気もする。

何れにしても期待が膨らむ状態である。

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