北上…「どうしようもないわたしが歩いてゐる」=運行日誌(2025.01.05-06)

北海道内の氷点下5℃を割り込むような外気は、他地域とは少し違うのかもしれない。今般、松本や住所としては塩尻市内に相当する旧中山道の宿場で動いた中、早朝に0℃を挟むような感じを経験した。その感じとの名状し悪い差異に気付いた気がするのだ。

「雪の木曽路」という風情の想い出を胸に関西に入り、半ば住人でもあるかのように寛いではいた。が、今般は急に左脚に不具合が生じ、何やらフットワークは悪かった。それでも可能な範囲で出来るように歩いた。全く「どうしようもないわたしが歩いてゐる」というような気分なのだ。

「歩いてゐる」というのは、歩く意図で歩き続けている。が、「歩いてゐる」と言えば、その意図と無関係にとりあえず歩くということにも通じる。そしてその辺りが曖昧になり、考え続けているようでいて、既に考えることを止めているような感じで「どうしようもないわたしが歩いてゐる」というのが自身の境地かもしれない。

或る時出逢った、托鉢行の中で生きたという句人が詠んだ「どうしようもないわたしが歩いてゐる」である。最近では「極々勝手な自己流解釈」まで傾けている。

時に「どうしようもないわたしが歩いてゐる」という程度に自身の姿を見詰め、色々な想いを胸に随意に歩き廻る時間を設けるのは大切なのだと思う。今般、とりあえずそういう時間を設けられたことは幸いとしたい。色々なことは追って綴ろうと思う。

札幌からゆったりと旭川へ動き、何となくのんびりとした。そして寝たり起きたりで朝を迎えている。曇天と見受けられるが「普通の冬の日」という様子だ。ゆっくり支度をし、遅れないように旭川駅へ向かい、稚内へ向かう。

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