武田神社…(2024.12.27)

個人的な、極勝手な感想ではあるのだが、「戦国時代の…」というようなことでも聞くと、何となく「武田信玄?」というようなことを思い浮かべる。武田家の盛衰に纏わる挿話が入る物語は数多在る。武田信玄は父との対立を乗り越え、息子と争うということも在ったが、隣の信濃国から日本海へ進出する野心を抱いて上杉謙信と争うようなことをしていたが、領国内での治水事業等にも努力していたのだという。その麾下には「二十四将」という多彩な人材が在って、強い結束で色々な事柄に取組んでいたという感じだ。そして後に大きな力を握って行く勢力にとっての脅威となっていた。

甲府では、その武田信玄の居館―信玄の父である信虎、後継者の勝頼と3代が使っていた…―であったという場所が、「武田神社」ということになって広く親しまれていると聞けば、「とりあえず行こう!」と思った。

甲府駅の南側に出て、武田神社側へ向かうバスの乗場が見当たらなかった。「ゴチャゴチャ言わず!」と素早くタクシーを使った。運転手氏と雑談に興じながら、「初めて立寄った甲府で、とりあえず武田神社…」という話しで動いたのも愉しかった。

↓武田神社の入口だ。
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↓正面は「神社」そのものである。
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↓敷地の脇は古い土塁を修復して石を積んだようになっていた。この辺は「神社」とは違う。
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↑土塁を備えた大名の居館ではあるが、信玄の晩年や勝頼の頃には見受けられたような「近世城郭」という感じの広い濠や高い石垣というようなモノが在るのでもない。

↓武田神社はこの武田家3代の居館であった場所を大正時代の初めに神社とした。祭神は武田信玄である。
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↓武田家3代の居館の跡ということで、半ば林のようにもなっている。
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↓椿の植え込みが眼に留まった。
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↓典雅な能舞台が好い感じだった。
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↓武田家の人達が使っていたらしい井戸も在る。
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↓井戸の辺りに龍が在った。
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今般、甲府で過ごした時間全般に関して、「移動の途中で少し慌ただしい動き」になってしまっていたのだが、この武田神社も含めてゆっくり再訪したいというように戻ってから強めに思うようになった。

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