雑感と回顧と…(2025.01.25)

足元が凍るような道路を慎重な足取りで進み、拙宅の近隣で「冷蔵庫替り」と戯れに呼ぶ御店に立寄って飲物を求め、拙宅に至って冷えた居室でストーブを点け、飲物を飲んで寛ぐ。

こういうような「当たり前なこと」を随分と久々にやっている。

1月は6日から7日に掛けての僅かな時間を拙宅の居室で過ごしたが、結局は他所で閉じ籠る羽目に陥った。急遽「療養」ということになってしまったのだ。普通、月が改まってからというのは“平日”が在って普通の活動をして、やがて“休業日”となって、そういうようなことで時間が過ぎる。が、この1月に関しては「療養」ということで病院に閉じ籠り、1月の日常が消失したかのようになってしまっている。漸く出て来て、帰宅したという次第だ。

左の下肢、脹脛の辺りが酷く腫れてしまった。やがて腫れた箇所が潰れたようにもなり、何か左脚が傷だらけのようになってしまった。歩くには歩けるが、やや腫れぼったい足を引き摺るような感じでもあり、全般に少し痛いので「足を傷めた?」と傍目に見えるような様子だった。歩く距離、速さ、共に日頃の半分やそれ以下というような感じになってしまい、フットワークが好くない様子だった。

それでも「普通の“平日”」を過ごそうとは試みた。が、「ややキツい…」と感じたので皮膚科のクリニックで手当てでも受けようと思い付き、一寸立寄った。そうしたところ「直ぐに本格的な治療が必要!入院になる!」という話しになった。そこで入院を受け付ける病院との連絡調整ということになって「必ず直ぐに行って下さい」ということになった。

結果、「流石に酷い状態…」というのから薬効が在って恢復出来た。傷が深い箇所に関して、薬を塗布するなどしてケアして、暫く経って通院というような、「一寸、程度が重めな負傷」という程度の雰囲気で落ち着いた。酷く安堵している。

「療養」ということになれば、必ず「空隙」というような時間が1日の中に発生する。それを見越してノートパソコンを持込んで、趣味の写真の整理に興じたという場面も在った。殊に、今般は「随意に過ごす時間」を設けて出掛けたという際の写真が多く在り、未整理のモノも多く混じっていた。そういうことに少しずつ取組むというのが心地好いということになる。

写真を撮れば、とりあえずウェブギャラリーに入れておく。それを後から眺めるというような感じになる。

「随意に過ごす時間」と称して他地域に出るような場合、出先の宿の居室等で素早く写真をウェブギャラリーに入れるようなことを順次手掛ける。そこから写真を利用し、ブログを綴る。ブログはモノクロ写真のモノが中心となっている。

ブログに関しては、出先に在る段階で既に「殊に強く記憶に残る」、「これは広く伝えたい」というような写真に纏わる記事を綴って順次公開する。やがて後から順次ウェブギャラリーを眺め、様々な画に纏わる記事を綴る。

こういう様子で「思い付くまま」という調子で記事を綴るので、何処かへ出た際の時系列に写真や記事が公開されるというのでもない。ランダムなのだが、少し時間が経つと、何処かへ出た際の全容のようなモノが何となく判るようにはなる。独自な妙な流儀かもしれないが、こういうような調子でブログを続けて、少し長く経ったかもしれない。

2024年から2025年という年末年始も、時間を設けて随意に過ごした。途中でコンディションが好くないという感じにはなってしまったが、それはそれとして「可能な範囲で出来るように」と過ごしていて、好きな写真も撮った。

今般は「東京に上陸し、東京で動き回る」ということを少し暫く振りにしていたかもしれない。そんな中で好い感じの画も色々と撮ったように思う。が、それはそれとして国立のスターバックスコーヒーでの経験は忘れ難い。色々な境遇の人が各々に在って、可能な範囲で出来るように仕事をして、結果として助け合って生きているというような、各々が可能な範囲で出来るように、自信と矜持を持って生きるというようなことが体現されているという様子に触れたのだった。

その東京を発って、中央線の列車で個人的に縁薄かった山梨県の甲府に立寄りながら長野県に至り、松本や奈良井で過ごしたというのも好い経験であったと思う。

更に兵庫県大阪府京都府と少し馴染んだ辺りで、ややフットワークが悪い中ながらも気儘に過ごすことが叶ったのは好かったと思っている。

こういう様子を、「療養」の中の「空隙」というような時間で振り返っていた。

日頃は、例えば「3分」というような距離は躊躇無く歩いて往復するのだが、今月はそういう程度の距離さえ歩かない情況の日が続いた。体力が減退していると思う。週末を無理が無い程度に過ごし、来週から「通常化」を図りたいと思う。

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