「稚内・ネべリスク 友好都市40年」のバッジ:机の抽斗に…(2025.01.29)

机の抽斗の片隅に、何時、如何いう経緯で手にして、何故入れたのかがよく判らない、思い出し難くなってしまっている「妙なモノ」が入っている場合も在る。

↓そういうモノの一つということになる、小さな缶バッジが出て来た。
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↑2つの旗が在る。左が稚内市の旗で、右がネべリスク市の旗だ。両市の友好交流が「40年」というようなことで用意されたバッジだ。

1972(昭和47)年、当時のソ連は「ソ連成立から50年」ということで、記念になることに取組む機運が高まっていた。そういう中でサハリンのネべリスクでは、本斗という名であった樺太時代に連絡船で結ばれていて、水産業のような共通の産業も有する対岸の稚内と友好交流を始めようという話しになった。ネべリスク市側が稚内市側へ提言し、稚内市代表団が借上げた船でネべリスクを訪ね、両市の友好都市提携ということになった。

それ以来、稚内・ネべリスクの友好都市交流は続いている。盛んに様々な事が行われるようになったのは、北海道とサハリン州との地域間交流の活発化という流れが起こった後、1990年頃より後という感じだと思う。

「40年」ということで、ネべリスク側で2012(平成24)年に用意したのが写真のバッジと見受けられる。随分と長い間、机の抽斗の隅に在ったということになる。

2022(令和5)年は「50年」だった。ネべリスクの側ではその「50年」を話題にしていたようだが、稚内では関係の話題は特段に耳にした記憶は無い。

恐らく他所では余り残っていないと思われるバッジだ。そのまま保管しておこうと思う。

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