豊平館(ほうへいかん)…(2025.02.16)

札幌の路面電車に乗り、中島公園通という停留所で下車する。近くに中島公園が在る。

↓その中島公園に少し大きな洋館が在る。
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↓この建物は豊平館(ほうへいかん)という。
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↑建物そのものは1880(明治13)年に竣工したという。周囲の柵や門というような外構工事や庭園が完成したのは1881(明治14)年に入ってからだったという。この豊平館(ほうへいかん)は、明治政府が北海道を開拓してその行政事務等を司るべく設置した開拓使が建設を進めた宿泊施設であった。と言って、大衆的なモノではなく、北海道を訪れた要人等が滞在したということのようだ。

この豊平館(ほうへいかん)は、現在の住所の表示で言えば「北1条西1丁目」に在った。大通公園のテレビ塔が在る辺りの少し北ということになる。その場所で明治、大正、昭和の経過が在るのだが、1958(昭和33)年に現在地に移築された。貴重な明治時代の洋館建築を移築保存ということになった訳だ。

裏側へ廻り込むと出入口が在って、有料だが建物内を見学することも出来る。

↓随分と以前に入ったような記憶も在ったが、入って中を見学した。
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↑個人的な記録や趣味という範囲での写真撮影は差し支えないようだった。

↓ゆとりが在る設えであると思った。
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↓昭和初期の時計が据えられていた。丁度12時となったが、趣の在る音が鳴った。
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↓客室はこうしたリビングの奥に少し小さな寝室を設けるような設えであるようだ。宿泊施設として使う2階に計10室設えられている。
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↓館内に在った若干の展示品で少し驚いたのはこれだった。皇室で用いる菊の御紋が入った椅子だ。
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↑豊平館(ほうへいかん)が完成して開業となって間も無かった1881(明治14)年に明治天皇の行幸でここが利用された。その後、皇太子時代の大正天皇が1911(明治44)年に、皇太子時代の昭和天皇が1922(大正11)年に各々行啓に際してここが利用された。3代の天皇の足跡が記された建物だ。

↓2階から覗く戸外だ。
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↓往時は蠟燭を使ったのであろうが、蠟燭型ランプが入ったシャンデリアが据えられていた。
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↓何か趣深い。
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↓2階から階段を見下ろした。
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↓見学後に改めて建物を見上げた。
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明治期からの歴史が刻まれた興味深い建物だ。中島公園移築後、結婚式場として利用されていてなかなかに好評であったという。1980年代以降は修理も行われて現在に至っている。

時にはこういう場所へ足を運んでみるのも面白いと思った。

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