列車での移動の際に車窓に望んだというような例や、2023年6月に礼文島を訪ねた際に望んだというような例を思い出すのだが、利尻富士を眺める機会を設け損なって時日を経ていることに思い至った。
「だから?」という程度の話しであると思う。が、何か酷く「利尻富士を眺めたい」という気分になった。
↓ノシャップへ足を運んでみた。

↑積雪が融けてしまったような場所、未だ少し深い積雪、色々な雪や地面の状況が入雑じっているような中、身体に刺さるような風に抗いながら、可能な範囲で写真が撮り易そうな場所へ少し強引に歩を進めた。
↓風に舞う、または風に流されるように飛ぶ海鳥の様子が、少し寂しげな感も否めなかった。

↓日没時間が近い辺りの微妙な光加減、そして低空の雲がやや厚いような感の中、風に抗いながら風景を愛でていた。

↓海へ沈んで行く夕日の姿は観えず、天も劇的に染まるのでもなかった。

↓それでも「標高1721mの山が沖に浮かぶ」という独特な様子を、加えて光の加減で少し鮮明でもないのだが、山に雪が被っている様子をこうして眺められたのは好かった。山の姿が見えない場合も存外に多いものなのだ。

どの位、戸外で利尻富士を眺めていたであろうか?次第に冷たい風が身体にキツく感じられるようになったので、ゆっくりと引揚げたのだった。ノシャップ辺りに関しては、市内線の路線バスで往来可能なのが好い。
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