旭橋…(2025.05.11)

旭川駅からバスで出て、北鎮記念館、スタルヒン球場、北海道護国神社と訪ねた後、昼食を摂る、飲物を求めて飲むというような休憩を挟みながら旭川駅の方向に歩いた。或る種の「お笑いネタ」のようになる程度に、やや長めに強引に歩いたような感じだった。

↓旭橋だ。
11-05-2025 X-Pro2 (153)
↑渡った先は昭和通、平和通買物公園で、旭川駅の側に通じる路だ。

↓こういうプレートが在る。
11-05-2025 X-Pro2 (156)
↑「汽車製造」とは1896(明治29)年に起こり、1972(昭和47)年に川崎重工業に吸収されて姿を消した会社だ。鉄道車輛等を手掛けていた。この種の会社は金属加工に長けていたので、橋梁の部材の製作というような仕事もしている。近年でも造船の会社等がそういう仕事をしているようだが。旭橋の竣工前年に汽車製造で金属の橋梁部材を製作したということなのであろう。

↓こういうような、橋の仕様を記したプレートも在る。「呎」が「フィート」、「吋」が「インチ」だ。
11-05-2025 X-Pro2 (157)
↑「741.6呎」は741.6フィートで226.03968メートルだという。旭橋は224.82メートルということになっている。工事の頃と、測り方が少し違うのかもしれない。これに関して「741尺6寸」とすれば224.727048メートルだ。工事が行われた昭和初期当時は「呎≒尺」、「吋≒寸」という理解だったのかもしれない。注目したのは「幅員」の箇所に在る「電気軌道」という文字だ。嘗ては「旭川市街軌道」という会社による路面電車が旭川の街を行き交っていて、旭橋にも通っていたようだ。

↓歩いて橋を渡った。
11-05-2025 X-Pro2 (158)

↓そして振り返った。
11-05-2025 X-Pro2 (161)

↓渡り切る手前に、塗装工事にかんする記載が在った。
11-05-2025 X-Pro2 (162)
↑下塗、中塗、上塗と入念な工事を行っているようだ。

↓「昭和七年」と竣工年次が記されたプレートも在る。1932年だ。
11-05-2025 X-Pro2 (163)

↓石狩川の架かる大きな鉄橋は大きな存在感を放っている。
11-05-2025 X-Pro2 (166)

好天の休日に歩いたが、好い感じだった。

この記事へのコメント

  • Charlie

    >ふるたによしひささん

    有難うございます。
    2025年05月13日 19:15