
↑手に帽子を持った男性である。本当に人を迎えようとしているかのような様子に見えたが、像はかなり目立つ。
↓「永山武四郎之像」である。常磐公園の出入口に在る。

永山武四郎(1837-1904)は薩摩の出身であり、戊辰戦争にも従軍している。
明治期に入って軍人となったが、1872(明治5)年からは開拓使の仕事に就く。屯田兵に関する仕事をしていたが、1877(明治10)年には屯田兵の一隊の指揮官として西南戦争に従軍している。
その後は開拓少書記官、屯田事務局副長、屯田事務局長と累進している。陸軍省への出仕を挟み、1885(明治18)年には陸軍少将として屯田兵副本部長に就任した。やがて欧米出張を経験し、帰国後の1888(明治21)年には第2代の北海道庁長官に就任した。更に屯田兵司令官を兼任するようになる。
北海道庁長官を退任した永山武四郎は、1895(明治28)年に「臨時第七師団司令」ということで師団の設立や活動を始める準備に取組み、1896(明治29)年に「第七師団」が正式に発足すると師団長に就任した。
1900(明治33)年に陸軍中将で退官した永山武四郎であったが、1903(明治36)年から貴族院の勅撰議員に選出されて議員活動を行うようになった。その活動で東京に出た際に倒れて他界したという。
この永山武四郎の像は、1967(昭和42)年に「北海道100年」という取組の一環で建立されたそうだ。旭川市内には彼の名に因む「永山」という地名も在るのだが、旭川等の地域の開拓に尽くした人物として記憶されるということで、銅像が建立されたということだ。象は294cmの高さであるそうだが、かなり大きい。
永山武四郎を祀る永山神社には将官の軍服姿の像が在る。対して、この常磐公園の像は平服の退官後という様子で雰囲気が異なっている。
こういう銅像は、見掛けると「誰?」というようになる場合も多いかもしれないが、人物について知ると少し面白い。
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