「資料館」ということになっている天守閣そのものは「事情」により休館中であっても、美しい建物を望む公園内を散策することは出来た…
↓こんな光景!少しばかり気詰まりな感であった中、視たかった…
当然ながら「実際に視た様子」が強く記憶に残るのだが…この画は何度となく引っ張り出して視ている…実に美しい!
車窓…:大阪駅にて(2020.04.02)
豊国神社…:大阪城公園(2020.04.02)
↓敢えて背中から銅像を眺めるというのは面白い…
↓豊臣秀吉の銅像だ…戦の指揮を執るというような様子の像だ…
この銅像は、戦時下の「金属供出」で1943(昭和18)年に姿を消して、2007(平成19)年に至って復元されたモノであるという。大阪城公園の豊国神社に据えられている…
京都の豊国神社は「とよくにじんじゃ」と言うが…大阪城公園に在る豊国神社は「ほうこくじんじゃ」と言う…京都の豊国神社は豊臣秀吉が祀られているのみなのだが、大阪城公園の豊国神社には豊臣秀頼、豊臣秀長が合わせて祀られているのだという…
京都の豊国神社は江戸時代に廃されてしまった後、明治時代に復活した経過が在る。大阪でも明治期に京都の豊国神社の別社として起こる。
1921(大正10)年に至り、京都の豊国神社から独立した。その後何度かの遷座が在り、1961(昭和36)年に現在地へ遷っている。
↓社殿はなかなかに重厚な感じだった…
↓灯篭に豊臣家の紋が入っていた…
↑奥の桜が美しい…
京都の豊国神社に立ち寄った経過が在ったので、「そう言えば大阪城公園にも…」と思い出した。京都が「とよくにじんじゃ」で、大阪が「ほうこくじんじゃ」であるというのは、今般初めて気付いた…
大阪では、街の礎を築いた人物として「太閤さん」は少し人気が高いと聞く。江戸時代に廃されてしまう以前の豊国神社については、大阪城内に分祀されていたらしいが、明治期以降に復活した神社に関してもそういうようなことになった訳だ。
興味深い経過の神社であるが、素晴らしい青空の下で立寄ることが出来たというのが、非常に好かった…
↓豊臣秀吉の銅像だ…戦の指揮を執るというような様子の像だ…
この銅像は、戦時下の「金属供出」で1943(昭和18)年に姿を消して、2007(平成19)年に至って復元されたモノであるという。大阪城公園の豊国神社に据えられている…
京都の豊国神社は「とよくにじんじゃ」と言うが…大阪城公園に在る豊国神社は「ほうこくじんじゃ」と言う…京都の豊国神社は豊臣秀吉が祀られているのみなのだが、大阪城公園の豊国神社には豊臣秀頼、豊臣秀長が合わせて祀られているのだという…
京都の豊国神社は江戸時代に廃されてしまった後、明治時代に復活した経過が在る。大阪でも明治期に京都の豊国神社の別社として起こる。
1921(大正10)年に至り、京都の豊国神社から独立した。その後何度かの遷座が在り、1961(昭和36)年に現在地へ遷っている。
↓社殿はなかなかに重厚な感じだった…
↓灯篭に豊臣家の紋が入っていた…
↑奥の桜が美しい…
京都の豊国神社に立ち寄った経過が在ったので、「そう言えば大阪城公園にも…」と思い出した。京都が「とよくにじんじゃ」で、大阪が「ほうこくじんじゃ」であるというのは、今般初めて気付いた…
大阪では、街の礎を築いた人物として「太閤さん」は少し人気が高いと聞く。江戸時代に廃されてしまう以前の豊国神社については、大阪城内に分祀されていたらしいが、明治期以降に復活した神社に関してもそういうようなことになった訳だ。
興味深い経過の神社であるが、素晴らしい青空の下で立寄ることが出来たというのが、非常に好かった…
<MIRAIZA OSAKA-JO>(ミライザ大阪城)=旧第四師団司令部庁舎…(2020.04.02)
↓大阪城天守閣の直ぐ脇に在る建物だ…
この建物は、大阪城天守閣と同時期に登場した陸軍の第四師団司令部庁舎であった建物だ。嘗ては博物館に利用されたような経過が在ったようだが、現在は<MIRAIZA OSAKA-JO>(ミライザ大阪城)という商業施設になっている。
↓少し角度を変えると、建物前の植込みが好い感じに見えた…
現在の時点でこの建物を視れば「古風なビル」というように見えるが、1930年代初頭には「当世風」であった訳だ…
その当時は「大阪が“大大阪”と呼ばれた時代」で、「街のシンボル」として、嘗ての栄華を想わせる和風な大阪城天守閣を建てた。その直ぐ脇で、如何にも「当世風」なビルだ。この様子を視た建築家達の中に「和風な意匠を入れる建物を工夫して、大阪城天守閣との親和性を高めて、辺りをもう少し好い感じに?」と考えた人達が在ったようだ…
そういう辺りから、「コンクリート造の建物に、瓦屋根のような和風の意匠を添える」という「帝冠様式」という建物が建てられるようになって行った。「帝冠様式」は「過剰な装飾を排すべき…」ということになって1938年頃から廃れるが、1930年代には流行の様式となって行った…日本国内にもそういう建物が残っているが、満州や樺太にも登場している。
この建物自体は「帝冠様式」でもないのだが、「登場の切っ掛けを作った建物」ということで、何となく注目してしまう…
↓嘗ては司令部庁舎の色々な部屋であった場所に店舗等が入っているのだが、館内の「往時は軍服姿の多くの関係者が行き交っていた…」と思えるような場所は、重厚な設えが残されている…
とにかく、これは「画になる建物」という感で、存外に気に入っている…少し以前にゆっくり寄った経過も在ったが、近くまで行ったので眺めていたのだった…
この建物は、大阪城天守閣と同時期に登場した陸軍の第四師団司令部庁舎であった建物だ。嘗ては博物館に利用されたような経過が在ったようだが、現在は<MIRAIZA OSAKA-JO>(ミライザ大阪城)という商業施設になっている。
↓少し角度を変えると、建物前の植込みが好い感じに見えた…
現在の時点でこの建物を視れば「古風なビル」というように見えるが、1930年代初頭には「当世風」であった訳だ…
その当時は「大阪が“大大阪”と呼ばれた時代」で、「街のシンボル」として、嘗ての栄華を想わせる和風な大阪城天守閣を建てた。その直ぐ脇で、如何にも「当世風」なビルだ。この様子を視た建築家達の中に「和風な意匠を入れる建物を工夫して、大阪城天守閣との親和性を高めて、辺りをもう少し好い感じに?」と考えた人達が在ったようだ…
そういう辺りから、「コンクリート造の建物に、瓦屋根のような和風の意匠を添える」という「帝冠様式」という建物が建てられるようになって行った。「帝冠様式」は「過剰な装飾を排すべき…」ということになって1938年頃から廃れるが、1930年代には流行の様式となって行った…日本国内にもそういう建物が残っているが、満州や樺太にも登場している。
この建物自体は「帝冠様式」でもないのだが、「登場の切っ掛けを作った建物」ということで、何となく注目してしまう…
↓嘗ては司令部庁舎の色々な部屋であった場所に店舗等が入っているのだが、館内の「往時は軍服姿の多くの関係者が行き交っていた…」と思えるような場所は、重厚な設えが残されている…
とにかく、これは「画になる建物」という感で、存外に気に入っている…少し以前にゆっくり寄った経過も在ったが、近くまで行ったので眺めていたのだった…
桜…:大阪城天守閣周辺(2020.04.02)
大阪城の模型…:大阪城公園駅(2020.04.02)
大正駅から大阪環状線の列車に乗車して大阪城公園駅に至った…
↓改札口を潜った辺りでこういうモノに眼を停めた…
↑大阪城の中で見受けられる建物等、駅から近い大阪城公園の様子を丁寧に造り込んだ模型が飾られていた…
広壮な大阪城公園を訪ねてみれば、随分と歩き廻ることになる。ぐるりと廻って、復路も大阪城公園駅を利用する場合も在るが、寧ろ歩いて至った先の鉄道駅を利用する場合が多い。そういう事情の故か、これまで何回か大阪城公園駅を利用した経過の中で、この模型が飾られていたことを意識せずに居た…
こういうように「一寸したことに気付く…」というようなことが酷く嬉しい。折角気付いた模型なので、ゆっくりと拝見していた…
↓改札口を潜った辺りでこういうモノに眼を停めた…
↑大阪城の中で見受けられる建物等、駅から近い大阪城公園の様子を丁寧に造り込んだ模型が飾られていた…
広壮な大阪城公園を訪ねてみれば、随分と歩き廻ることになる。ぐるりと廻って、復路も大阪城公園駅を利用する場合も在るが、寧ろ歩いて至った先の鉄道駅を利用する場合が多い。そういう事情の故か、これまで何回か大阪城公園駅を利用した経過の中で、この模型が飾られていたことを意識せずに居た…
こういうように「一寸したことに気付く…」というようなことが酷く嬉しい。折角気付いた模型なので、ゆっくりと拝見していた…
大阪駅…(2020.04.02)
<青春18きっぷ>を手に、方々を随意に動いて歩き廻るという気儘な過ごし方をした1日だったが、天候も好く、好天に誘われて奈良から大阪に流れ、やがて「朝から精力的に動いたので…」と引揚げを意図するようになった。
大阪から奈良へ引揚げるには…JR駅近くの宿に向かう訳で、JRの列車を利用することが最適である。そこで大阪駅である…
↓多数の軌道が並ぶ上に橋のように設えられた通路から、方々を結ぶ列車が発着する様子が伺える…
↓逆方向は光加減で、少し雰囲気が違って視える…
↓折角来たので、改札を出て一寸だけ様子を眺めた…未だ明るいが、陽が傾き始めた感で、一部の照明が点り始めた…
↓何度視ても仰々しく視える…単に規模が大きいだけなのかもしれないとも思うが…
↓昨今の“事情”の故に静かではあるが…日頃から「過ぎる程に静か」な街に居るので、そういう目線では「十分に賑やか…」というようには思っていたが…
↓金属、硝子、光が様々な表情を織り成す巨大な空間…そういう趣な場所だ…
立寄る都度に「また寄ろう…」と考えながら立ち去る…大阪駅はそういう感じがする場所だ…またそう思いながら、案内を確認して奈良へ向かう列車の出るホームを目指した…
大阪から奈良へ引揚げるには…JR駅近くの宿に向かう訳で、JRの列車を利用することが最適である。そこで大阪駅である…
↓多数の軌道が並ぶ上に橋のように設えられた通路から、方々を結ぶ列車が発着する様子が伺える…
↓逆方向は光加減で、少し雰囲気が違って視える…
↓折角来たので、改札を出て一寸だけ様子を眺めた…未だ明るいが、陽が傾き始めた感で、一部の照明が点り始めた…
↓何度視ても仰々しく視える…単に規模が大きいだけなのかもしれないとも思うが…
↓昨今の“事情”の故に静かではあるが…日頃から「過ぎる程に静か」な街に居るので、そういう目線では「十分に賑やか…」というようには思っていたが…
↓金属、硝子、光が様々な表情を織り成す巨大な空間…そういう趣な場所だ…
立寄る都度に「また寄ろう…」と考えながら立ち去る…大阪駅はそういう感じがする場所だ…またそう思いながら、案内を確認して奈良へ向かう列車の出るホームを目指した…
泡盛を呑んで「沖縄そば」を頂く…:<きじむなーの森>:<TUGBOAT_TAISHO>(タグボート大正)(2020.04.02)
大正駅で列車を下りて、街へ出て程無く<TUGBOAT_TAISHO>(タグボート大正)に出くわし、「好い感じ」な場所だと思った。
↓そういう中で「途轍もなく気になった」のは、これだった…
「沖縄酒場」を謳う店だ…大正駅に「シーサー」のイラストが在った、<リトル沖縄>の異称を有する大正に在る「沖縄酒場」…折しもランチタイムである。一寸立寄ってみた…
最近、自身では「呑むなら蒸留酒…」ということを専らとしている感なのだが、偶々少し前に泡盛を入手して愉しんでいたので、「折角だから<リトル沖縄>で沖縄らしい泡盛を1杯だけ…」と、休暇なのだから随意な時間帯に飲んで差し支えなかろうと店に入って御願いした…
↓泡盛のような酒はロックが美味い…そう思うので「ロックで!」と、<菊乃露>なる銘柄のモノを御願いした…
↓所謂“琉球ガラス”というモノ…素敵なグラスに注がれた泡盛をゆったりと頂いた…
店主氏と少し話したが、水割りにすると「味が散る」というような按配で、泡盛はロックが非常に合うと思うということだった。自身ではストレートで呑むのだが、氷を合わせるロックが非常に好いと思った…
↓食事は「沖縄そば」にした…
実は…自身では「沖縄そば」なるモノを頂いた記憶が無い…「そこまで言うと、言い過ぎだ!」と御叱りを受けるかもしれないが、戯れに「もしかすると“出入禁止”??」とでも言ってみたくなる程度に沖縄県とは縁が薄く、残念ながら訪ねてみた経過も無く、これまで永い間、本当に「沖縄そば」を頂く機会が無かったのだ…
「そば」とは言うが、麺は所謂「中華麺」に類する小麦粉の麺なのだという。この<きじむなーの森>で供されたモノは、少しだけ平板になっているような面だった。「細めなうどん?」というような感じ、或いは「長崎ちゃんぽんの麺の一種?」というような感じもした。
↓「お好みで紅しょうがをトッピング」というのがポピュラーな流儀らしい…試してみたが、少しだけ「九州の流儀のラーメン」を想起させる雰囲気も在るかもしれない…
沖縄でポピュラーであるらしい豚肉の具材が麺と非常に合うのだが、スープは豚骨、鰹節、昆布と「マルチ出汁」なのだという。酷く美味いので、スルスルと速攻で平らげてしまった…
沖縄は色々な経過で、由来が異なる様々なモノを取り込んで来た地域なのだと想像するが、この「沖縄そば」もそういう一例なのかもしれないと考えたが…とにかく佳いモノだ!
私自身のような「全く初めて…」ということでもなく、<リトル沖縄>の異称を有する地域で、沖縄県に縁が在る人達も愉しんでいる本格的な「沖縄そば」を頂くことが叶った。好い経験をさせて頂いた…
↓そういう中で「途轍もなく気になった」のは、これだった…
「沖縄酒場」を謳う店だ…大正駅に「シーサー」のイラストが在った、<リトル沖縄>の異称を有する大正に在る「沖縄酒場」…折しもランチタイムである。一寸立寄ってみた…
最近、自身では「呑むなら蒸留酒…」ということを専らとしている感なのだが、偶々少し前に泡盛を入手して愉しんでいたので、「折角だから<リトル沖縄>で沖縄らしい泡盛を1杯だけ…」と、休暇なのだから随意な時間帯に飲んで差し支えなかろうと店に入って御願いした…
↓泡盛のような酒はロックが美味い…そう思うので「ロックで!」と、<菊乃露>なる銘柄のモノを御願いした…
↓所謂“琉球ガラス”というモノ…素敵なグラスに注がれた泡盛をゆったりと頂いた…
店主氏と少し話したが、水割りにすると「味が散る」というような按配で、泡盛はロックが非常に合うと思うということだった。自身ではストレートで呑むのだが、氷を合わせるロックが非常に好いと思った…
↓食事は「沖縄そば」にした…
実は…自身では「沖縄そば」なるモノを頂いた記憶が無い…「そこまで言うと、言い過ぎだ!」と御叱りを受けるかもしれないが、戯れに「もしかすると“出入禁止”??」とでも言ってみたくなる程度に沖縄県とは縁が薄く、残念ながら訪ねてみた経過も無く、これまで永い間、本当に「沖縄そば」を頂く機会が無かったのだ…
「そば」とは言うが、麺は所謂「中華麺」に類する小麦粉の麺なのだという。この<きじむなーの森>で供されたモノは、少しだけ平板になっているような面だった。「細めなうどん?」というような感じ、或いは「長崎ちゃんぽんの麺の一種?」というような感じもした。
↓「お好みで紅しょうがをトッピング」というのがポピュラーな流儀らしい…試してみたが、少しだけ「九州の流儀のラーメン」を想起させる雰囲気も在るかもしれない…
沖縄でポピュラーであるらしい豚肉の具材が麺と非常に合うのだが、スープは豚骨、鰹節、昆布と「マルチ出汁」なのだという。酷く美味いので、スルスルと速攻で平らげてしまった…
沖縄は色々な経過で、由来が異なる様々なモノを取り込んで来た地域なのだと想像するが、この「沖縄そば」もそういう一例なのかもしれないと考えたが…とにかく佳いモノだ!
私自身のような「全く初めて…」ということでもなく、<リトル沖縄>の異称を有する地域で、沖縄県に縁が在る人達も愉しんでいる本格的な「沖縄そば」を頂くことが叶った。好い経験をさせて頂いた…
<TUGBOAT_TAISHO>(タグボート大正)(2020.04.02)
大正駅で列車を下りて街へ…
↓直ぐに橋が視えて、大きな水路が在ることを伺わせる…
↑ドーム球場を含む大きな建物が水路の対岸に林立している様子も判る…
眼にした様子に引き摺られるように橋の辺りへ歩を進めた…
↓足下にこんな表示が在る…
↓眼を上げると、こういう様子だ…
↓何やら、貨物輸送に用いるコンテナを水路際に運び込んで、店舗として利用している様子?一寸面白い…
↓何処となく「船」を想起させる設えの建物である…
↓何処となく「屋台村」を想起させる。色々なモノを供する多様な店が入居している…
↓硝子窓に対岸の様子が映り込んでいた…
↓水路際に飲食店街が登場しているのか?
↓階段が在って、2階も設けられているようだ…
↓2階からは、1階がこういう具合に視える…
↑「水辺の街」を強く意識した設えだと思った…
↓2階にも店舗が設けられていた…加えてテーブルも戸外に並んでいた…
何やら面白そうだが…これは<TUGBOAT_TAISHO>(タグボート大正)という1月に開業したばかりの施設であるそうだ…「地域を牽引」という気概で「タグボート」と命名したらしい。
一つ「好い感じな場所」を見付けられた気がしている…
↓直ぐに橋が視えて、大きな水路が在ることを伺わせる…
↑ドーム球場を含む大きな建物が水路の対岸に林立している様子も判る…
眼にした様子に引き摺られるように橋の辺りへ歩を進めた…
↓足下にこんな表示が在る…
↓眼を上げると、こういう様子だ…
↓何やら、貨物輸送に用いるコンテナを水路際に運び込んで、店舗として利用している様子?一寸面白い…
↓何処となく「船」を想起させる設えの建物である…
↓何処となく「屋台村」を想起させる。色々なモノを供する多様な店が入居している…
↓硝子窓に対岸の様子が映り込んでいた…
↓水路際に飲食店街が登場しているのか?
↓階段が在って、2階も設けられているようだ…
↓2階からは、1階がこういう具合に視える…
↑「水辺の街」を強く意識した設えだと思った…
↓2階にも店舗が設けられていた…加えてテーブルも戸外に並んでいた…
何やら面白そうだが…これは<TUGBOAT_TAISHO>(タグボート大正)という1月に開業したばかりの施設であるそうだ…「地域を牽引」という気概で「タグボート」と命名したらしい。
一つ「好い感じな場所」を見付けられた気がしている…
大正駅の駅名表示…(2020.04.02)
JRの大阪環状線の南西側に大正駅が在る。
大阪の南西側で、大き目な水路に隔てられた、半ば島のような地形になった辺りが、大阪市大正区である。区内で鉄道駅は大正駅だけなのだという。
この駅は何度も通り過ぎてはいた…奈良や和歌山・関西空港と大阪駅との間を往来する列車は、大阪駅へ向けて進む中、天王寺駅で大阪環状線に入り込み、以降は新今宮、大正、弁天町、西九条、福島と停車して大阪駅へ至る。その奈良や和歌山・関西空港と大阪駅との間を往来する列車には何度も乗っていたのだ。その際に大正駅は通り過ぎていた…
そこでこの大正駅が少し気になり、一寸下車してみた…
↓こんな駅名表示がホームの辺りの壁に掲出されている…
↑眼を奪われたのは、左下の画である…沖縄県のイメージ?<シーサー>だ…
大阪環状線は、色々な路線が繋ぎ合わさって1961(昭和36)年に成立していて、その時に大正駅が開業したそうだ。その後、1997(平成9)年には地下鉄が通って乗換駅になったという。
その駅に「何故、沖縄のイメージの画?」というように思う…これは大正時代頃に、この辺りに沖縄県の人達が多く移り住んだ経過が在り、大正区が<リトル沖縄>という異称を有していることに因むものなのだ…大正時代に人口が増えて、昭和時代に入って行政区を設けることになった際、大正橋という橋梁に因んで「大正区」と命名されたのだそうだ。
地名や、地名に因む場合が殆どである駅名には色々な歴史が包含されている…それをこの種の看板で表現というのも一寸面白い…そして、通り過ぎていたばかりの駅で、一寸下車して辺りを歩き廻るのも悪くないものだ。
大阪の南西側で、大き目な水路に隔てられた、半ば島のような地形になった辺りが、大阪市大正区である。区内で鉄道駅は大正駅だけなのだという。
この駅は何度も通り過ぎてはいた…奈良や和歌山・関西空港と大阪駅との間を往来する列車は、大阪駅へ向けて進む中、天王寺駅で大阪環状線に入り込み、以降は新今宮、大正、弁天町、西九条、福島と停車して大阪駅へ至る。その奈良や和歌山・関西空港と大阪駅との間を往来する列車には何度も乗っていたのだ。その際に大正駅は通り過ぎていた…
そこでこの大正駅が少し気になり、一寸下車してみた…
↓こんな駅名表示がホームの辺りの壁に掲出されている…
↑眼を奪われたのは、左下の画である…沖縄県のイメージ?<シーサー>だ…
大阪環状線は、色々な路線が繋ぎ合わさって1961(昭和36)年に成立していて、その時に大正駅が開業したそうだ。その後、1997(平成9)年には地下鉄が通って乗換駅になったという。
その駅に「何故、沖縄のイメージの画?」というように思う…これは大正時代頃に、この辺りに沖縄県の人達が多く移り住んだ経過が在り、大正区が<リトル沖縄>という異称を有していることに因むものなのだ…大正時代に人口が増えて、昭和時代に入って行政区を設けることになった際、大正橋という橋梁に因んで「大正区」と命名されたのだそうだ。
地名や、地名に因む場合が殆どである駅名には色々な歴史が包含されている…それをこの種の看板で表現というのも一寸面白い…そして、通り過ぎていたばかりの駅で、一寸下車して辺りを歩き廻るのも悪くないものだ。
<元祖 品質本位 猛虎印 阪神タイガース>…(2019.06.07)
↓大阪の宿で、何となく広げて写真に撮っておいたモノ…
↑1930年代以来の伝統を誇るという虎のマークが入っている…
↓裏側は「阪神」の「H」と「タイガース」の「T」を組み合わせたマークが入っている…
特段に阪神タイガースを応援しているという程でもないのだが…甲子園球場の色々なグッズを売っている店で見掛けて、「渋い外観で、丈夫そうで、適当に大きく、小さ過ぎるということもない」ということで求めたトートバッグである…
このバッグは95年間にも亘って、多くの人が集い、「半ば史跡」という感さえ漂うあの甲子園球場を訪ねた好い思い出を記念した、個人的には大事な、なかなかに気に入っているモノということになる。
モノは大阪から稚内の拙宅に送り、受け取って以来、かなり頻繁に使用し続けている。他地域へ出掛ける場面で持ち出したことも在った…稚内で、日頃から手近に持ち歩くモノをこのトートバッグに入れて使っている。この<元祖 品質本位 猛虎印 阪神タイガース>のトートバッグ…少なくとも稚内では、同じモノを持ち歩いている人に出くわしたことは無い…
↑1930年代以来の伝統を誇るという虎のマークが入っている…
↓裏側は「阪神」の「H」と「タイガース」の「T」を組み合わせたマークが入っている…
特段に阪神タイガースを応援しているという程でもないのだが…甲子園球場の色々なグッズを売っている店で見掛けて、「渋い外観で、丈夫そうで、適当に大きく、小さ過ぎるということもない」ということで求めたトートバッグである…
このバッグは95年間にも亘って、多くの人が集い、「半ば史跡」という感さえ漂うあの甲子園球場を訪ねた好い思い出を記念した、個人的には大事な、なかなかに気に入っているモノということになる。
モノは大阪から稚内の拙宅に送り、受け取って以来、かなり頻繁に使用し続けている。他地域へ出掛ける場面で持ち出したことも在った…稚内で、日頃から手近に持ち歩くモノをこのトートバッグに入れて使っている。この<元祖 品質本位 猛虎印 阪神タイガース>のトートバッグ…少なくとも稚内では、同じモノを持ち歩いている人に出くわしたことは無い…
大阪難波駅(2019.06.08)
大阪難波駅…近鉄と阪神の駅である。管轄しているのは近鉄ということになるそうだ。
1970(昭和45)年に「近鉄難波駅」として開業し、2009(平成21)年に阪神なんば線が開通してから「大阪難波駅」と改称して現在に至っている…が、近鉄の特急列車の一部では、行先に関して「大阪 難波行」というように案内していたことも在ったようだ。これは「大阪方面へ向かう」ということを強調する意味合いだったらしい…
↓この大阪難波駅に左の近鉄の車輌、右の阪神の車輌が並んでいる様子も、既に10年経っていることになる。
↑地下には2面のホームが在って、3本の軌道が据えられている…
↓短い間隔で列車が発着する忙しい駅だ…
↑近鉄の難波線(奈良線)と大阪線の特急列車、阪神の阪神なんば線の各列車が発着する。
↓名古屋へ向かう近鉄の特急列車、<アーバンライナー>が出発に向けて待機している…
↑この列車に乗込み、大阪を後にして名古屋へ向かったのだった…
大阪難波駅も、何となく利用回数が増え、適当に馴染んで来た感じがする…
1970(昭和45)年に「近鉄難波駅」として開業し、2009(平成21)年に阪神なんば線が開通してから「大阪難波駅」と改称して現在に至っている…が、近鉄の特急列車の一部では、行先に関して「大阪 難波行」というように案内していたことも在ったようだ。これは「大阪方面へ向かう」ということを強調する意味合いだったらしい…
↓この大阪難波駅に左の近鉄の車輌、右の阪神の車輌が並んでいる様子も、既に10年経っていることになる。
↑地下には2面のホームが在って、3本の軌道が据えられている…
↓短い間隔で列車が発着する忙しい駅だ…
↑近鉄の難波線(奈良線)と大阪線の特急列車、阪神の阪神なんば線の各列車が発着する。
↓名古屋へ向かう近鉄の特急列車、<アーバンライナー>が出発に向けて待機している…
↑この列車に乗込み、大阪を後にして名古屋へ向かったのだった…
大阪難波駅も、何となく利用回数が増え、適当に馴染んで来た感じがする…
ラグビージャージ…:<早稲田大学 2007>(2019.06.06)
旅に出る際…気楽な旅であれば、然程持ち物に拘らないが…歩き廻って汗ばんだ際に使う着替えを少しばかりは持参する…そういうモノをバッグに詰め込もうとする際…思いも掛けず「このシャツ…御無沙汰…」というモノが不意に姿を見せる場合が在る…
↓「アディダスの…汗が乾き易い素材?好いかもしれない…」と引っ張り出したのは…「かなり久々に…」という感じだった代物だ…バッグにモノを詰め込もうとした際に、何となく姿を見せた代物であった…
↑これは日本の学生スポーツでは色々な競技にチームを送り出している早稲田大学のラグビーチームが使っていたモデルのジャージだ…
↓裏側はこういう具合になっている…
↑2007年に早稲田大学が創立125年であったことが判る…「2007」と「125」という数字が目立つ…
早稲田大学は1882(明治15)年に起こっている。かの大隈重信が政府を離れた後に学校を起こした訳だ。創立から「100年」、「120年」、「130年」というようなことを記念して、少し大きな催事を計画することや、スポーツチームのユニフォームに記念エンブレムを入れるというようなことは「在りそう…」な気がする…が、「125年」である…一寸不思議だ…
これは大隈重信が「人は摂生すれば125歳まで生きられる」と常々言っていたとされることから、早稲田大学では「125年」を大きな節目と位置付けたらしい。因みに、彼を記念した大隈講堂の時計塔はこの言に因んで「125尺」(約38m)の高さになっているのだという。
そういうことで「2007」と「125」という数字が目立つラグビージャージが登場した訳だ…細かいことは記憶していないが、これは2007年に何かで東京を訪ねた折りに、早稲田大学のキャンパスの端に在る店を訪ねて求めたのだったと思う…少しばかり「懐かしい…」という感じもする代物だ…
久々に…このジャージを着用したが…現在は拙宅の「引っ張り出し易い場所」に置いたので、出番は多少増えるかもしれない…
↓「アディダスの…汗が乾き易い素材?好いかもしれない…」と引っ張り出したのは…「かなり久々に…」という感じだった代物だ…バッグにモノを詰め込もうとした際に、何となく姿を見せた代物であった…
↑これは日本の学生スポーツでは色々な競技にチームを送り出している早稲田大学のラグビーチームが使っていたモデルのジャージだ…
↓裏側はこういう具合になっている…
↑2007年に早稲田大学が創立125年であったことが判る…「2007」と「125」という数字が目立つ…
早稲田大学は1882(明治15)年に起こっている。かの大隈重信が政府を離れた後に学校を起こした訳だ。創立から「100年」、「120年」、「130年」というようなことを記念して、少し大きな催事を計画することや、スポーツチームのユニフォームに記念エンブレムを入れるというようなことは「在りそう…」な気がする…が、「125年」である…一寸不思議だ…
これは大隈重信が「人は摂生すれば125歳まで生きられる」と常々言っていたとされることから、早稲田大学では「125年」を大きな節目と位置付けたらしい。因みに、彼を記念した大隈講堂の時計塔はこの言に因んで「125尺」(約38m)の高さになっているのだという。
そういうことで「2007」と「125」という数字が目立つラグビージャージが登場した訳だ…細かいことは記憶していないが、これは2007年に何かで東京を訪ねた折りに、早稲田大学のキャンパスの端に在る店を訪ねて求めたのだったと思う…少しばかり「懐かしい…」という感じもする代物だ…
久々に…このジャージを着用したが…現在は拙宅の「引っ張り出し易い場所」に置いたので、出番は多少増えるかもしれない…
マネークリップ…(2019.06.08)
大阪の宿を発って、名古屋へ移動しようとしていた時…
↓居室のテーブルで、何気なく撮ってしまった…
↑最近愛用しているモノだ…表面はゴムで出来ている…写真に写った際の“質感”が何となく面白い…
↓こういう具合に紙幣を挟み込む…“マネークリップ”とされるモノだが…「紙幣専用の薄い財布」という気分で使っている…硬貨は別な小銭入れに入れるようにしているので、これで特段に問題は無い…
↑鉄道やバスで利用するICカード乗車券等を入れる場所も備わっていて、使い心地は好い…ICカード乗車券等に関しては、カードを取り出さずに読み取りの機器にかざせば用事が足りる…
財布を求めることに小遣いを費やすなら…その分を貯めておくのが好いような気がしないでもないが…使い心地が好い財布を時々求めてみるのも悪くはないと思っている…
↓居室のテーブルで、何気なく撮ってしまった…
↑最近愛用しているモノだ…表面はゴムで出来ている…写真に写った際の“質感”が何となく面白い…
↓こういう具合に紙幣を挟み込む…“マネークリップ”とされるモノだが…「紙幣専用の薄い財布」という気分で使っている…硬貨は別な小銭入れに入れるようにしているので、これで特段に問題は無い…
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雨中の道頓堀…(2019.06.07)
夜の通天閣(2019.06.07)
“たこ焼き”の串カツ…?!(2019.06.06)
大阪の通天閣の足下という感じの<新世界>エリアに宿を求めて滞在し…夕刻に辺りに出て軽く夕食を愉しむことにした…
↓何となく覗いた串カツの店に立ち寄った…
↑右から3本…鶏肉、牛肉、豚肉と「極々当たり前」な串カツで美味しく頂いたが…左端の「丸いモノ」は、少し“変わり種”ということになるのかもしれない…
この「丸いモノ」は…メニューに在るのを視て「これは?どういう感じ?」とお店の方に尋ねてしまったのだったが、「普通に粉を点けて揚げますよ。串カツですから…」ということだった。これは「“たこ焼き”の串カツ」である!
「ここは串カツ屋ですから…そのままたこ焼きを出すのも如何かと…」というような話しも在ったが、これは不思議な感じだった。本当に普通のたこ焼きを串に刺して粉を点けて揚げている。何となく…「揚げシュウマイの一種?」というような感も覚えた…
近年、串カツの人気が高いようで、大阪で、殊に<新世界>の辺りは串カツの店が極めて多い…中には、こういう「変わった?」ことをやっている店も在る…
↓何となく覗いた串カツの店に立ち寄った…
↑右から3本…鶏肉、牛肉、豚肉と「極々当たり前」な串カツで美味しく頂いたが…左端の「丸いモノ」は、少し“変わり種”ということになるのかもしれない…
この「丸いモノ」は…メニューに在るのを視て「これは?どういう感じ?」とお店の方に尋ねてしまったのだったが、「普通に粉を点けて揚げますよ。串カツですから…」ということだった。これは「“たこ焼き”の串カツ」である!
「ここは串カツ屋ですから…そのままたこ焼きを出すのも如何かと…」というような話しも在ったが、これは不思議な感じだった。本当に普通のたこ焼きを串に刺して粉を点けて揚げている。何となく…「揚げシュウマイの一種?」というような感も覚えた…
近年、串カツの人気が高いようで、大阪で、殊に<新世界>の辺りは串カツの店が極めて多い…中には、こういう「変わった?」ことをやっている店も在る…
牛筋煮込みと濁酒…:大阪・日本橋(2019.06.07)
大阪の日本橋(にっぽんばし)の地下駅…<大阪メトロ>や<近鉄>の列車が発着しているのだが…<なんばウォーク>という地下街が在って、いろいろな飲食店等が入っている…
朝から少々強い雨が降る中を歩き回り、この日訪ねようとしていた甲子園方面へ出るにはやや間が在るような感であったことから、この<なんばウォーク>に寄り道してみた…
↓座って一息入れようと…カウンター席が「ロ」の字或いは「コ」の字のような形に設えられた店で、こういうモノを頂いた…
↑「牛筋煮込み」である…関西方面では、牛筋はポピュラーな食材なのだろうか?色々と利用例が在るようだが、アッサリした感でありながら、確り煮込まれて好い食感でもあった。辛子を少し点けて頂く…基本的には「おでん」ということになるモノなのかもしれないが…美味かったので「アンコール」で2つ摘んでしまった…
↓合わせて頂いた飲み物は…<大和のどぶ>という濁酒だ…
↑色々な料理に意外に合う濁酒である…小さい容器と大きくないぐい呑みで頂くのが好い…
↓この店は<大和のどぶ>や他の酒を醸している大宇陀の老舗酒造会社が運営に携わっている…
↑老舗酒造会社が携わっていることを示す看板と、同社の醸す酒の瓶が飾られているのだが…店内では日本酒以外も愉しむことが出来る。私は、この老舗酒造会社が携わっていることに気付いて、同社の<大和のどぶ>を御願いしたのだったが…
↓実はこの老舗酒造会社に立ち寄ったことも在った。その際に「<なんばウォーク>に店…」というようには聞いていたのだった…
>><久保本家酒造>(2019.04.02)
「昼食には少々早いかもしれない?」という時間帯にこの店に寄った。大阪では、早くから夕方まで「一寸立寄り、1杯の酒を楽しみ、軽く何かを摘む」という「気軽で小さな店」が随分と多く見受けられる…そんな場所に寄ってみるようなことが、何か愉しい…
朝から少々強い雨が降る中を歩き回り、この日訪ねようとしていた甲子園方面へ出るにはやや間が在るような感であったことから、この<なんばウォーク>に寄り道してみた…
↓座って一息入れようと…カウンター席が「ロ」の字或いは「コ」の字のような形に設えられた店で、こういうモノを頂いた…
↑「牛筋煮込み」である…関西方面では、牛筋はポピュラーな食材なのだろうか?色々と利用例が在るようだが、アッサリした感でありながら、確り煮込まれて好い食感でもあった。辛子を少し点けて頂く…基本的には「おでん」ということになるモノなのかもしれないが…美味かったので「アンコール」で2つ摘んでしまった…
↓合わせて頂いた飲み物は…<大和のどぶ>という濁酒だ…
↑色々な料理に意外に合う濁酒である…小さい容器と大きくないぐい呑みで頂くのが好い…
↓この店は<大和のどぶ>や他の酒を醸している大宇陀の老舗酒造会社が運営に携わっている…
↑老舗酒造会社が携わっていることを示す看板と、同社の醸す酒の瓶が飾られているのだが…店内では日本酒以外も愉しむことが出来る。私は、この老舗酒造会社が携わっていることに気付いて、同社の<大和のどぶ>を御願いしたのだったが…
↓実はこの老舗酒造会社に立ち寄ったことも在った。その際に「<なんばウォーク>に店…」というようには聞いていたのだった…
>><久保本家酒造>(2019.04.02)
「昼食には少々早いかもしれない?」という時間帯にこの店に寄った。大阪では、早くから夕方まで「一寸立寄り、1杯の酒を楽しみ、軽く何かを摘む」という「気軽で小さな店」が随分と多く見受けられる…そんな場所に寄ってみるようなことが、何か愉しい…
御神木:難波神社の“保存樹”(2019.06.07)
少し強い雨が降り続いた中…南海なんば駅辺りから、近鉄と阪神の列車が発着する大阪難波駅辺りを通り、御堂筋をゆっくりと北上した…
ゆっくり北上しながら、傘を使っても少々濡れてしまう強めな雨の中で進んだ御堂筋の地下には地下鉄が通っていて…なんば駅、心斎橋駅、本町駅と続いている…その本町駅の手前辺りに難波神社が在る…
難波神社は大変に長い歴史を有している社で、天正年間に大坂城の築城に関連して現在地に遷座したと伝わる。第2次大戦期の戦禍で社殿が焼失してしまい、1974(昭和49)年に現在の社殿が再建されたのだという…
↓雨の中、大きな木が佇んでいることに注目した…
↑御神木ということになっている楠だ…樹齢は400年を超えるらしい…
↓これは辺りが戦禍の炎に包まれた中、傷んでしまいながらも生き続けて現在に至っているのだという…
↑大変な状況を潜り抜けた大木なので、「漲る力を分けてもらえる」と木を触ってみるという人も多いようだ…
この木は、大阪市が指定する“保存樹”というモノで、その「第1号」なのだという。“保存樹”というのは老樹・巨木を指定し、それを守り育む経費の助成を行うというものであるということだ。
大阪の中でも最も繁華な通の一つに沿った辺りに、数百年の人々の営みを見詰め、戦禍の中を生き延びた大きな木が在るというのは興味深いことだと思う…
ゆっくり北上しながら、傘を使っても少々濡れてしまう強めな雨の中で進んだ御堂筋の地下には地下鉄が通っていて…なんば駅、心斎橋駅、本町駅と続いている…その本町駅の手前辺りに難波神社が在る…
難波神社は大変に長い歴史を有している社で、天正年間に大坂城の築城に関連して現在地に遷座したと伝わる。第2次大戦期の戦禍で社殿が焼失してしまい、1974(昭和49)年に現在の社殿が再建されたのだという…
↓雨の中、大きな木が佇んでいることに注目した…
↑御神木ということになっている楠だ…樹齢は400年を超えるらしい…
↓これは辺りが戦禍の炎に包まれた中、傷んでしまいながらも生き続けて現在に至っているのだという…
↑大変な状況を潜り抜けた大木なので、「漲る力を分けてもらえる」と木を触ってみるという人も多いようだ…
この木は、大阪市が指定する“保存樹”というモノで、その「第1号」なのだという。“保存樹”というのは老樹・巨木を指定し、それを守り育む経費の助成を行うというものであるということだ。
大阪の中でも最も繁華な通の一つに沿った辺りに、数百年の人々の営みを見詰め、戦禍の中を生き延びた大きな木が在るというのは興味深いことだと思う…
今宮戎駅:南海(2019.06.07)
今宮戎神社の直ぐ傍…「神社の最寄駅」であると一目で判る<今宮戎>という名の駅が在る…
強めな雨の中、今宮戎神社を訪ねてみて、直ぐに見えた駅にとりあえず入った。
高架線の上に設けられている駅で、南海の優等列車は通過してしまう駅である。南海の運行系統の中では「高野線の各駅停車」という分類になる列車だけが停車するようだ。<なんば>の「直ぐ隣」である割に静かな駅だ…(尤も、今宮戎神社の催事の際等は凄く込み合うと思われるが…)
↓ホームに出てみて、屋根の下に何となく佇むと…「高架線の上」という感覚が薄いような気がした…
↑「適当に年季が入った…」という感じなホームで、「それなりに風情…」と思って様子を見ていた…
↓向き直ると、なんば駅へ向かう列車がやって来た…
↑これに乗車してなんば駅へ向かった…
なんば駅まで1駅…短い乗車時間の中、南海沿線に関して、自身としては存外に「開拓の余地」が大きいというようなことを考えていた…
強めな雨の中、今宮戎神社を訪ねてみて、直ぐに見えた駅にとりあえず入った。
高架線の上に設けられている駅で、南海の優等列車は通過してしまう駅である。南海の運行系統の中では「高野線の各駅停車」という分類になる列車だけが停車するようだ。<なんば>の「直ぐ隣」である割に静かな駅だ…(尤も、今宮戎神社の催事の際等は凄く込み合うと思われるが…)
↓ホームに出てみて、屋根の下に何となく佇むと…「高架線の上」という感覚が薄いような気がした…
↑「適当に年季が入った…」という感じなホームで、「それなりに風情…」と思って様子を見ていた…
↓向き直ると、なんば駅へ向かう列車がやって来た…
↑これに乗車してなんば駅へ向かった…
なんば駅まで1駅…短い乗車時間の中、南海沿線に関して、自身としては存外に「開拓の余地」が大きいというようなことを考えていた…
<ラピート>:なんば駅(2019.06.07)
雨天…:今宮戎神社(2019.06.07)
通天閣の足下辺り…<新世界>と呼ばれるエリアで“串カツ”の店に寄ってみれば、商売繁盛を願う神社の縁起物がさり気なく飾られていた…今宮戎神社のモノだった…
お店の方によれば「この辺で商売やっている者は皆が“えべっさん”に…」ということであったが、通天閣の傍には今宮戎神社に因むらしい「恵美須町」という住所さえ在り、「地域の人達の篤い信心の対象でもある場」という今宮戎神社が酷く気になった…
その今宮戎神社に寄ってみようと考えて休んだ夜の翌朝…辺りは雨だった…多少の雨なら「使っても…濡れてしまう…」と傘は使わないのだが…かなり激しい感じだったので、宿のフロントで売っていた300円の傘を求めて、それを使いながら戸外へ出てみた…
↓雨に負けずに歩き、今宮戎神社に至った…
↑写真に撮って…「降っている雨」が「判る」という程度である…
この時は「防滴仕様」が謳われているでもないX100Fを使った。カメラ全体をスッポリと包むレザーケースに入れた状態で提げて持ち歩き、撮影時に素早く開いて写真を撮る…そういうやり方で写真を撮った…
↓建物の屋根や境内の地面が酷く濡れている…
↑これは偶々在った軒の辺りで撮った画だ…
何となく…「雨にも負けずに、地元の皆さんに愛される“えべっさん”に会いに来ることが叶ったことに感謝…」という気持ちになった…
お店の方によれば「この辺で商売やっている者は皆が“えべっさん”に…」ということであったが、通天閣の傍には今宮戎神社に因むらしい「恵美須町」という住所さえ在り、「地域の人達の篤い信心の対象でもある場」という今宮戎神社が酷く気になった…
その今宮戎神社に寄ってみようと考えて休んだ夜の翌朝…辺りは雨だった…多少の雨なら「使っても…濡れてしまう…」と傘は使わないのだが…かなり激しい感じだったので、宿のフロントで売っていた300円の傘を求めて、それを使いながら戸外へ出てみた…
↓雨に負けずに歩き、今宮戎神社に至った…
↑写真に撮って…「降っている雨」が「判る」という程度である…
この時は「防滴仕様」が謳われているでもないX100Fを使った。カメラ全体をスッポリと包むレザーケースに入れた状態で提げて持ち歩き、撮影時に素早く開いて写真を撮る…そういうやり方で写真を撮った…
↓建物の屋根や境内の地面が酷く濡れている…
↑これは偶々在った軒の辺りで撮った画だ…
何となく…「雨にも負けずに、地元の皆さんに愛される“えべっさん”に会いに来ることが叶ったことに感謝…」という気持ちになった…
窓から…<あべのハルカス>が視えた…(2018.06.08)
“点灯”…:通天閣の在る光景…(2019.06.06)
“点灯”の少し前…:通天閣の在る光景…(2019.06.06)
愛用の時計―ウラジオストクで求めたロシア製で、松江の商業施設に入っていた時計店でバンドを交換したばかりの代物…―に目を落とした…「日没」には「ほんの少し」だけ間が在るようだ…
↓因みにその時計…
>>愛用の「ロシア製」の時計…(2019.06.02)
「辺りの基準」では“静か”な部類なのかもしれないが、「稚内の基準」では“かなり賑やか”という感の雑踏の中に滑り込むように入って行く…
↓飲食店等の灯りが目立つ他方、空は未だ明るく、通天閣は“点灯”していない…
↓何か…「中途半端な光の加減」というようなモノが好いかもしれない…
↓因みにその時計…
>>愛用の「ロシア製」の時計…(2019.06.02)
「辺りの基準」では“静か”な部類なのかもしれないが、「稚内の基準」では“かなり賑やか”という感の雑踏の中に滑り込むように入って行く…
↓飲食店等の灯りが目立つ他方、空は未だ明るく、通天閣は“点灯”していない…
↓何か…「中途半端な光の加減」というようなモノが好いかもしれない…
黄昏へ…:通天閣の在る光景…(2019.06.06)
通天閣に迎えられる…(2019.06.06)
長い旅…稚内から東京へ飛び、横浜から夜行列車で出雲に出て、萩を巡ってから広島に至り、そこから神戸経由で奈良へ向かい…奈良から京都に寄って大阪である…
↓大阪滞在時、気に入っている宿も在る、気に入っているエリアに至ると…何時もこれが眼に留まる…
↑言わずと知れた<通天閣>である…
↓こうやって<通天閣>を仰ぎ見ると…最近では「大阪にやって来た…」というよりも「戻って来てしまった…」と感じてしまう…
逆に<通天閣>の側から…「また?来たか?ご苦労さん…」と迎えて頂いているような気がしないでもない…
この日は、何やら日中に30℃に至ったそうだ…汗もかき、日に焼けた…稚内では「在り悪い」という次元の「夏」のような1日だった…
↓大阪滞在時、気に入っている宿も在る、気に入っているエリアに至ると…何時もこれが眼に留まる…
↑言わずと知れた<通天閣>である…
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逆に<通天閣>の側から…「また?来たか?ご苦労さん…」と迎えて頂いているような気がしないでもない…
この日は、何やら日中に30℃に至ったそうだ…汗もかき、日に焼けた…稚内では「在り悪い」という次元の「夏」のような1日だった…
223系電車:鳳駅(2019.02.27)
↓和歌山駅から北上していた列車が、堺市内の鳳駅に着いた…下車した…
↑乗車していた列車は左側…何となく身体を伸ばしてホームに佇めば、逆方向の列車も現れた。車輌は同じ223系電車と見受けられる…
↓乗って来た列車は、大阪方面へ更に進む…間も無く発車だ…
↑何となく列車を見送っていた…
↓鳳駅で列車を下りて…大鳥大社を訪ねたのだった…
>>大鳥大社(2019.02.27)
↑乗車していた列車は左側…何となく身体を伸ばしてホームに佇めば、逆方向の列車も現れた。車輌は同じ223系電車と見受けられる…
↓乗って来た列車は、大阪方面へ更に進む…間も無く発車だ…
↑何となく列車を見送っていた…
↓鳳駅で列車を下りて…大鳥大社を訪ねたのだった…
>>大鳥大社(2019.02.27)
<綿業会館>:大阪・三休橋筋(2019.02.27)
大阪の中央公会堂の辺りから延びている「三休橋筋」という道…船場の辺りまでの散策が愉しいと聞き及び…朝から動き回ってから一息入れた後の夕刻に、辺りへ一寸足を運んでみた…
↓その三休橋筋に見受けられる、重厚な感じの建物だ…
↑見栄えが気に入ったので、周辺をチョロチョロして写真を撮っていた…
↓正面で建物を見上げた…
この建物は1931年に竣工した<綿業会館>である。国際会議場として利用された経過が在るという。1945年の空襲では、ワイヤーを入れた耐火硝子を使用した建物であったことから被害は軽微なものに留まったようである。そんな建物が現在に伝えられているのだ…
↓この辺り…ガス燈が据えられている…
↓何処となく…「昔の米国の建物」という感じである…
↑気軽に見学はし悪いようだが、建物内が非常に豪華と聞く…が、外観だけでも「うゎ!」というように思った…
大阪には…こういうような「画になる光景」というものが色々と在る訳だ…
↓その三休橋筋に見受けられる、重厚な感じの建物だ…
↑見栄えが気に入ったので、周辺をチョロチョロして写真を撮っていた…
↓正面で建物を見上げた…
この建物は1931年に竣工した<綿業会館>である。国際会議場として利用された経過が在るという。1945年の空襲では、ワイヤーを入れた耐火硝子を使用した建物であったことから被害は軽微なものに留まったようである。そんな建物が現在に伝えられているのだ…
↓この辺り…ガス燈が据えられている…
↓何処となく…「昔の米国の建物」という感じである…
↑気軽に見学はし悪いようだが、建物内が非常に豪華と聞く…が、外観だけでも「うゎ!」というように思った…
大阪には…こういうような「画になる光景」というものが色々と在る訳だ…