一頻り「年始休業」で静かな坂越を散策し、坂越駅へ向かおうと歩を進めていた。
↓「古くからの住宅か…」と建物を眺めて、こういうモノを眼に留めた。
↑かなり褪色した牛乳箱が上に、金属製と見受けられる郵便受けが下に各々据えられている。
何れも、何か味わい深い。こういうモノを眼に留めながら、出先の街を歩き廻ってみるというのが好い。
宝珠山妙見寺…:坂越(2024.01.02)
麓に近い辺りに大避神社(おおさけじんじゃ)が在る宝珠山を上る。普通に上る道は在る。
↓こういう場所に行き当たる。
↑山の高い辺りが寺になっている。
↓この観音堂が知られる妙見寺である。
妙見寺は8世紀に行基が開いたと伝えられている。それが受継がれて、1440年代頃には宝珠山の山腹に16の坊舎と9つの庵を構えた大寺であったという。が、1485(文明17)年には僧兵一揆が在って、建物の多くが焼失してしまったそうだ。
その後、1659(万時2)年に山頂に近い辺りに奥の院の建物が建ち、1722(享保7)年に建物が移築された。その建物が、現在も伝わる観音堂である。
↓近付いて観音堂で参拝することにした。
妙見寺は、古くは「神仏習合」で大避神社(おおさけじんじゃ)の神宮寺ということであったが、明治初期の神仏分離により現在のような独立した体制になった。
↓この観音堂からの眺望が素晴らしい。坂越浦が一望出来るのだ。
↑こうした美しい光景に出会うことが叶ったことに大感謝である。
↓こういう場所に行き当たる。
↑山の高い辺りが寺になっている。
↓この観音堂が知られる妙見寺である。
妙見寺は8世紀に行基が開いたと伝えられている。それが受継がれて、1440年代頃には宝珠山の山腹に16の坊舎と9つの庵を構えた大寺であったという。が、1485(文明17)年には僧兵一揆が在って、建物の多くが焼失してしまったそうだ。
その後、1659(万時2)年に山頂に近い辺りに奥の院の建物が建ち、1722(享保7)年に建物が移築された。その建物が、現在も伝わる観音堂である。
↓近付いて観音堂で参拝することにした。
妙見寺は、古くは「神仏習合」で大避神社(おおさけじんじゃ)の神宮寺ということであったが、明治初期の神仏分離により現在のような独立した体制になった。
↓この観音堂からの眺望が素晴らしい。坂越浦が一望出来るのだ。
↑こうした美しい光景に出会うことが叶ったことに大感謝である。
丸型ポスト…:旧坂越会所前(2024.01.02)
旧坂越浦会所…(2024.01.02)
「坂越のまち並み」=「坂越浦」へ…(2024.01.02)
坂越駅に着いて、外を歩き始める。
券売機が据えられ、駅員が詰める事務所と各種の券も売る窓口を兼ねた場所が設けられ、待合所と御手洗というような「必要最小限の設備」という非常に小さな坂越駅だ。空路で北海道へ引揚げる前ではあったが、最低限の「歩き廻るのに支障が無い」という程度の荷物でやって来て「正解!」だったと思う。ロッカーが見当たらなかったのだ。
↓駅前の地図を何となく覚えて歩を進めた。こういう看板が在る。
↓「→」を追って歩を進めると、また別の「→」が現れる。それに従って歩を進め続けた。
↓こういう少し渋いモノも在った。「坂越浦」というのが辺りの古い呼び方ということになるのであろう。
坂越は古くから海に開けた集落で、海運業や漁業が営まれ続けていた。少し先の赤穂の塩田がよく知られているが、坂越は赤穂で生産された塩を各地へ船で送り出すというようなことにも関わった港であったという。また大阪から瀬戸内海を通って日本海沿岸に出る北前船の寄港地であった。「汐待」(しおまち)と言うそうだが、航海し易い風や潮流を待つというようなことで寄港する例も多かったようだ。
そういう地域では、古くから街が築かれ、その街の建物等が受継がれているという例が見受けられる。坂越もそういう場所で、そんな様子に親しもうとする来訪者も見受けられる。自身もその一人であった訳だが、そういう来訪者を意識して「坂越のまち並み」という看板が掲出されているのだ。
↓その「坂越のまち並み」と呼び習わされる地区に行き当たった。
↓「年始休業」という時期に相当する1月2日の午前中で、非常に静かな「坂越のまち並み」を何となく散策した。
↓酒造会社であるようだが、凄く趣が在った。
↓こうした「蔵」というような造りの建物は豊かさを示すもので、それが今日迄受継がれているのは貴重かもしれない。
↓建物の出入口辺りに“杉玉”が見受けられるのは、酒造会社の本拠地となる建造物群の一つであるが故であろう。
↓建物と建物との間の感じも面白い。
↓裏の方に少し小高くなった箇所が見受けられ、屋根の感じが視易かった。面白いと思って眺めた。
↓やがて通は海が覗くような辺りに至った。
↑看板に在る大避神社(おおさけじんじゃ)には後刻立寄った。
長く興味が在って、なかなか訪問機会を設けられなかった場所だ。今般、立寄る機会を設けられて善かった。
券売機が据えられ、駅員が詰める事務所と各種の券も売る窓口を兼ねた場所が設けられ、待合所と御手洗というような「必要最小限の設備」という非常に小さな坂越駅だ。空路で北海道へ引揚げる前ではあったが、最低限の「歩き廻るのに支障が無い」という程度の荷物でやって来て「正解!」だったと思う。ロッカーが見当たらなかったのだ。
↓駅前の地図を何となく覚えて歩を進めた。こういう看板が在る。
↓「→」を追って歩を進めると、また別の「→」が現れる。それに従って歩を進め続けた。
↓こういう少し渋いモノも在った。「坂越浦」というのが辺りの古い呼び方ということになるのであろう。
坂越は古くから海に開けた集落で、海運業や漁業が営まれ続けていた。少し先の赤穂の塩田がよく知られているが、坂越は赤穂で生産された塩を各地へ船で送り出すというようなことにも関わった港であったという。また大阪から瀬戸内海を通って日本海沿岸に出る北前船の寄港地であった。「汐待」(しおまち)と言うそうだが、航海し易い風や潮流を待つというようなことで寄港する例も多かったようだ。
そういう地域では、古くから街が築かれ、その街の建物等が受継がれているという例が見受けられる。坂越もそういう場所で、そんな様子に親しもうとする来訪者も見受けられる。自身もその一人であった訳だが、そういう来訪者を意識して「坂越のまち並み」という看板が掲出されているのだ。
↓その「坂越のまち並み」と呼び習わされる地区に行き当たった。
↓「年始休業」という時期に相当する1月2日の午前中で、非常に静かな「坂越のまち並み」を何となく散策した。
↓酒造会社であるようだが、凄く趣が在った。
↓こうした「蔵」というような造りの建物は豊かさを示すもので、それが今日迄受継がれているのは貴重かもしれない。
↓建物の出入口辺りに“杉玉”が見受けられるのは、酒造会社の本拠地となる建造物群の一つであるが故であろう。
↓建物と建物との間の感じも面白い。
↓裏の方に少し小高くなった箇所が見受けられ、屋根の感じが視易かった。面白いと思って眺めた。
↓やがて通は海が覗くような辺りに至った。
↑看板に在る大避神社(おおさけじんじゃ)には後刻立寄った。
長く興味が在って、なかなか訪問機会を設けられなかった場所だ。今般、立寄る機会を設けられて善かった。
珈琲とカツサンドと…:神戸空港
空港で飛行機に乗る場合、搭乗迄にゆとりが少ないギリギリな時間に駆け込むようなことは好まない。そういう方式は、気忙しいばかりで好いことは何も無いと思う。少し前に、空港へ向かう時に回り道をせざるを得なかった関係で走った例は在ったが、極力そういうのは避けている。
今般、飛行機に乗ろうと神戸空港へ足を運んだ。利用するフライトの搭乗案内迄に1時間少々のゆとりが在る状況で空港に辿り着いた。
↓空港ではカフェに入るのが少し愉しみでもある。
↓悠然と珈琲を啜るというのが好い。
↓そしてカツサンドを御願いした。このカツサンドが好かった。この神戸空港の少し気に入っているカフェは、何を頼んでも美味いのだが。
こういう「一寸した寛ぐ時間」というのは意外に好いと思う。
今般、飛行機に乗ろうと神戸空港へ足を運んだ。利用するフライトの搭乗案内迄に1時間少々のゆとりが在る状況で空港に辿り着いた。
↓空港ではカフェに入るのが少し愉しみでもある。
↓悠然と珈琲を啜るというのが好い。
↓そしてカツサンドを御願いした。このカツサンドが好かった。この神戸空港の少し気に入っているカフェは、何を頼んでも美味いのだが。
こういう「一寸した寛ぐ時間」というのは意外に好いと思う。
駐機場…:神戸空港(2024.01.02)
大避神社…:坂越(2024.01.02)
↓「大避神社」という字で「おおさけじんじゃ」と読む。
↓坂越の宝珠山の麓辺りに在る神社だ。
↓立寄って参拝した。
倭国へ渡来した秦氏の一族であった秦河勝は、厩戸皇子(聖徳太子)の下で活躍していたが、皇子の死後となる644年頃に海路で坂越に移ったと伝えられる。そして坂越で他界してしまった後、坂越浦の生島(いきしま)に墓が設けられ、祀られたことがこの神社の起こりとされている。生島は神社の神域であり、現在でも原則的に人の立入が禁じられている。
そうした相当に古い時期の起ったとされる大避神社は既に中世から辺りの有力な神社として知られていたという。汐待の船が多数出入りし、北前船の寄港も見受けられ、赤穂の塩の搬送等の海運業で栄えた坂越で広く崇敬され続けた神社である。
↓社殿である。
↓1769年の建物と伝わるそうだが、細かい彫刻が見事だと思った。
↓氏子が供えた提灯が多数飾られていた。美しい様子だと思った。
↓色々な時代に奉納された画が掛けられていた。興味深く拝見した。
↓虎と龍だ。
↓海の仕事に携わる人達が、こうした画を奉納したのであろう。
↓「平成」という元号が入ったモノも眼にした。今でもこういう奉納は行われているのであろう。
↓「清めの塩」を頂いた。
↓海と、神域の生島を望む辺りに鎮座する神社だ。
↓坂越浦と共に在り続ける大避神社である。何か強く記憶に残る。
↓坂越の宝珠山の麓辺りに在る神社だ。
↓立寄って参拝した。
倭国へ渡来した秦氏の一族であった秦河勝は、厩戸皇子(聖徳太子)の下で活躍していたが、皇子の死後となる644年頃に海路で坂越に移ったと伝えられる。そして坂越で他界してしまった後、坂越浦の生島(いきしま)に墓が設けられ、祀られたことがこの神社の起こりとされている。生島は神社の神域であり、現在でも原則的に人の立入が禁じられている。
そうした相当に古い時期の起ったとされる大避神社は既に中世から辺りの有力な神社として知られていたという。汐待の船が多数出入りし、北前船の寄港も見受けられ、赤穂の塩の搬送等の海運業で栄えた坂越で広く崇敬され続けた神社である。
↓社殿である。
↓1769年の建物と伝わるそうだが、細かい彫刻が見事だと思った。
↓氏子が供えた提灯が多数飾られていた。美しい様子だと思った。
↓色々な時代に奉納された画が掛けられていた。興味深く拝見した。
↓虎と龍だ。
↓海の仕事に携わる人達が、こうした画を奉納したのであろう。
↓「平成」という元号が入ったモノも眼にした。今でもこういう奉納は行われているのであろう。
↓「清めの塩」を頂いた。
↓海と、神域の生島を望む辺りに鎮座する神社だ。
↓坂越浦と共に在り続ける大避神社である。何か強く記憶に残る。
坂越駅…(2024.01.02)
大阪駅から乗車した列車は「新快速」だった。停車駅は少なく、姫路駅迄は1時間余りだった。姫路駅で車輌の切り離しで少し長く停車する。以降は各駅に停車し、赤穂線に入って坂越駅まで30分弱という感じだ。
↓「ここまで運んでくれて有難う!」という感じで、播州赤穂駅へ向かう列車を見送った。
↑8輌の列車が停まるようなホームで、なかなかに長い。
↓坂越駅こういう駅だ。
↑駅員さんが居たが、不在の時間帯も在るようだ。券売機も在るが、窓口で切符を販売している。ICカード乗車券の改札機が設置されている。御手洗は在るが、ロッカーは見当たらなかった。
↓地域のことを紹介するパネルが掲出されていた。
↓こういう身軽な荷物で坂越を歩き廻り、坂越駅に引揚げた。
↓駅員さんが居ない時間帯になっていた。
↓券売機の辺りに路線図と運賃だ。
↑隣の駅が播州赤穂で播磨国だが、次の次は備前福河で備前国だ。「国境」である。そして兵庫県の県庁所在地の神戸に向かうよりも、隣県の県庁所在地である岡山に向かう方が運賃が安い。岡山県にかなり近い。辺りは兵庫県の西端辺りという感じになる。
↓日中の「1時間に各方向の列車が各1本」という時間帯に入っていた。
↓姫路駅を経て、三ノ宮駅を目指す事にした。
↓存外に賑わっていたように感じた。やって来た列車に乗って移動だ。
こんな小さな駅の風情が好い。「列車で一寸訪ねて歩き廻る」というには程好いような感じである場所だとも思った。
↓「ここまで運んでくれて有難う!」という感じで、播州赤穂駅へ向かう列車を見送った。
↑8輌の列車が停まるようなホームで、なかなかに長い。
↓坂越駅こういう駅だ。
↑駅員さんが居たが、不在の時間帯も在るようだ。券売機も在るが、窓口で切符を販売している。ICカード乗車券の改札機が設置されている。御手洗は在るが、ロッカーは見当たらなかった。
↓地域のことを紹介するパネルが掲出されていた。
↓こういう身軽な荷物で坂越を歩き廻り、坂越駅に引揚げた。
↓駅員さんが居ない時間帯になっていた。
↓券売機の辺りに路線図と運賃だ。
↑隣の駅が播州赤穂で播磨国だが、次の次は備前福河で備前国だ。「国境」である。そして兵庫県の県庁所在地の神戸に向かうよりも、隣県の県庁所在地である岡山に向かう方が運賃が安い。岡山県にかなり近い。辺りは兵庫県の西端辺りという感じになる。
↓日中の「1時間に各方向の列車が各1本」という時間帯に入っていた。
↓姫路駅を経て、三ノ宮駅を目指す事にした。
↓存外に賑わっていたように感じた。やって来た列車に乗って移動だ。
こんな小さな駅の風情が好い。「列車で一寸訪ねて歩き廻る」というには程好いような感じである場所だとも思った。
四川麻婆豆腐…:神戸・南京町(2024.01.02)
↓「専門店」と一口に言っても様々だと思う。「麻婆豆腐専門店」を謳っているのが少し面白い。小さな路地に在る、小さな御店だ。
↓何種類かの麻婆豆腐を供することに特化したような小さな御店である。
↓サイドメニューで御願いした揚げ餃子が先に登場したので一寸摘まみながら料理を待った。
↓好みで麻婆豆腐に振るという花椒(ホアジャオ)がカウンター上に置いて在った。中国の山椒という感じであろうか。
↓更に3種類の酢が用意されている。これも好みで点ける。
↓四川麻婆豆腐が登場した!
↓豆板醤のような調味料の感じよりも、花椒(ホアジャオ)のようなモノが多用されているかのような感じだった。
実は以前にも立寄っていて、その同じ御店だと気付いて「アレを是非久し振りに…」と頂いたのだった。こういうのも時には好い…
↓何種類かの麻婆豆腐を供することに特化したような小さな御店である。
↓サイドメニューで御願いした揚げ餃子が先に登場したので一寸摘まみながら料理を待った。
↓好みで麻婆豆腐に振るという花椒(ホアジャオ)がカウンター上に置いて在った。中国の山椒という感じであろうか。
↓更に3種類の酢が用意されている。これも好みで点ける。
↓四川麻婆豆腐が登場した!
↓豆板醤のような調味料の感じよりも、花椒(ホアジャオ)のようなモノが多用されているかのような感じだった。
実は以前にも立寄っていて、その同じ御店だと気付いて「アレを是非久し振りに…」と頂いたのだった。こういうのも時には好い…
南京町…:神戸(2024.01.02)
神戸空港へ向かう前の一時、神戸の街を散策した。
↓こんな設えの在る一画が少し気に入っている。
↓天候が好かったので、こういう設えが映えていたと思う。
↓神戸の南京町である。
明治期に華僑の住む地区が形成され、南京町という通称が何時した定着した。やがて華僑はしない等に分散するようになり、南京町の辺りは普通の商業地という様相になって行った。それは現在でも原則的には余り変わらず、南京町の界隈に華僑が多く住んで居るということでもないようだ。第2次大戦後に辺りは少し荒廃してしまう。1976年頃から、南京町という地区の通称を大事にした街づくりが意図されるようになって行ったのだという。1980年代に「チャイナタウン」というようになって行く。そこに1995年の震災の被害が生じてしまうが、復旧を図る中で、プロパンガスやポリタンクの水を使って軽食のテイクアウト販売から出発し、それが好評を博した。そこから「気軽な食べ歩きも…」というようなことにもなって行ったのだそうだ。
↓軽食、本格的料理店、その他の雑貨店等が色々と集まっている南京町だ。最近も国内外の来訪者や地元や周辺の人達で賑わっている様子が見受けられる。
↓自身の目線では、「年中、何かの一寸した祭でも開催しているかのような一画」というように感じられる場合も在る。とりあえず賑やかだ。
何やら「中華風?」の設えが面白く、見上げるばかりだったのだが、なかなかの人出で、低い辺りは故人を特定し得るような画ばかりになりそうで、敢えて撮っていなかった…時にはこういう場所も悪くない。
↓こんな設えの在る一画が少し気に入っている。
↓天候が好かったので、こういう設えが映えていたと思う。
↓神戸の南京町である。
明治期に華僑の住む地区が形成され、南京町という通称が何時した定着した。やがて華僑はしない等に分散するようになり、南京町の辺りは普通の商業地という様相になって行った。それは現在でも原則的には余り変わらず、南京町の界隈に華僑が多く住んで居るということでもないようだ。第2次大戦後に辺りは少し荒廃してしまう。1976年頃から、南京町という地区の通称を大事にした街づくりが意図されるようになって行ったのだという。1980年代に「チャイナタウン」というようになって行く。そこに1995年の震災の被害が生じてしまうが、復旧を図る中で、プロパンガスやポリタンクの水を使って軽食のテイクアウト販売から出発し、それが好評を博した。そこから「気軽な食べ歩きも…」というようなことにもなって行ったのだそうだ。
↓軽食、本格的料理店、その他の雑貨店等が色々と集まっている南京町だ。最近も国内外の来訪者や地元や周辺の人達で賑わっている様子が見受けられる。
↓自身の目線では、「年中、何かの一寸した祭でも開催しているかのような一画」というように感じられる場合も在る。とりあえず賑やかだ。
何やら「中華風?」の設えが面白く、見上げるばかりだったのだが、なかなかの人出で、低い辺りは故人を特定し得るような画ばかりになりそうで、敢えて撮っていなかった…時にはこういう場所も悪くない。
コインロッカー…:三ノ宮駅(2024.01.02)
↓交通結節点となっているような駅では殊更に必要なモノだと思う。
↑「400円」という程度の価格が多いが、自身では小さ目のロッカーに、身軽とは言っても嵩張る荷物を預けて辺りを動き回る場合が多い。非常に重宝する。
この三ノ宮駅―JRの駅だけは、駅が起った時に「三ノ宮」と「ノ」を入れた表記が今でも残る。他の鉄道会社の駅は「三宮」になっている。―は、古くからの「単純に百円硬貨を投入するロッカー」である。何やら液晶画面のようなモノが在って操作するようになっているモノや、ICカード乗車券を使う仕組みのモノも在るのだが、個人的にはこの「百円硬貨投入」が最も使い易い。
今般、各地でコインロッカーを使った。こういうロッカーの様子も、何となく写真に収めてみたくなる。
↑「400円」という程度の価格が多いが、自身では小さ目のロッカーに、身軽とは言っても嵩張る荷物を預けて辺りを動き回る場合が多い。非常に重宝する。
この三ノ宮駅―JRの駅だけは、駅が起った時に「三ノ宮」と「ノ」を入れた表記が今でも残る。他の鉄道会社の駅は「三宮」になっている。―は、古くからの「単純に百円硬貨を投入するロッカー」である。何やら液晶画面のようなモノが在って操作するようになっているモノや、ICカード乗車券を使う仕組みのモノも在るのだが、個人的にはこの「百円硬貨投入」が最も使い易い。
今般、各地でコインロッカーを使った。こういうロッカーの様子も、何となく写真に収めてみたくなる。
壁面の植物…(2024.01.02)
ポートタワー…(2024.01.02)
<メリケンパーク>辺りで視掛けたグラフィティー:神戸(2024.01.02)
「阪急 神戸三宮駅」を望む…(2024.01.02)
本州方面を訪ねる場合、「神戸空港から新千歳空港へ飛んで引揚げる」という選択をする場合が少なくないような気がする。関西方面の主要都市間は公共交通が便利で、神戸空港に関しては、交通結節点の三宮に在ればポートライナーで直ぐに入って飛行機に乗ることが叶う。気に入っている。それと相俟って、「神戸に何となく寄る」という場合も比較的多く在る。
今般、神戸空港へ入る前に兵庫県内で過ごす時間を設けた。その後、神戸空港へ入る前に食事を摂る等しながら神戸を散策しようと「三ノ宮駅」へ移動して街へ出た。
↓こういう様子に出くわした。「阪急 神戸三宮駅」である。
↓敢えて往年の建物の感じを組み込んだビルというのが好きだ。光の当たり方が好い感じで、暫し横断歩道の辺りで見入ってしまった。
↓少し近付いて、美しい建物を眺めた。
神戸の街には、こういうような「出くわして、一寸注目してしまう…」というような建物が存外に多いかもしれない。気に入っている立ち寄り先である。
今般、神戸空港へ入る前に兵庫県内で過ごす時間を設けた。その後、神戸空港へ入る前に食事を摂る等しながら神戸を散策しようと「三ノ宮駅」へ移動して街へ出た。
↓こういう様子に出くわした。「阪急 神戸三宮駅」である。
↓敢えて往年の建物の感じを組み込んだビルというのが好きだ。光の当たり方が好い感じで、暫し横断歩道の辺りで見入ってしまった。
↓少し近付いて、美しい建物を眺めた。
神戸の街には、こういうような「出くわして、一寸注目してしまう…」というような建物が存外に多いかもしれない。気に入っている立ち寄り先である。
三宮→神戸空港:ポートライナー(2023.04.06)
今般、関西方面と北海道との往復で神戸空港・新千歳空港間のフライトを利用した。そして神戸空港では、三宮との間のポートライナーを往復共に利用している。
神戸空港から三宮の往路は夜間だった。三宮から神戸空港の復路は、未だ陽が沈む前の時間帯に移動した。故に往路と復路とは、移動中に視えている様子が、同じ場所でありながらも異なって見える。
↓後側が視える辺りに陣取った。三宮駅を出たという辺りだ。画の左側に曲がっている先が三宮駅のホームということになる。
↓暫くは「街を縫うように造られた高架の軌道」を進むような感じになった。
↓“人工島”の側に入って行く。何か「遠くに望む街」というように、林立するビル群が視えるようになる。
↓林立するビルが少しずつ遠くなる。
↓神戸大橋の辺りに差し掛かった。
↓ポートライナーは、時々眠くなる程度に、スムースに走行すると思う。
↓次第に「海の上?」という感じの場所が多くなるような気がする。
↓逆方向に走っている他の編成とも存外に擦違う。
↓右にフェンスが視えている。空港が近い辺り、海の上に設えられた高架軌道を走っている。
↓空港側へ通じる道路が右の眼下に視える。
↓やがて到着した。
このポートライナーは何時も乗車すると意外に愉しい…また何時か乗車したい。
神戸空港から三宮の往路は夜間だった。三宮から神戸空港の復路は、未だ陽が沈む前の時間帯に移動した。故に往路と復路とは、移動中に視えている様子が、同じ場所でありながらも異なって見える。
↓後側が視える辺りに陣取った。三宮駅を出たという辺りだ。画の左側に曲がっている先が三宮駅のホームということになる。
↓暫くは「街を縫うように造られた高架の軌道」を進むような感じになった。
↓“人工島”の側に入って行く。何か「遠くに望む街」というように、林立するビル群が視えるようになる。
↓林立するビルが少しずつ遠くなる。
↓神戸大橋の辺りに差し掛かった。
↓ポートライナーは、時々眠くなる程度に、スムースに走行すると思う。
↓次第に「海の上?」という感じの場所が多くなるような気がする。
↓逆方向に走っている他の編成とも存外に擦違う。
↓右にフェンスが視えている。空港が近い辺り、海の上に設えられた高架軌道を走っている。
↓空港側へ通じる道路が右の眼下に視える。
↓やがて到着した。
このポートライナーは何時も乗車すると意外に愉しい…また何時か乗車したい。
マンホールの蓋…:姫路(2023.04.06)
アルファベット…:姫路(2023.04.06)
姫路駅に着いて出口の1つに佇めば、少し遠くに大きな天守閣が視えるので、視えている天守閣の方向へ真直ぐに歩を進めると姫路城に辿り着くことは出来る。脇の方の路にでも踏み入って、天守閣が視え悪いということにでもなれば迷ってしまう場合も在るかもしれない。が、「あそこに視えている…」を目掛けて直進なので、迷うというのは「在り得ない?」という気がしないでもない。
↓「姫路城を目指す」なら「迷う」というのは「在り得ない?」という程度に思うのだが、道路には確り案内標識が在った。それも全部アルファベットのモノだ。
↑書寫山、歴史博物館、美術館、姫路城と4箇所の名と距離を列記している看板だ。
こういうように「スッキリ!」とアルファベットだけという看板に好感を抱いた。余り見掛けない方式かもしれない。実際、この姫路城の天守閣が視える通を歩いたが、外国人と見受けられる人達を多く見掛けた。「日本の城というモノ?」として国外でも知名度が高いということなのであろう。
利用方法が判らなかったのだが、左側にはレンタル自転車と思しきモノも見受けられた。何やら面白そうである。
何度か立寄っている姫路だが、なかなかに面白そうで、もう少し“探検”したいような気もする街だ。
↓「姫路城を目指す」なら「迷う」というのは「在り得ない?」という程度に思うのだが、道路には確り案内標識が在った。それも全部アルファベットのモノだ。
↑書寫山、歴史博物館、美術館、姫路城と4箇所の名と距離を列記している看板だ。
こういうように「スッキリ!」とアルファベットだけという看板に好感を抱いた。余り見掛けない方式かもしれない。実際、この姫路城の天守閣が視える通を歩いたが、外国人と見受けられる人達を多く見掛けた。「日本の城というモノ?」として国外でも知名度が高いということなのであろう。
利用方法が判らなかったのだが、左側にはレンタル自転車と思しきモノも見受けられた。何やら面白そうである。
何度か立寄っている姫路だが、なかなかに面白そうで、もう少し“探検”したいような気もする街だ。
<feel the Destinations from UKB>…(2023.04.06)
↓所謂“トートバッグ”である。確りした厚地の布で造られたモノだ。
↑「UKB」とは神戸空港の3文字コードだ。「神戸空港からの行先を感じてみよう」という程の名が付けられているのであろうか。神戸空港を発着する各航空会社のモノが在って、今般の関西方面訪問で利用したスカイマーク航空のモノを入手した。確り「SKY MARK AIRLINES」と在り、「SKY」の3文字コード、「BC」の2文字コードも入っている。そして同社が神戸空港との間に路線を運航している行先の地名(札幌、仙台、茨城、羽田、長崎、鹿児島、沖縄、下地島)が在る。
神戸空港で売られていたグッズだ。今般、新千歳空港(札幌)との往復共にスカイマーク航空を利用したので、これを見た時に凄く嬉しくなって、この種のトートバッグは多々在るのだが、それでも「つい…」という感じで求めてしまった。
稚内に戻って、このトートバッグは時々使っている。
※ 写真そのものは、神戸空港から新千歳空港へ飛んだ後、辿り着いた札幌の宿の居室で撮っている。が、神戸空港の土産なので、記事は「兵庫県」のカテゴリに入れる。
↑「UKB」とは神戸空港の3文字コードだ。「神戸空港からの行先を感じてみよう」という程の名が付けられているのであろうか。神戸空港を発着する各航空会社のモノが在って、今般の関西方面訪問で利用したスカイマーク航空のモノを入手した。確り「SKY MARK AIRLINES」と在り、「SKY」の3文字コード、「BC」の2文字コードも入っている。そして同社が神戸空港との間に路線を運航している行先の地名(札幌、仙台、茨城、羽田、長崎、鹿児島、沖縄、下地島)が在る。
神戸空港で売られていたグッズだ。今般、新千歳空港(札幌)との往復共にスカイマーク航空を利用したので、これを見た時に凄く嬉しくなって、この種のトートバッグは多々在るのだが、それでも「つい…」という感じで求めてしまった。
稚内に戻って、このトートバッグは時々使っている。
※ 写真そのものは、神戸空港から新千歳空港へ飛んだ後、辿り着いた札幌の宿の居室で撮っている。が、神戸空港の土産なので、記事は「兵庫県」のカテゴリに入れる。
マンホールの蓋…:神戸・三宮(2023.04.06)
郵便ポスト…:姫路にて(2023.04.06)
姫路城へ向かって、姫路駅前の道の歩道をゆっくりと進んでいた。
↓こういうモノを眼に留めた。
↑普通に使用されている街中の郵便ポストだ。が、郵便ポストの赤系な色ではなく、黄色系に塗装され、何か画も色々と入っている。
↓姫路城の城主であった大名家の家紋が環状に並べられている。
↑環の上、藤の紋は黒田家のモノだ。かの黒田官兵衛の頃を起点に、幕末期迄に城主を務めた大名家の家紋が排されている訳だ。
↓反対側もこの家紋の環である。
少し趣向を凝らした郵便ポストは方々で見掛ける。姫路城に関連するデザインのポストに関しては、姫路郵便局で何箇所かに設置しているように見受けられ、少し目立っていた。
「世界遺産 国宝 姫路城」という看板は姫路では随分と視る。郵便ポストにまで在る訳だ。色々な意味合いで姫路城は「地域の象徴」なのだと改めて思った。
↓こういうモノを眼に留めた。
↑普通に使用されている街中の郵便ポストだ。が、郵便ポストの赤系な色ではなく、黄色系に塗装され、何か画も色々と入っている。
↓姫路城の城主であった大名家の家紋が環状に並べられている。
↑環の上、藤の紋は黒田家のモノだ。かの黒田官兵衛の頃を起点に、幕末期迄に城主を務めた大名家の家紋が排されている訳だ。
↓反対側もこの家紋の環である。
少し趣向を凝らした郵便ポストは方々で見掛ける。姫路城に関連するデザインのポストに関しては、姫路郵便局で何箇所かに設置しているように見受けられ、少し目立っていた。
「世界遺産 国宝 姫路城」という看板は姫路では随分と視る。郵便ポストにまで在る訳だ。色々な意味合いで姫路城は「地域の象徴」なのだと改めて思った。
ビルの谷間に?:神戸にて…(2023.04.06)
街の中には、趣向を凝らして「注目されるように…」と工夫しているモノが時々見受けられる。
↓神戸では等身大のアメコミヒーローに出くわす…
↑御店の前にさり気無く居る場合も、壁に貼り付いている場合も、この画のように入口辺りの屋根に載っている場合も在る。とりあえず、この南京町辺りで屋根に載っているのが目立ったので写真に収めた。
この等身大のアメコミヒーローは、神戸牛の店で「神戸牛」という看板の見える辺りに配置している。記念写真を撮るネタにということのようだ。そして記憶にも残り易い。実際「以前に神戸で寄ったあの店で牛肉を…神戸をまた訪ねるので是非!」と、看板を探して再訪という例も在るのだそうだ。
こういう意外なモノが街中に現れるのは少し愉しい。
↓神戸では等身大のアメコミヒーローに出くわす…
↑御店の前にさり気無く居る場合も、壁に貼り付いている場合も、この画のように入口辺りの屋根に載っている場合も在る。とりあえず、この南京町辺りで屋根に載っているのが目立ったので写真に収めた。
この等身大のアメコミヒーローは、神戸牛の店で「神戸牛」という看板の見える辺りに配置している。記念写真を撮るネタにということのようだ。そして記憶にも残り易い。実際「以前に神戸で寄ったあの店で牛肉を…神戸をまた訪ねるので是非!」と、看板を探して再訪という例も在るのだそうだ。
こういう意外なモノが街中に現れるのは少し愉しい。
鯱瓦…:姫路城(2023.04.06)
姫路城の周辺は広い都市緑地のような様相を呈している。そういうような「街の憩いの場所」という存在感の緑地を歩き廻るのも好い。播磨国総社 射楯兵主神社(はりまのくにそうしゃ いたてひょうずじんじゃ)の大きな「御門」に通じる道路が在る方向だと思いながら、緑地を歩き廻っていた。
↓こういうモノに出くわした。城の天守閣の屋根に載っている「鯱瓦」を再現したモノだ。
↑再現した「鯱瓦」が飾られている場所で、実際に「鯱瓦」を載せた建物の姿が視えているのも面白いと思った。
姿は魚のようで、頭は虎で、尾鰭は常に天を向き、背中に鋭い刺が在るという想像上の動物が鯱だ。それを模った瓦が「鯱瓦」ということになる。大きな建物に一対の「鯱瓦」を載せて“守り神”としたのだという。建物が火事の際には、水を噴き出して火を消すと言い伝えられていたそうだ。
こういうような屋根の飾りは、古くは寺院建築等で用いられた「鴟尾」(しび)に由来するという。安土桃山時代に城に大きな建物を建てるようになって以降、城の建物の意匠として流行ったのだという。
この緑地に再現された姫路城天守閣の「鯱瓦」だが、190㎝程度の高さであるという。なるほど、身長180㎝弱の自身よりも大きなモノだった。こういう具合に視ると大きさが判り易い。国内の城郭建築でも屈指な、大きな天守閣の屋根の上に在るというのでは「結構、大きいモノのようだが?如何程??」というように感じる。そういう意味で、こうやって見せてくれるのは有難い。
↓こういうモノに出くわした。城の天守閣の屋根に載っている「鯱瓦」を再現したモノだ。
↑再現した「鯱瓦」が飾られている場所で、実際に「鯱瓦」を載せた建物の姿が視えているのも面白いと思った。
姿は魚のようで、頭は虎で、尾鰭は常に天を向き、背中に鋭い刺が在るという想像上の動物が鯱だ。それを模った瓦が「鯱瓦」ということになる。大きな建物に一対の「鯱瓦」を載せて“守り神”としたのだという。建物が火事の際には、水を噴き出して火を消すと言い伝えられていたそうだ。
こういうような屋根の飾りは、古くは寺院建築等で用いられた「鴟尾」(しび)に由来するという。安土桃山時代に城に大きな建物を建てるようになって以降、城の建物の意匠として流行ったのだという。
この緑地に再現された姫路城天守閣の「鯱瓦」だが、190㎝程度の高さであるという。なるほど、身長180㎝弱の自身よりも大きなモノだった。こういう具合に視ると大きさが判り易い。国内の城郭建築でも屈指な、大きな天守閣の屋根の上に在るというのでは「結構、大きいモノのようだが?如何程??」というように感じる。そういう意味で、こうやって見せてくれるのは有難い。
姫路神社…(2023.04.06)
姫路城を訪ねる機会を設けることが叶った。神戸空港の利用に先駆け、神戸を通り過ぎて姫路に至り、あの姫路城の城下というのか、敷地を散策する等して愉しんだ。
そんな中で思い出した場所が在った。
↓姫路城の敷地の端側、都市緑地となっている辺りへ抜けるような場所に鳥居が在る。ここが姫路神社だ。
自身も含めた「地元以外の人達」には「然程知られていない?」という場所なのかもしれない。が、自身は2020年4月に立寄った経過が在った。姫路城の敷地を歩き廻っていて「そう言えば!?」と思い出したのだった。
↓境内の桜は盛りを完全に過ぎてしまっていた。散った花弁が地面に散る様が、何か麗しかった。
↑この様子を踏み荒らすべきではないと、境内の入口側に佇んで静かに眺めた。
↓鳥居の手前の木は、何か花の様子が好かった。
こういう場所も時には好い…
そんな中で思い出した場所が在った。
↓姫路城の敷地の端側、都市緑地となっている辺りへ抜けるような場所に鳥居が在る。ここが姫路神社だ。
自身も含めた「地元以外の人達」には「然程知られていない?」という場所なのかもしれない。が、自身は2020年4月に立寄った経過が在った。姫路城の敷地を歩き廻っていて「そう言えば!?」と思い出したのだった。
↓境内の桜は盛りを完全に過ぎてしまっていた。散った花弁が地面に散る様が、何か麗しかった。
↑この様子を踏み荒らすべきではないと、境内の入口側に佇んで静かに眺めた。
↓鳥居の手前の木は、何か花の様子が好かった。
こういう場所も時には好い…
<福寿>…(2023.04.12)
他地域へ出て、自身が住む辺りでは見掛ける機会が少ないような産品が売られている様子を眺めるのが好きだ。殊に、訪ねた地域で造られている酒類が並んでいるような場所を眺めるのが好い…
北海道へ引揚げる前、神戸空港に在った時だ。土産物等を売っている御店が空港ビル内に見受けられた。それらを眺めていると「これ…欲しい…」というモノを見付けてしまった。抱えて持ち帰るのはやや面倒なモノなのだが、送料を払って伝票を用意すれば、御店からモノは送って頂けるということが判った。一瞬考えて、そして求めてしまった…
↓求めたのはこういうモノだ…
神戸と隣の西宮には「灘」と呼ばれる地域が在って、酒造業で有名だ。江戸時代頃には、樽に詰めた酒を船積みして各地に送り出していた。灘は海が近く、輸送手段の船を利用し易い。そこで酒造の場所として、他の地域よりも抜きん出て行くこととなったのである。
その灘を擁する神戸の空港のビルで土産物を眺めていた。最初に眺めた辺りでは酒は扱っていない様子だった。「寂しい…」と思い、少し歩を進めて次に眺めた辺りに酒が在ったのだ。
↓求めたのは純米吟醸の<福寿>だ。様々な国の人達が集まる栄えある席で、「日本酒の代表」のように供されて好評を博している経過が在るようだ。
↓「神戸市東灘区」という住所がラベルに在る。正しく「灘の銘酒」である。
↓<福寿>は1751(宝暦元)年に起こった酒蔵に起源を有するという、伝統を誇る会社の製品だ。
↓果実のような吟醸香が心地好く、仄かに甘いような、芳醇な酒である。大阪錫器のタンブラーに注いで頂いた。
↑注がれた<福寿>の見た目や味だが、何か「仄かな甘みが在る白ワイン」というような雰囲気も在り、或いは外国の皆さんにも好評を博する感じかもしれない。
「健康上の課題」に鑑みて清酒は控えるようにしている面も在るが…それはそれ!灘の銘酒も時には好いであろう…
買い込んで、拙宅へ送ったのであれば、結果的に通販で取寄せているのと差は無いような気もする。が、違う!モノを造っている街で入手して、持ち運びの都合で送り込んだのだ。「気分」は大きく違う…
※ 写真そのものは稚内の拙宅で撮っているが、神戸の想い出に纏わるモノなので、記事は「兵庫県」のカテゴリに入れる。
北海道へ引揚げる前、神戸空港に在った時だ。土産物等を売っている御店が空港ビル内に見受けられた。それらを眺めていると「これ…欲しい…」というモノを見付けてしまった。抱えて持ち帰るのはやや面倒なモノなのだが、送料を払って伝票を用意すれば、御店からモノは送って頂けるということが判った。一瞬考えて、そして求めてしまった…
↓求めたのはこういうモノだ…
神戸と隣の西宮には「灘」と呼ばれる地域が在って、酒造業で有名だ。江戸時代頃には、樽に詰めた酒を船積みして各地に送り出していた。灘は海が近く、輸送手段の船を利用し易い。そこで酒造の場所として、他の地域よりも抜きん出て行くこととなったのである。
その灘を擁する神戸の空港のビルで土産物を眺めていた。最初に眺めた辺りでは酒は扱っていない様子だった。「寂しい…」と思い、少し歩を進めて次に眺めた辺りに酒が在ったのだ。
↓求めたのは純米吟醸の<福寿>だ。様々な国の人達が集まる栄えある席で、「日本酒の代表」のように供されて好評を博している経過が在るようだ。
↓「神戸市東灘区」という住所がラベルに在る。正しく「灘の銘酒」である。
↓<福寿>は1751(宝暦元)年に起こった酒蔵に起源を有するという、伝統を誇る会社の製品だ。
↓果実のような吟醸香が心地好く、仄かに甘いような、芳醇な酒である。大阪錫器のタンブラーに注いで頂いた。
↑注がれた<福寿>の見た目や味だが、何か「仄かな甘みが在る白ワイン」というような雰囲気も在り、或いは外国の皆さんにも好評を博する感じかもしれない。
「健康上の課題」に鑑みて清酒は控えるようにしている面も在るが…それはそれ!灘の銘酒も時には好いであろう…
買い込んで、拙宅へ送ったのであれば、結果的に通販で取寄せているのと差は無いような気もする。が、違う!モノを造っている街で入手して、持ち運びの都合で送り込んだのだ。「気分」は大きく違う…
※ 写真そのものは稚内の拙宅で撮っているが、神戸の想い出に纏わるモノなので、記事は「兵庫県」のカテゴリに入れる。
神戸空港→三宮:ポートライナー(2023.04.02)
神戸空港を発着する便の増便が図られて旅客が著しく増加したような場合、その輸送能力に少し不安が無い訳でもないかもしれないが、ポートライナーはなかなか便利だ。神戸空港から20分弱で、神戸市内の交通結節点である三宮に至る。
↓そのポートライナーの先頭車輌、進行方向の正面が見える辺りに乗車する機会を得た。左寄りの軌道に上って三宮を目指すことになる。
↑ポートライナーは遠隔操作ということになるのだと思うが、乗務員が乗車していない。特段に運転台の様になっているでもない正面に座ることが叶う場合も在る。
↓軌道は意外に複雑に曲がり、勾配区間も存外に多い。
↓海上の橋のような箇所を進むが、左の奥に街や港の灯りらしいモノが覗く。
↓既に暗くなったが、それでも街の灯りの向こうに、街の後背に拡がる山地の影が僅かに判る。
↑偶々、最近読んだ小説に、神戸では“山側”、“海側”という言い方が多用されるというようなネタが在ったというようなことも思い出していた。
↓幾つもの駅に停車しながらポートライナーは進む。
↓少し目立つ橋が見える。
↓左の橋は、神戸空港やその陸寄りの場所等、神戸港の人造の島と街とを結ぶ<神戸大橋>である。
↓橋の直ぐ脇、或いは橋の一部のような場所の軌道をポートライナーが駆ける。進行方向には街の大きな建物の灯りが覗く。
↓神戸大橋の辺りを過ぎると「もう少し…」という感がする。
↓街が近い…
↓高架の道路等が入り組んだように見えて少し面白い。
↓高架の道路の下を潜るように、高架の軌道が設えられている。
↓背が高い駐車場の高い階層に駐車中の車輌が眼に入り、何か不思議な光景に見えた。駅でポートライナーを待って居る時に、駐車場の車輌が何となく見える場合も在るかもしれないなどと思った。
↓三宮が近付く中、ビルの間のような場所を進む。反対方向へ進むポートライナーの前照灯が眩しい。強い光源が迫って来るかのような不思議な光景だ。
↓左折すると三宮の駅だ。
↓三宮に到着である…
暗くなった頃の神戸空港に下立ち、夜の帳に包まれ始めたような中を進んで三宮に至った。こんな様子を写真に収める機会が在ったのは好い。またポートライナーを利用する機会を設けてみたいものだ。
↓そのポートライナーの先頭車輌、進行方向の正面が見える辺りに乗車する機会を得た。左寄りの軌道に上って三宮を目指すことになる。
↑ポートライナーは遠隔操作ということになるのだと思うが、乗務員が乗車していない。特段に運転台の様になっているでもない正面に座ることが叶う場合も在る。
↓軌道は意外に複雑に曲がり、勾配区間も存外に多い。
↓海上の橋のような箇所を進むが、左の奥に街や港の灯りらしいモノが覗く。
↓既に暗くなったが、それでも街の灯りの向こうに、街の後背に拡がる山地の影が僅かに判る。
↑偶々、最近読んだ小説に、神戸では“山側”、“海側”という言い方が多用されるというようなネタが在ったというようなことも思い出していた。
↓幾つもの駅に停車しながらポートライナーは進む。
↓少し目立つ橋が見える。
↓左の橋は、神戸空港やその陸寄りの場所等、神戸港の人造の島と街とを結ぶ<神戸大橋>である。
↓橋の直ぐ脇、或いは橋の一部のような場所の軌道をポートライナーが駆ける。進行方向には街の大きな建物の灯りが覗く。
↓神戸大橋の辺りを過ぎると「もう少し…」という感がする。
↓街が近い…
↓高架の道路等が入り組んだように見えて少し面白い。
↓高架の道路の下を潜るように、高架の軌道が設えられている。
↓背が高い駐車場の高い階層に駐車中の車輌が眼に入り、何か不思議な光景に見えた。駅でポートライナーを待って居る時に、駐車場の車輌が何となく見える場合も在るかもしれないなどと思った。
↓三宮が近付く中、ビルの間のような場所を進む。反対方向へ進むポートライナーの前照灯が眩しい。強い光源が迫って来るかのような不思議な光景だ。
↓左折すると三宮の駅だ。
↓三宮に到着である…
暗くなった頃の神戸空港に下立ち、夜の帳に包まれ始めたような中を進んで三宮に至った。こんな様子を写真に収める機会が在ったのは好い。またポートライナーを利用する機会を設けてみたいものだ。
上空…:明石海峡大橋周辺(2022.04.02)
列車を乗り継いで新千歳空港へ至り、無事に上空へ出て神戸空港を目指していた。稚内や新千歳空港周辺と、神戸空港周辺とでは明るくなる時間帯や暗くなる時間帯に「些かの時間差」が在る。そういう関係も在るのかもしれないが、神戸空港周辺で搭乗機が高度を下げていた頃、辺りは未だ真っ暗という程でもなかった。
↓眼下に明石海峡大橋の一部が見えている。なかなかの迫力だ。
↓見えているのは、橋の本州側、神戸市の西端部辺りの様子だ。辺りの緑地の街灯に灯りが点き始めた様子だ。
↓画のやや左側の半ばより少し上辺りに特徴的な形に土が盛られている場所が判る。これは「五色塚古墳」だ。上空からこれだけハッキリと判るということは、相当に大きい筈だ…
↑所謂“前方後円墳”で、この場所は往時の雰囲気を再現しているらしい。残念ながら近くへ足尾運んで観た経過は無い。
↓明石海峡大橋や古墳が見える舞子公園という辺りは神戸市の西端部辺りで、この上空を過ぎると神戸の街中と港の間に浮かぶ神戸空港は近い。
↓何時の間にかという感で、搭乗機は神戸空港に着陸した。
天の旅で、何となく窓側の席を占めると、こういうように「上空からの眺望」を愉しむことが叶う場合も在る。こういうのも好い感じだと思う。
↓眼下に明石海峡大橋の一部が見えている。なかなかの迫力だ。
↓見えているのは、橋の本州側、神戸市の西端部辺りの様子だ。辺りの緑地の街灯に灯りが点き始めた様子だ。
↓画のやや左側の半ばより少し上辺りに特徴的な形に土が盛られている場所が判る。これは「五色塚古墳」だ。上空からこれだけハッキリと判るということは、相当に大きい筈だ…
↑所謂“前方後円墳”で、この場所は往時の雰囲気を再現しているらしい。残念ながら近くへ足尾運んで観た経過は無い。
↓明石海峡大橋や古墳が見える舞子公園という辺りは神戸市の西端部辺りで、この上空を過ぎると神戸の街中と港の間に浮かぶ神戸空港は近い。
↓何時の間にかという感で、搭乗機は神戸空港に着陸した。
天の旅で、何となく窓側の席を占めると、こういうように「上空からの眺望」を愉しむことが叶う場合も在る。こういうのも好い感じだと思う。
播磨国総社 射楯兵主神社(はりまのくにそうしゃ いたてひょうずじんじゃ):姫路
姫路駅前の路を真直ぐ進んで姫路城に至った後、城の敷地を歩き廻って、姫路神社が在って公園のようになっている側へ出る。そうすると姫路郵便局や大手前交番の辺りに至る。
↓姫路郵便局の直ぐ隣りのような場所の建物が酷く目立つ。これが「播磨国総社御門」というモノだという。
以前に姫路に立寄った際にも、この場所の大きな門の存在に気付いていたが、門を潜って中に入ってみたことは無かった。
↓門を潜ってみた。通路には兵庫県内の酒造会社が奉納した酒樽が積まれていた…
↓境内そのものに入る門が在った…
↓これが「播磨国総社」だ。総社で通っているようだが、射楯大神(いたてのおおかみ)と兵主大神(ひょうずのおおかみ)とを祀っていて、射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)という。
↓狛犬の感じが好い…
↓吽形は角が在る…
↓神の使いとされる「みゝづく」(ミミズク)である。
↓何となく気に入った像だ…
↓手水場の趣も好い…
↓最盛期は過ぎたかもしれないが、桜も好い感じだった。
↓姫路で心地好く過ごすことが叶ったことに感謝の意を表すべく、この社に参拝した。
↓境内の略案内図が在るが、さり気なく「みゝづく」(ミミズク)がキャラクター化されている。
↓古くからの神社で、戦国時代に活躍した黒田官兵衛のような人達も参詣しているようだ。そういう縁も念頭に、黒田官兵衛をキャラクター化していて、それが飲料の自販機に使われていた…
姫路やその周辺には、多分未だ訪ねたことがない興味深い場所は多く在るのだと思う。今般はこの総社を参拝してみたが、何となく姫路辺りとの縁が少し深まったかもしれないと勝手に思うようになった…
↓姫路郵便局の直ぐ隣りのような場所の建物が酷く目立つ。これが「播磨国総社御門」というモノだという。
以前に姫路に立寄った際にも、この場所の大きな門の存在に気付いていたが、門を潜って中に入ってみたことは無かった。
↓門を潜ってみた。通路には兵庫県内の酒造会社が奉納した酒樽が積まれていた…
↓境内そのものに入る門が在った…
↓これが「播磨国総社」だ。総社で通っているようだが、射楯大神(いたてのおおかみ)と兵主大神(ひょうずのおおかみ)とを祀っていて、射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)という。
↓狛犬の感じが好い…
↓吽形は角が在る…
↓神の使いとされる「みゝづく」(ミミズク)である。
↓何となく気に入った像だ…
↓手水場の趣も好い…
↓最盛期は過ぎたかもしれないが、桜も好い感じだった。
↓姫路で心地好く過ごすことが叶ったことに感謝の意を表すべく、この社に参拝した。
↓境内の略案内図が在るが、さり気なく「みゝづく」(ミミズク)がキャラクター化されている。
↓古くからの神社で、戦国時代に活躍した黒田官兵衛のような人達も参詣しているようだ。そういう縁も念頭に、黒田官兵衛をキャラクター化していて、それが飲料の自販機に使われていた…
姫路やその周辺には、多分未だ訪ねたことがない興味深い場所は多く在るのだと思う。今般はこの総社を参拝してみたが、何となく姫路辺りとの縁が少し深まったかもしれないと勝手に思うようになった…
姫路城…(2023.04.06)
時々思うことが在る。漠然と「日本の城」とでも言えば、多くの人達が思い浮かべる公約数的な感じは、「石垣の上に白い壁の大きな建物が聳え立って辺りを睥睨する」という感じで、固有名詞を出すなら或いは「姫路城」ということになるのではないだろうか?
大名の拠点としての姫路城は、諸説在るようだが、少なくとも南北朝時代の14世紀に登場しているのだという。大名の拠点として規模を拡げたのは、播磨の土着勢力であった時代の黒田官兵衛であるらしい。やがて羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の陣営が山陽道方面で活動する際の拠点となったようだ。その後、関ケ原の戦いを経て池田輝政が城主となると、一族で西日本に大きな知行地を抱えた池田陣営の総本部というようなことで大規模な改修が行われたのだという。そして現在も伝わるような姿になって行った。
明治期以降、色々な建物が取り壊される、傷んでしまうということも在ったようだが、天守閣等の多くの建物が補修されて保存されて行くこととなる。そして「往時の建物が伝えられている」という、貴重な城址になっている訳だ。
城址の建物に関しては、第2次大戦期の爆撃で焼失してしまっている例も多い。姫路も爆撃を受けた。が、夜間にレーダーを頼りに爆撃を行ったのだということで、城の濠に在る水がレーダーで判り、街外れの沼沢地か何かと見做して投下する爆弾を集中しなかったらしい。そして姫路城の建物は消失を免れた訳である。
そういう姫路城のことを想い起しながら、姫路駅から真直ぐと進む。明らかに外国人旅行者という風な人達が凄く多く、些か驚く。外国人旅行者の目線でも「日本の城」とでも言えば「あの姫路城というのが凄い」ということになるのかもしれない。国外にも広く紹介されていて、多くの人達が惹かれるようだ。
↓この時季は「城の建物と桜」を眺めながら敷地を散策というのが愉しいと思う。
↑以前に建物の中等はゆっくり観た経過が在る。そこでこの「城の建物と桜」を眺めることを愉しみたい訳だ。
↓姫路城の桜に関しては「散り始め」という話しが在った。が、盛りを過ぎたような雰囲気が少し在ったにしても、存外に桜は好い状態だった。
↓花の様子が伝えられる際の基準になる木…その木は確かに「散り始め」という様子に見えるが…
↓正しく「桜と天守閣」という風情だ。
↓脇の方にも廻り込みながら城や桜を眺めて愉しんだ。
↓こういう感じが気に入っている。
↓少し離れると濠も在る。
↓桜と城の建物が見える感じを、今般はゆっくりと愉しむことが叶ったという感じだ。
聞けば、明治期以降に城の辺りが公園か何かのようになって行った中で桜が植樹されることが盛んになったとのことで、江戸時代にはそれ程多くもなかったということであるらしい。経過は経過として、こうして桜の時季に華やかになるというのは好いように思う。
大名の拠点としての姫路城は、諸説在るようだが、少なくとも南北朝時代の14世紀に登場しているのだという。大名の拠点として規模を拡げたのは、播磨の土着勢力であった時代の黒田官兵衛であるらしい。やがて羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の陣営が山陽道方面で活動する際の拠点となったようだ。その後、関ケ原の戦いを経て池田輝政が城主となると、一族で西日本に大きな知行地を抱えた池田陣営の総本部というようなことで大規模な改修が行われたのだという。そして現在も伝わるような姿になって行った。
明治期以降、色々な建物が取り壊される、傷んでしまうということも在ったようだが、天守閣等の多くの建物が補修されて保存されて行くこととなる。そして「往時の建物が伝えられている」という、貴重な城址になっている訳だ。
城址の建物に関しては、第2次大戦期の爆撃で焼失してしまっている例も多い。姫路も爆撃を受けた。が、夜間にレーダーを頼りに爆撃を行ったのだということで、城の濠に在る水がレーダーで判り、街外れの沼沢地か何かと見做して投下する爆弾を集中しなかったらしい。そして姫路城の建物は消失を免れた訳である。
そういう姫路城のことを想い起しながら、姫路駅から真直ぐと進む。明らかに外国人旅行者という風な人達が凄く多く、些か驚く。外国人旅行者の目線でも「日本の城」とでも言えば「あの姫路城というのが凄い」ということになるのかもしれない。国外にも広く紹介されていて、多くの人達が惹かれるようだ。
↓この時季は「城の建物と桜」を眺めながら敷地を散策というのが愉しいと思う。
↑以前に建物の中等はゆっくり観た経過が在る。そこでこの「城の建物と桜」を眺めることを愉しみたい訳だ。
↓姫路城の桜に関しては「散り始め」という話しが在った。が、盛りを過ぎたような雰囲気が少し在ったにしても、存外に桜は好い状態だった。
↓花の様子が伝えられる際の基準になる木…その木は確かに「散り始め」という様子に見えるが…
↓正しく「桜と天守閣」という風情だ。
↓脇の方にも廻り込みながら城や桜を眺めて愉しんだ。
↓こういう感じが気に入っている。
↓少し離れると濠も在る。
↓桜と城の建物が見える感じを、今般はゆっくりと愉しむことが叶ったという感じだ。
聞けば、明治期以降に城の辺りが公園か何かのようになって行った中で桜が植樹されることが盛んになったとのことで、江戸時代にはそれ程多くもなかったということであるらしい。経過は経過として、こうして桜の時季に華やかになるというのは好いように思う。