期せずして「第11旅団設立16周年・真駒内駐屯地開庁70周年記念行事」の現場に居合わせることになった。日頃は間近に見るでもない特殊な車輛を観る機会は貴重で興味深い。
↓これも興味深い。
↓8輪車の上に、戦車同様に旋回する砲塔を載せている。
これは「16式機動戦闘車」(ひとろくしききどうせんとうしゃ)というモノだ。「装輪戦車」とも呼ばれるが、「戦車」という程度の重装甲でもなく、履帯で泥濘や砂漠や雪原を踏破するというのでもない。が、日本国内のような場所では、この方式の車輛はより動き易いと言える。90式戦車は強力だが、国内では動き悪い代物で、実戦部隊への配備は北海道だけであるという。他地域では、教育や研修のための場所に在るだけらしい。そういう事情で新しい10式戦車が造られた。この16式機動戦闘車は、10式戦車と並行して各地に配備するべく造られいるということのようだ。
↓「16式」の名が示すように、2016年から配備されているという新型車である。
↓砲塔の形状に「新しさ」を感じる。
今般は、偶々近くを訪ねたということでこの催事に出くわした。非常に好かった。
90式戦車…:「第11旅団設立16周年・真駒内駐屯地開庁70周年記念行事」(2024.06.09)
札幌の地下鉄南北線の南側終点は真駒内駅で、その手前は自衛隊前駅だ。陸上自衛隊の真駒内駐屯地の眼の前に地下鉄駅が在る。古くは駐屯地の一部が「雪まつり」の会場になっていて、自衛隊の皆さんが造った大きな雪の滑り台や、雪の壁を組合わせて設えた迷路が在った。幼少の頃、親父殿に連れられて訪ねたという記憶も微かに在る。
その自衛隊前駅の辺りには明治時代に製造され、大正期から昭和初期に札幌の街を走っていた路面電車が観られる<札幌市交通資料館>が在る。そこを訪ねたのだが、真駒内駐屯地の広い敷地が見える辺りを歩いた。
真駒内駐屯地の広い敷地は、漫然と歩いても何となく見えるのだが、何か様子が妙だった。物々しい車輛が少し広い辺りを走行している様子が見えた。少し前に観た映画の『ゴールデンカムイ』に、騒ぎが起こった現場に駆け付けた敵役が「何事なのだ!?」と台詞を発する場面が在ったのだが、正しくその人物のように「何事なのだ!?」という言葉が口を突いた。
↓こういう車輛が走り回っていれば、如何に陸上自衛隊の駐屯地の敷地内とは言え、少し驚いて「何事なのだ!?」という程度に思ってしまう。
↓「第11旅団設立16周年・真駒内駐屯地開庁70周年記念行事」で真駒内駐屯地が一般開放ということになり、「展示」ということで車輛を動かしていたのだ。
↑北海道に多く配備されているという90式戦車(きゅうまるしきせんしゃ)だ。
↓履帯で走る車輛だ。車高を調整して、戦車砲の角度も変えられる。
↓砲塔が旋回する。
↓砲塔が逆を向いた。前と後ろとは違うにしても、戦車はどちらの方向にも自由に動き回ることが出来、状況に応じて色々な方向に戦車砲を向けて撃てる出来る訳だ。
↓砲塔は一周した。
↓間近で見るとなかなかの迫力だ。
「士魂」という部隊章が砲塔に描き込まれている。「第11旅団」という所属となるのだが、「十一」を縦に並べると「士」という文字になることに因んでいると想像した。実は、1945(昭和20)年8月の占守島の戦いで「第11連隊」という部隊が戦った。彼らは車輛等に「士」というマークを描き込んでいたという。これは「十一」を縦に並べると「士」という文字になり、、「武士」、「士魂」、「士道」という語に通じることに因んだのだと伝わる。占守島の戦いで使用された、当時の日本軍の車輛に関しては、ユジノサハリンスクの博物館で観ているが、そこにも「士」のマークは確り在った。
期せずして興味深いモノを拝見した。
その自衛隊前駅の辺りには明治時代に製造され、大正期から昭和初期に札幌の街を走っていた路面電車が観られる<札幌市交通資料館>が在る。そこを訪ねたのだが、真駒内駐屯地の広い敷地が見える辺りを歩いた。
真駒内駐屯地の広い敷地は、漫然と歩いても何となく見えるのだが、何か様子が妙だった。物々しい車輛が少し広い辺りを走行している様子が見えた。少し前に観た映画の『ゴールデンカムイ』に、騒ぎが起こった現場に駆け付けた敵役が「何事なのだ!?」と台詞を発する場面が在ったのだが、正しくその人物のように「何事なのだ!?」という言葉が口を突いた。
↓こういう車輛が走り回っていれば、如何に陸上自衛隊の駐屯地の敷地内とは言え、少し驚いて「何事なのだ!?」という程度に思ってしまう。
↓「第11旅団設立16周年・真駒内駐屯地開庁70周年記念行事」で真駒内駐屯地が一般開放ということになり、「展示」ということで車輛を動かしていたのだ。
↑北海道に多く配備されているという90式戦車(きゅうまるしきせんしゃ)だ。
↓履帯で走る車輛だ。車高を調整して、戦車砲の角度も変えられる。
↓砲塔が旋回する。
↓砲塔が逆を向いた。前と後ろとは違うにしても、戦車はどちらの方向にも自由に動き回ることが出来、状況に応じて色々な方向に戦車砲を向けて撃てる出来る訳だ。
↓砲塔は一周した。
↓間近で見るとなかなかの迫力だ。
「士魂」という部隊章が砲塔に描き込まれている。「第11旅団」という所属となるのだが、「十一」を縦に並べると「士」という文字になることに因んでいると想像した。実は、1945(昭和20)年8月の占守島の戦いで「第11連隊」という部隊が戦った。彼らは車輛等に「士」というマークを描き込んでいたという。これは「十一」を縦に並べると「士」という文字になり、、「武士」、「士魂」、「士道」という語に通じることに因んだのだと伝わる。占守島の戦いで使用された、当時の日本軍の車輛に関しては、ユジノサハリンスクの博物館で観ているが、そこにも「士」のマークは確り在った。
期せずして興味深いモノを拝見した。
「10形22号車」または「木製22号車」…:<札幌市交通資料館>(2024.06.09)
↓これが観たかった!さっぽろ駅で地下鉄南北線に乗って街を南下し、真駒内駅の手前、自衛隊前駅で下車して<札幌市交通資料館>に足を運んだ。
↑「前場車停」(停車場前)と正面に掲出されている。「停車場」とは、札幌の街では「札幌駅」に他ならない。古くは「停車場」と呼ばれていたのだ。嘗ては札幌駅の辺りに路面電車の停留所が多々在って、街の方々との間が結ばれていた経過が在る訳だ。
↓乗務員が乗って運転をする場所が半ば剥き出しで、乗客が入る部屋が設えられている。かなり旧い路面電車の造りだ。
「10形22号車」という車輛で、「木製22号車」という通称だ。車体が木製なのだ。1901(明治34)年に名古屋で製造された。「明治生まれ」である。1918(大正7)年に札幌に初めて登場した路面電車は、この型の車輛で運行された。1936(昭和11)年まで運行されていた。そして保存された。2013(平成25)年から愛知県の<博物館明治村>に展示―製造された=産れた場所である愛知県へ帰省していたことになる…―されていたが、<札幌市交通資料館>の新たな展示棟が完成したので2023(令和5)年に札幌に戻って来たのだそうだ。
↓流石にこういう「明治生まれ」な車輛が運行されている様は観たことが無いが、こういう展示を眺めるのは非常に興味深い。
↓車内の感じだ。この電車に揺られて「停車場」辺りへ向かっていた人達の話し声を想像しながら眺めた。
↓こんなに興味深い車輛が札幌で観られる。非常に好い!
↑「前場車停」(停車場前)と正面に掲出されている。「停車場」とは、札幌の街では「札幌駅」に他ならない。古くは「停車場」と呼ばれていたのだ。嘗ては札幌駅の辺りに路面電車の停留所が多々在って、街の方々との間が結ばれていた経過が在る訳だ。
↓乗務員が乗って運転をする場所が半ば剥き出しで、乗客が入る部屋が設えられている。かなり旧い路面電車の造りだ。
「10形22号車」という車輛で、「木製22号車」という通称だ。車体が木製なのだ。1901(明治34)年に名古屋で製造された。「明治生まれ」である。1918(大正7)年に札幌に初めて登場した路面電車は、この型の車輛で運行された。1936(昭和11)年まで運行されていた。そして保存された。2013(平成25)年から愛知県の<博物館明治村>に展示―製造された=産れた場所である愛知県へ帰省していたことになる…―されていたが、<札幌市交通資料館>の新たな展示棟が完成したので2023(令和5)年に札幌に戻って来たのだそうだ。
↓流石にこういう「明治生まれ」な車輛が運行されている様は観たことが無いが、こういう展示を眺めるのは非常に興味深い。
↓車内の感じだ。この電車に揺られて「停車場」辺りへ向かっていた人達の話し声を想像しながら眺めた。
↓こんなに興味深い車輛が札幌で観られる。非常に好い!
さっぽろ駅…(2024.04.13)
“さっぽろ駅”(地下鉄の駅)に至ってから“札幌駅”(JRの駅)に出て、ロッカーに嵩張るモノを預けた。そして再度“さっぽろ駅”に入り、地下鉄を利用して動き廻ることにした。
↓何となく眼に留めた。
↑「次は8時6分に列車が…」という程度に思って見たが、よく見れば下側に「2つ前の駅に到着」と表示される。
↓やがて「前の駅に到着」という表示になる。
↓そして「まもなく電車が到着」である。何やら凝った案内表示のように思った。
↓案内のとおり、5000形電車が独特な音で現れた。
↓停車に向けて減速している。
こういうような、地下鉄駅での列車発着案内というようなモノも、色々と工夫して判り易いようにしているということに気付く。
↓何となく眼に留めた。
↑「次は8時6分に列車が…」という程度に思って見たが、よく見れば下側に「2つ前の駅に到着」と表示される。
↓やがて「前の駅に到着」という表示になる。
↓そして「まもなく電車が到着」である。何やら凝った案内表示のように思った。
↓案内のとおり、5000形電車が独特な音で現れた。
↓停車に向けて減速している。
こういうような、地下鉄駅での列車発着案内というようなモノも、色々と工夫して判り易いようにしているということに気付く。
すすきの駅…(2024.04.13)
↓すすきの駅に入り込んだ。1971(昭和46)年に開業の地下鉄南北線は、札幌では最初の地下鉄で、相対的に浅めな地下に軌道が築かれていると思う。こういう案内が在る辺りへ階段を下りる経路も短めだ。
↑北側へ進む列車に乗る辺りに入り込んだのだった。2006(平成18)年から南北線の駅には「N」で始まる番号が付けられるようになった。すすきの駅は「N08」だ。
↓すすきの駅は対面式のホームで列車に乗降する。フランスのパリで見受けられるという、ゴムタイヤ装着の車輌が行き交うので、列車が現れる時の音が独特だ。
↓南北線の駅では2012(平成24)年から2013(平成25)年頃であったそうだが、ホーム扉が各駅のホームに据えられている。何時の間にか、このホーム扉も見慣れたモノになった。(登場して日が浅かった頃に見掛て「コレ?何??」と思ったものだった…)
↑現行の5000形電車は1995(平成7)年に初登場した。他所の大都市圏で見受けられる「4扉」の車輌で、北海道では他に例が無いモノだ。
時には地下鉄で動き廻るのも愉しい感じがする。
↑北側へ進む列車に乗る辺りに入り込んだのだった。2006(平成18)年から南北線の駅には「N」で始まる番号が付けられるようになった。すすきの駅は「N08」だ。
↓すすきの駅は対面式のホームで列車に乗降する。フランスのパリで見受けられるという、ゴムタイヤ装着の車輌が行き交うので、列車が現れる時の音が独特だ。
↓南北線の駅では2012(平成24)年から2013(平成25)年頃であったそうだが、ホーム扉が各駅のホームに据えられている。何時の間にか、このホーム扉も見慣れたモノになった。(登場して日が浅かった頃に見掛て「コレ?何??」と思ったものだった…)
↑現行の5000形電車は1995(平成7)年に初登場した。他所の大都市圏で見受けられる「4扉」の車輌で、北海道では他に例が無いモノだ。
時には地下鉄で動き廻るのも愉しい感じがする。
クロッカス…:札幌・円山動物園(2024.04.13)
8階の眺望…:朝(2024.04.13)
「休日」ということになる土曜日としては「朝早く」という感なのかもしれない。が、自身としては午前7時台というような時間帯は、曜日を問わず、別段に早いとも思わない時間帯だ。
↓前夜に泊った宿から出ようと、廊下の窓が在る辺りを通った。そして眺めた。
↑夜の同じ場所とは雰囲気や様子が大きく異なる。
こういうような雰囲気も好きだ。
↓前夜に泊った宿から出ようと、廊下の窓が在る辺りを通った。そして眺めた。
↑夜の同じ場所とは雰囲気や様子が大きく異なる。
こういうような雰囲気も好きだ。
カットステーキ…:<LECKER>:札幌駅北口(2024.04.14)
何度も訪ねていて、泊った経過も在る小樽だが、何か今般は殊更に思い出深いような感で、少しゆっくりしてから札幌へ列車で移動した。
↓札幌駅北口、西寄りな側から出て佇んだ時の眺めだ。
↑出口から出て直ぐの横断歩道を渡れば、眼前に建物が在る。この建物の1階にはコンビニが在って時々利用している。更に各階には色々な御店が入っている。
↓2階が食事を摂りながら寛ぎ易い感じの御店だ。
今般、札幌で所用が在って、それに備えて前日には札幌に着いて泊るというように、所用が確定した段階で準備した。それに先駆けて他の用事も加わり、更に少しばかり時間を設けて気儘に過ごしたということになる。
その早くから準備していた宿のチェックインが可能な時間帯迄、やや遅めな昼食を愉しみながら一息入れるのが好さそうな時間帯に札幌駅に辿り着いた訳だ。
↓御店に御邪魔して、御通しのナッツを摘まんでハイボールを頂きながら、料理の登場を待つことになった。
↓カットステーキを御願いした。
↓ソーセージを加えることにした。この御店のソーセージは好い。
↓こういう感じで供される。サラダとスープも付く。米飯も在るが、敢えて少な目ということにした。
こういう食事を愉しみ、ハイボールを追加し、珈琲も頂いて寛いだ。好かった。
↓札幌駅北口、西寄りな側から出て佇んだ時の眺めだ。
↑出口から出て直ぐの横断歩道を渡れば、眼前に建物が在る。この建物の1階にはコンビニが在って時々利用している。更に各階には色々な御店が入っている。
↓2階が食事を摂りながら寛ぎ易い感じの御店だ。
今般、札幌で所用が在って、それに備えて前日には札幌に着いて泊るというように、所用が確定した段階で準備した。それに先駆けて他の用事も加わり、更に少しばかり時間を設けて気儘に過ごしたということになる。
その早くから準備していた宿のチェックインが可能な時間帯迄、やや遅めな昼食を愉しみながら一息入れるのが好さそうな時間帯に札幌駅に辿り着いた訳だ。
↓御店に御邪魔して、御通しのナッツを摘まんでハイボールを頂きながら、料理の登場を待つことになった。
↓カットステーキを御願いした。
↓ソーセージを加えることにした。この御店のソーセージは好い。
↓こういう感じで供される。サラダとスープも付く。米飯も在るが、敢えて少な目ということにした。
こういう食事を愉しみ、ハイボールを追加し、珈琲も頂いて寛いだ。好かった。
キーホルダーとリュックサック…(2024.04.15)
昨年末に大阪でリュックサックを求めたという経過が在った。それを持って北上して使い続けている。その後、2月に所用で動き廻った際にも使ったのだったが、今般も使っていた。
↓現在、リュックサックはこういう感じになっている。札幌で写真に撮った。
↑旭川や札幌で眼に留めたキーホルダーが気に入って、衝動的に入手してしまった。札幌の宿で、一寸着けてみたのだ。
↓旭川で入手した「JR北海道グッズ」ということになるモノだ。
↓旭川・稚内間の特急列車である<サロベツ>の列車愛称のマークだ。
↓裏側は嘗て使われていたキハ183系ディーゼルカーの画である。
↓これは稚内に初登場であったキハ261系ディーゼルカーの先頭や後尾に出ている画だ。
↓裏側にキハ261系ディーゼルカーの画で、札幌・旭川・稚内で運行の<宗谷>、旭川・稚内間の<サロベツ>として活躍している旨が紹介されている。
↓これは札幌の円山動物園で求めた。シマフクロウである。
↑シマフクロウは<IWOR-UN-PASE-KAMUY>(イウォルン パセ カムイ)と呼ばれる、アイヌの村の守護神である。円山動物園で観た。居た場所の、寧ろケージに焦点が合ってしまい、写真は巧く撮れなかった。それはそれとして、「守護神」を手近に置くのも好いかもしれないとこれを入手したのだ。
↓そういう色々が集まった訳だ。
愛用品に目印になるモノでも着ければ愛着は増すと思う。このリュックサックも大事に愛用したい。
↓現在、リュックサックはこういう感じになっている。札幌で写真に撮った。
↑旭川や札幌で眼に留めたキーホルダーが気に入って、衝動的に入手してしまった。札幌の宿で、一寸着けてみたのだ。
↓旭川で入手した「JR北海道グッズ」ということになるモノだ。
↓旭川・稚内間の特急列車である<サロベツ>の列車愛称のマークだ。
↓裏側は嘗て使われていたキハ183系ディーゼルカーの画である。
↓これは稚内に初登場であったキハ261系ディーゼルカーの先頭や後尾に出ている画だ。
↓裏側にキハ261系ディーゼルカーの画で、札幌・旭川・稚内で運行の<宗谷>、旭川・稚内間の<サロベツ>として活躍している旨が紹介されている。
↓これは札幌の円山動物園で求めた。シマフクロウである。
↑シマフクロウは<IWOR-UN-PASE-KAMUY>(イウォルン パセ カムイ)と呼ばれる、アイヌの村の守護神である。円山動物園で観た。居た場所の、寧ろケージに焦点が合ってしまい、写真は巧く撮れなかった。それはそれとして、「守護神」を手近に置くのも好いかもしれないとこれを入手したのだ。
↓そういう色々が集まった訳だ。
愛用品に目印になるモノでも着ければ愛着は増すと思う。このリュックサックも大事に愛用したい。
ホットドッグ…:<LECKER>:札幌駅北口(2024.04.13)
地下鉄の“さっぽろ駅”から地上に上り、JRの“札幌駅”の北口、西寄りな出入口辺りに出た。とりあえず一息入れようという場合、殊に土曜日の昼というようなことであれば、南側は混み合う度合いが強い。多分、北側が少し落ち着くと思う。
思ったとおり、北側は酷く混み合っているのでもなかった。小樽駅を目指そうとしていた。ゆっくりと移動し、御願いしていた宿に入る。チェックインを受け付け始めるような時間帯に宿に着けば好い訳で、慌てる必要も無い。
↓眼に留まった御店に入って休むことにした。御願いしてみたホットドッグだ。実は「ホットドッグ」というモノがかなり好きなのだ。
↑ソーセージが凄く好かった。岩見沢の自社工場という所で造っているというソーセージらしい。歯応えが好く、肉の味が確りして、程好くスパイスが利いている。
↓そしてこの御店は「こういう真似」が大きな顔で出来る。少し精力的に歩き廻って「暫し休憩」という感じで立寄るには好適だ。
↓ハイボールも頼んで、グラスを傾けながらホットドッグを頂いて暫し寛いだ。
札幌駅の直ぐ傍に、好い場所を見付けた。通常は、朝から夜迄開けている御店であるようだ。歩き廻って、居心地の好い場所を見出すというのも、出先の街での一寸した愉しみだ。
思ったとおり、北側は酷く混み合っているのでもなかった。小樽駅を目指そうとしていた。ゆっくりと移動し、御願いしていた宿に入る。チェックインを受け付け始めるような時間帯に宿に着けば好い訳で、慌てる必要も無い。
↓眼に留まった御店に入って休むことにした。御願いしてみたホットドッグだ。実は「ホットドッグ」というモノがかなり好きなのだ。
↑ソーセージが凄く好かった。岩見沢の自社工場という所で造っているというソーセージらしい。歯応えが好く、肉の味が確りして、程好くスパイスが利いている。
↓そしてこの御店は「こういう真似」が大きな顔で出来る。少し精力的に歩き廻って「暫し休憩」という感じで立寄るには好適だ。
↓ハイボールも頼んで、グラスを傾けながらホットドッグを頂いて暫し寛いだ。
札幌駅の直ぐ傍に、好い場所を見付けた。通常は、朝から夜迄開けている御店であるようだ。歩き廻って、居心地の好い場所を見出すというのも、出先の街での一寸した愉しみだ。
通路…:円山公園駅…:地下鉄東西線:札幌(2024.04.13)
思い立って北海道神宮を訪ね、そのまま円山動物園に足を延ばして園内で過ごした。何か朝から精力的に歩き廻ったような感じだった。
動物園の後に<KFC>で道草し、更に歩いた。
↓地下鉄の円山公園駅の出入口だ。
↑ゆっくりと階段を下りた。陽射しが少し強い気がしていたので、地下通路に入るとやや心地好い気もした。
↓電車に乗る場所へ通じる通路だ。
↑改めて眺めたが、動物園を意識したタイル―円山動物園には居ない動物等も見受けられるが…―の床に、カラフルな壁材を組合わせた様子が、独特な空気感を醸し出していると思った。
こういうような、地下鉄駅の通路というようなモノも、観ていると意外に面白いと思う場合が在る。
動物園の後に<KFC>で道草し、更に歩いた。
↓地下鉄の円山公園駅の出入口だ。
↑ゆっくりと階段を下りた。陽射しが少し強い気がしていたので、地下通路に入るとやや心地好い気もした。
↓電車に乗る場所へ通じる通路だ。
↑改めて眺めたが、動物園を意識したタイル―円山動物園には居ない動物等も見受けられるが…―の床に、カラフルな壁材を組合わせた様子が、独特な空気感を醸し出していると思った。
こういうような、地下鉄駅の通路というようなモノも、観ていると意外に面白いと思う場合が在る。
アジアゾウ…:札幌・円山動物園(2024.04.13)
↓ゾウが居た!大きな動物なので、凄い存在感だ。
↑「アジアゾウ」と呼ばれる種類だ。インド、インドネシアのスマトラ島やボルネオ島、カンボジア、スリランカ、タイ、中国、ネパール、バングラデシュ、マレーシア、ミャンマーと広く分布し、森林で暮らす動物なのだそうだ。
↓牝の成獣と幼獣で群れを作って暮らすのだそうだ。牡の成獣は離れて暮らすという。
↑立寄った際、円山動物園ではこの牝の成獣と幼獣の群れが公開されていた。
「動物園の動物」とでも言えば、ゾウは思い浮かび易い。円山動物園では1953(昭和28)年からゾウを飼育していた。そして2007(平成19)年に長く愛されたゾウが「推定60歳」ということで死去してしまった。以来、ゾウは長く居なかったのだが、調査研究を重ねながら準備し、2019(平成30)年に4頭のゾウを新たに迎えた。
↓ゾウ達はミャンマーからやって来た。加えて、1頭の仔象が円山動物園で生れている。小さいゾウが、他のゾウ達の傍でチョコチョコと動くような感じで可愛らしかった。
↓ミャンマーの施設で保護されていたゾウを譲り受けており、保護対象のゾウに記す☆のマークが見える。
↓ゾウを眺めるのも愉しい。寒い時季等に過ごす屋内展示場も在るが、この時は戸外に在った。天候に恵まれ、少し温かかったので、ゾウ達も心地好さそうに見えた。
ゾウ達が大切に育まれ、次世代へ生命が引き継がれるという大切な活動が成功することを祈るばかりである。
↑「アジアゾウ」と呼ばれる種類だ。インド、インドネシアのスマトラ島やボルネオ島、カンボジア、スリランカ、タイ、中国、ネパール、バングラデシュ、マレーシア、ミャンマーと広く分布し、森林で暮らす動物なのだそうだ。
↓牝の成獣と幼獣で群れを作って暮らすのだそうだ。牡の成獣は離れて暮らすという。
↑立寄った際、円山動物園ではこの牝の成獣と幼獣の群れが公開されていた。
「動物園の動物」とでも言えば、ゾウは思い浮かび易い。円山動物園では1953(昭和28)年からゾウを飼育していた。そして2007(平成19)年に長く愛されたゾウが「推定60歳」ということで死去してしまった。以来、ゾウは長く居なかったのだが、調査研究を重ねながら準備し、2019(平成30)年に4頭のゾウを新たに迎えた。
↓ゾウ達はミャンマーからやって来た。加えて、1頭の仔象が円山動物園で生れている。小さいゾウが、他のゾウ達の傍でチョコチョコと動くような感じで可愛らしかった。
↓ミャンマーの施設で保護されていたゾウを譲り受けており、保護対象のゾウに記す☆のマークが見える。
↓ゾウを眺めるのも愉しい。寒い時季等に過ごす屋内展示場も在るが、この時は戸外に在った。天候に恵まれ、少し温かかったので、ゾウ達も心地好さそうに見えた。
ゾウ達が大切に育まれ、次世代へ生命が引き継がれるという大切な活動が成功することを祈るばかりである。
円山公園駅…:地下鉄東西線:札幌(2024.04.13)
札幌で朝から地下鉄を利用した。
すすきの駅からさっぽろ駅へ移動し、嵩張るモノを札幌駅のロッカーに預けた。(※札幌では、地下鉄が「さっぽろ駅」でJRが「札幌駅」である。)
さっぽろ駅から大通駅へ移動し、乗換えて円山公園駅に至った。
↓地下鉄各路線が交差する街の真中に在る大通駅から西へ進んだ円山公園駅は、評価の高い住宅地の傍でもあるが、様々あ施設が立地している場所に在る。
↑多少、驚く程度に多くの場所への「←」が記された案内が掲出されていた。
↓北海道神宮や、その先の円山動物園の側の出口を目指した。通路の床面が面白い。
↑円山動物園へ続く出口ということで、床タイルに動物のイラストを入れている。が…パンダやイルカは円山動物園には居ない。
↓地上への出口に至った。
↓地下鉄で着いて方々へ向かう人達のために、駅出入口周辺にも案内板が掲出されている。
こういう感じも少し好きだ。
すすきの駅からさっぽろ駅へ移動し、嵩張るモノを札幌駅のロッカーに預けた。(※札幌では、地下鉄が「さっぽろ駅」でJRが「札幌駅」である。)
さっぽろ駅から大通駅へ移動し、乗換えて円山公園駅に至った。
↓地下鉄各路線が交差する街の真中に在る大通駅から西へ進んだ円山公園駅は、評価の高い住宅地の傍でもあるが、様々あ施設が立地している場所に在る。
↑多少、驚く程度に多くの場所への「←」が記された案内が掲出されていた。
↓北海道神宮や、その先の円山動物園の側の出口を目指した。通路の床面が面白い。
↑円山動物園へ続く出口ということで、床タイルに動物のイラストを入れている。が…パンダやイルカは円山動物園には居ない。
↓地上への出口に至った。
↓地下鉄で着いて方々へ向かう人達のために、駅出入口周辺にも案内板が掲出されている。
こういう感じも少し好きだ。
北海道神宮…(2024.04.13)
↓非常に大きな門が据えられた神社である。
↓大きく太い注連縄が飾られている。
稚内から南下する列車の車中で出くわした“車内誌”に島義勇のことが紹介されていた。「没後150年」と偶々気付いた。4月13日朝には札幌に在ることになっていたので、北海道神宮の像を観に行こうと思い立った。
↓神社を興す契機を作った人物に纏わる話題に偶々出くわし、その人物が他界した「4月13日」という日付が同じ日に、銅像が在る札幌に在る。好き偶然がもたらされたことに、加えて前日の所用が無事に足り、夕刻からも愉しく過ごせたということで、北海道神宮に参拝して感謝の意を表した。、
↓境内の建物の、一寸した造り込みが、観て面白いと思う。
↓時には公園散策して、その足で参拝というのも好いかもしれない。
↓大きく太い注連縄が飾られている。
稚内から南下する列車の車中で出くわした“車内誌”に島義勇のことが紹介されていた。「没後150年」と偶々気付いた。4月13日朝には札幌に在ることになっていたので、北海道神宮の像を観に行こうと思い立った。
↓神社を興す契機を作った人物に纏わる話題に偶々出くわし、その人物が他界した「4月13日」という日付が同じ日に、銅像が在る札幌に在る。好き偶然がもたらされたことに、加えて前日の所用が無事に足り、夕刻からも愉しく過ごせたということで、北海道神宮に参拝して感謝の意を表した。、
↓境内の建物の、一寸した造り込みが、観て面白いと思う。
↓時には公園散策して、その足で参拝というのも好いかもしれない。
島義勇判官銅像…:北海道神宮(2024.04.13)
↓少し昔の衣装に身を包んだような男性の像だ。北海道神宮の境内の手前、大きな門の横に在る。
↑この像の人物は島義勇(しまよしたけ)(1822-1874)である。幕末期から明治初期に活躍した人物ということになる。
北海道神宮へ足を運んでこの銅像を観ようと思い立った契機は前日だった。
↓特急列車には「車内誌」と呼ばれるモノが在る。時々手にして読む。稚内・旭川間でこれを引っ張り出した。
↓中にこういう記事が在って、大変に愉しく、興味深く拝読したのだった。
↑以前から関心を寄せる史上の人物でもあり、記事で紹介されている、伝記的な情報が判る本の中には読んだ記憶が在るモノも見受けられた。
島義勇は佐賀の鍋島家中の士であった。優秀な人材で将来を嘱望され、色々な役目を務めた経過が在る。明治期に入ると「蝦夷開拓御用掛」となった。幕末期、現代風に言えば「他所の機関へ出向」というような感じで箱館奉行に従って仕事をしていた時期が在り、蝦夷地(北海道や樺太)への渡航も経験していて『入北記』という記録も著しているのだという。やがて<開拓使>が設けられると、島義勇は開拓判官という役に就くこととなり、北海道での仕事に携わるようになって行く。
<開拓使>はとりあえず箱館(現在の函館)で活動に着手したが、石狩地方の開けた場所に街を築き、そこを開拓使本府とするということになった。島義勇はその候補地に乗込むこととした。その候補地の石狩地方に入って、現在の札幌の辺りで「ここに街を築こう!」ということにしたのだ。
北海道の開拓を進めようという中、「開拓三神」(大国魂命=国土そのものの神霊、大己貴命=国造りの神、少彦名命=国造りの協力神)を祀る神社を興してから、開拓使本府を設置する街を建設するということになっていた。神祗官からその祀るべく開拓三神の御神体というモノを預かった島義勇は、それを大事に箱に入れて自ら背負い、そして箱館から「道なき道」という様子の陸路を踏み越えて札幌周辺の地域に至ったのだそうだ。
島義勇は現在の円山の辺りで、この地域であれば「五州第一の都」(「世界一の街」というような意味)が築けることであろうと観て、開拓三神を祀る神社を開いて、街を拓く仕事を本格化させようとするのである。
↓円山の辺りで「我らは“五州第一の都”を拓くのだ!開拓の神々よ!我らを見守って下され!」というような調子で神社を開いて仕事を本格化させることを宣言しているような様子の像だと思う。
島義勇が背負って運んだ御神体を据えたという神社が起こった頃には<札幌神社>と呼ばれ、長くそういうことだったのだが、1964(昭和39)年に明治天皇も加えて祀ることになった時に<北海道神宮>と改名している。この際に、島義勇の像を設置することになって、翌年に像が登場したそうだ。
島義勇は故郷の佐賀でも知られてはいる人物だが、或いは札幌での方が知名度が高いかもしれない。そんな噂も在るようだ。北海道の仕事に着手した後に東京へ召喚され、幾つかの仕事を手掛けるのだが、佐賀の士族反乱に関わることになる。当初、不平士族を宥めようと帰郷したのだが、語らう中で或る一党の領袖に担がれてしまい、島義勇は士族反乱に加わることとなる。事件の後始末に際して、刑死してしまうのだが、それが1874年4月13日であった。
島義勇の「没後150年」という日に、偶々札幌に在った。そこでこの島義勇の像を眺めに足を運んでしまったのだった。
↑この像の人物は島義勇(しまよしたけ)(1822-1874)である。幕末期から明治初期に活躍した人物ということになる。
北海道神宮へ足を運んでこの銅像を観ようと思い立った契機は前日だった。
↓特急列車には「車内誌」と呼ばれるモノが在る。時々手にして読む。稚内・旭川間でこれを引っ張り出した。
↓中にこういう記事が在って、大変に愉しく、興味深く拝読したのだった。
↑以前から関心を寄せる史上の人物でもあり、記事で紹介されている、伝記的な情報が判る本の中には読んだ記憶が在るモノも見受けられた。
島義勇は佐賀の鍋島家中の士であった。優秀な人材で将来を嘱望され、色々な役目を務めた経過が在る。明治期に入ると「蝦夷開拓御用掛」となった。幕末期、現代風に言えば「他所の機関へ出向」というような感じで箱館奉行に従って仕事をしていた時期が在り、蝦夷地(北海道や樺太)への渡航も経験していて『入北記』という記録も著しているのだという。やがて<開拓使>が設けられると、島義勇は開拓判官という役に就くこととなり、北海道での仕事に携わるようになって行く。
<開拓使>はとりあえず箱館(現在の函館)で活動に着手したが、石狩地方の開けた場所に街を築き、そこを開拓使本府とするということになった。島義勇はその候補地に乗込むこととした。その候補地の石狩地方に入って、現在の札幌の辺りで「ここに街を築こう!」ということにしたのだ。
北海道の開拓を進めようという中、「開拓三神」(大国魂命=国土そのものの神霊、大己貴命=国造りの神、少彦名命=国造りの協力神)を祀る神社を興してから、開拓使本府を設置する街を建設するということになっていた。神祗官からその祀るべく開拓三神の御神体というモノを預かった島義勇は、それを大事に箱に入れて自ら背負い、そして箱館から「道なき道」という様子の陸路を踏み越えて札幌周辺の地域に至ったのだそうだ。
島義勇は現在の円山の辺りで、この地域であれば「五州第一の都」(「世界一の街」というような意味)が築けることであろうと観て、開拓三神を祀る神社を開いて、街を拓く仕事を本格化させようとするのである。
↓円山の辺りで「我らは“五州第一の都”を拓くのだ!開拓の神々よ!我らを見守って下され!」というような調子で神社を開いて仕事を本格化させることを宣言しているような様子の像だと思う。
島義勇が背負って運んだ御神体を据えたという神社が起こった頃には<札幌神社>と呼ばれ、長くそういうことだったのだが、1964(昭和39)年に明治天皇も加えて祀ることになった時に<北海道神宮>と改名している。この際に、島義勇の像を設置することになって、翌年に像が登場したそうだ。
島義勇は故郷の佐賀でも知られてはいる人物だが、或いは札幌での方が知名度が高いかもしれない。そんな噂も在るようだ。北海道の仕事に着手した後に東京へ召喚され、幾つかの仕事を手掛けるのだが、佐賀の士族反乱に関わることになる。当初、不平士族を宥めようと帰郷したのだが、語らう中で或る一党の領袖に担がれてしまい、島義勇は士族反乱に加わることとなる。事件の後始末に際して、刑死してしまうのだが、それが1874年4月13日であった。
島義勇の「没後150年」という日に、偶々札幌に在った。そこでこの島義勇の像を眺めに足を運んでしまったのだった。
札幌駅を発つ…(2024.04.15)
所用を済ませて札幌駅に到着した。2月にも利用した午後3時半に出る旭川行の特急列車を待つには程好いと見受けられる時間帯だった。
所用で動き廻る間、身軽に動けるように荷物は札幌駅のロッカーに預けた。それを引き取って、旭川へ向かう特急列車を待つことにした。
<ライラック>という列車愛称の場合、原則的には6輌の列車だ。旭川へ向かう場合は1号車が先頭で、6号車が後尾となる。1号車は東改札口側、6号車は西改札口側ということになる。自由席は5号車と6号車だ。自由席を利用しようとしていた。
↓6号車が停まって出入し易い辺りで待っていた。午後3時15分を少し過ぎ、未だ20分になるかならないかであったと思うが、列車が現れる旨の注意喚起の放送が流れ、列車が姿を見せ始めた。
↓札幌駅から西の方向に、出発前の特急列車が待機する場所が設けられている。大概はそちらの側、西寄りから列車が札幌駅へ進入して来る。
↓この時点では列車愛称ではなく「回送」を先頭に表示している。
↓列車は、やや減速して停車位置に進む。
↓早速乗込んで、席を確保した。
↓荷物は棚に上げた。今般、デニムのジャケットは荷物同様に抱えていた場面が多かったかもしれない。
↓発車まで間が在ったので、一寸車輌を眺めてみた。
↓乗客を迎える段になって、列車の後尾または先頭に列車愛称のマーク―今般は<ライラック>―が掲出される。こちらは列車の後尾側である。
↓各編成に北海道内各地をイメージしたイラストが在る。この編成は「KAMIKAWA」で上川地方のイメージだ。羊の画が在る。上川地方の街、旭川から少し北側の士別が羊の飼育で知られている。
↓発車の時刻、午後3時30分が近付く。着席して寛ぐ。
何度となく乗車している札幌駅から旭川駅へ向かう特急列車だが、乗る都度に少し気持ちは弾む。
所用で動き廻る間、身軽に動けるように荷物は札幌駅のロッカーに預けた。それを引き取って、旭川へ向かう特急列車を待つことにした。
<ライラック>という列車愛称の場合、原則的には6輌の列車だ。旭川へ向かう場合は1号車が先頭で、6号車が後尾となる。1号車は東改札口側、6号車は西改札口側ということになる。自由席は5号車と6号車だ。自由席を利用しようとしていた。
↓6号車が停まって出入し易い辺りで待っていた。午後3時15分を少し過ぎ、未だ20分になるかならないかであったと思うが、列車が現れる旨の注意喚起の放送が流れ、列車が姿を見せ始めた。
↓札幌駅から西の方向に、出発前の特急列車が待機する場所が設けられている。大概はそちらの側、西寄りから列車が札幌駅へ進入して来る。
↓この時点では列車愛称ではなく「回送」を先頭に表示している。
↓列車は、やや減速して停車位置に進む。
↓早速乗込んで、席を確保した。
↓荷物は棚に上げた。今般、デニムのジャケットは荷物同様に抱えていた場面が多かったかもしれない。
↓発車まで間が在ったので、一寸車輌を眺めてみた。
↓乗客を迎える段になって、列車の後尾または先頭に列車愛称のマーク―今般は<ライラック>―が掲出される。こちらは列車の後尾側である。
↓各編成に北海道内各地をイメージしたイラストが在る。この編成は「KAMIKAWA」で上川地方のイメージだ。羊の画が在る。上川地方の街、旭川から少し北側の士別が羊の飼育で知られている。
↓発車の時刻、午後3時30分が近付く。着席して寛ぐ。
何度となく乗車している札幌駅から旭川駅へ向かう特急列車だが、乗る都度に少し気持ちは弾む。
魯肉(ルーロー)スパイスカレーにパリパリチキン…(2024.04.14)
小樽で歩き廻ってから札幌へ移動し、一息入れてから早目に、札幌駅北側に求めた宿に入った。
宿の居室で寛ぎ、翌日は本来の札幌南下の企図である所用だ。「備える」という程のことでもないが、少しゆったりと休もうと考えていた。
そんな感じだったが、暗くなる頃に空腹を禁じ難くなり、「軽く食事に…」と札幌駅北側を少し歩いた。日曜日の静かな宵だった。
↓こういう御店を眼に留めた。
↑「サッと頂く」ということで、カレーライスが好適であるような気もした。
↓御願いしたのは魯肉(ルーロー)スパイスカレーにパリパリチキンを載せたモノだ。
↑魯肉(ルーロー)というのは台湾の流儀の肉料理だ。その刻んだ肉が入ったカレーである。そこに鶏を揚げたモノを載せる。米飯は少な目、「4辛」ということで御願いした。
「出先での一寸した食事」ということになると、カレーライスは好い。出先でもなく、近所でも頂きたくなる場合も在るが。
宿の居室で寛ぎ、翌日は本来の札幌南下の企図である所用だ。「備える」という程のことでもないが、少しゆったりと休もうと考えていた。
そんな感じだったが、暗くなる頃に空腹を禁じ難くなり、「軽く食事に…」と札幌駅北側を少し歩いた。日曜日の静かな宵だった。
↓こういう御店を眼に留めた。
↑「サッと頂く」ということで、カレーライスが好適であるような気もした。
↓御願いしたのは魯肉(ルーロー)スパイスカレーにパリパリチキンを載せたモノだ。
↑魯肉(ルーロー)というのは台湾の流儀の肉料理だ。その刻んだ肉が入ったカレーである。そこに鶏を揚げたモノを載せる。米飯は少な目、「4辛」ということで御願いした。
「出先での一寸した食事」ということになると、カレーライスは好い。出先でもなく、近所でも頂きたくなる場合も在るが。
<KFC>=<Kentucky Fried Chiken>…(2024.04.13)
↓円山公園駅に近い辺りで眼に留めた。
↑近年は専ら画の左側に在る<KFC>のロゴを利用しているチェーン店だ。嘗ては寧ろ<Kentucky Fried Chiken>だった。この場所の御店は、<KFC>のロゴを使うようになるよりもかなり以前から在ったような気もする。
↓<Kentucky Fried Chiken>(ケンタッキーフライドチキン)を色々な形に略した呼び方も在ったように思うが、何時の間にか<KFC>(ケー・エフ・シー)が定着したような気がしないでもない。
↓この「カーネル・サンダース」も御馴染だ。
看板を観ていて、「ほんの少々早いランチ…」と思い付いて御店に立寄ってみた。
↓店内の「受継がれる好き伝統」とでもいうような、少し古風なイラストのポスターが好いと思った。
↓所謂「オリジナル・チキン」を頂いた。
↓「コールスローサラダ」を合わせた。
以前は、このチェーンの御店が稚内にも出来て人気だった経過が在る。が、何時の間にか閉店になってしまった。故に稚内はこのチェーン店の「空白」に復した。そういう訳なので、出先でこのチェーン店を見掛けた時、不意に立寄ってみる場合も在る。
↑近年は専ら画の左側に在る<KFC>のロゴを利用しているチェーン店だ。嘗ては寧ろ<Kentucky Fried Chiken>だった。この場所の御店は、<KFC>のロゴを使うようになるよりもかなり以前から在ったような気もする。
↓<Kentucky Fried Chiken>(ケンタッキーフライドチキン)を色々な形に略した呼び方も在ったように思うが、何時の間にか<KFC>(ケー・エフ・シー)が定着したような気がしないでもない。
↓この「カーネル・サンダース」も御馴染だ。
看板を観ていて、「ほんの少々早いランチ…」と思い付いて御店に立寄ってみた。
↓店内の「受継がれる好き伝統」とでもいうような、少し古風なイラストのポスターが好いと思った。
↓所謂「オリジナル・チキン」を頂いた。
↓「コールスローサラダ」を合わせた。
以前は、このチェーンの御店が稚内にも出来て人気だった経過が在る。が、何時の間にか閉店になってしまった。故に稚内はこのチェーン店の「空白」に復した。そういう訳なので、出先でこのチェーン店を見掛けた時、不意に立寄ってみる場合も在る。
一杯の珈琲…(2024.04.15)
スープカレー…:<一灯庵 サンピアザ>(2024.04.15)
シーザーサラダとチキン煮込みカレー…(2024.04.12)
733系電車:午後の札幌駅(2024.04.15)
733系電車:午後の新札幌駅(2024.04.15)
札幌駅へ移動しようと新札幌駅に足を運んだ。
↓改札を潜って、エスカレータでホームに上れば、直ぐに列車が現れた。
↑近年、見掛ける機会が増えた733系電車だ。ロングシートの内装で、ホームから乗り込む出入口の段差も無く、凄く「イマドキの車輛」という雰囲気だ。出入口脇にボタンが在って、少し長く停車する場合はボタンを押して扉を開閉出来るようにもなる。寒い時季には重宝だ。
↓3車輛編成の札幌行の普通列車だ。これに乗車した。
乗込んだ列車は、この後に白石駅で快速の通過待ちということでやや長く停車した。ボタンで扉を閉められる状態で停車していたが、乗り合わせた乗客は誰もボタンを押さない。温かい午後だった。
「新札幌駅界隈を思い出す車輛」というのも、この733系になって行こうとしているかもしれない。
↓改札を潜って、エスカレータでホームに上れば、直ぐに列車が現れた。
↑近年、見掛ける機会が増えた733系電車だ。ロングシートの内装で、ホームから乗り込む出入口の段差も無く、凄く「イマドキの車輛」という雰囲気だ。出入口脇にボタンが在って、少し長く停車する場合はボタンを押して扉を開閉出来るようにもなる。寒い時季には重宝だ。
↓3車輛編成の札幌行の普通列車だ。これに乗車した。
乗込んだ列車は、この後に白石駅で快速の通過待ちということでやや長く停車した。ボタンで扉を閉められる状態で停車していたが、乗り合わせた乗客は誰もボタンを押さない。温かい午後だった。
「新札幌駅界隈を思い出す車輛」というのも、この733系になって行こうとしているかもしれない。
721系電車:朝の新札幌駅(2024.04.15)
721系電車とキハ261系ディーゼルカー:朝の札幌駅(2024.04.15)
札幌駅到着…(2024.04.14)
「間もなく札幌…札幌です。下り口は右側です」との録音によるアナウンスが列車内に流れた。
↓荷物も在るので、それを纏めて席を立ち、列車の先頭側を眺めた。
↑多数のホームを擁する札幌駅へ進入する辺りの様子は面白い。数が多いポイントの辺りでガタっと揺れながら減速して列車は進む。
↓停車するホームに近付く。反対側の線にも列車が待機している。忙しい札幌駅らしい風情だ。
↓札幌駅で下車した。少し長く停まって、列車は岩見沢駅を目指す。乗務員が交代するようで、ホームで待機していた。
↓身体を伸ばしながら少し様子を観ていた。乗降が落着いたようで、しばらくすれば列車は岩見沢を目指して動き始める筈だ。
所用のために札幌に出たということなのだが、何やら「旅行気分」で動き回った。
↓荷物も在るので、それを纏めて席を立ち、列車の先頭側を眺めた。
↑多数のホームを擁する札幌駅へ進入する辺りの様子は面白い。数が多いポイントの辺りでガタっと揺れながら減速して列車は進む。
↓停車するホームに近付く。反対側の線にも列車が待機している。忙しい札幌駅らしい風情だ。
↓札幌駅で下車した。少し長く停まって、列車は岩見沢駅を目指す。乗務員が交代するようで、ホームで待機していた。
↓身体を伸ばしながら少し様子を観ていた。乗降が落着いたようで、しばらくすれば列車は岩見沢を目指して動き始める筈だ。
所用のために札幌に出たということなのだが、何やら「旅行気分」で動き回った。