薬師寺 玄奘三蔵院伽藍(2023.04.05)

↓薬師寺の中では、個人的に少し気に入っている場所である。
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↓「インドへ達せずば東へ戻らず」という玄奘三蔵の気概を示したという「不東」の語の額が掲げられた玄奘塔だ。
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↓何か遠い国に想いが巡るような気がする。貴い人を祀るということで、八角形の建物がデザインされたそうだ。
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↓こういう石碑が据えられた辺りの奥に玄奘塔が在る。
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貴重な仏像を据えた堂や塔が在る白鳳伽藍とは一味違うのが、この玄奘三蔵院伽藍である。
posted by Charlie at 19:01Comment(0)奈良県

「盛りをやや過ぎた?」という感ながらも麗しい境内の桜…:薬師寺:奈良(2023.04.05)

友人を伴って奈良を訪ねてみたのは2回目となった。1回目の夏の盛りとは様子が異なり、歩き易い時季ではあったのだが、1回目に訪ねなかった薬師寺を訪れた。友人は大講堂の中、弥勒三尊(みろくさんぞん)が放つ気のような何か、金堂の本尊である薬師三尊(やくしさんぞん)の放つ何かに凄く惹かれ、加えて土産に御守をゆっくり見て求めようというようなことで、結局、時間的な若干の制約の中「京都から奈良に移動して、薬師寺で過ごしたのみ」ということになった。そこまで気に入る場所を御紹介出来たのは善かった。

↓薬師寺の境内に在る桜の木に花が咲いていた。
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↓少しだけ「花の盛り」は過ぎているようにも見えたが、それでも麗しい感であった。
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↓西塔の手前に桜が在る。
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こんな様子に出くわすことが叶ったのは善かった…
posted by Charlie at 04:03Comment(0)奈良県

奈良公園の鹿…(2022.07.30)

↓「鹿」と言えば「奈良」…「奈良」と言えば「鹿」という感じか?鹿に変なちょっかいを出さないようにという注意喚起の看板も在る…
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↑奈良公園では珍しくもない鹿だが、何となく眺めてしまう。夏になると、春に生まれた仔鹿と見受けられる、小さく可愛らしい鹿も混じっている…

奈良の街の一部は「街に公園」というより「公園の一部が“街”」という具合になっているような気もする。そういう中を歩き廻った…

↓鹿達の様子を何となく観ていると、“大家族”とでもいうのか、一定の纏まり、グループのようなモノも存在するような感じではある。が、とりあえず奈良公園では数え切れない程の鹿が方々に集まっている。
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↓本当に、随分昔から辺りに在る動物である鹿が居る様子は、下手に構わずに「長閑だ…」と何となく眺めて愉しむ程度が好いと思う。
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他の場所では、その辺に鹿が居ると驚くが…奈良では鹿の姿が見えなくなりでもしたら驚くことであろう。本当に「風景の一部」になっている鹿達である。
posted by Charlie at 05:32Comment(0)奈良県

牛しぐれまぶし&かき氷…:<牛まぶし 三山>

奈良で昼食を頂こうとした。東大寺から公園の側へ進む途中で見掛けた店に入った。

↓こういう料理を頂いた…
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↓こんな食べ方をするらしい。これ?「ひつまぶし」の要領だ…
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奈良県は「大和牛」というモノを生産していて、牛肉料理を工夫するという機運が高いのかもしれない。

このセットは、味が程好く滲みた牛肉の煮込みと米飯、それに薬味や卵、更に出汁ということで、ゆっくりと幾つかの味の派生型で牛肉を愉しむという趣向だ。なかなかに好かった。敢えて大森にはしていないが、ヴォリューム感も在った…

↓幾つかヴァリエーションも在る。各々に好さそうだ。他方で、肉系統がやや苦手な方には、茶粥定食も意外に好いかもしれない。
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少し暑かった日…エネルギーを補給した形になったが…

↓こんなモノも合わせて頂いた…
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↑白玉も入ったかき氷…「宇治」という抹茶味なシロップのモノだ…

何か「夏の日の奈良…」という記憶に付随する味となったような気もする料理となった。
posted by Charlie at 05:29Comment(0)奈良県

模型…:東大寺大仏殿内展示(2022.07.30)

↓創建の頃の東大寺を再建したのだという模型が、東大寺大仏殿内に展示されている。
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↓現在でも中央に門が在って、奥に大仏殿が建っているという状況では在る。往時はその東西に巨大な七重塔が建っていて、大掛かりな回廊も設えられていたのだという。
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↑現在も伝わる興福寺の五重塔が50mを少し超える高さだが、往時の東大寺の東西の塔は、それを遥かに超える高さであったということのようだ…

こういう過ぎる程に荘厳な東大寺は、平安時代に至って建物の傷み等も目立って少し荒れるが、それでも修繕を重ねて維持されていた。が、それが破壊されてしまう大きな事件が在った。1180年の平重衡が率いた軍勢による南都焼討である。南都(=奈良)の寺院勢力との摩擦で平家が軍勢を差し向けたのだが、辺りを焼いて攻めた。この際に東大寺も大損害を被る。大仏が傷み、大仏殿も焼け落ちた。

↓1185年に大仏が修復され、1190年に大仏殿が再建されたという。「鎌倉時代の再建」ということになるが、東大寺大仏殿内に模型が展示されていた。
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↑現在伝わっている大仏殿よりも幅が広い、より大きな建物である。

更に鎌倉時代には南大門のようなモノも含めて色々と整備される。その後も、東大寺は独自の勢威を保ち続けたようである。

戦国時代になると、松永久秀が大和国に覇を唱え、東大寺にも近い辺りに多聞城と称する城も築いた。この松永久秀に対抗した三好三人衆、或いは筒井順慶等の大和の古くからの勢力との争いが生じていた。

両者の抗争は、やがて東大寺の境内を戦場にする羽目となってしまい、東大寺の大仏殿を含めた多くの建物が損なわれてしまった。

この戦国時代の戦いで、大仏は長く雨曝しで、大仏殿の再建は行われなかった。漸くそれが成ったのは1708年であるという。

↓「江戸時代の再建」ということになる大仏殿も模型が在る。「鎌倉時代の再建」と比べて、少し小さいことが判る。
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↑現在に伝わる大仏殿は、概ねこの「江戸時代の再建」の建物だ。この建物が修理を重ねて受け継がれている。

修復や再建の経過も興味深いが、その原因となった出来事にも興味は抱かざるを得ない…

源平の争乱の頃に東大寺が損なわれた経過は小説『龍華記』(りゅうかき)が面白く、判り易いかもしれない。

戦国時代に東大寺が損なわれた経過は松永久秀を主要視点人物とする小説『じんかん』が面白く、判り易いかもしれない。

色々と思いながら、東大寺大仏殿内の展示を観た。展示されている模型そのものも、少年刑務所での作業の成果なのだということで興味深い。

ここを訪ね、改めて有名な大きな建物を巡る遠大な物語に想いが廻った…
posted by Charlie at 00:05Comment(0)奈良県

東大寺大仏殿…(2022.07.30)

同行者を伴って京都・奈良間を往復してみようということになったのは「大仏を観よう!」ということになったからに他ならない。

↓とりあえずその大仏が鎮座する大仏殿の辺りに到った。
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↓何度眺めても大きな建物であるが、画の左側、門の脇の入口から大仏殿に入ることになる。
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↓大仏殿に近付いて行く。
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↓建物に入れば、直ぐに見上げるしかない巨大な大仏だ…
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↓「奈良の大仏」とでも言う場合、登場頻度が高いような画ということになると思いながら眺めた様子だ…
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↑大仏の高さは「座高」ということになるが、15m弱であるという。大仏が立ち上がったとすれば、身長は50m近くにもなる。往年の『ウルトラマン』のシリーズの設定身長のような大きさなのだ…

↓廻り込んで、別な角度からも大仏を眺めた…
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大仏殿の中には、“大仏”こと「廬舎那仏」の他にも幾分の像が在る。

↓広目天…
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↓多聞天…
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これらの像が意外に見映えが好い…

この時は、外に出ようとした際に極短い時間、強めな通り雨が降った。暫し大仏殿に留まった。

↓やがて、雨が弱まった様子を見計らって退出した。
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大仏殿は「時には好い…」という感じの場所だと思う。

序ながら、大仏殿内に在って通り雨だったが、以降は晴れて、一層暑い感じになったのだった…
posted by Charlie at 00:02Comment(0)奈良県

「平城京 2010年は平城遷都1300年」…(2022.07.30)

今般、同行者を伴って京都・奈良間を往復した。そして奈良を少し歩き廻った。

奈良公園を抜けて東大寺を目指す中、奈良県庁に近い辺りには地下横断歩道が何箇所か設えられている。

↓その地下横断歩道の一つで、初めて奈良を訪れた同行者が「これ!?何?!」と興味を示したのがこの画だ。
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↑「710年」と伝わる平城京の起りから1300年を記念して2010年に登場したという画だ。奈良の街が眼下に視える若草山から視たというイメージで描いた平城京である。

この平城京は、時代が下って街となった辺りを基盤にする現在の奈良の街の中心的な辺りよりも広い範囲に街並みが拡がっていたようである。遥かな遠い古代に大きな街が築かれ、王朝の中心が在ったというのは、何やら浪漫が掻き立てられるというものだ。

自身、何度も通り掛っている辺りに在る画だが、同行者が「これ!?何?!」と興味を示したことで、改めて注目した。
posted by Charlie at 18:58Comment(0)奈良県

<奈良縣里程元標>…(2022.07.30)

↓興福寺の近く、三条通へ連なる辺りに不思議な標柱が据えられている。
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↑東=三重県、西=大阪府、南=和歌山県、北=京都府と各方向の県境の地名と距離とが標柱に書き込まれているようだ。

これは明治時代に日本国内の様々な「距離」を測る上での起点として各府県に設けられたものを復元したモノなのだそうだ。<奈良縣里程元標>と呼ばれるモノであるのだという。実際には、この復元されたモノの場所と若干ズレた場所に在ったそうだ。

「奈良県」は明治時代に少し変わった経過を辿っている。

明治期に府県が設けられた頃、現在の奈良県の範囲が「堺県」や「大阪府」の一部となっていたのだという。旧国名で言う大和を司る自治体が姿を消したことになる。そういう時期を経て、「奈良県」が復活した際、この<奈良縣里程元標>が登場したのだという。或いはこの元標は「独立した形の奈良県が確かに在る証」というようなことであったかもしれない。

この場所は、少し意外な挿話に出くわすことが出来る地点になるのかもしれない…
posted by Charlie at 19:19Comment(0)奈良県

南円堂…:興福寺(2022.07.30)

↓興福寺の南円堂である。何度も観てはいる建物だが、独特な形状は何度観ても面白い…
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↓八角形の屋根は「貴き者」が入るべき建物というような考え方も在るらしい。貴人が祀られている場ということになるであろうか…
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↓次第に陽射しが強まって、些か歩き廻ることがキツい感じになったかもしれない。
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この強い光に浮かぶ南円堂を観ると、「夏の日に訪ねた奈良」を思い出すというものだ…
posted by Charlie at 19:09Comment(0)奈良県

興福寺五重塔を望む…(2022.07.30)

近鉄の列車で京都・奈良間を往復してみた…

↓「奈良に至った…」と少し強く実感するのは、この猿沢池辺りから五重塔を望む時だ。
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↓美しい塔だ。
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↑この種の「木像の五重塔」としては、東寺のモノに次ぐ高さなのだそうだ。

↓奈良公園側へ興福寺境内を抜けようと歩を進め、五重塔の近くも通った。
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↓奈良から京都へ引揚げる途中も一寸眺めた。
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↓「解体修理工事」の準備中と聞く。工期は10年間にも及ぶそうだ。
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「観られない…」ということになる五重塔の美しい姿を眺めることが叶ったのは嬉しい。
posted by Charlie at 05:36Comment(0)奈良県

<古梅園>…:ならまち:奈良(2021.12.20)

↓古くからの建物…伝統を誇る店と見受けられた…
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↓奈良は古くから書道に使う墨を製造し、販売するということが盛んであったという。ここはその墨の老舗だという…
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↓「墨」という看板も掲げられているが、出入口に「レール?」が在る。これは重いモノを専用台車に載せて運ぶということで設えられたのだという。
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奈良のこういう古い建物…また時間を設けて眺めに行きたい等と、写真を視て振り返る昨今だ…
posted by Charlie at 07:39Comment(0)奈良県

<みがわりさる>=<庚申さん>…:ならまち:奈良(2021.12.20)

↓古くからの建物も残る「ならまち」と呼び習わされる辺りでは、時々不思議なモノを視る…
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↓建物の軒先に何やら独特な形のモノを吊り下げている…
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↑これは申を象った“御守”なのだそうだ…

魔除けを意味し、家の中に災難が入ってこないように吊るしているという。「災いを代わりに受けてくださる」として「身代り申」と呼ばれるそうだ。 また、背中に願い事を書いて吊るす「願い申」とも謂うのだということだ。

「庚申さん」と呼ばれる古くからの信仰に依拠するモノであるという。色々な慣行が廃れた中でも、この<みがわりさる>を吊る習わしは生きている訳だ。

こういうようなモノ…何やら面白いので思い出す…
posted by Charlie at 07:31Comment(0)奈良県

京都市地下鉄の車輛…:大和西大寺駅(2021.12.19)

京都の街の地下を北から南に貫く地下鉄の烏丸線が在る。

烏丸線の列車は南側の竹田駅から近鉄の軌道に乗入れ、奈良にまでやって来る…

↓大和西大寺駅では、その京都の地下鉄の車輛を存外な頻度で見掛ける…京都の地下鉄は「開業40年」ということで<40th>のヘッドマークが掲げられていた…
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↑学校の冬休み期間なので、鉄道車輛眺めて愉しむ児童生徒が少々見受けられたが、そういう児童生徒にはこの「京都の地下鉄が乗り入れている車輛」は人気だったように見えた。写真を撮る道具を向けている姿を多く視た…

奈良に京都の地下鉄の車輛が登場するが、逆に京都の地下鉄に奈良の近鉄の車輛が現れる例も多々見受けられる。

新幹線が通っている京都に対し、奈良は何となく「他地域から訪ねるには不便?」と勝手に思っていた。が、奈良は大阪方面や京都方面との鉄道網が或る程度充実していて、何か「大阪・京都間で少し東に逸れると奈良」という“中間地域”という感で「存外に便利」と判った。他地域から大阪や京都に到って、後は「ほんの少し…」で魅力溢れる奈良に到る訳だ。

それにしても、「微妙に古めかしい」というようでいて「少し以前の“近未来”風なデザイン」という感じの、京都の地下鉄の車輛は何となく好い。そして忙しい大和西大寺駅のような場所で見掛けると、地下鉄烏丸線のトンネル内とは明らかに異なる陽光に照らされている感じが面白い…
posted by Charlie at 07:20Comment(0)奈良県

南円堂:興福寺(2021.12.19)

立寄った興福寺を離れて、奈良の街で食事でも摂ろうかと思い始めた。

↓そんな場面で眼が向いた…南円堂である。
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↑「西国三十三所」の「第九番札所」ということで、人気が高い御堂だという。

それはそれとして、視る都度に美しい建物だと思う。現在の建物は1789(寛政元)年の建物だそうだ。

↓こんな屋根の感じが気に入っている…
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posted by Charlie at 07:01Comment(0)奈良県

三輪駅の辺り…(2021.12.20)

大神神社へ至る辺りを歩き廻った…

↓踏切で視える鉄路が…“単線”だ…辺りでは「やや珍しい?」ということになるのかもしれない…
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↓反対側を振り返ると三輪駅だった…
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こんな様子も「この辺りらしい」ということになるのかもしれない…
posted by Charlie at 19:07Comment(0)奈良県

東大寺をテーマにしたハンカチ…(2021.12.19)

↓奈良で求めて、宿の居室で何とな写真にも収めていたモノだ…
19-12-2021 my one.. (1)

↓大仏様の手…大仏殿の屋根の一部…金剛力士像…そういう「東大寺…」と聞くと思い出すような“形”を抽象したイラストを、何か華やかな感じの面に散らしている。美しいハンカチだ…
19-12-2021 my one.. (2)
↑「華厳宗大本山東大寺」、「金光明四天王護国之寺」というような文字もデザインの一部のようになっている。

蚊帳生地を使う奈良のなかなかに好いモノということになろう。日々、時々使うようなモノに「奈良!」という感じの要素が美しく纏まっている。秀逸なデザインだと思う。これ!なかなかに気に入っている…
posted by Charlie at 06:03Comment(0)奈良県

行基…:近鉄奈良駅前(2021.12.19)

京都の大宮通を北寄りから南寄りへと歩き、東寺辺りへ至り、東寺駅で近鉄の列車に乗込んだ。何となく苦笑いも漏れるのだが、早朝に未だ暗い時季ながら、過ぎる程に元気に歩き廻っていた…

↓近鉄奈良駅に到ってみれば「休日の朝、やや早めな時間帯」という具合で静かだったが、この像が迎えてくれた。
19-12-2021 X-Pro2 (6)

↓奈良時代の僧、行基の像だ…
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これと対面すると、何やら「奈良に…着いた…」という実感のようなモノが湧き上がる気がする。
posted by Charlie at 07:46Comment(0)奈良県

仁王門と本堂と…:當麻寺(2021.12.18)

看板に導かれるかのように當麻寺に至った。

↓こういう大きな門が迎えてくれる…
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↓少し年季が入った仁王像が脇に控えている門だ…
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↓<仁王門>と呼び習わしている門であるようだ…
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↓「半ば…否…殆ど“伝説”?」というように感じられなくもない、様々な話しが伝わる古刹である當麻寺…門を潜って訪ねてみるということに気持ちが弾んだ…
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↓これが「“伝説”?」という曼荼羅を祀る本堂だ…
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當麻寺に関しては「冬の好天」という中で、事前に漫然と思ったような時間を大幅に超えながら、「実に多くの文化財が…」と随分ゆっくりと歩き廻った。何か「あの場を“浮遊”していた?!」とでもいうような、不思議な時間が流れていたような記憶を、旅から戻った後にも辿る感だ。

近鉄の列車で訪ね易い辺りで、看板の写真に採用の独特な感じの四天王像も含めて色々なモノが視られる當麻寺は興味深く、この寺と出逢うことが叶ったのは大変に幸いだったと振り返っている…
posted by Charlie at 07:38Comment(0)奈良県

<椿井市場>…:奈良(2021.12.20)

何処の街にも「古くは酷く賑わった…近年??」というような場所は見受けられるのかもしれない。

↓奈良の<ならまち>というように呼び習わされている界隈の一隅になると思う。こういう場所が在る。
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↑<椿井市場>(つばいいちば)と言って、何か「子どもの頃に(保護者に)連れて来て貰った、何やら賑やかだった商店街」というように、奈良の一定以上の世代の皆さんが想う場所だと聞いた。

“商店街”的な店の連なりが、遠目に一棟に視えるような具合に囲われていて「市場」を名乗っている。或いはこういう「市場」を名乗るということ自体、何となく少数派というようにも感じるが、「椿井市場」という文字の「擦れた感じ」が何か名状し悪い感だ。

<椿井市場>という看板の入口辺りについて、奈良で人気の店に寄って、関西の流儀の美味いおでんでも摘まもうというようなことを考える少し前に立寄っていて寧ろ静かだった。それでも、画の入口の周辺で営業中と見受けられる何かの店が何軒か見受けられた他は、「使わなくなって久しい建物の連なり」という以上でも以下でもない様子だった。

↓<椿井市場>という看板の側からやや奥へ踏み込むとこういう具合だ…
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↓多分?未だ「昭和」という元号であった頃に活動が休止されて、そのまま何十年も経ってしまっているというような様子になっているのが伺え、些か驚いた。
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↓「放置された時間」が何やら「造形」をしてしまうというような雰囲気だ…
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↓老朽化して、そして傾いてしまっているというような感じでもある…こういう様子も頻繁に視られるのでもない…
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↓傷んでしまって、何やら「倒壊?」というような気がしないでもない。が、自身の見聞の範囲で申し上げれば、こういう「未使用老朽化。改装の手も施し悪い」という箇所は、倒壊するという以上に「火災でも発生した際に危険過ぎ…!!!」ということが問題であると思う。
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それにしても…何やら強烈な場所で、少し記憶に残る…

<菊岡漢方薬>…:ならまち:奈良(2021.12.20)

↓古くからの経過が在る奈良の街で、一際古い経過を誇る漢方薬の店らしい…
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↓所謂「ならまち」という地区は、「平城京の昔」ということではなく、寧ろ「近世の街」という流れを汲んでいるらしいのだが、何かそういう時代を想起させるような建物が現在に受継がれているという風だった…
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↓通り過ぎてしまってから、こういう看板に気付く…こういうのも「よくある」というものか…
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奈良に関しては、マダマダ親しんでみたい様々な文物が在ると思う。そして訪ねる都度にそれらに新たに出くわすというような感でもある…

<SARUSAWA>…:ROKUMEI COFFEE:奈良(2021.12.19)

以前に珈琲豆を取寄せた経過が在り、その店を訪ねた経過も在って、ロゴ入りのタンブラーも持っていて時々使っている…

↓そんな奈良の店を再訪する機会が在った…
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店内で珈琲を頂く席も設けられているが、立寄った際は何となく席が埋まっていた…

↓そういうことで珈琲豆を求めた…<SARUSAWA>はあの猿沢池の地名に因んで命名したのであろう。
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求めた珈琲豆は拙宅に送り込んでいた。その<SARUSAWA>…開けてみて、使う分を挽いて淹れた。程好い苦味の「落ち着いた味わい」である。猿沢池のような景勝地を眺めながら、または思い浮かべながら頂くことが相応しいような感である。暫くはこれも愉しむことが出来ようというものだ。
posted by Charlie at 04:36Comment(0)奈良県

<からだ想いランチ>…:奈良(2021.12.19)

京都で少し歩き廻った後に奈良に移動し、奈良で東大寺や興福寺を訪ねた。そうすると「ランチタイム?」ということに…

↓こんな感じの場所に出た…
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↑この御店では、昼食を供してくれるようだ…

↓<からだ想いランチ>というモノを御願いしてみた…
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↑「精進料理のような?」という内容に、選択式で肉か魚が添えられるという内容だった。肉を択ぶと美味い鶏肉だった。そして「精進料理のような?」という種々のモノも各々になかなかに好かった…

意外に満足度が高かった。振り返ると、気儘な出先では昼食の時間帯は何か不規則になりがちであった。この日は「ランチタイムらしい」という感じの時間帯に、名付けて「からだ想い」というランチを頂いた訳である。

↓何か可愛いバナーが「また寄ってね!」という感じで見送ってくれた…
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↑それにしても、奈良では鹿がこのバナーの例のようにキャラクター的に使われている例も眼に留まる…

こういうような「本当に一寸したこと」が出先での記憶に残る事の中で、存外に大切かもしれない。と言いながら、気儘な旅では食事に然程拘らない性分ではあるが…
posted by Charlie at 05:34Comment(0)奈良県

飛鳥大佛:飛鳥寺:明日香村(2021.12.20)

甘樫丘で眺望を愉しみ、「柿の葉ずし」を摘まんでから歩き、「季節外れ?」な花を見掛け、かの蘇我蝦夷に関する伝承の在る塚の辺りを通って少し変わったポストが在る辺りへ、飛鳥寺の境内に到着した。

が、裏側から中に入り込んだというような感だったので、改めて正面に一寸廻った。

↓これが正面の出入口である。
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↓この標石は18世紀末、寛政年間のモノと伝えられているという。
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↑この寺は、建物が損なわれて何度も立て直されていて、往古の威容も現在では感じられないのだが、1400年間以上も場所が動いていない大佛が非常に知られている。230年程前の寛政年間に在っても、この大佛は知られていたということなのであろう。

↓大佛が収められている建物の屋根である…
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拝観料を収めて大佛が在る建物に入ろうとした際、カメラを提げていたということも在ったが、窓口の方は「大佛の写真は撮って頂いて構いません」と仰った。こちらから申し出たのでもなく、そういう話しで「少し珍しい」と思った。「では大佛様の御尊顔を拝し、御姿を写真に収めて…」と思いながら入った。

↓色々な角度からゆっくりと、写真も撮りながら大佛を拝見した。釈迦如来像ということである。
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↑面長な顔で、鼻が高い感じの顔だ。世界史の教科書に在った、遠い国々の仏教美術を想起させる。「“仏像”なるモノ?」が伝わって、それ程の時日が経ったということでもない時代の作だ。遠い国で造られていたモノのイメージが色濃く反映されているのかもしれない。

↓この大佛も奈良の大仏と同じ手の形になっている。
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↑奈良で読んだ説明を思い出す…掌が上を向いている左手は「与願印」(よがんいん)と呼ばれ、「人の願いを叶える」ということを表すそうだ。掌を前に示すようにする右手は「施無畏印」(せむいいん)と呼ばれ、「畏れることなど何も無い」ということを表すそうだ。「畏れずに佛を敬う者の願いは叶うであろう」というようなことになるのであろうか?

↓傷んだ箇所を補修したように視える箇所や、頭髪部分の一部が少々傷んだように視える気もするのだが、それでもこの大佛は1400年以上も場所を動いていないのだという。
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↓かの聖徳太子が存命であった時代に既に鎮座していた大佛である。その時代から1400年程にもなる時代にこうして大佛と我々が向き合っていることになるが、或いは「聖徳太子が眼にしていた様子」を追体験していることになるかもしれない。
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寛政年間のモノという標石が好いので、敢えて「大佛」と表記してみたのだが…この大佛との対面は好かった!現場では、何か「大胆にも大佛様にモデルを御願いして撮影会…」という雰囲気も無くはなかったかもしれないが…

↓辺りに光が降り注ぐような様子も見受けられたということが忘れ難い飛鳥寺である…
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今般はドライブに御誘い頂き、やや訪ね悪い場所も連なる明日香村を訪ねてみるということになった。そして方々廻ったが、何か少し親しんで、繰り返し寄っていた奈良県を「もう少々掘り下げてみた」というような経験だったと思う。

丸型ポスト…:飛鳥寺:明日香村(2021.12.20)

↓飛鳥寺に郵便の丸型ポストが佇んでいる。
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↑丸型ポストが、古い経過を誇る寺の一隅に在るという様子が好ましいような気もしたのだが、このポストに関しては「あれ??」と首を傾げながら見入ってしまう。

方々で丸型ポストに眼を向けて写真に収めた経過が在る。それらと比べて、この飛鳥寺のモノは「モノクロ写真でもハッキリ判る程度に色が違う」のである。

明日香村という地域では、「景観計画」ということで「戸外の景観を形成するあらゆるモノ」にルールが在るということのようだ。目次を拝見すると80ページ以上にも及ぶ『明日香景観デザインマニュアル』(.pdf)というモノも在る。

他の地域では「郵便ポストの色を換える」というようなことは、何かの話題づくりで変わった感じにするというようなことでもなければ、余り無いというように思う。ここでは「景観計画」ということで、『明日香景観デザインマニュアル』(.pdf)というモノに在るルールに基づいてポストの色を換えているらしい。

↓このポストをよく見ると方々で見掛ける丸型ポストに「上塗り」を施していると判る。塗料が一寸だけ剥げて、下地の色が僅かに覗く場所も在ったからだ…
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不慣れな地域に敢えて入ってみると、こういう「一寸変わっている?」に不意に出くわす。飛鳥寺という場所に関して聞いたことはあったが、そこに在る丸型ポストの件は聞いたこと等無かった。こういう、訪問する分には如何でも構わないかもしれないようなことが酷く面白い場合も在る。
posted by Charlie at 01:02Comment(0)奈良県

入鹿首塚…:明日香村(2021.12.20)

明日香村の様子が鳥瞰出来る甘樫丘(あまかしおか)を下りて飛鳥寺の辺りへ足を運ぶ。

↓こういうモノに出くわす…
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↑これは背後になるようで…

甘樫丘を背にした、こういう感じが正面から視た様子ということになる。
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これは蘇我入鹿の首塚と伝えられているモノだ。

蘇我入鹿は大変な権勢を振るったという豪族で、甘樫丘に居館を築いていたと伝わるのだが、645年に「乙巳の変」(いっしのへん)で殺害されている。(自身の世代では「大化の改新」と教科書に出ていたと記憶している出来事だ。が、「大化の改新」とは蘇我本宗家を滅ぼした後の改革の取組み全般を言う表現で、「蘇我入鹿が斬られた」という事件は「乙巳の変」ということになる。)

この蘇我入鹿が斬られた後に関して色々な伝承が在るということなのだが、この飛鳥寺の辺り、自らの居館が築かれていたという丘を見上げるような位置に塚が在って葬られている。

本当に「古代史の舞台」に佇んでみるという感になるのが明日香村を訪ねてみるということである…

時季外れな感…:飛鳥寺周辺…:明日香村(2021.12.20)

↓「飛鳥寺を訪ねてみよう…」と甘樫丘(あまかしおか)から下りて歩いた。
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↓飛鳥寺が近付いた辺りで眼に留まった…「何?これ?」と足を停めてカメラを向けてしまった…
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↓何か寂しそうな小さな向日葵…「12月20日」に出くわした…
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時季外れな向日葵と出くわしたということ…「飛鳥寺を訪ねた」ということに合わせて、忘れずに思い出しそうな気もする…

<三諸杉>(みむろすぎ)…(2021.12.20)

大神神社の近く、三輪に老舗の酒造会社とその売店が在る。

↓こういう看板が掲げられて、<三諸杉>(みむろすぎ)という銘のモノを中心に色々な酒が製造され、販売されている…
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ロゴ入りのTシャツを入手し、既に旅の途中で着用していた。そしてロゴ入りのTシャツだけではなく、この<三諸杉>(みむろすぎ)という酒も入手していたのだったが、流石に四合瓶では在っても持ち歩き悪いので出先から拙宅へ直ぐに送ってしまっていた。

↓拙宅で再会を果たした「純米吟醸」である…
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↓「酒の神が鎮まる地」と、酒造関係者も信心を寄せる大神神社の地元で造られる銘酒であることがラベルに在る…
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↓錫器のタンブラーに注いで試飲である…
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↑所謂「吟醸」ということで、何やらフルーツ的な芳香やサッパリした感じが必要以上に強いのでもない。古くからの芳醇な酒という感じが寧ろ強いような感じがする。「老舗だけが知っている…」と思えるような、名状し悪い程の「絶妙!」なバランスで在る。「呑み飽きない…」というが、それは「少し違う」と思う。「呑むことを止め悪いような、絶妙な加減」なのだ!

実は「芳醇」と形容される清酒が意外に好きだ。が「端麗」とされる「スッキリ」も捨て難い。それでも「芳醇」な味わいこそが「清酒らしい!」のであって、「端麗」も行き過ぎると何か「清酒らしくない?」という気がしてしまう。結局、何でも「バランス」なのであって、そういうことを熟知した上で佳い品を送り出すことが可能なのは、結局は「老舗」なのかもしれないというようなことを「一愛好家」としては思う場合も在る。

寺で酒を造るという「僧房酒」というモノが在って、そういうモノの中から現在の清酒の「直接的な先祖」と呼び得るモノが登場していて、それが登場したのが奈良県内であると謂われているという。そんな流れを想わせる、老舗が醸す絶妙なバランスの酒…愉しかった奈良での想い出も相俟って、何か酷く美味い!序に申し述べると、酒が醸される場所への好感度、その場所に纏わる好い想い出というようなモノは、口にする酒の味を相当程度好くしてくれるという一面も在るであろう…

↓実は四合瓶を2本求め、拙宅に送り込んでいたのだが…「無事に着いた…どれどれ…」と試飲し始めて、瞬く間に1本空いてしまった…
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↑スッキリし過ぎていない、程好い芳醇さというのが実に心地好いと思った銘酒だった…

奈良県というのは、訪ねて、触れて興味深い文物が色々と在る地域だが、老舗の銘酒も美味い地域だ…

※ 酒の画は稚内の拙宅で撮っているが、奈良県内で銘酒を入手して美味かったという件なので、記事は「奈良県」のカテゴリに分類する。

甘樫丘で明日香村を望む…(2021.12.20)

↓こんな看板が在る駐車場に到った…
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↑甘樫丘(あまかしおか)に上ってみることにした。

辺りは<国営飛鳥歴史公園>ということで整備もされている地区の一隅である。

甘樫丘(あまかしおか)というのは、標高148mで南北に1km、東西に数百メートルと曖昧な範囲に拡がる丘陵である。古く、大変な権勢を振るったという豪族のかの蘇我蝦夷、蘇我入鹿の父子が居館を構えていたのがこの甘樫丘であったと伝わるそうだ。

蘇我蝦夷、蘇我入鹿という程度にまで名前が売れていない豪族も含めて、往時の豪族達は辺りの村落を睥睨するような丘陵の辺りに居館を設ける例が多かったらしい。そういう「豪族〇〇の居館であったらしい」という場所に関しては、考古学的調査が不十分な場所も未だ多く在るらしい。明日香村は、旧い時代の記憶を伝えるような、或いは何処かの時代で時間が停まっているような、何か不思議な雰囲気が溢れる場所だと、この甘樫丘で改めて感じないでもなかった。

↓丘陵は緩やかな傾斜の散策路が整備された場所だ。幾つか「展望台」が設定されている。その展望台への「→」の看板も何箇所か設けられている。
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↓甘樫丘の「展望台」ということになっている、丘陵の高くなって開けた場所から明日香村を望んだ…
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↑右側が棚田の在った稲渕辺りで、左側の眼下というような辺りに飛鳥寺が在る…

↓この場所は左右双方から枝が張り出した大き目な木が在るのだが…
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↓(話しが先走ってしまって恐縮ながら…)後刻に丘を下りて見上げても場所が判る…
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↓上述の明日香村の様子が視えた側と反対側には、古くから大和国の人達が仰ぎ見た山々を擁する大地が広がっている。加えてこの日は天の感じも好かったのだが…
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↓この甘樫丘の「展望台」ということになっている辺りから望む周囲の様子が詳しく説明されたプレートが在った。今般の奈良県入り、または過去の奈良県訪問で立寄った経過の在る場所等を図上に色々と視付けていた。
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この場所では「正しくピクニックの御弁当」という感覚で、「奈良県の美味いモノ」の代表選手に選ばれても好いかもしれない、加えて“弁当”に好適な「柿の葉ずし」を摘まんだ。時季としては温かいような感じの好天で、非常に愉しかった一時を過ごしたという心地好さが、この甘樫丘の眺望を写真を改めて視て甦るような感である。

明日香村を訪ねる際、余程天候が悪いのでもなければ、この甘樫丘で眺望を愉しむというのは好いことであると思う。時間帯にもよろうが、柿の葉ずしでも、他の何でも「御弁当持参」が好いかもしれない…
posted by Charlie at 12:11Comment(0)奈良県

高松塚古墳:明日香村(2021.12.20)

↓高松塚古墳…
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↑下段が直径約23m、上段が直径約18mで高さが5m程の二段になった古墳である。何か不思議な存在感を放っている…

1972(昭和47)年に中の石室から見事な彩色画が発見されて注目されたという古墳だ。

↓発見されている彩色画に関する研究成果を伝える資料館が在って、これが興味深かった。
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この高松塚古墳は< 国営飛鳥歴史公園>として整備されている地区の中に在る。そういう整備の以前は、農村地域の水田や畑の中のような場所であったそうだ。そこに忽然とこの高松塚古墳が視えて来るということになる。

公園としての整備の有無と無関係に、この場所は「地方の小さな集落の一隅」という以上でも以下でもない様相だ。しかし、高松塚古墳が築かれた時代には「時代の最新モード」が発信されたというような場所であったと推察し得る。何やら酷く不思議な感じだ。

商店のシャッター…:明日香村(2021.12.20)

明日香村という地域では、「景観計画」ということで「戸外の景観を形成するあらゆるモノ」にルールが在るということのようだ。目次を拝見すると80ページ以上にも及ぶ『明日香景観デザインマニュアル』(.pdf)というモノも在る。

↓そういう地域での商店のシャッターである。少し興味深く拝見した。
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↑明日香村の石造物の画が描かれていた。石舞台古墳<亀石>の画も在った…

こういうような「街角で出くわす一寸したモノ」が酷く面白い場合も在る…
posted by Charlie at 10:24Comment(0)奈良県