「宇太水分神社」と各々の文字は平易ながら、一寸読み難い…これは「うだのみくまりじんじゃ」と読む。
「水分神社」(みくまりじんじゃ)と称するモノは、現在の奈良県に相当する大和国で古くから祀られている神社で、東西南北に4つの主要な水分神社が鎮座していて、この宇太水分神社は「東」を占めるモノなのだそうだ…
近鉄の大阪と名古屋とを結ぶ路線の中、奈良県の東寄りな地域の榛原駅が在る辺りが奈良県宇陀市だ。榛原駅からバスに乗ると、なかなか興味深い場所を訪ねることが出来る。昨年は
<又兵衛桜>という銘木に出会い、
宇陀松山の街を散策し、
清酒を醸す酒造会社にも立ち寄った。そういうことで愉しい想い出が出来ると、宇陀市で視られる様々なモノに興味を覚えるようになる。そして
宇陀松山とは少し方角が違う辺りに、面白い場所が在るということを知るようになったのだ。
↓そういうことで、榛原駅前からバスに乗り、宇太水分神社へやって来た…

↓社号が刻まれた石柱…趣が在る…

宇太水分神社の社号に「式内大社」と冠せられている。これは?927(延長5)年に纏められたという『延喜式』の中で「官社」と指定されていた「式の内に載っている社」というのが「式内社」で、それであることを示しているのだと想像出来る…
「式内社」とされるモノの中に格付けが在り、官幣大社、国幣大社、官幣小社、国幣小社となっている。「官幣」は畿内の社で、「国幣」はそれ以外の各地に在る社であるのだという。宇太水分神社は「大社」に列せられていたということで「式内大社」と石柱に刻まれているのであろう。
尚、神社の社号を記したモノの中には「旧社格」という呼称を冠している場合も見受けられる。これは『延喜式』のような感じで、明治期以降に各地の神社を格付けしたものである。この「旧社格」は、1945(昭和20)年まで広く用いられていた…
話題が逸れそうになったが、宇太水分神社へ戻る…
↓境内へ進めば、酷く貫禄が在る手水場が姿を見せる…

↓そして拝殿が在り、奥に並ぶ本殿の神々に参拝をするようになっている…

↓拝殿の脇から本殿等が視えるが…中央の3棟が組み合わさるような本殿が全て「国宝」の指定を受けていて、脇の2棟の摂社が全て「重要文化財」の指定を受けている…

↑何れも鎌倉時代や室町時代の建築であるようだ…
↓本殿の辺りに少し近付いたが…なかなかに貫禄が在る…

↓少し角度を変えると、この種の建築に特徴的な屋根の感じが判り易いかもしれない…

宇太水分神社は「崇神天皇の時代の創建」と伝えられている。崇神天皇は第10代天皇とされている。疫病退散の祭祀を執り行ったことなどが伝えられているようだが、半ば伝説のような時代の天皇ということになるように思う。そんな遥か昔から、地域と人々の平穏を祈る場が受け継がれ、永い年月の中には様々な困難が生じていたことであろうが、「国宝」や「重要文化財」という指定を受けるような文化財が大切に受継がれているのである。
何か「遥かな時間を超えて受継がれる人々の願い」というようなモノを感じ、ここに立ち寄ることが叶って本当に善かったと思った。
そして…バスの本数が少な目で動き悪いので、少し慌ただしく榛原駅へ引揚げたのだった…