結果的にJRの京終駅から近鉄奈良駅辺りまで…奈良の街中を歩き回ったという日のことだった…
↓歩き廻っていて、「変わった看板?」と足を停めるという場合が在ると思うが…これは些か眼を疑った…
↑「通行困難」となっていて、ここの道路管理者と見受けられる「奈良市」と在る…
「道路が広い!!」という北海道であっても、一部の場所で「狭い…」という道路は無い訳でもない…が…道路管理者の名の下に「通行困難」と明示しているというような例は思い浮かばない…何かの理由―極端な悪天候、積雪深く凍結する冬季の山道、工事や災害による破損…というような理由…―が在って、何処かの道路を通行止めにしてしまう例は思い当たるが…
↓当該の区間…路面にも大きく「この先狭し」と在る…
歩き廻っていたのは<ならまち>と呼び習わされる辺りだった…平城京が遷都によって「宮城を擁する“みやこ”」という機能を喪失した後、「奈良の町」ということで「永い経過」が在って現在に至っているのだと思う。古くから人の往来も盛んな辺りは道幅が広いであろうし、現代の経過の中で道路が拡幅されたというような場所も在るのであろう。しかしながら「手近な辺りに住んでいるか、少々出入りする人達が往来可能であれば事足りる」というような場所では広い道は形成されず…近現代に至っても拡幅ということにならなかったという場所…永い歴史を有する街では存外に見受けられるのであろう…
この場所も、広い道が形成されるに至らないままで現在に至り「車輌の通行?」という道幅に止まっているということなのだと思う。
それにしても、看板を一寸視た時には多少驚いた…「1300年を超える歴史を有する街であるが故…」と、少し後になって感心した。
大和神社(おおやまとじんじゃ)(2019.06.05)
↓大変に古い由緒…何か“神道”というモノが形成されて行く草創期のような時期に登場したと考えられる…「最古」とさえ謳う社を訪ねてみた…
↑現在の奈良県辺りを指し示す旧国名の「大和」という名を冠する社だが…神社の呼称としては「やまとじんじゃ」ではなく「おおやまとじんじゃ」だ…「大和」を「おおやまと」と読ませるのは?この神社の呼称位かもしれない…
↓整然とした感の参道が設けられ、その奥に社が佇む…
↑JR奈良駅から<万葉まほろば線>の列車に乗り、然程の時間も要さず、天理駅の1駅向こうである長柄駅から歩いて10分も要しない感じの場所だ…
↓柄杓を近付けると、センサーで装置が稼働して竜の口から水が出るという…何となく面白い手水場だった…
↓こんな碑が境内に見受けられる…
↑旧海軍の艦船では「艦内神社」と言って、神棚に何処かの神社から神様を勧請して祀っていたそうだ…(現在の自衛隊の艦船でも見受けられるのだが…)この大和神社に関しては、艦名に通じるということで、かの戦艦<大和>でこの神社の神様を勧請して艦内神社に祀っていたのだという…そういう故事に因む碑だ…
↓この神社…天理市の中心街を外れた田や畑が見受けられて住宅が散見しているような、非常に静かな地区の一隅を占めている…
相当に古い起こりを誇り、近現代に至るまで色々な意味で様々な人達の篤い信仰を寄せられていて、現在でも大切にされている社…そういう感を抱いた…この種の「公共交通機関で訪ね易い古くからの社」というような場所は、最近気に入っている訪問場所だ…
↑現在の奈良県辺りを指し示す旧国名の「大和」という名を冠する社だが…神社の呼称としては「やまとじんじゃ」ではなく「おおやまとじんじゃ」だ…「大和」を「おおやまと」と読ませるのは?この神社の呼称位かもしれない…
↓整然とした感の参道が設けられ、その奥に社が佇む…
↑JR奈良駅から<万葉まほろば線>の列車に乗り、然程の時間も要さず、天理駅の1駅向こうである長柄駅から歩いて10分も要しない感じの場所だ…
↓柄杓を近付けると、センサーで装置が稼働して竜の口から水が出るという…何となく面白い手水場だった…
↓こんな碑が境内に見受けられる…
↑旧海軍の艦船では「艦内神社」と言って、神棚に何処かの神社から神様を勧請して祀っていたそうだ…(現在の自衛隊の艦船でも見受けられるのだが…)この大和神社に関しては、艦名に通じるということで、かの戦艦<大和>でこの神社の神様を勧請して艦内神社に祀っていたのだという…そういう故事に因む碑だ…
↓この神社…天理市の中心街を外れた田や畑が見受けられて住宅が散見しているような、非常に静かな地区の一隅を占めている…
相当に古い起こりを誇り、近現代に至るまで色々な意味で様々な人達の篤い信仰を寄せられていて、現在でも大切にされている社…そういう感を抱いた…この種の「公共交通機関で訪ね易い古くからの社」というような場所は、最近気に入っている訪問場所だ…
<和牛ごろごろビーフカレー>(2019.06.05)
朝から奈良で歩き回っていて…午後から夕刻に宿で一息入れて…夕刻に外へ出た…思っていた以上に美しかった景色を、「夕食は後刻に…」ということにして少しばかり愉しんだ…
そして「後刻」ということにした夕食…近鉄奈良駅から然程遠くない辺りでは、午後7時台には閉まっている店も見受けられるが、食事を摂ることが叶う店は多々見受けられた…
↓こういうモノを頂いた…
↑大き目な「ごろごろ」という感じの牛肉がそれなりに多く入っている…
↓サラダと薬味が添えられている…薬味には「奈良漬を刻んだモノ」が在った…奈良の街中の店である…
↓奈良のステーキ店が“支店”のように出したカレーの店だった…「肉へのこだわり…」という感じのカレーライス…非常に好かったが…店は小ぶりな建物の2階に在る…
奈良には…こういうような場所が実は多々在るのかもしれない…
そして「後刻」ということにした夕食…近鉄奈良駅から然程遠くない辺りでは、午後7時台には閉まっている店も見受けられるが、食事を摂ることが叶う店は多々見受けられた…
↓こういうモノを頂いた…
↑大き目な「ごろごろ」という感じの牛肉がそれなりに多く入っている…
↓サラダと薬味が添えられている…薬味には「奈良漬を刻んだモノ」が在った…奈良の街中の店である…
↓奈良のステーキ店が“支店”のように出したカレーの店だった…「肉へのこだわり…」という感じのカレーライス…非常に好かったが…店は小ぶりな建物の2階に在る…
奈良には…こういうような場所が実は多々在るのかもしれない…
<奈良市総合観光案内所>=旧 奈良駅舎(2019.06.05)
何となく…「奈良に滞在」というのが「2019年になってから3回目」となっていた…
↓地元の奈良としては、他所の人が宿泊するというのは歓迎であろうが…
>>「泊まれ」…:奈良の観光振興関係ポスター…(2019.06.05)
結局、「何となく居心地が好い」と足が向く側面が在るのだが…「気に入っている風景」というようなモノが在るから足が向くという側面も在る…
↓この景色が非常に気に入っている…
↑1934年竣工という旧駅舎を広場に動かして、観光案内所等として利用しているのである…
今般は、この場所が見易い場所に陣取ったのでもなかったが…JR奈良駅を利用した際に眺めていた…
↓地元の奈良としては、他所の人が宿泊するというのは歓迎であろうが…
>>「泊まれ」…:奈良の観光振興関係ポスター…(2019.06.05)
結局、「何となく居心地が好い」と足が向く側面が在るのだが…「気に入っている風景」というようなモノが在るから足が向くという側面も在る…
↓この景色が非常に気に入っている…
↑1934年竣工という旧駅舎を広場に動かして、観光案内所等として利用しているのである…
今般は、この場所が見易い場所に陣取ったのでもなかったが…JR奈良駅を利用した際に眺めていた…
興福寺五重塔:夕刻(2019.06.05)
↓好天の夕刻に猿沢池、池の水面に映り込む興福寺の様を眺めていた…
>>灯り…:猿沢池―奈良(2019.06.05)
五重塔をライトアップしているようで、何やら光が判ったので、少し五重塔に近づいてみた…
↓仄かに仮に浮かび上がる感じだ…
↑画の右側の、写っていない箇所に大きな投光器のようなモノが据えられ、五重塔にライトを当てている…
↓雲と光が微妙な空の雰囲気を創り出している感だが、それを背景に「仄かに明るい五重塔」というのが意外に目立つ…
↓木材を複雑に組上げ、独特な形状が造られている様子が照らし出されて面白い…
↑高さは50m在るそうだ…興福寺は火災や戦禍で建物を失って再建している経過が色々と在るというが、五重塔については1426(応永33)年頃に再建されたモノが現在に伝わっているのだという…「600年弱」ということになる…
興福寺は有名寺院で、同時に交通至便な場所だが…考えてみると、自身としては「時間をゆっくりと費やした」という感が薄い…こうやって、在るのか否かも定かではない“次回”の訪問への“課題”に気付く訳である…苦笑が漏れる…
>>灯り…:猿沢池―奈良(2019.06.05)
五重塔をライトアップしているようで、何やら光が判ったので、少し五重塔に近づいてみた…
↓仄かに仮に浮かび上がる感じだ…
↑画の右側の、写っていない箇所に大きな投光器のようなモノが据えられ、五重塔にライトを当てている…
↓雲と光が微妙な空の雰囲気を創り出している感だが、それを背景に「仄かに明るい五重塔」というのが意外に目立つ…
↓木材を複雑に組上げ、独特な形状が造られている様子が照らし出されて面白い…
↑高さは50m在るそうだ…興福寺は火災や戦禍で建物を失って再建している経過が色々と在るというが、五重塔については1426(応永33)年頃に再建されたモノが現在に伝わっているのだという…「600年弱」ということになる…
興福寺は有名寺院で、同時に交通至便な場所だが…考えてみると、自身としては「時間をゆっくりと費やした」という感が薄い…こうやって、在るのか否かも定かではない“次回”の訪問への“課題”に気付く訳である…苦笑が漏れる…
御霊神社:奈良(2019.06.05)
京終駅の駅前に掲出された案内図を視て、<ならまち>と呼びならわされているエリアを目指した歩いた…
「古くからの住宅街」というような趣な街で、何かの配達のような車輌が停まっていて、ドライバーが作業をしている様子が見受けられた…
↓そういう中、最初は停車中の車輌の陰で判り悪かったが、忽然と鳥居が現れた…
↑「神社?」と注目した…<御霊神社>(ごりょうじんじゃ)と鳥居に額が掲げられている…
↓鳥居の脇に「桓武天皇勅願所」と在る…
↑“桓武天皇”と言えば、平城京から長岡京への遷都を計画し、それの進捗が捗々しくなかったことから改めて平安京に遷都したことで知られる、8世紀末に活躍した人物である…その名が掲げられている?相当に古くからの社であることが伺える…
800(延暦19)年に「御霊会」(ごりょうえ)という祭事が催されたことを社の起こりとしているようだ…1200年余りの歴史を有することとなる…
「御霊」(ごりょう)というのは、思いがけない最期を遂げた、「不慮の死」で他界した者の霊魂である。「御霊」という言葉そのものは「死者の霊魂」を指す一般的な語であったものが、「死霊=怨霊」という意味になり、その「祟り」を恐れて祭事を行うようになった。それが「御霊会」(ごりょうえ)であるという。
この御霊神社には、井上皇后(いがみこうごう)、早良親王(さわらしんのう)、他戸親王(おさべしんのう)、伊豫親王(いよしんのう)、藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)、橘逸勢(たちばなのはやなり)と、「御霊」とされた人々が祀られている…
↓然程広くない敷地に、1200年余りの歴史を有する神社…敷地が狭いことに多少驚いたが、同時に「さり気なくこういうモノが辺りに在る」ということが“古都”らしい感じである…
「古くからの住宅街」というような趣な街で、何かの配達のような車輌が停まっていて、ドライバーが作業をしている様子が見受けられた…
↓そういう中、最初は停車中の車輌の陰で判り悪かったが、忽然と鳥居が現れた…
↑「神社?」と注目した…<御霊神社>(ごりょうじんじゃ)と鳥居に額が掲げられている…
↓鳥居の脇に「桓武天皇勅願所」と在る…
↑“桓武天皇”と言えば、平城京から長岡京への遷都を計画し、それの進捗が捗々しくなかったことから改めて平安京に遷都したことで知られる、8世紀末に活躍した人物である…その名が掲げられている?相当に古くからの社であることが伺える…
800(延暦19)年に「御霊会」(ごりょうえ)という祭事が催されたことを社の起こりとしているようだ…1200年余りの歴史を有することとなる…
「御霊」(ごりょう)というのは、思いがけない最期を遂げた、「不慮の死」で他界した者の霊魂である。「御霊」という言葉そのものは「死者の霊魂」を指す一般的な語であったものが、「死霊=怨霊」という意味になり、その「祟り」を恐れて祭事を行うようになった。それが「御霊会」(ごりょうえ)であるという。
この御霊神社には、井上皇后(いがみこうごう)、早良親王(さわらしんのう)、他戸親王(おさべしんのう)、伊豫親王(いよしんのう)、藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)、橘逸勢(たちばなのはやなり)と、「御霊」とされた人々が祀られている…
↓然程広くない敷地に、1200年余りの歴史を有する神社…敷地が狭いことに多少驚いたが、同時に「さり気なくこういうモノが辺りに在る」ということが“古都”らしい感じである…
京終駅(きょうばてえき)(2019.06.05)
↓長柄駅から乗車した列車が、奈良駅の1つ手前になる京終駅に到着した…
↑<万葉まほろば線>という愛称が2010年から用いられているという桜井線では、こういう2輛運行の105系電車が行き交っている…
↓出口へ向かおうと、地下通路を通って駅舎脇の側のホームに…何か「鉄道駅!」という雰囲気が濃厚だ…
↓駅舎からホーム側への出入口に、少し古風な看板が掲げられている…
↑京終駅は1898(明治31)年に、ここに鉄道が開通した当初に開業した駅であるということだ…
「京終」という名だが…これは「平城京の終わる辺り」ということで“京”と“終”が組み合わさって「きょうばて」と読ませる地名になっていたことから起こった駅名であるという…“京”も“終”も難しい字でもないが、組み合わさると「難読…」になってしまう訳だ…
↓酷く趣深い駅舎だ…
↑開業当初から基本的に変わらなかった駅舎の建物が、2017年にJR西日本から奈良市へ譲渡され、奈良市が“復元”を行ったのだという。「古風ながら新しい」という、少し不思議な感じだが、思わず見入ってしまった…
時々思うのだが…「風雪が厳しい時季」という程のモノが無い地域なので、この種の古い建物も永く残り易いのかもしれない…鉄道駅となれば、繁華な街の真中でもなければ「改修が必要という圧力のようなモノ」も発生し悪く、そのまま利用され続け、老朽化する中で「どうする?」ということになって行くのかもしれない。この京終駅も無人駅化されていて「IC乗車券を読み取る装置を設置し、乗降可能なホームが在る」というだけで「用事は足りる」ということになるが…伝統の駅舎を“復元”して利用することにしたようだ…
この京終駅は、奈良市街の南東辺りを動き回ってみる拠点として悪くないと思った。そしてこの明治時代風な駅舎が酷く好い…鉄道を敷設して駅を建てた先人への敬意のようなモノが感じられて好ましい…県庁所在地のメインになる駅の1つの隣でありながら、「ローカル線…」という雰囲気も色濃いのだが…「また寄りたい」という場所だ。
↑<万葉まほろば線>という愛称が2010年から用いられているという桜井線では、こういう2輛運行の105系電車が行き交っている…
↓出口へ向かおうと、地下通路を通って駅舎脇の側のホームに…何か「鉄道駅!」という雰囲気が濃厚だ…
↓駅舎からホーム側への出入口に、少し古風な看板が掲げられている…
↑京終駅は1898(明治31)年に、ここに鉄道が開通した当初に開業した駅であるということだ…
「京終」という名だが…これは「平城京の終わる辺り」ということで“京”と“終”が組み合わさって「きょうばて」と読ませる地名になっていたことから起こった駅名であるという…“京”も“終”も難しい字でもないが、組み合わさると「難読…」になってしまう訳だ…
↓酷く趣深い駅舎だ…
↑開業当初から基本的に変わらなかった駅舎の建物が、2017年にJR西日本から奈良市へ譲渡され、奈良市が“復元”を行ったのだという。「古風ながら新しい」という、少し不思議な感じだが、思わず見入ってしまった…
時々思うのだが…「風雪が厳しい時季」という程のモノが無い地域なので、この種の古い建物も永く残り易いのかもしれない…鉄道駅となれば、繁華な街の真中でもなければ「改修が必要という圧力のようなモノ」も発生し悪く、そのまま利用され続け、老朽化する中で「どうする?」ということになって行くのかもしれない。この京終駅も無人駅化されていて「IC乗車券を読み取る装置を設置し、乗降可能なホームが在る」というだけで「用事は足りる」ということになるが…伝統の駅舎を“復元”して利用することにしたようだ…
この京終駅は、奈良市街の南東辺りを動き回ってみる拠点として悪くないと思った。そしてこの明治時代風な駅舎が酷く好い…鉄道を敷設して駅を建てた先人への敬意のようなモノが感じられて好ましい…県庁所在地のメインになる駅の1つの隣でありながら、「ローカル線…」という雰囲気も色濃いのだが…「また寄りたい」という場所だ。
<奈良ホテル>(2019.06.05)
<奈良ホテル>の“オリジナルブレンド”の珈琲(2019.06.05)
奈良には<奈良ホテル>という老舗ホテルが在る。1909年というから…明治42年―「他界して久しい祖母が産まれたような頃?」と余計な事を思い出すような年代だ…―に創業したホテルだという。創業110年だ…
「創業110年」の<奈良ホテル>は、「皇室御用達」のような高い格式で、立派な建物で気軽に宿泊出来るのでもないが…立派な建物を眺め、館内飲物でも頂いて一息入れ、土産を求めるという程度のことなら…然程難しくもない…
↓こんなモノを求めた…
↓こういう中身だ…
↑200g入りの珈琲…豆を挽いた状態でパックに詰めているモノだ…写真は奈良の宿で撮ってみた…
奈良でさんざん歩いた1日を過ごしたのだったが…その途次に<奈良ホテル>館内で珈琲を頂いて一息入れ、出口へ向かう途中の売店を覗けば、「オリジナルブレンド」が販売されていた。思わず求め…奈良の宿から拙宅へ送り込み、無事に受け取ったところだ…
豆を挽いた状態なので、そのままドリップをすれば好い訳で…早速に早朝から頂いている。なるほど、<奈良ホテル>館内で頂いた感じ…「バランスが好い、珈琲らしい苦さ」という具合だ…
拙宅では<NARA>という、某有名カフェチェーンが地域名を入れて製造して販売しているシリーズの大き目なマグカップを使っているが…「奈良の老舗ホテルのオリジナルブレンドの珈琲を<NARA>のカップで…」ということをやっている訳だ…
こういうような…老舗の雰囲気を伝え、旅の余韻に浸ることも出来るような代物…凄く好い!!
「創業110年」の<奈良ホテル>は、「皇室御用達」のような高い格式で、立派な建物で気軽に宿泊出来るのでもないが…立派な建物を眺め、館内飲物でも頂いて一息入れ、土産を求めるという程度のことなら…然程難しくもない…
↓こんなモノを求めた…
↓こういう中身だ…
↑200g入りの珈琲…豆を挽いた状態でパックに詰めているモノだ…写真は奈良の宿で撮ってみた…
奈良でさんざん歩いた1日を過ごしたのだったが…その途次に<奈良ホテル>館内で珈琲を頂いて一息入れ、出口へ向かう途中の売店を覗けば、「オリジナルブレンド」が販売されていた。思わず求め…奈良の宿から拙宅へ送り込み、無事に受け取ったところだ…
豆を挽いた状態なので、そのままドリップをすれば好い訳で…早速に早朝から頂いている。なるほど、<奈良ホテル>館内で頂いた感じ…「バランスが好い、珈琲らしい苦さ」という具合だ…
拙宅では<NARA>という、某有名カフェチェーンが地域名を入れて製造して販売しているシリーズの大き目なマグカップを使っているが…「奈良の老舗ホテルのオリジナルブレンドの珈琲を<NARA>のカップで…」ということをやっている訳だ…
こういうような…老舗の雰囲気を伝え、旅の余韻に浸ることも出来るような代物…凄く好い!!
早暁…:猿沢池―奈良(2019.06.06)
「泊まれ」…:奈良の観光振興関係ポスター…(2019.06.05)
灯り…:猿沢池―奈良(2019.06.05)
夕刻…:猿沢池―奈良(2019.06.05)
午後…:猿沢池―奈良(2019.06.05)
<入江泰吉記念奈良市写真美術館>(2019.06.05)
奈良には「写真美術館」が在ると聞いていた…が、訪ねたことは無かった…
JR奈良駅や近鉄奈良駅からであれば、バスに乗車して更に歩くような場所に在るということだが…私はJR京終駅からフラフラと相当な距離を、「少々蒸し暑いような感…」という中で歩いて至った…
↓こういう感じで佇んでいる…
この写真美術館は、奈良出身であって地元で活動を続けた写真家、入江泰吉(1905-1992)を記念したモノで、奈良県の貴重な記録でもある同氏の作品や、国内外の様々な写真作品を展示する場となっている…
入江泰吉は「美しい大和路」というイメージを発信し続けた写真家である。その作品をここで拝見したが…「素晴らしい!」という貧弱な語彙でしか表現出来ないことがもどかしいような、本当に美しい作品が多かった…
序に…御本人が愛用していた、コダック、ライカ、ハッセルブラッド、リンホフテフニカのカメラも飾られていた…これも興味津々で拝見した…
↓地上1階、地下1階の建物で、地上部分は「硝子の壁面に瓦屋根を載せる」という独特な外観だ…
↓庭が設えられている横側の眺めも素敵だ…
館内には、色々な人達が作品を発表するスペースも設えられていて、素敵な作品を展示中なので拝見した。関係者の方と言葉を交わしたが、その方は時間を設けて北海道に何度も写真を撮りに出掛けた経過が在るということだ。私は逆に北海道から関西方面に出ている訳だが…
愉しく写真作品を見学したが、この独特な建物の様子が凄く好い…
>>入江泰吉記念奈良市写真美術館 ウェブサイト
JR奈良駅や近鉄奈良駅からであれば、バスに乗車して更に歩くような場所に在るということだが…私はJR京終駅からフラフラと相当な距離を、「少々蒸し暑いような感…」という中で歩いて至った…
↓こういう感じで佇んでいる…
この写真美術館は、奈良出身であって地元で活動を続けた写真家、入江泰吉(1905-1992)を記念したモノで、奈良県の貴重な記録でもある同氏の作品や、国内外の様々な写真作品を展示する場となっている…
入江泰吉は「美しい大和路」というイメージを発信し続けた写真家である。その作品をここで拝見したが…「素晴らしい!」という貧弱な語彙でしか表現出来ないことがもどかしいような、本当に美しい作品が多かった…
序に…御本人が愛用していた、コダック、ライカ、ハッセルブラッド、リンホフテフニカのカメラも飾られていた…これも興味津々で拝見した…
↓地上1階、地下1階の建物で、地上部分は「硝子の壁面に瓦屋根を載せる」という独特な外観だ…
↓庭が設えられている横側の眺めも素敵だ…
館内には、色々な人達が作品を発表するスペースも設えられていて、素敵な作品を展示中なので拝見した。関係者の方と言葉を交わしたが、その方は時間を設けて北海道に何度も写真を撮りに出掛けた経過が在るということだ。私は逆に北海道から関西方面に出ている訳だが…
愉しく写真作品を見学したが、この独特な建物の様子が凄く好い…
>>入江泰吉記念奈良市写真美術館 ウェブサイト
早朝…:JR奈良駅(2019.04.03)
始発の列車に乗って奈良から京都…自身のような「他地域から関西へ旅行」という中では「少数派なやり方?」という感なのかもしれない。「大阪や京都に滞在して、奈良を訪ねる」というのが多数派であると言われている…「奈良に滞在して、京都を訪ねる」ということをやってしまった訳だ…
↓早朝、午前4時半を過ぎたような頃…流石に静かだ…
↓東京・名古屋間が先行し、後から大阪に伸ばすという<リニア新幹線>に関して、「是非、奈良を経由するルートに!」という運動に力が入っているらしく、奈良駅に入る階段に広告が在る…
↑こういう「階段を利用した広告」というモノは、静かな時間帯に眺めるのが見易い…
↓高架駅になっている奈良駅に入ったが…人が少ないので、異様なまでに広々として見える…
↓この早朝の奈良駅で…少し懐かしい型の車輌で運用されていた列車に乗車したのだった…
>>103系電車:JR奈良駅(2019.04.03)
拙宅に奈良県の酒が残っていて、時々頂くということも手伝い、「奈良に滞在して過ごした休暇」というのが酷く懐かしいような気がする場合が多い…
↓早朝、午前4時半を過ぎたような頃…流石に静かだ…
↓東京・名古屋間が先行し、後から大阪に伸ばすという<リニア新幹線>に関して、「是非、奈良を経由するルートに!」という運動に力が入っているらしく、奈良駅に入る階段に広告が在る…
↑こういう「階段を利用した広告」というモノは、静かな時間帯に眺めるのが見易い…
↓高架駅になっている奈良駅に入ったが…人が少ないので、異様なまでに広々として見える…
↓この早朝の奈良駅で…少し懐かしい型の車輌で運用されていた列車に乗車したのだった…
>>103系電車:JR奈良駅(2019.04.03)
拙宅に奈良県の酒が残っていて、時々頂くということも手伝い、「奈良に滞在して過ごした休暇」というのが酷く懐かしいような気がする場合が多い…
<奈良市総合観光案内所>=旧 奈良駅舎(2019.04.04)
<久保本家酒造>(2019.04.02)
古い街並みの古い建物に、老舗の酒造会社が立地しているという状況…なかなかに好い感じだ…大宇陀ではそういう状況に出くわす…
↓元禄年間―17世紀末から18世紀初頭―に起こった酒蔵を発祥とする老舗の酒造会社が在る…
↑酒の直売も行っていて、買い出しに出て来ている人達も見受けられた…
↓建物の屋根の感じが独特だ…
↓ここでも酒を求めた…(これ以外の酒も未だ在るのだが…)
>><純米吟醸 初霞>(2019.04.10)
初めて訪ねた街だったが…何か「郷愁」のようなモノが込み上げるという感だった…訪ねてから少しだけ時間が経ち、何となく「また訪ねたい…」とぼんやりしている時に大宇陀を思い出してしまう…
↓元禄年間―17世紀末から18世紀初頭―に起こった酒蔵を発祥とする老舗の酒造会社が在る…
↑酒の直売も行っていて、買い出しに出て来ている人達も見受けられた…
↓建物の屋根の感じが独特だ…
↓ここでも酒を求めた…(これ以外の酒も未だ在るのだが…)
>><純米吟醸 初霞>(2019.04.10)
初めて訪ねた街だったが…何か「郷愁」のようなモノが込み上げるという感だった…訪ねてから少しだけ時間が経ち、何となく「また訪ねたい…」とぼんやりしている時に大宇陀を思い出してしまう…
<芳村酒造>(2019.04.02)
宇陀松山…近鉄の榛原駅からバスで訪ねる大宇陀に在る古い街並み…そこに酒造会社が立地している…
↓その酒造会社の1つである芳村酒造である…
↓幾つかの古い建物に入っている会社だが、1868年の創業らしい…
↑なかなかに風情溢れる建物だ…
少し歩いた先の銘木<又兵衛桜>を観た際、辺りでカップ酒が売られていて、それを美味しく頂いた…そのカップ酒を造っているのが<芳村酒造>と記憶していて…街で見付けたので寄った訳だ…
↓求めてみたのがこれである…
>>「又兵衛桜」のラベルの<千代の松>(2019.04.26)
↓その酒造会社の1つである芳村酒造である…
↓幾つかの古い建物に入っている会社だが、1868年の創業らしい…
↑なかなかに風情溢れる建物だ…
少し歩いた先の銘木<又兵衛桜>を観た際、辺りでカップ酒が売られていて、それを美味しく頂いた…そのカップ酒を造っているのが<芳村酒造>と記憶していて…街で見付けたので寄った訳だ…
↓求めてみたのがこれである…
>>「又兵衛桜」のラベルの<千代の松>(2019.04.26)
鴨都波神社(かもつばじんじゃ):奈良県御所市(2019.04.02)
<松山西口関門>:奈良県宇陀市(2019.04.02)
大阪と名古屋とを結ぶ近鉄の沿線、奈良県のやや東寄りに在る榛原駅からバスに乗って大宇陀という場所へ…そこには「宇陀松山」と呼ばれた城下町の面影を伝える、古い建物が独特な雰囲気を醸し出す地区が在る…
↓その城下町の面影を伝える地区の端に相当する辺りに門が在る…
↑城下町の出入口であったと思わせる設えだ…
↓碧空にやや多めな雲が流れるというような天候だった…
宇陀松山は…関ケ原合戦の後に福島家の本拠になったが、「大坂夏の陣」の頃に改易となった…そして、その頃未だ存命だった織田信長の次男の織田信雄がこの地を与えられた…以降、織田家が宇陀松山を世襲していくが、4代目の織田信武が<宇陀崩れ>と呼ばれる“お家騒動”で自殺してしまった…5代目は織田信休が継ぐが、転封となり、宇陀松山の大名家は途絶えてしまった…
↓この門を、どんな人達が通り抜けたのか?色々と考えながら暫し眺めていた…
↓その城下町の面影を伝える地区の端に相当する辺りに門が在る…
↑城下町の出入口であったと思わせる設えだ…
↓碧空にやや多めな雲が流れるというような天候だった…
宇陀松山は…関ケ原合戦の後に福島家の本拠になったが、「大坂夏の陣」の頃に改易となった…そして、その頃未だ存命だった織田信長の次男の織田信雄がこの地を与えられた…以降、織田家が宇陀松山を世襲していくが、4代目の織田信武が<宇陀崩れ>と呼ばれる“お家騒動”で自殺してしまった…5代目は織田信休が継ぐが、転封となり、宇陀松山の大名家は途絶えてしまった…
↓この門を、どんな人達が通り抜けたのか?色々と考えながら暫し眺めていた…
<大阪近鉄バファローズ>のキャップ…(2019.04.02)
行基…(2019.04.01)
<大和牛>のステーキ…(2019.04.02)
奈良の三条通へ夕食に出た…フラフラとしながら、何となく眼に留めた店に寄ろうとしていたのだったが…入ってみたのは「鉄板焼きの店」であった。
とりあえずカウンターに通された。眼前にモノを保温出来る鉄板が在る状況で、脇の調理スペースでスタッフの方が色々な焼物料理を作っていた…ホール係が客席と奥とを行き交い、出来上がった料理や飲物を運んでいる…
メニューを見て…とりあえず清酒を1杯頂きながら頼んだ料理を待った…
↓出て来た!これが<大和牛>のステーキだ!
↑立方体に近いような形に切り分けて在る肉を鉄板で焼き、それを一寸カットして、並行して用意していた副菜と合わせて提供するというスタイルだ…
「適度の脂身」という程度の柔らかい肉で、なかなかに好かった!!一寸ガツガツと頂いた…塩を一寸点けて頂いた…
<大和牛>…現在の奈良県に相当する地域では、古くから牛を飼っていたという…肉を一定程度盛んに食べるようになったのは明治以降であるが…丁度、この日の日中に訪ねてみた地域に相当するのだが、宇陀地方で肉牛の肥育が盛んであるそうだ…
奈良県の牛肉に関しては色々な呼び名が在ったようだが、2003年頃から<大和牛>という呼称を用い始めたということである。未だ…凄く知名度が高いということでもない。他所の所謂“ブランド牛肉”よりも、相対的に安価なのかもしれないと思ったが…個人的には、他所の所謂“ブランド牛肉”の価格帯がハッキリと判らない側面も否めず、「何となく…こんな感じ?」と<大和牛>を愉しんだ次第だ…
出先での「ほんの少々の奮発?」というような食事…時には好い…
とりあえずカウンターに通された。眼前にモノを保温出来る鉄板が在る状況で、脇の調理スペースでスタッフの方が色々な焼物料理を作っていた…ホール係が客席と奥とを行き交い、出来上がった料理や飲物を運んでいる…
メニューを見て…とりあえず清酒を1杯頂きながら頼んだ料理を待った…
↓出て来た!これが<大和牛>のステーキだ!
↑立方体に近いような形に切り分けて在る肉を鉄板で焼き、それを一寸カットして、並行して用意していた副菜と合わせて提供するというスタイルだ…
「適度の脂身」という程度の柔らかい肉で、なかなかに好かった!!一寸ガツガツと頂いた…塩を一寸点けて頂いた…
<大和牛>…現在の奈良県に相当する地域では、古くから牛を飼っていたという…肉を一定程度盛んに食べるようになったのは明治以降であるが…丁度、この日の日中に訪ねてみた地域に相当するのだが、宇陀地方で肉牛の肥育が盛んであるそうだ…
奈良県の牛肉に関しては色々な呼び名が在ったようだが、2003年頃から<大和牛>という呼称を用い始めたということである。未だ…凄く知名度が高いということでもない。他所の所謂“ブランド牛肉”よりも、相対的に安価なのかもしれないと思ったが…個人的には、他所の所謂“ブランド牛肉”の価格帯がハッキリと判らない側面も否めず、「何となく…こんな感じ?」と<大和牛>を愉しんだ次第だ…
出先での「ほんの少々の奮発?」というような食事…時には好い…
日没後…:<奈良市総合観光案内所>=旧 奈良駅舎(2019.04.02)
ガラス越しに…:奈良・三条通(2019.04.01)
JR御所駅(2019.04.02)
御所(ごせ)には近鉄の駅とJRの駅とが在る…
近鉄の駅に辿り着いた後に辺りを歩き回ったが…「引き揚げようか…」とした時に、何となくJRの駅が近くに在った…
↓これがJRの駅だ…
↑何か…「地方の然程大規模でもない街の古くから在る駅」というモノの“典型”という感じだ…風情が在ると思った…
改札口の辺りに“入場用”、“出場用”のICカード乗車券の機器が据えられている。ワンマン運行の列車で、車内で運賃を現金で支払う他にこのICカード乗車券が利用可能な訳だ…自身もこれを利用したのだったが…そして券売機も建物の中に在った…
少し待つと高田に出る列車がやって来て、そこから乗り換えて逗留中の宿が在る奈良へ出易いということが判った…15分強の待ち時間だったが、列車を待つことにした…
御所駅は1896(明治29)年に開業したそうだ…貨物の扱いも盛んに行っていた時代も在るという…1984(昭和59)年にこの辺りの電化が完成し、以降は現在に至っても専ら電車が行き交って旅客輸送を行っている…鉄道の“国有化”以降は国鉄駅として歩み、JR西日本が継承して現在に至っている…
↓駅舎からホームに出るとこういう感じだ…
↑高田へ向かう列車に乗るホームには跨線橋を渡って出る…列車がやって来た…
利用した時は2輌運行の電車だった…高校生と見受けられる制服姿の若者が何となく目立つ感じだった…
関西圏には「非常に大掛かりな大都市の駅」という趣きな場所に対して、こういうような雰囲気の場所も存外に多い…そして、そういう場所を巡ってみるのが存外に愉しい…
近鉄の駅に辿り着いた後に辺りを歩き回ったが…「引き揚げようか…」とした時に、何となくJRの駅が近くに在った…
↓これがJRの駅だ…
↑何か…「地方の然程大規模でもない街の古くから在る駅」というモノの“典型”という感じだ…風情が在ると思った…
改札口の辺りに“入場用”、“出場用”のICカード乗車券の機器が据えられている。ワンマン運行の列車で、車内で運賃を現金で支払う他にこのICカード乗車券が利用可能な訳だ…自身もこれを利用したのだったが…そして券売機も建物の中に在った…
少し待つと高田に出る列車がやって来て、そこから乗り換えて逗留中の宿が在る奈良へ出易いということが判った…15分強の待ち時間だったが、列車を待つことにした…
御所駅は1896(明治29)年に開業したそうだ…貨物の扱いも盛んに行っていた時代も在るという…1984(昭和59)年にこの辺りの電化が完成し、以降は現在に至っても専ら電車が行き交って旅客輸送を行っている…鉄道の“国有化”以降は国鉄駅として歩み、JR西日本が継承して現在に至っている…
↓駅舎からホームに出るとこういう感じだ…
↑高田へ向かう列車に乗るホームには跨線橋を渡って出る…列車がやって来た…
利用した時は2輌運行の電車だった…高校生と見受けられる制服姿の若者が何となく目立つ感じだった…
関西圏には「非常に大掛かりな大都市の駅」という趣きな場所に対して、こういうような雰囲気の場所も存外に多い…そして、そういう場所を巡ってみるのが存外に愉しい…
川沿いの桜…:御所(2019.04.02)
今般訪ねてみた地域で気付いたのだが…河原と言うのか、川の堤防の辺りと言う方が好いのか…「川に沿って桜の木」という例が多かったように思う。明確に都市公園ということで整備された辺りに植えているという感の場所も在れば、何時の頃か誰かが植えて定着というように見えた場所も在ったが…
花の按配については、色々な状態が見受けられたが、花の時季であったことから、方々で「川に沿って桜が咲いている」という状況を見た…
↓奈良県御所市…奈良県内を何箇所か巡っていた中で辿り着いた街だった…
↑川沿いに見事に桜が咲いていた…
↓天候が不安定な感じの午後…時折降雨が交じる湿った空気感の中、桜が酷く艶やかであるような気がした…
↓何となく歩き、雨が交じったので、然程長くは滞在しなかった御所であるが…桜の艶やかさが記憶に残る…
花の按配については、色々な状態が見受けられたが、花の時季であったことから、方々で「川に沿って桜が咲いている」という状況を見た…
↓奈良県御所市…奈良県内を何箇所か巡っていた中で辿り着いた街だった…
↑川沿いに見事に桜が咲いていた…
↓天候が不安定な感じの午後…時折降雨が交じる湿った空気感の中、桜が酷く艶やかであるような気がした…
↓何となく歩き、雨が交じったので、然程長くは滞在しなかった御所であるが…桜の艶やかさが記憶に残る…
103系電車:JR奈良駅(2019.04.03)
奈良から京都へ…JRの始発列車は早朝の4時48分に発車する…
「早寝早起き」な性分で、加えて「プラス2時間」な時間帯での暮らしに慣れた身体にとって、「4時半頃に出て、歩いて数分の駅に入って乗車」というのは「6時台に行動開始」というのと大差が無いように感じる…
という訳で早朝の奈良駅に入って、改札口の案内表示を見て「京都行 普通列車」の出るホームへ…
↓「うゎ!懐かしいような感じ…」と少し驚いた車輛がホームで乗客を待っていた…
↑列車の後尾側だったが…最近のJR西日本では比較的多く視掛ける女性の車掌の姿が見えた…
この車輛!!学生時代に東京で視掛け、そして幾度となく乗車していた型だ…凄く懐かしい!
これは103系電車というモノで、1963年から1984年までの21年間に3,447両製造されたそうだ…そしてJR各社(東日本、東海、西日本、九州)に引き継がれ、現在はJR西日本とJR九州に残っているそうだ…
↓中に入れば、他の乗客も眼に付かないので…一寸、中の雰囲気を撮っておいた…
↑天井の扇風機…“JNR”マークではなく“JR西日本”に改められている…或いはプレートを貼っているのか?
↓この「車内に入り込んだ時」の雰囲気…何か独特だ…
↓車輛形式を示すプレートに「クハ103-216」と103系電車の1輛であることが明記されている…
↑荷物を置く棚の感じ…パイプと金網を組み合わせたような感じで、文字どおりの“網棚”だ…
↓出入口の扉上に見受けられる「停車駅ご案内」の掲示…個人的にはこれが意外に好きである…
↑扉が開いているので、向こうのホームに別な列車が停車中であるのが視えているが…明らかにこの103系とは「産まれた時代が違う…」という感だ…
↓内装は色々と細かく改められているのであろう…“優先席”の座席には、最近よく視掛けるような柄―優先席を利用して頂く人達をイメージしたピクトグラムが入っている―の生地を貼っている…
↓この103系電車による列車に乗って…京都駅の手前、東福寺駅に向かった…
関西圏は、真新しい車輛の他に、こういう「懐かしい!」という車輛が未だ頑張っている…そんな車輛に出くわすのも一寸面白い…
「早寝早起き」な性分で、加えて「プラス2時間」な時間帯での暮らしに慣れた身体にとって、「4時半頃に出て、歩いて数分の駅に入って乗車」というのは「6時台に行動開始」というのと大差が無いように感じる…
という訳で早朝の奈良駅に入って、改札口の案内表示を見て「京都行 普通列車」の出るホームへ…
↓「うゎ!懐かしいような感じ…」と少し驚いた車輛がホームで乗客を待っていた…
↑列車の後尾側だったが…最近のJR西日本では比較的多く視掛ける女性の車掌の姿が見えた…
この車輛!!学生時代に東京で視掛け、そして幾度となく乗車していた型だ…凄く懐かしい!
これは103系電車というモノで、1963年から1984年までの21年間に3,447両製造されたそうだ…そしてJR各社(東日本、東海、西日本、九州)に引き継がれ、現在はJR西日本とJR九州に残っているそうだ…
↓中に入れば、他の乗客も眼に付かないので…一寸、中の雰囲気を撮っておいた…
↑天井の扇風機…“JNR”マークではなく“JR西日本”に改められている…或いはプレートを貼っているのか?
↓この「車内に入り込んだ時」の雰囲気…何か独特だ…
↓車輛形式を示すプレートに「クハ103-216」と103系電車の1輛であることが明記されている…
↑荷物を置く棚の感じ…パイプと金網を組み合わせたような感じで、文字どおりの“網棚”だ…
↓出入口の扉上に見受けられる「停車駅ご案内」の掲示…個人的にはこれが意外に好きである…
↑扉が開いているので、向こうのホームに別な列車が停車中であるのが視えているが…明らかにこの103系とは「産まれた時代が違う…」という感だ…
↓内装は色々と細かく改められているのであろう…“優先席”の座席には、最近よく視掛けるような柄―優先席を利用して頂く人達をイメージしたピクトグラムが入っている―の生地を貼っている…
↓この103系電車による列車に乗って…京都駅の手前、東福寺駅に向かった…
関西圏は、真新しい車輛の他に、こういう「懐かしい!」という車輛が未だ頑張っている…そんな車輛に出くわすのも一寸面白い…