京都タワーを見上げる…(2023.12.28)

敦賀駅を発ち、京都駅に着き、荷物をロッカーに預けて街を少し歩き廻っていた。

陽が沈むのが早目な12月の街を歩いていた。そして駅で荷物を回収し、四条烏丸に求めた宿へ向かおうとしていた。

↓京都駅辺りに至って、何となく見上げてしまった。
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↑灯りも目立ち始めた中、天の様が面白いと思った。

↓不思議な形の雲が、夕方の光加減の中で拡がっていた。
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出先で観るこういうような様子は、戻って少し時間を経ても簡単に忘れられないものであると思う。
posted by Charlie at 03:49Comment(0)京都府

鴨川デルタ…(2023.12.28)

出町柳駅の周辺を動き廻り、遅めな昼食を愉しみ、そこから移動しようとしていた。

↓眼に留まった光景だ。賀茂川と高野川の合流地点の三角地帯というような辺りである。
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↑川に何となく人々が集まって、各々に身体を動かす、寛ぐというような具合に過ごしている。

所謂「鴨川デルタ」である。京都府立鴨川公園の一部ということだが、1990年代位に辺りの一部の学生等の間で「デルタ」という「三角州」を意味する呼び方が起こり、アニメ化されてヒットした小説作品の作中人物が使った用語ということで人口に膾炙するようになったと言われているようだ。古い時代には「糺河原」(ただすがわら)というような呼び方―近くの下賀茂神社の辺りに「糺の森」(ただすのもり)という場所も在る―が在って、比較的近年でも辺りの人達は単に「三角州」と称するような感じだったようだ。

↓1993年に設置されたという飛び石を伝っている人達の姿が覗く。この時は天の雲の感じ、光の加減が少し面白かった。
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posted by Charlie at 06:54Comment(0)京都府

新風館…(2023.12.29)

↓何か、少し古くからの歴史を誇る大学か何かの建物を想わせる雰囲気だ。
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↓南北に延びる烏丸通と東西に延びる御池通が交差する辺りの地下鉄の烏丸御池駅から少し南側、御池通と三条通との間辺りというような場所に建っている建物だ。
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この建物は1926年に竣工し、1931年に増築されたという「京都中央電話局」である。「電話局」の名のとおり電話交換業務が行われる場所であったそうだ。やがてNTTの前身である電電公社が利用していた。その後、改築されて<新風館>という商業施設となり、2001年から2016年迄営業した。2020年に再度の改築で、商業施設として開業して現在に至っている。

↓地下2階、地上7階で高さは31mも在るそうだ。
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↓「中庭」というような設えの場所も在って、面白い場所だ。
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現在は各種の小売店やカフェ、そしてホテルが入っている。京都では何度か立寄っている。少し雰囲気が好い場所だ。
posted by Charlie at 03:22Comment(0)京都府

烏丸御池駅…(2023.12.29)

↓地下鉄駅の通路というモノは、何処であっても独特な“雰囲気”が在る。
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↑京都の街を行き交う地下鉄は烏丸線と東西線との2路線だが、両路線が交差する乗換駅が烏丸御池駅だ。

↓「埋蔵文化財」について紹介している銘板が在った。
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↑長い歴史を経ていて、様々なモノが土中に埋まっているという京都だ。「地下鉄工事」となると、そういう埋まっているモノの中に混じる「文化財」の調査が必要で、なかなかに苦労が多かったらしい。

何となく思ったのは、「埋蔵文化財」そのものも大切だが、「発掘調査のようなことをしながら工事を進めた地下鉄」という「歴史」が興味深い。何処の地域でも、地下を掘れば意外なモノが出て来る場合は多かろうが、京都は格別であるように思える。

各地でこういう様子に触れるのも興味深い。
posted by Charlie at 03:21Comment(0)京都府

六孫王神社…(2023.12.29)

JRまたは近鉄の京都駅で昼食を愉しんだ後に戸外へ出れば、駅の南西寄りな辺りに在った。「JR京都駅」については、京都タワーが視易い側が北寄りで、反対側は南寄りだ。更にその南北の後に東西を考えるような感じだと個人的には思う。昼食を愉しんだ辺りは、近鉄の列車が発着するやや西寄りな辺りから地上に降りたような、少し西寄りな辺りであった。

↓その京都駅の南西寄りな辺りを少し西側へ進むとこういうようなモノに行き当たる。
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↑「六孫王神社」は「ろくそんのうじんじゃ」と読む。

「六孫王」とは源経基(生年不詳―961年)という人物のことであるという。他界した時は45歳であったとも伝えられる。

源経基は清和天皇の第6皇子の子であり、皇族として「六孫王」と称していて、後に臣籍に下って源姓を賜って源経基と名乗ったのだという。源経基は、所謂「清和源氏」の始祖とされる。

↓鳥居や社殿が見える辺りに歩を進めた。
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↓無事のここを訪ねられたことに感謝の意を評しながら参拝した。
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↓清和源氏の始祖を祀った神社で、何か「強い力」というような何かを感じる場所でもあった。
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↓参拝して御朱印を頂いた。右の頁である。
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何か「“貴族”としての“武家”」という独自な存在感を示していた源氏の一族の根源を感じさせるような神社であると感じた。この種の場所に寄ってみるのは興味深いものだ。
posted by Charlie at 02:51Comment(0)京都府

粟田神社…(2023.12.29)

「京の七口」と呼ばれるモノが在る。厳格に定まっているのでもないが、京都と他地域とを結ぶ経路の出入口となっている場所を指し示す。“鞍馬口”、“大原口”、“荒神口”、“粟田口”、“竹田口”、“丹波口”、“長坂口”等がそうした場所として知られている。

“粟田口”は三条通に面していて、近世の東海道や中山道に通じる道筋であったのだが、古くから関も設けられていて「粟田口」という呼び方が在ったという。

↓その“粟田口”に粟田神社は在る。
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↓青蓮院門跡に近い辺りに鎮座する神社ということにもなる。
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↓石段と坂道を合わせたような場所を上って参拝する。
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↓立派な御神馬も在る。
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↓古くから「旅立ちの神」ともされるのが、この粟田神社であるらしい。
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↓粟田神社と、辺りで活動した刀鍛冶に関する神社の御朱印を合わせて頂いた。
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この粟田神社は、青蓮院を訪ねた際に「近くに少し大きな神社…」と気付いて立寄った場所だ。出くわして善かったと思う。社寺が多い地域では、こういう「半ば偶然の出会い」が多いように思うが、そういうのも好いと思う。
posted by Charlie at 02:49Comment(0)京都府

青蓮院門跡…(2023.12.29)

何度か辺りを通り過ぎていて、訪ねてみた経過は無い。そういう場所が気になれば、何とか機会を設けて訪ねてみたくなる。

↓そういう訳で訪ねてみた場所だ。
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「門跡」というのは、皇族や摂関家等の身分が非常に高い家の子弟が入って代表というような地位に就く寺を指し示す表現である。比叡山の中に在った僧房に起源を持つとされる青蓮院もそうした「門跡」の一つだ。

1150年頃に現在の場所で鳥羽上皇の祈願所の一つとしての位置を固めて「門跡」というようになって行ったようだ。時代が下って、1788(天明8)年に大きな火災が在った際、当時の後桜町上皇の仮の仙洞御所が青蓮院に置かれた経過が在り、地名に因んで「粟田御所」とも呼ばれているそうだ。因みに後桜町上皇は、2023年現在、「女性の天皇」の「最後の例」ということになるようだ。

↓こうした史跡をゆっくりと拝観する、参拝するというようなことは興味深いものだ。
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↓建物の改修等も行われ、史跡を、貴重な旧い建物を後世に伝える努力が重ねられている。
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↓写真撮影は原則的に認めていないという様子も伺える屋内を見学し、庭の側に出てみた。
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↓この種の竹林は北海道では見受けられないので一寸注目する。
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↓境内や辺りの楠は「青蓮院の楠」として少し知られている。
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↓これはやや驚く。
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↓鐘楼の鐘を随意に撞いて構わないことになっている。
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実は殆ど開門と同時に青蓮院門跡に入った。施設管理の仕事に携わっている方が「お待たせしました…」と開門して、来訪者に声を掛けている。自身も話し掛けられたが、「中へ入られるなら鐘に注目して頂きたい。京都の数在る古刹で鐘を随意に撞いて構わないことになっている例は殆ど無い」と御紹介頂いた。「有難うございます!」と中に入って見学したが、なるほど、随意に撞いて構わないことになっている。

↓こういうように注意書きは在った。出鱈目に鐘を鳴らすものでもない…
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自身が無事に京都へ至ってゆったりと過ごしていることに感謝の意を表しながら、仏の心で不穏な世界情勢が安定するようにというようなことを祈りながら、慎重に金を撞いてみた。大きな反響の音も響く様子を聞いて、手を合わせて祈った。

「青蓮院」という名に関しては、幕末の歴史に登場する中川宮が青蓮院に在って「青蓮院宮」とも呼ばれたというようなことが記憶に残っていて、場所に少し興味が在った。そういうことで、ここを訪ねられて善かったと思う。

地下鉄東山駅から近い、訪ね易い場所でもあるので、また訪ねてみたいというように思う。
posted by Charlie at 05:20Comment(0)京都府

七条大橋…(2023.12.28)

JRの京都駅に着いた後、京阪電車に乗ろうと七条へ向かった。

↓京阪電車の七条駅は地下だ。地下との間で出入りする階段の傍、川に大きな橋が架かっている。
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↑1911(明治44)年着工で1913(大正2)年竣工の七条大橋である。

↓長さが82mで幅は18mであるという。嘗ては、この橋の上を路面電車が走っていたということだ。
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↑早目に陽が傾く、この時季ならではの光が好い感じだと思った。

「コンクリート橋梁」としては、日本国内では早い時期に登場したモノと見受けられる。着工、竣工の当時の「最新」のモノである。「京都」というのは「時代毎の“最新”」が幾重にも折重なっている場所なのだと思う。こういう明治末期の橋梁もそうした事例の一つだと思う。

こういう橋梁を造る技術を応用し、稚内港北防波堤ドームが造られたという経過も聞くので、この橋梁を眺めるのは興味深い。京都に立寄って、時間が少し在ると、一寸眺めてみたくなる場所だ。
posted by Charlie at 19:19Comment(0)京都府

地下鉄一日券…:京都(2023.12.29)

↓この券が在ると、京都の地下鉄の烏丸線と東西線に朝から夜迄、何回でも随意に乗降可能だ。「一日券」である。
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↑今般、四条駅でこの券を求めて利用した。

京都の街では様々な行先に細かく行けるバスの人気が非常に高いように思う。地下鉄は「線の動き」で大雑把なのに対し、バスは「面の動き」で隅々に届き易いということだと思う。

自身は、京都ではバスに乗る場合も在るのだが、寧ろ「地下鉄の駅まで出て、後はゆっくり歩く」というようなことをして方々を訪ねてみる場合が相対的に多い。今般の京都では地下鉄には乗ったが、バスには乗車しなかった。そんな場合も在る。

京都に限らず、こういう「地下鉄一日券」というようなモノは好きだ。この種の券を手に、気儘に、気楽に動き回ることが叶うような街が好いと思う。
posted by Charlie at 03:46Comment(0)京都府

清明神社のトートバッグ…(2023.12.31)

清明神社を訪ねた際に求めてしまった。
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↑五芒星の形の清明桔梗という紋や、清明神社の社殿の画が入っている。

連泊することになっていた大阪の宿で、朝食前の早朝に少々散策しようと思い付き、これを引っ張り出して使った。何か気に入った。

※ 写真は大阪の宿で撮ったが、モノは京都での想い出に纏わるので、記事は「京都府」のカテゴリに入れる。
posted by Charlie at 19:00Comment(0)京都府

500系新幹線…:<京都鉄道博物館>(2023.12.29)

↓博物館の展示車輛ならではという感じの角度、近さでこの新幹線車輛を眺め入った。
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500系は1996(平成8)年から1998(平成10)年に製造された新幹線の電車だ。時速300kmでの営業運転を始めて実現した型の車輛である。現在ではJR西日本管轄の新幹線の中で各駅に停まる列車に、編成を短くしたモノが運用されるに留まってはいる。が、「高速への挑戦」という経過が感じられる外観は素敵だ。

↓何か「航空機」を思わせるような形だと思う。
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↑以前にこれに乗車してみたことが在った。独特な丸みを帯びた断面という形状で、何となく面白かった。

これを間近に視られるのは少し嬉しい…
posted by Charlie at 07:00Comment(0)京都府

菅原院天満宮神社…(2023.12.29)

↓年末の神社では、新しい年の初詣を迎える準備が進んでいる。「辰年」の飾りが施されている。京都御所の敷地に近い、烏丸通に在る、かの菅原道真に所縁の場所に設けられた神社である。
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菅原道真の邸宅であったという場所で、父の菅原是善(これよし)、祖父の菅原清公(きよきみ)も在って代々の邸宅だった。「菅原院」と呼ばれていた。そこが神社になって行ったのだ。

↓本殿で参拝した。
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↓合祀されている梅丸大神である。
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↓「天神」と言えば牛だ。
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「烏丸の天神さん」という通称も在る場所であるという。本当に、烏丸通に沿う辺りにさり気なく在る。辺りを通り過ぎている経過も在るかもしれないが、今般は初めて立寄って参拝することが叶った。
posted by Charlie at 06:13Comment(0)京都府

辰巳大明神…:祇園白川:京都(2023.12.28)

夜、少し辺りを歩いた。

↓祇園白川の辺りを通り抜けた際に眺めた。
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↑京都御所の辰巳の方角、南東側を護るということで祀られた祠が起りであるという。祇園という場所柄、芸事の上達を祈願する、また稲荷も合わせて祀られ、商売繁盛を祈るというようにもなっているようだ。

こんな街角の小さな社に時々気付くのが京都だと思っている。辰巳大明神は何度も観ているが、なかなかに好い感じだと思う。
posted by Charlie at 05:52Comment(0)京都府

京都駅…駅前の京都タワー…(2023.12.28)

敦賀から列車で移動して京都に入った。湖西線を経由する列車で、94kmの移動であった。

↓改札口を出て、コレを眼にした。
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↑以前、初めて京都に入る同行者を伴い、東京の新宿から夜行バスに乗って京都に着いた。着いて直ぐにコレを眼に留めた。「京都に着いた!ここに確り“京都”と書いてある」というような話しをしたのを覚えている。

↓何度見ても、この京都駅の建物は広壮な空間を擁している。
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↓高い天井や、日中は光が入るのは好い。
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↑建物が登場して日が浅い頃の特撮映画で、怪獣“ガメラ”がこの場所で戦っていた作品が在ったことを、見る都度に何となく思い出す様子だ。

↓駅前へ歩を進めれば京都タワーの姿が覗く。
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↓好天の中に京都に着くことが出来たと、暫し一息入れていた。
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何時の間にか、京都も「時々立寄る、少し馴染んだ街」という感じになっているかもしれない。
posted by Charlie at 05:34Comment(0)京都府

護王神社…(2023.12.29)

前年に訪れた神社へ再度立寄って参拝するのも好いというように思う。神社への参拝に際しては、参拝する神社に無事に辿り着けたというようなこと、言葉を換えると自身が平穏に在ることへの感謝というような意思表示をするが、足腰の健康というような主題が在るという護王神社を訪ねて参拝した折には、身近な人達の健康に資するようにという想いも吐露していた。そこで、御蔭様で些か様子が好くなっていると、御礼の表明で御参りしてみたいというようなことを思ったのだ。

↓辺りを歩いて、こういう様子を視掛けて護王神社を再訪しようと思い立った。と言いながら、護王神社に導かれたのかもしれない。「神社」というのはそういう感じ方をさせてくれる場合が在るかもしれない。
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↓境内に和気清麻呂の像が在った。
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↑この人物の名は、かの道鏡が“御神託”で皇位を譲り受けるという一件が取り沙汰された際、“御神託”の宇佐八幡宮を訪ね、「そんな“御神託”等無い」と報告し、道鏡の皇位の件が沙汰止みになったという事件で出て来る。称徳天皇が側近の女官に確かめるようにと指示したところ、身体が弱いので宇佐八幡宮への旅が大変であるとして弟の和気清麻呂に依頼したという。道鏡は皇位を譲られた後は優遇すると和気清麻呂に伝えていたらしい。それはそれとして「そんな“御神託”なるモノは…」と正直に報告している。この挿話に「侠気溢れる」と少し共感する。その和気清麻呂の凛々しい像を少し見入った。

↓年末の神社である。初詣の準備で、翌年の干支の大きな絵馬が用意されていた。
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↓狛犬ならぬ「狛猪」が据えられている。
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↓この「狛猪」も面白い。
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↑和気清麻呂は足が不自由になってしまい、輿に乗って移動したが、猪に護られて輿で移動していた後、不自由だった足が快癒して、普通に騎乗して移動することも可能になったのだという。そんな説話から、和気清麻呂や猪という神社なのだ。

↓手水鉢のような箇所にも、猪のデザインが採り入れられている。
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↓社殿の趣も気に入っている。
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↑身近な人が相対的に健やかであることに、自身がまた京都を無事に訪ねられたことに感謝の意を表すべく参拝をした。

↓華麗な生け花と干支の龍の細工が奉納され、飾られていた。こういう生け花や細工というようなモノには、「永い歴史を誇る街に受継がれた何か」を強く感じる。
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↑そういうことを考える他方、この種の有名な神社に奉納するような生け花は、とにかく見栄えが佳く、出くわして眺めると嬉しい。

今般、この護王神社に立寄ることが叶って善かった。また立寄りたい場所でもある…
posted by Charlie at 05:53Comment(0)京都府

<大阪・関西万博>のラッピングを施した車輛…:出町柳駅(2023.12.28)

JR京都駅で嵩張るモノをロッカーに預け、駅前を東側へ少し歩いた。やがて京阪の七条駅で電車に乗った。乗った際、「何やら変わった車輛?」と驚いた。

↓出町柳駅に着いて、少し眺めてしまった。既に折り返し運転の体制に入っていて、淀屋橋へ向かうべく待機中という様子になっている。
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↑京阪の代表的な列車、大阪の淀屋橋と出町柳とを往来する特急であるが、編成を丸ごとラッピングという様子だ。

↓<大阪・関西万博>のラッピングである。
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↑京阪の特急列車に使用されている車輛の8000系電車は上側が黄色系、下側が赤系という2色塗分だ。この形で「全般が白地で柄が入っている」という姿になると「何や??」と一瞬訳が判らなかった。

↓最近、関西の鉄道各社でこの「<大阪・関西万博>のラッピング」が登場しているようだ。
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今般、関東へ飛んで北陸を巡って関西に至った。京都は関西圏で最初の場所だったが、最初から<大阪・関西万博>のラッピングに迎えられたような感じになった。
posted by Charlie at 04:45Comment(0)京都府

<いのうえの餃子>:出町枡形商店街:京都(2023.12.28)

稚内に在っても、方々から稚内に来ているという方と出くわして言葉を交わす場面も在る。

以前、近くの時々利用するコインランドリーで、旅行中の方と言葉を交わした。

そこの機械がコインだけが入れられるようになっていて、千円紙幣は脇の機械で100円硬貨に両替出来るようになっている。初めての方はそれがやや判り悪い場合も在るかもしれない。居合わせると、やって来た方がその「判り悪い」になっていて、「どないする?」と言い出したので、「そこの両替機で千円紙幣を100円硬貨にして、100円硬貨を入れて洗濯の機械を動かす」という旨を御伝えした。そうすると「無事に、普通に使えて善かった」ということになる。「あと何分の表示は?」ということになり、「光が強く当たって視え悪いが、この辺りに表示される。手でこうやって庇のようにすると見える」と言いながら示せば「なるほど」ということになった。

そういう切っ掛けで御話しした。京都から愛車を駆って北海道を訪ねているという方だった。聞けば、京都で<餃子の王将>のフランチャイズ店を長く営み、大きな大学を擁する地区の御店で「皿洗いをすれば一食」というようなことをして、学生等がそれを利用したという話しが多々在って、半ば伝説的な御店になっていたというようなことだった。そこを畳んで充電中であった訳だ。御話した時は「何れ遠からぬうちに、また店をやりたいというようにも思っている」とされていた。

やがて京都方面の地域の話題というようなモノを見れば<いのうえの餃子>というモノが紹介されていた。「あっ!?何時かのコインランドリーで出くわした人…思っていたとおりに店を開くチャンスが得られたのか…善かった!」と報に触れた。

敦賀から京都に着き、所謂「ランチタイム」に出遅れたような中途半端な時間帯であったが、そのコインランドリーで出くわした方の御店を訪ねてみようと思った。テイクアウトの料理を売るようなこともしている筈で、昼前に店を開けたのなら、夕方迄そのまま営業を続けるような感じだと推定した訳だ。

↓京阪の出町柳駅から近い出町枡形商店街に御店は在る。
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↓さり気なく直ぐ目の前に在った御店で、最初は通り過ぎて、辺りを一回りして「これじゃないか…」と判って、何やら苦笑いが漏れた。昨年の春に開いた、辺りでも相対的に新しい御店ながら、確り辺りに溶け込んでいるというような感じだった。
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↓餃子を頂いた。
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↑<王将>の流れを汲む、「餃子らしい」という感じのモノだった。

↓そして唐揚だ。
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こういう街で親しまれている料理を御願いし、「稚内で会っていて…」ということで店主氏と再会を祝し、「御活躍を!よい御年を!」と別れた。1人で営まれている小さな御店ながら、食事時間帯のピークを外れても来店客が完全に途切れるのでもなく、親しまれている様子が伺えた。店主氏も遠方の旅先で出くわしたという自身がふらりと立ち寄ったことを喜んでくれていた。

↓こういう「辺りの人々の暮らしの中に在る商店街」という場所の御店だ。そういう場所に何げなく御邪魔するのも時には愉しい。
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何やら「観光旅行の一環で京都に立寄っている」ということではありながら、「縁在った街の辺りで休業日を過ごすようなことになったのでフラフラしている」という様子になっていたかもしれない。
posted by Charlie at 04:26Comment(0)京都府

一条堀川界隈=西陣の辺り…(2023.12.29)

清明神社を訪ねた後、周辺を歩き廻った。住宅、商店等、そして新旧様々な建物が入り混じったような、静かな地区だった。南北に延びる堀川通と交わる東西の通の名を組合わせて「〇〇堀川」というような言い方をしているのが耳目に触れる。他方、この辺りに関しては「西陣」という呼び方も在る。「応仁の乱」の西軍が陣を布いた辺りであるということに由来するそうだ。

↓趣深い建物を眼に留めた。
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↓<塩芳軒>(しおよしけん)という老舗の菓子店らしい。
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↑御店は明治時代に起こっているらしい。建物もそういう時代の感じを伝え、価値在る景観を創り出しているかもしれない。

↓菓子店に限らず、幾つも価値在る景観を創り出しているかもしれないような建物が散見した。
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↓瓦の一部に鐘馗様を設えるというのも、京都では散見する。
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↓屋根に小さな窓が設えられている。旧い外観を残したまま、中は改装して普通に使用していることが窺える。
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こういうような、何世代もの人々の営為が感じられるような雰囲気の建物が散見するというのは好い感じだ。
posted by Charlie at 08:38Comment(0)京都府

清明神社…(2023.12.29)

地下鉄今出川駅の6番出口から出て、烏丸通を少し左手に御所を見ながら南下すると、一条通に行き当たる。細めな道路だ。そこを右側へ、西に進む。

↓行き当たるのは一条戻橋だ。
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↓そして広い堀川通を渡ってみると、こういう看板が在る。
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↓五芒星の形をした清明桔梗の紋が掲げられた鳥居が在る。
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↓安倍晴明の邸が在った辺りだという清明神社が在る。
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↓安倍晴明の像も在る。
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↓社殿の辺りは、初詣の準備が施されているようだった。参拝した。
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↓厄除桃も在る。
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↓こんな木も神社らしいので好きだ。
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↓鳥居の辺りに、紅葉している木が未だ在った。雪深い地域から来ているので、この様子は少し驚かされた。
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伝説的な人物を偲ばせるような場所の神社で、過去にも立寄っていたが、また寄ってみたくなって足を運んだ。京都を訪ねる都度にこういう場所は増える。今般は敦賀の清明神社にも立寄ったので、「それでは…」と京都でも立寄ってみたという側面が在る。
posted by Charlie at 08:18Comment(0)京都府

<義經>=7100形蒸気機関車:<京都鉄道博物館>(2023.12.29)

扇形蒸気機関車庫の転車台側から見て左端だ。他の機関車よりも小柄で、古風な機関車が在る。
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↑機関車のメンテナンスを手掛けるような、見学者が自由に出入り出来ない箇所に在るのだが、古風な姿が酷く目立つ。

小樽に在る<しづか>の同型機である<義經>である。
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1880年製造の1号機が<義經>(義経)、2号機が<辯慶>(弁慶)と、1882年製造の3号機が<比羅夫>、4号機が<光圀>と、1884年製造の5号機が<信廣>、1885年製造の6号機は<しづか>と各々愛称を与えられた。間隔が少し開き、1889年に2輛製造されているが、これらには愛称は冠せられていなかった。同型が計8輛在ったのだ。

「平泉で自決した」とされる源義経に関しては、現在の北海道へ落ち延び、大陸に渡って活躍したという伝説が在る。その伝説の地である北海道で活動した機関車に<義經>の名が与えられていたのだ。

↓確か小学生の頃だった。当時は神戸の工場に在った<義經>を小樽迄運んで、<しづか>と「再会」という催しが在った。“親父殿”に小樽迄連れて行って頂いて見学したというようなことを微かに憶えている。
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↑序でに右奥に写っているC56については、これも小学生の頃、札幌へ運び込んで札幌・小樽間で客車を牽引するというイベント列車が運行され、未だ幼かった“賢弟”を引き連れて乗車してみた記憶も在る。

そういう個人的な思い入れも在る車輛に、こうやって京都鉄道博物館で対面出来るのは嬉しい。米国生まれで“西部劇”風という独特な風貌で北海道に現れた蒸気機関車は、神戸の工場へ行った後に大阪の博物館に入り、京都の博物館の開設時に移っているのである。

「1880年」という次元の旧い車輛は、とにかく貴重だと思う。
posted by Charlie at 04:40Comment(0)京都府

トイレのピクトグラム…(2023.12.29)

↓京都駅のビルで見掛けた。
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↑男性、女性の何れも和服を着用している…

「京都」とでも言えば「和」というような感で、こういう図案を工夫したのだと思う。見掛けると、少し頬が緩む。
posted by Charlie at 02:51Comment(0)京都府

烏丸駅にて…(2023.12.30)

宿を求めた大阪へ、天神橋筋6丁目を目指すことにした。

↓宿の傍に地下在駅へ通じる場所が在る。そこから地下に潜ると、阪急、地下鉄の乗場を示す矢印が在る。
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↓ホームに下りた。京都河原町駅への列車が現れたが、「初詣」のヘッドマークを掲出していた。そういう時季だ。
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↓大阪梅田駅へ向かう列車が現れた。
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↓身軽な荷物で乗込み、荷物は棚に上げて置く。
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京都・大阪間の移動手段として、四条通の地下を往く阪急の列車は気に入っている。
posted by Charlie at 16:15Comment(0)京都府

からしそば…:<ハマムラ>(2023.12.29)

京都駅辺りに至ると、やや遅い昼食の時間帯だった。

あの巨大なビルには様々な御店が入居している。南西側に飲食店街が在ったのを思い出し、そこに足を運んだ。

ほんの数分、御店の前で待って席に御案内頂いた。そして「これ!」と料理を御願いした。

↓頂いたのはこの「からしそば」だ。
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↓所謂「町中華」ということになるのであろう。京都の中華料理店としては老舗の<ハマムラ>が、京都駅のビルに御店を出している。
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↓“からし”が利いたソースで作るあんかけ焼きそばのような感じの料理である。
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「からしそば」というのは、他地域では聞かない。京都に独特なモノかもしれない。そういうのは如何でも構わないが、これがなかなかに気に入っている。
posted by Charlie at 08:42Comment(0)京都府

「たばこ」…(2023.12.29)

清明神社を訪ねてみた後、周辺を少し南寄り側へ歩いた。

↓古びた建物、看板、自販機と、或る時期から時間が停まっているような場所を見掛けた。
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↑住宅や小さな商店等が雑然と入り混じったような、数え切れない程多くの世代、時代の営みが折り重なっているであろう場所だと思った。

↓自販機は使用されなくなって相当に久しいと見受けられる。かなり「懐かしい?」というような煙草が、人気商品として自販機に入っていたという見本がそのままなのだ。そして「値段」である。
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↑2段目左端の<チェリー>は「270円」とのことだが、この銘柄も見なくなって久しい。

何か「時間が封じ込められた」というように感じる。
posted by Charlie at 08:31Comment(0)京都府

<C55 1>:<京都鉄道博物館>(2023.12.29)

↓美しい動輪だと思う。
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↓<C55 1>である。
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C55形は1935年から62輛が製造されている。63輛目以降は設計変更が多岐に亘ったことから、C57形ということになっている。各地で活躍しているが、北海道でも動いていて、宗谷線の旅客列車も牽引していた。稚内辺りでも見られた型の蒸気機関車である。

↓C55形は保存例が意外に少ない。この<京都鉄道博物館>で好い状態で保存されているのが観られるのは少し嬉しい。
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実は稚内にも静態保存のC55形が在ったのだが、戸外に置いていて、風雪で傷んで解体の憂き目を見ている。そんな訳でこの型の蒸気機関車には個人的な思い入れが在る。

↓左がC55形だ。右はC58形である。嘗ては北海道でも、こういう感じでC55形とC58形とが並ぶ様子が観られたかもしれない。
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↑因みにC58形は431両製造されていて、一部は樺太でも使われたという。

こういう古い車輛が保存されている様子を観るというような機会を設けるのは好い。今般、思い付いて眺めに行って善かった。
posted by Charlie at 06:10Comment(0)京都府

<C62 2>:<京都鉄道博物館>(2023.12.29)

<京都鉄道博物館>では、蒸気機関車を動態保存している。石炭や水を積み込んで、火を焚いて蒸気を起し、動かすことが出来るようになっている車輛が在るのだ。

↓その動態保存の蒸気機関車の1輛の<C62 2>である。
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↑「SLスチーム号」と名付けて<京都鉄道博物館>の敷地の軌道で蒸気機関車を動かしている。客席が在る車輛を牽引し、入館料と別に有料でm来館者が客席に乗ることも出来る。現在、その「SLスチーム号」として動いているのが<C62 2>である。

「シロクニ」という通称も知られるC62形蒸気機関車は1948(昭和23)年から1949(昭和24)年に49輛が製造されている。当時は、貨物用の蒸気機関車が多数在ったが、貨物用総需要が減った中で旅客列車用の蒸気機関車は需要が高まるという状況が生じていた。そこで貨物用のD52形をC62に改造したのである。ボイラー以外の部分は、C57形やC59形の設計が流用されている。

↓「SLスチーム号」が動く様子を観ようと佇んでいた。蒸気が出て、動く準備が始まった。
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↓そして煙も出し始めた。
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↓「往年の列車」という風情だ。C62形は各地で特急列車や急行列車を牽引したことで知られる。
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↑更に、、漫画やアニメの『銀河鉄道999』では、宇宙を往く特急列車を牽引する「大昔の機関車の姿」をしたメカが登場する。その「大昔の機関車の姿」がC62形そのものである。今般、<京都鉄道博物館>では所蔵するC62形に、漫画やアニメの『銀河鉄道999』に登場するマーキングを施すような展示をしていた。その一環で、この<C62 2>には<999>のヘッドマークが掲出されている。

↓やがて<C62 2>は動き始める。
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↑暫くバックで運転し、やがて正面から走ってこの「SLスチーム号」の乗降場所に戻る。

↓C62形はボイラー部分が太目なためか、発する音が低く重厚だと思う。
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<C62 2>は特急<つばめ>を牽引していた経過が在って、除煙板に<つばめ>のマークが取り付けられている。東海道線で稼働し、電化後に余剰となっていたが、<C62 2>は北海道へ渡る。急行<ニセコ>の牽引で知られている。

↓やがてゆっくりと<C62 2>はバックで遠ざかった。
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この「蒸気機関車を動かす」というのは、「古い機械を実際に動かして見せる」という「展示」だと思う。牽引する客車に座れば「経験」を伴う「展示」ということになるであろう。今般、何か「無性に観たい…」と眺めに行ってしまった。<京都鉄道博物館>では、ローテーションで様々な蒸気機関車を「SLスチーム号」として動かしている。こういう「展示」は愉しい。
posted by Charlie at 05:30Comment(0)京都府

「京都産 山椒」ボロネーゼ…:京都・四条烏丸:<BIGOLI>(2023.12.29)

日中に随分と動き回り、宿の居室で寛いでいた中、夕食を摂ろうと思い立った。

滞在している宿の近辺は食事を摂る御店には事欠かないが、気になっていたのは昨年12月に立寄っていた御店だ。正しいボロネーゼ」というようなモノを提供するとしている御店なのだが、時々思い出していた。確か、今年4月に京都に入った時には立寄る機会を設け損なったのだった。

↓そういうようなことを思い出し、少し足を運んでみた。佇まいは昨年12月に立寄った時と然程変わっているのでもない。
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↓年末のなかなかの賑わいの中、カウンターに席を用意して頂いた。有難い!そして食膳に赤ワインを…
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昨年12月に立寄った時よりもメニューが増えているような気がした。基本的には独自のボローニャ風の「太麺」なパスタに肉と様々なモノを合わせたソースを絡め、チーズを振るのだが、色々と工夫されたモノが在る。
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↓「御薦め」、「スタッフの間で人気」と色々と在ったが、御願いしたのは「京都産 山椒」というモノだ。とりあえず自身は“来訪者”であり、「京都産」には酷く惹かれてしまう。
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↑山椒を使ったソースで、少し太い独自なパスタを和えている。肉もタップリだ。

このパスタは熱い状態で供されたら、熱い間に元気よく頂くべきモノだと思う。山椒は肉やパスタに、なかなかに合う。仄かに辛いという感じでもあるが、単純に辛さの刺激が在るだけでもない味わいだ。そういうのが非常に好いのだ。

今般は「2回目…間隔は1年…」という感じで立寄った。また機会は設けたい。可能であれば「間隔1年」といわずにである。なかなかに好い感じの料理だと思う。
posted by Charlie at 22:00Comment(0)京都府

梅小路蒸気機関車庫:<京都鉄道博物館>(2023.12.29)

「今年最後の…」という表現が散見、または頻発する。<京都鉄道博物館>について、「今年最後の開館」ということで、明日からは年末年始の休館ということになるらしい。そんなことを聞けば…「行ってみよう」ということを思い付く。朝から方々を歩き廻ってみて、京都駅辺りでやや遅い昼食を摂った後、<京都鉄道博物館>まで歩いてしまった。

↓久し振りにこれが観たくなったのだ。「扇形」の機関車の車庫だ。
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↑長く“バック”で走るというのが苦手、または難しい蒸気機関車である。転車台で向きを換えるのだが、その転車台を中心に置いて扇形に車庫を設ける訳である。

↓何か「放射線状」に軌道が敷設されている様子を少し近付いて眺めた。
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↓方々に在った大きな扇形機関車庫の中、この梅小路は蒸気機関車の歴史を伝える場ということになり、資料館として長く活動していた。そしてJR西日本の博物館をこの梅小路蒸気機関車庫に統合し、<京都鉄道博物館>が登場した訳である。
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自身、幼少の頃に廃止直前時期の蒸気機関車が動いている場面を見たことを記憶している。そんな訳で蒸気機関車に少し思い入れが在る。この梅小路蒸気機関車庫には何度か足を運んでいる。今般、不意に思い付いて足を運んだが、そうしてみて善かった。
posted by Charlie at 21:28Comment(0)京都府

宵に…:祇園白川への道筋にて…(2023.12.28)

↓辺りを歩いていて、何となく歩を停めた様子だ。
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↑祇園白川辺りへ続く道筋で見掛けた光景だ。「造った」という程のことでもないのだろうが、何か「造られた」かのような景観だと思った。美しい…

こういうような何かを探すというような過ごし方が好いかもしれない。
posted by Charlie at 07:46Comment(0)京都府