七条大橋…(2023.04.04)

京都駅前の道を鴨川の方向へ歩いた。

↓川を渡る時、遠景に少し大きな橋が見えた。古風な感じのするコンクリートの橋だ。
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↓川沿いに少し北上して橋に近付いた。七条大橋である。
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↑京阪の七条駅が設けられている地下への入口に近い辺りだ。

七条大橋は全長81.9m、幅員18.1mの橋で、1913(大正2)年に竣工・開通している。現在、鴨川の橋としては最も古いモノということになるそうだ。嘗ては橋の上に路面電車が走っていたという。1978(昭和53)年にその路面電車は廃止になったのだそうだ。

↓この種のモノを眺めるのが好きだ…
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アザラシ…(2023.04.05)

↓思わず足を停め、提げていたカメラを使った。
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↑京都駅に近い辺りである。なかなかにリアルな形状だが、非常に小さいアザラシが可愛らしい。

↓水族館を宣伝する意図のようで、水族館が在る公園の方角が「→」で示されている。序でに駅の方向も在る。
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この水族館を宣伝する意図のオブジェは幾つか視ていると思う。が、残念ながら現在時点で水族館を訪ねた経過は無い…機会を設けてみたいような気もする。

<KYOTO SANGA FC>のシャツ…(2023.04.05)

京都の三条通を歩き廻っていると、サッカー関係のグッズを色々と売っている御店に出くわした。

↓そこでこれを求めてしまった。
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↑身体を動かす際に好適そうな素材のシャツだ。サッカーのJリーグのチームである<京都サンガFC>のグッズだ。

<京都サンガFC>は京都市、宇治市、城陽市、向日市、長岡京市、京田辺市、木津川市、亀岡市、南丹市、京丹波町、福知山市、舞鶴市、綾部市、八幡市、宮津市をホームタウンとしている。「京都のチーム」である。

1922年創設の<京都紫光クラブ>というチームを前身とし、1994年に<京都パープルサンガ>となって、1996年からJリーグに加盟した。2007年に現在の<京都サンガFC>という呼称に改めた。

「パープルサンガ」という呼称は、前身の「紫光クラブ」の「紫」を意味する「パープル」と、サンスクリット語で「仲間・群れ」を表す「samgha」(サンガ)と、山紫水明の京都を想起させる「山河」に通じるということで「サンガ」としたそうだ。<京都サンガFC>という呼称になっても、チームカラーは紫で換えていない。マークは鳳凰や不死鳥をイメージしているという。

↓正式なユニフォームというようなことでもない。応援グッズなので、「チームのイレブン(11)」に次ぐ「12」という番号が背中に入っている。
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↓袖に「京都」と入っているのが気に入った。これは正式のユニフォームと同じデザインになっている。
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正直に申し上げる。<京都サンガFC>というチームをよく知らない。Jリーグも然程熱心に観戦するのでもない。が、「京都を応援」というような感じのこのシャツが凄く気に入った。友人が住み始めて、何度か訪ねている中で「京都を応援」という気分が自身の中に沸き起こっていると思う。また、この種のシャツは実用面でも好い。

早速にこの<京都サンガFC>の紫に鳳凰や不死鳥をイメージしているマークが入ったシャツを着用している。

※写真そのものは大阪の宿で撮っているが、京都の想い出に纏わる画なので、記事は「京都府」のカテゴリに入れる。

「盛りをやや過ぎた?」という感ながらも妖艶な雨交りな夜の桜…:四条木屋町:京都河原町駅周辺(2023.04.05)

祗園で「日本文化を紹介するステージ」というモノを友人と共に愉しみ、再会を期して別れた後、宿へ引揚げようと阪急の京都河原町駅へ歩いた。些かの雨が交じる中、濡れた歩道が少々滑り易いと注意しながら歩を進めた。

↓こういう様子に歩を停め、暫し辺りで眺め入ってしまった。
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↑特段に「ライトアップ」というようなことをしているのでもないと思う。が、辺りの街灯等の光で、辺りの桜が妖艶に見えた。

↓雨交りと言って、佇むのがキツい程に激しいというのでもない。この街灯等の照明に浮かぶ桜の様を眺めている人達の姿も存外に多く在ったかもしれない。
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↓「季節限定」の麗しい眺めだが、夜は一味違う…
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↓濡れた路面が滑り易いのに気を遣ったが、それはそれとして見入ってしまう眺めであった。
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↓こういう様子に出会うことが叶い、凄く善かった…
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「盛りをやや過ぎた?」という感ながらも麗しい<祇園枝垂桜>…:円山公園:京都(2023.04.03)

京都の街中、一部の場所は「多少勝手知った(つもりになっている)他所」という感覚で歩き廻ることも出来なくもない。「祇園社」こと<八坂神社>の周辺はそういう場所の一つかもしれない…

↓久し振りに再会した感じだ。円山公園の<祇園枝垂桜>だ…
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↓「盛り」は過ぎてしまっているのは明らかだが、それでも公園で人々を見守り続けたという感じで凛とした佇まいなのが好い…
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時にはこういうモノを眺めると、何やら“力”が得られるような気がする場合も在る。

七条烏丸…(2023.04.04)

「七条烏丸」は、京都では一般的に「しちじょうからすま」と言っていると思うが、「バス停の呼称」に限っては「ななじょうからすま」と言っている。「しちじょう」(七条)は「いちじょう」(一条)や「しじょう」(四条)と「聞き間違い易い?」ということでそうしているらしい。

「平野神社から京都駅周辺」ということで、バスを使って移動した。街の西寄りを南下し、七条通で東側へ進んで行く。そのバスで「七条烏丸」を「ななじょうからすま」と呼ぶ車内アナウンスを聞いて、そこで下車してみた訳だ。

↓午後5時台の些か傾いた陽の光に浮かび上がる辺りの様子が、何か美しいと思った。
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この辺りは、地下に入ると京都駅に到る通路になっているという場所も色々と在る。地下に入って、宿に引揚げるべく地下鉄駅を利用したのだった…

ベースボールキャップ…:東寺にて(2023.04.04)

東寺を訪ね、御朱印を頂いた。

持って行った御朱印帳に墨書、押印して頂くのだが、その様子を視ていた間に帽子を脱いだ。完成し「有難うございました」と立ち去った。

少し経って、帽子が無いことに気付いて、御朱印の場所に引き返した。帽子は在って、御朱印を書いて押して頂いた方が「善かった!」と迎えて下さった。大変に有難い!

↓思わず帽子を写真に収めてしまった…
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↑帽子が無事に戻ったのは、或る種の“御利益”かもしれない…

出先での極々些細な出来事ということになるが、記憶に留めたい感だ。気に入って多用している、紺色の地の上に紺色で「B」のエンブレムのキャップだ。こちらも大切に使い続けたい。

東寺へ…(2023.04.04)

京都で知人に会う約束が在ったのだが、その前に少し気に入っている東寺を訪ねることにした。

滞在中の天神橋筋六丁目駅辺りからは、阪急電車で淡路駅を経て烏丸駅に到り、京都の地下鉄の四条駅から京都駅へ向かうと便利だ。天候も好かったので、昨年の5月と7月末から8月初めの京都訪問時に少し親しんだので「懐かしい…」という感じもする京都駅八条口辺りに到り、そこから歩いた。

↓東寺が近付くとこういう看板も在る。
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↓好天の中を歩き、こういう辺りに到った。
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↓一部に桜は「盛り」を過ぎていたが、それでも美しい…
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↓寺に在る木造の塔としては最も背が高い、ドーム球場の天井に比肩する高さ55mという五重塔を見上げた。蒼い天に飛行機雲も見えた。
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↓好きな風景だ…
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↓九条通側に出て五重塔を見上げた。
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↓濠の辺りに鷺が居る…
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↓当時の風情は凄く好い…
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「いつも受験生のそばに 赤本」…(2023.04.04)

地下鉄の四条駅のホームに佇み、やがて現れる南下する列車を待って京都駅へ移動しようとしていた。

↓「おぉ!?」と声が漏れそうになった。<赤本>だ…
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↑表紙の色に因んで<赤本>という通称が在る。全国各地の様々な大学の、過去の入学試験の問題と解答例と解説を纏めた本だ。

実の言えば、自身にも在った「受験生時代」に、志望校等の<赤本>を沢山買い込み、そればかりを見ていたというような想い出が在る。過去の入試問題を、憶える程に読んだとて、何が如何なるのでもないかもしれない。が、自身の時代には「私立大学は大学毎、更に学部毎に“何となく個性”…」という出題をする感じであった。それに馴染むのも、何となく大事だと自身は勝手に思っていた。また、「こんな事柄を過去の入試で話題にした」というのも少し興味深かった。

全然意に介したことは無かったが、この<赤本>を出版し続けている会社は、京都の会社だった。そこで京都の地下鉄に広告を出してみたということなのであろう。思わず、駅で驚いてしまった…

「盛りをやや過ぎた?」という感ながらも麗しい桜…:四条木屋町:京都河原町駅周辺(2023.04.03)

↓京都河原町駅に到着した。
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↑未だ朝6時台だ…

↓川に沿って桜というのを承知しているので、地下駅から地上に出て直ぐに眺めてみた。
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↑少し葉が出て花が散り始めているというような感だった。

↓以前にも桜の時季に辺りを通り掛かっている。何度観ても、多少「盛り」を過ぎていても麗しい。
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↓辺りで一息入れながら、川に沿って在る桜を眺めた。
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↓こういう具合に桜を眺めたのは、極個人的には「今季初」という感じだ。記憶に留めたい…
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ニューヨークチーズケーキ+珈琲:京都・今出川:<Papa Jon's Cafe>(2022.12.23)

↓地下鉄烏丸線の今出川駅の近辺、同志社大学や相国寺の近くに在る御店だ。
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↑立寄った経過は無かったが、近くを通ったことが在って、記憶に止めていた。記憶に止めていたというのは他の場所に在るチェーン店に寄ったという経過の故だった。

この場所の近くへ友人や、移動中に出くわした友人の友人達を伴ってアート関係の催しを観に行った。作品の展示が在って、アーティストが集まった人たちの眼前で何やら前衛的な画を描くというパフォーマンスが在った。全く初めてその種のモノを観た。事後に「一寸、御茶でも…」という相談になったのだった。そこでこのカフェを思い出したのだった。

聞けば、米国出身の方が京都で暮らすようになっていて、街で営んでいたレストランで、故郷の懐かしいモノをイメージしたチーズケーキを供したところ大好評であったのだそうだ。そこでそのチーズケーキを前面に押し出したカフェを開業したということであるそうだ。

この御店は1号店、本店であるようだ。(何箇所か店を開いて、それが閉じたという経過も在るようだ。現在時点で以前に寄った他の場所は2号店と見受けられる。)

学生や関係者の数も多い大学に近い立地ということも在るのだと思うが、若い人達を中心に、立寄ってみた御店はなかなかに賑わっていた。

↓御店の「看板メニュー」のニューヨークチーズケーキと珈琲を御願いした。
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↑尚、ケーキに関しては何種類か用意されている。それでもこの「看板メニュー」が頂きたかったのだ。

↓クリスマス時季なので、プレゼントの小箱という形の小さなチョコレートが載って登場したチーズケーキは凄く好かった。
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↑伝えられた伝統のレシピで丁寧に作ったチーズケーキというモノだ。凄く美味い!

何やら、色々な意味で想い出多い御店となった気がしている…

>>Papa Jon's Cafe ウェブサイト

京都駅にて…(2022.12.25)

<嵯峨野トロッコ列車>に乗車してみよう」という相談になり、<嵯峨野トロッコ列車>の駅を目指すべく京都駅で友人と落ち合うということになった。

↓京都駅は、到着して建物の中を視る都度に何やら驚くような感じだ。
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↓やや旧い映画では、この建物で「怪獣が闘う」というのも在ったと記憶するが、非常に天井が高く、色々なモノが立体的に配置されているような感じの場所だ。
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↓京都駅では新幹線と在来線とが在る。在来線の各路線の列車に乗降する一群のホームから少し離れた一画に“30番ホーム”と“31〜33番ホーム”というモノが在る。そして「降車専用」なので案内が表示されないが“34番ホーム”というモノも在る。
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「34番ホーム」というのは、鉄道駅のホームを示す数字としては日本国内で最も大きな数字になるらしい。が、京都駅に34本もホームが在るということではない。“0番”から“10番”で、“1番”欠番で10本。加えて“30番”から“34番”の5本。両者を合わせると15本のホームが在る。「30番台」は「山陰線方面」ということで「山=さん=3」という由来とされているようだ。

↓案内に従って進むと、こういうような看板が在って発着する列車の行先が示されている。
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列車で京都駅に着く人と落合おうとする場合、この「32番ホームの辺り」ということにすれば、「1本路」で相手が意外な場所から現れて互いを見失う可能性が殆ど無いので、便利と言えば便利だ。が、やや歩く感じではある。

↓こういう具合に列車が着いて、折り返し運転、または回送となる。
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随分と以前にこの辺りで列車に乗降したという事例も在ったかもしれないが、記憶が不鮮明だ。今般は<嵯峨野トロッコ列車>の件と連動して、この辺りの様子を少し鮮明に記憶したという感だ…

珈琲…:<Cafe Taka>:京都・祇園(2022.12.24)

生の楽器演奏を聴く機会が在り、夜に出掛けた。場所は祇園だ。

「夜の祇園」とでも聞けば、他地域から京都を訪ねている者としては「少々敷居が高い?」と思わないでもないが、別段にそういう感じの場所ばかりでもなく、気軽に立寄ることが叶う場所も在る。

そこで出掛けたのだったが、「〇時位から催し」とでも言われると、「遅れたくない…」と動いて「着いたは善いがやや早過ぎ…」というのが自身の場合は多いかもしれない。

↓そこで辺りを少しだけ歩き廻り、珈琲でも頂いて少し寛ぐことが叶いそうな場所を見付けた。
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↑立寄ることにしたが、店先の看板には「18:00 - 2:00」と在った。「夜のカフェ」という感じだ。

↓「夜の…」という営業体制のようだが、何か「普通の喫茶店」という様子で、特別でもない。
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↓そして「普通の喫茶店」という感じの料金と雰囲気で、美味しい珈琲を頂くことが出来る。
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↓「夜の…」という感じで、こういう感じで寛ぐということも容認されている場所だ。少し寛がせて頂いた。
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様子を視ていると、夜間に営業している飲食店等が多い辺りなので、そういう場所の関係者という雰囲気の人達が少し目立ち、そこに自身のような通りすがりという利用者が交るような感じだと見受けられた。

今般は「そう言えば、これまでに立寄っていないかもしれない?」というような雰囲気の場所を幾分訪ねた。この御店もそういう場所の一つである。そして好い感じの場所を覚えた…

抹茶バスクチーズケーキ+珈琲:四条烏丸:<PRONTO>(2022.12.23)

京都に至り、蛸薬師堂を参拝してみるというようなことをしていたが、その後に友人と待合わせということになっていた。予定の場所の周辺、四条烏丸で手軽な場所を見付けて一息入れようと考えた。

↓そして眼に留まったカフェに入った。
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↓「好さそう?」と思って御願いしたケーキは<抹茶バスクチーズケーキ>という。
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↑美味いチーズケーキに抹茶が使われている。聞けば、米国のサンフランシスコに在る人気カフェの流儀になるモノで、国内初登場であるそうだ。

何か「京都」とでも言うと、抹茶を色々と使ってみるというイメージを勝手に持っている。が、抹茶は飲物や菓子の材料として国外でも人気が少し高まっているらしい。また、日本国内に在る外国から来ている人達にも、抹茶を使った飲物や菓子は好評と見受けられる。

少し面白いモノに出くわしたという感じだ。

京都駅にて…(2022.12.27)

<青春18きっぷ>が手元に在った。そして神戸空港から新千歳空港へ飛ぶフライトを予約していた。新千歳空港到着後に利用する札幌の宿も取っていた。

フライトに間に合うように、京都から神戸へ向かえば好いが、ゆとりを持って神戸に入って街を散策するというようなことも考えた。

こういうことになると?京都・神戸間を<青春18きっぷ>で移動し、フライトの後に新千歳空港・札幌間でも<青春18きっぷ>で移動するのが好い。また<青春18きっぷ>については、神戸に至ってから一寸動き廻る場面でJRの列車に乗車するということも可能なのだ。

↓そう考えて、荷物を持って辿り着いた京都駅だ。何度、如何いうように眺めても、少し圧倒される空間だと思う。
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↑四条駅から地下鉄の京都駅に到り、とりあえずJRの列車に乗り換える分には地下の改札口から各ホームに出ることも可能だ。それを承知していながら、敢えて回り道をしてしまう。この独特な空間の雰囲気を愉しみたいのだ…

↓大阪駅を経て神戸の三ノ宮駅へ至ろうとしていた。列車が現れるホームに出て、何気なく京都駅の様子を伺う。
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↑JR西日本のエリアでは、1990年代以降の「JR型」の車輌の他に、近年は置換も相当進んでいるようには見受けられるものの、「国鉄時代」からの古参車輌も存外に多く見掛ける。画の右側の電車のような車輌である。古参車輌の多くは、「JR型」の各車輌と然程変わらないような内装に改められている例が多いとも思う。

↓乗車すべき列車が現れるのを待ったホームから視える様子だ。軌道を挟んだ向こう側のホームに「京都」という駅名の看板が視えるのだが、その看板の有無と無関係に「JR西日本の列車本数が少し多い駅」の特徴が出ているような気がする。
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↑向こう側のホームにベンチが在る。これは「線路側を向いて座っている」と「フラフラと立ち上がって線路に転落?」ということで「横を向いて座る」というように配置される。JR西日本で登場し、他の鉄道会社でも一部に見受けられる方式だと思う。手前には、何やらボクシングのリングを囲むロープのようなモノが在る。これは「ホーム扉」を意図した時、様々な規格の車輌が発着している関係で設置が難しいということになって考え出されたモノだ。列車が停まって乗降する時、ロープが高く上り、列車が発車する頃には画のようにロープは下りるのだ。これも「JR西日本の駅で見掛ける特徴的なモノ」という感じだ。(運用する車輌の企画が或る程度統一されている路線では、各地に在る「ホーム扉」と同じようなモノも見受けられる。)

自身は関西方面に出る場合には「各私鉄の列車に乗って…」という移動を志向する傾向が強いかもしれない。往路は阪急の神戸三宮駅から大阪梅田駅を経て烏丸駅と阪急の列車で神戸・京都間を移動した。これに対して復路はJR西日本の列車を利用した訳である。

「京都市営交通110年」:烏丸御池駅:烏丸線(2022.12.26)

↓京都の地下鉄の烏丸線で「電車が参ります」という場面になり、こうやって現れる電車を何気なく視るという感じに、仄かな愛着を感じるようになっていることに気付いた。
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2022年に関しては、5月、7月末から8月冒頭、12月と京都を3回訪れ、地下鉄も積極的に利用し、少し慣れ親しんだ経過が在る。

↓何時の間にか駅の「ホーム扉」というようなモノも、各地の鉄道で御馴染なモノになったと思う。
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↓「京都の地下鉄」とでも聞くと思い浮かべる、長く使用されている型の車輌だ。因みに近鉄の路線にも乗入れていて、奈良でこの車輛を見掛る場合も在る。(逆に地下鉄烏丸線で近鉄の車輌を見掛る場合も在る。)
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↑列車の先頭に「110」のマークが視える。「京都市営交通110年」のマークで2022年の5月頃から掲出していたらしい。

京都では1912(明治45)年6月11日に路面電車を市によって運行したことを「市営交通の起り」としている。そこから110年経ったという訳だ。

これからも永く歴史を刻むのであろう…そんな想いで「110」のマークを掲げた車輌に乗り、四条駅へ移動した。

自販機コーナー…:烏丸御池駅:東西線・烏丸線連絡通路(2022.12.26)

京都の地下鉄では東西線と烏丸線が在って、両者は烏丸御池駅で乗換が可能なようになっている。

より新しい東西線がより深い辺りに軌道が敷設されている。東西線の列車で烏丸御池駅に着くと、階段やエスカレータを上って烏丸線を目指す。

東西線は島式ホームなのだが、烏丸線は対面式ホームだ。ぼんやりしていると、烏丸線の進みたい側と反対側へ向かう列車のホームに至ってしまう場合も無いではない。

この「京都の地下鉄の東西線と烏丸線」というのが、何か「札幌の地下鉄の東西線と南北線」の関係に似ているような気がする。京都の路線図の「オレンジ色の東西線と緑色の烏丸線」というのも、視た瞬間に「札幌??」と錯覚してしまう。

少しばかり札幌に縁深い者が京都で地下鉄を利用すると思うようなことをぼんやりと思いながら、東西線で烏丸御池駅に着き、烏丸線の南下する側の列車のホームを目指した。

↓売店でも在るのなら、少し冷やかそうかと思えば…飲料の自販機が並ぶスペースだった。
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多分、この十数年なのだと思うが、京都の地下鉄では駅構内等の商業利用で収益を上げることに熱心であるようだ。この「広めな場所に複数台の自販機」というのも、そんな努力の一環だと思えた。

「地下鉄」は非常に大規模な“装置産業”で、運営は色々と大変なのだと思うのだが、一利用者としては便利で快適な交通手段だ。今後もこの地下鉄に親しむ機会を設けたいという感だ…

京都市交通局のメッセージ…:階段:地下鉄 山科駅(2022.12.26)

知恩院を訪ねてみた後、最寄の地下鉄の東山駅へ向かい、山科駅へ移動した。JR山科駅の側へ出ようと地下を歩いた。

↓階段だが、何やら広告になっている。
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↑<KOTO Chika>または<kotochika>となっている。これは「コトチカ」と読む。多分「古都の地下」ということなのであろう。幾つかの地下鉄駅で展開されているようだが、所謂「駅ナカ店舗」というようなモノで、地下に色々な店が設けられている。調べると、山科駅の他、京都駅、四条駅、烏丸御池駅、北大路駅で展開しているようだ。

<kotochika>は京都市交通局が関わる事業であるそうだ。広告も交通局のメッセージであるが、次は本当に「皆様に訴える」というような内容であった…

↓通行人が偶々疎だったので、思わず立ち止まって読んでみた。正直、「一瞥する広告」ということでは文字数が多いような気がしないでもなかった…
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↑市民各々が、月2回余計に地下鉄等に乗車すると、利用者数の目標が達成出来る計算なのだという。便利な公共交通の利用を訴えるメッセージだ…公共交通が整っているということは、何処かからやって来て住み始めるにしても、何かの用事や単純な観光旅行で訪れるに際しても、「誰でも随意に動き回ることが叶う」ということで、凄く大切な事柄のように思う。

自身、12月23日午前の到着から、12月27日朝まで京都に在った。

12月27日は四条駅から京都駅まで、1回だけ地下鉄に乗車した。他は「月2回」どころか「日2回以上」の乗車だった。

12月23日、12月24日は1日乗車券で、詳しく覚え切れない程度に地下鉄に乗車した。12月26日も1日乗車券を使ったが、四条駅・東山駅、東山駅・山科駅、山科駅・四条駅の3回、地下鉄に乗車した。12月25日は四条・京都、太秦天神川・四条と2回、地下鉄に乗車した。

今般、地下鉄の四条駅に直結している阪急の烏丸駅と京都河原町駅との間の列車も多用した。あれは1駅間160円だが。何れにしても、京都は地下鉄等で動いて歩き廻るという感じが過ごし易いと思う。

全般的に「だから?」という話しになってしまっているかもしれないが…

祇園白川…(2022.12.24)

夜、宿へ引揚げようと辺りを歩き廻った…

↓祇園白川の辺りだ…
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↓独特な風情を眺めた…
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↓朝、昼、夜と精力的に歩き廻り、何か愉しかった一日を振り返りながら、悠然と引揚げていた…
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何か強く記憶に残るような感じの一日だった…

本能寺…(2022.12.24)

少しだけ古い記憶を辿る。寺町の老舗喫茶店を初めて訪れた時、「あの本能寺の傍?」と少し驚いた。やがて同行者も在る状況で京都に入り、ホットケーキと珈琲を愉しんで「想い出の店」という様相になったのだが、その時も「あそこが本能寺…」と脇を通り過ぎた。更に暑い盛りに辺りを動き回って老舗喫茶店に立寄った経過は在ったが、本能寺に立寄ったのでもなかった。

そういう経過を経て、今般はフランチャイズチェーンの中で、その名も「本能寺店」を号する場所でハイボールを頂いて寛いだという経過の中、御勘定を済ませながら、「直ぐ傍の本能寺に御参りに…」と言いながら退出したのだったが、本当に本能寺に立寄ってみたのだ。

場所に出くわして以来、随分と長い時間を経て、漸く本能寺に立寄ったということになる。

寺町の老舗喫茶店辺りから御池通側に歩を進めた側に入口が在るのだが、何か物々しい標柱が据えられている。かの織田信長に所縁の本能寺という訳である。
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↓辻説法に建つ日蓮上人というイメージの像が据えられている。本能寺は法華宗の寺である。
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織田信長が明智光秀の襲撃を受けて斃れた本能寺は、現在地に在ったのではない。現在地に関しては、豊臣秀吉が「寺を街の端の側に集め…」というように区画整理―寺町辺りが、秀吉の時代の「繁華な街の端」であったようで、幕末や明治初期までそういう感じであったようだ―の中で構想し、当時は織田信長が討たれた一件で焼け落ちて―明智勢は織田勢を追い詰めるべく火を使ったようだが、信長の警護の任に就いた人達が鉄砲を主要装備としていて、多量の火薬が当たりに在った関係で、事変に際して想像を絶する大爆発が起こって辺りが粉砕されたという説が在るようだ…―しまって、何れにしても再建せざるを得なかった本能寺を現在地の辺りに移転させたのである。

↓いよいよこの本能寺を御参りする。が、「本能寺」の「能」の字について、「やや独特な書体」が用いられていることに気付く。「能」には「ヒ」が入っている。「ヒ」は「火」に通じる。焼け落ちた歴史を思うと、「火」はロクでもない…そこで少し変わった書体が用いられるようになったらしい。
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↓そして中へ…本堂に詣でて、かの織田信長の歴史を伝える寺に辿り着いたことに感謝である…
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↓奥に織田信長を祀る廟も在った。
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少し前に訪ねた、織田信長を祀った建勲神社とも少し色合いが違う何かを感じるのが、この本能寺だった。

↓本能寺には<宝物館>(有料)が在って、織田信長に所縁の刀剣等、少し面白いモノが観られる。こういうのも一寸興味深い…
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↓<宝物館>は写真撮影は「御遠慮願います」なのだが、構わないというモノも在る。この甲冑がそういう構わないモノである。
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↓明治時代の前半、幕末期からの甲冑職人が「織田信長公のモノ」を想って造ったという甲冑が寺に寄贈された経過が在るのだそうだ。そのモノが飾られている。
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↑なるほど、かの織田信長が幾つかの合戦の際に着用したモノを想起させる。加えて、「武士の実用品」として甲冑が大事にされていた時代の最後の時期の「本物だけが備える何か」が感じられる。余計な説明抜きに「見事な工芸品」として見入ってしまうものが在った。

↓そんなことで、少し面白い時間を過ごしたと思う…
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「寄りそうで寄れない…」というような経過が在って、「漸く寄った!」で興味深かった本能寺である。少し強く記憶に残る場所となった…

一杯のハイボール…:京都市役所の傍(2022.12.24)

↓佳いウイスキーをグラスに注いで、ソーダで割って丁寧に混ぜたハイボール…こういう飲物を昼間から頂くのは好い…
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↑「本日のウイスキー」ということで御店で択んだウイスキーのハイボールを手軽に飲むことが出来る。「実に好い!!」と思った。

京都市本庁舎の立派な建築を望むような辺りにコンビニが在る。色々なオフィスも在る辺りで、地下鉄の駅の傍で、人が多いのでコンビニは繁盛しているように見える。そのコンビニの入口から脇の方へ入ると、何やら「居心地が好さそうな小さなバー」という空間が在る。少し意表を突かれる…

↓ウイスキー等の品揃えがなかなかに立派だ。<厚岸>というような、渋いレアなモノまであると、御店の方と言葉を交わし始めた。最近は「日本のウイスキー」が「変に(?)人気」で、意外に入手し悪い。この店は、サントリーやニッカのよく知られた銘柄が概ね一通り揃って並んでいて、視ていて頬が緩んだ…
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↓実際には「午後2時台」だったが、「バーでハイボールを傾け、言葉を交わした御店の方と暫し語らう」という「夜遅く…」のような行動様式で苦笑いが漏れた。
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フランチャイズチェーンであるというバーは「本能寺店」と号している。確か京都市本庁舎等、辺りの住所に「本能寺」と入っていたと記憶している。そんなことで「本能寺なら直ぐ傍」という話しになった。かの織田信長が討たれてしまった本能寺は現在地とは違う場所であった。現在地というのは“寺町”と呼び習わされるようになった地域が形成された、かの豊臣秀吉による区画整理で、本能寺が現在地辺りに建てられたという事が起源だ。

暫し愉しい感じで一息入れた場所である。御勘定を済ませながら、「直ぐ傍の本能寺に御参りに…」と言いながら退出したのだった。こういう「街角で気軽に1杯」という場所は、何やら嬉しい。記憶に留めたい。

>><お酒の美術館>>>本能寺店

廬山寺(廬山天台講寺)…(2022.12.24)

烏丸丸太町辺りで護王神社に参拝し、烏丸通を渡って蛤御門を潜って、「京都御苑の反対側」に至った。

↓少し古い歴史を誇る廬山寺(ろざんじ)が在る。
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↓廬山寺が在る辺りは、かの紫式部(970年代生まれと考えられ、1019年以降に他界したと見受けられる)の邸宅であったと伝えられている。
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「10世紀末から11世紀初頭」というような時代、世界中の様々な国々で「女性が文章を綴り、綴った文章が少し広く愛読され、それが何世代にも亘って、現在までの千年間にも亘って受継がれている」というのは、世界の様々な国々の文化史の中で類例が思い浮かばない。とりあえず「凄いこと!」のいような感じだ…

↓天台宗の流れを汲む高僧達が活動した経過の在る寺が、時代の荒波を潜り抜けた中で、現在の場所に至り、「かの紫式部の邸宅の跡に在る古刹」という具合になって行った訳だ。
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↓酷く年季が入った松の古木が記憶に残る感だった…
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↓寺の庭や、様々なモノをゆったりと拝観した…
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↓こういう場所も意外に好きだ…
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↓この廬山寺にも縁が在る元三大師(がんさんだいし)という高徳の僧が、鬼の姿になって災厄や疫病を退けたという言伝えに基づく「角大師御札」というモノが在るという。幾つかの天台宗の流れを汲む寺でこの御札は在るらしい。最近「厄除け?」というようなことを話題にしていたので、知人に向けた土産として、これを入手してみた。
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この「角大師御札」というモノに関しては、京都では存外にポピュラーであるというようなことも聞いた。それはそれとして、様々な意味合いで、京都で過ぎた永い歴史の様々な側面を想起させる小さな古刹というような場所を訪ねてみたことは興味深かった。

蛤御門:京都御苑(2022.12.24)

↓こういう標柱が据えられている箇所が在る。
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↑「蛤御門」(はまぐりごもん)という場所だ。

1864年の「蛤御門の変」または「禁門の変」と言われる事件の主要な舞台と伝えられる場所だ。前年に政変で不利な立場になって京都から追われてしまった長州が失地回復を目指し、京都守護職等の幕府勢力の排除を目論んで京都に出兵し、幕府勢力に敗れてしまったという一件で、天皇が在る場所である御所を巡る攻防の激戦地であった辺りに因んで「蛤御門の変」と呼ばれる。御所の門は「禁門」と呼び習わされることから、事件を「禁門の変」とも呼ぶ。

この戦闘に際しては、御所の周辺の邸宅で火災が発生し、延焼が拡がってしまい、一条周辺から七条周辺に至る広い範囲で火災に見舞われたという。京都の街の歴史では、「どんどん焼け」として伝えられているそうだ。

↓これがその蛤御門だ。
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↑多分、門の傍に京都守護職を担った会津の将士が警備のために陣取って、そこに長州勢が挑みかかって戦闘になったのであろう。画の左側を少し進むと、現在は同志社大学になっている辺り―少し北側ということになると思う―が薩摩島津家の邸宅が設けられていたという。恐らくそこで支度を整えてた薩摩の将士が進んで来て、会津勢を援護して長州勢に攻撃を加えたというような展開であったのであろう。

御所とその周辺はこの蛤御門を含めた幾つかの門も設えた塀で囲まれている。室町時代の後半辺りから、現在も「京都御所」として知られる京都御苑の周辺に御所が設けられ続けていたようである。蛤御門の眼前の烏丸通等、周辺の様子は時代毎に変わっていることであろうが。「蛤御門の変」または「禁門の変」の頃には、門の直近から烏丸通の幅目一杯、または近隣に両陣営の将士が散らばって激しい戦闘が繰り広げられたのであろう。

↓分厚い板で造られた門扉なのだが、経年劣化なのか、1864年の事件で飛び交った銃弾か何かで傷が着いたのか、何とも言い難い雰囲気が在る。
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↓「蛤御門の変」または「禁門の変」の頃を舞台にするような小説を多々読んでいる関係で、何やら非常に興味深くこの場所を眺めた。
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実を言えば、場所そのものに強い関心も在ったのだが、極めて「実用的な事由」でこの門を潜った。護王神社へ参拝し、烏丸通を横断するとこの蛤御門が直ぐに在る。広い京都御苑の敷地の反対側へ出る場合、日中の京都御苑の通り抜けが可能な時間なのであれば、ゆっくりと京都御苑の敷地を横断するのが近くて早いのである。そういう事由で、この蛤御門を潜り、反対側を目指したのであった。

護王神社…(2022.12.24)

烏丸丸太町の辺りを少し歩いた。

↓猪だ…
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↓猪が左右で対になっている…
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↓対の猪が在る神社である…
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↓足腰に御利益が在るとされる護王神社である。
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↓中にも猪が在る。
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↓これも対になった猪だ。
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↓嘗ての「10円紙幣」に、古代の朝廷の忠臣であったと伝わる和気清麻呂の肖像画が使われていたという。その和気清麻呂は猪に導かれ、悩んでいた足の萎える症状が恢復して元気になったと伝えられる。護王神社はその故事に因む神社だ。
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↓手水鉢の辺りにも猪だ…
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↓猪のマスコットを大量に並べている場所が在った…
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↓丸太町駅周辺を歩いて場所は承知していた護王神社だった。体調が十全でもない身近な人が在るので、参拝したいと思ったこと、加えて何処でも元気に歩き廻るということが出来ている自身に関して感謝の意を表したいと、この神社に立寄ったのだった。
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↓大変に大きく立派な生け花が飾られていた。有名社寺で時々見掛けるように思うが、こういうモノを眺めるのも存外に好きだ。
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↓休憩コーナーに掛けてみれば、何やら猪の立派な彫刻が在った…
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猪は力強く山野を駆けるというような感であろうか?そこから健脚というような連想で、和気清麻呂の言伝えが産れたのか?なかなかに興味深い。そして、今般立寄って、何となくこの護王神社が気に入った。

烏丸丸太町停留所…(2022.12.24)

↓一寸バスに乗った…
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<平安京創生館>の辺りで、眼に留めたバス停に間も無く現れるらしいバスに乗ると、地下鉄の丸太町駅辺りに行けると判った。そして利用した。往路は意外に歩いたが、復路は御蔭様で呆気なく着いた…

京都のバス停は、何も考えずに近くを通って「そう言えば〇〇へ行くが…間も無く現れるバスに乗れば…」という場合が存外に多い。停留所に何やら案内が色々と表示されるのだ。バスの交通網が便利になっている京都だ。が、個人的には地下鉄や私鉄の列車と徒歩という移動を酷く好む傾向も強いかもしれない。

↓南北に延びる通の名と、東西に延びる通の名を組合わせて地点を特定するという「京都の流儀」にほんの少し馴染んだ気がする。「地下鉄烏丸線は御乗換です」の停留所の名が「烏丸丸太町」だ。
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↓何時の間にか、京都の街でこの「地下鉄駅」のマークを視ると「これで地下鉄に乗って自在に動ける!」と妙に心強く感じるようになっていることに気付いた。
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京都の街中は「意外に歩ける…」という範囲に色々と集まっている面も在るが、それはそれとして、バスや地下鉄、私鉄という公共交通を利用してかなり自在に動き回ることが叶うという街である。そういうのが意外に好ましい…

「平安京」の痕跡…:<平安京創生館>を訪ねる…(2022.12.24)

↓見逃すというのか、全く気付かない場合も多いと思う。歩道の上、横断歩道の辺りになるのだが、「大極殿跡」と足元に文字が在る。
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↑「大極殿」というのは、平安京で天皇が活動した宮殿のことである。その宮殿の跡と考えられる場所であると、実にさり気なく示されている。

こういう具合に「無造作に、その辺に史跡」というのが、建都以来1200年以上も経っている、古くからの歴史を誇る京都「らしい」のかもしれないとも思った。

↓「無造作に、その辺に史跡」というようでもあるが、少し歩を進めると、「大極殿」に関する説明のプレートも掲出され、関心を寄せた人が少し学ぶことも出来るようになっている。
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京都の街を南北に貫く烏丸通の地下を地下鉄が通っていて、少し北寄りに丸太町駅が在る。その丸太町駅から西寄りの方向へ少し歩いてみて、この「大極殿」というような、「嘗ての平安京の主要施設」の跡を伝えるモノに出くわした。

↓画の右側に東西に延びている丸太町通を示す看板が在って、真ん中辺りに南北に延びる千本通を示す看板が在る。
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↑京都の街中でよく見掛ける感じであるが、この千本通が、平安京の真中を南北に貫いていた朱雀大路の跡と考えられるということだ。現在の京都は、平安京の創建時から事実を経て、かなり東に偏った形で推移しているという事に思い至る。

↓辺りの、銀行の支店が入った建物の脇には、朝堂院という平安京の重要施設の跡という説明のプレートも在る。
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次々とこういうのが現れ、「無造作に、その辺に史跡」と改めて驚かされた。

↓そしてこういう場所に至った。
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↑京都市の施設で、会合や講演会や学習会等を催すような場である「生涯学習センター」と、市民が幅広く利用する図書館が併設されている場所にもう一つ、<平安京創生館>という資料館が更に併設されている。

↓「街の歴史」に纏わる京都市の施設で、特段に入場料等は無用となっていた…
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↓「平安京」だ!!
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↑「千分の一」で成功に造られた平安京の模型である。

館内に在った御案内頂ける係の方によると、「建都1200年」の頃(1994年頃)に「平安京の模型」という企画が持ち上がり、そして出来上がったのが展示中のモノであるということだ。

↓やがて院政期に巨大な伽藍を誇る寺が在ったと伝わる東の端側や、院が活動する壮麗な御所が築かれたと伝わる南の側等、当初は造られなかった部分の模型も加わった。
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↓現在の京都市の地図の上に、平安京の範囲を四角く囲って示している。平安京が登場した頃から相当に東側に偏って発展し、現在に至っているということが判り易いと思う。
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↓画の右側、東寄りな辺りでは様々な邸宅や寺社が建ち、商工業地域が発展し、やがて豊臣政権期の区画整理や建設が在って、近代に入って現在に至る。
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↑その東に対し、画の左側の西寄りな辺りは、低湿地で利用し悪かったようで、東寄りな地域のように年月を経ても都市化が鈍かったようだ。

↓現在は見受けられない巨大な建造物も平安京には在ったそうだ。今日では動物園になっている辺りの寺の塔は高さが81mも在ったそうだ。発掘した遺構から推定しているという。
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↑東寺の塔が、現在伝わるこの種の建物で最も背が高いが、高さは55mである。聞けば、嘗て大きな権力を手にした人達で寺の建立を手掛け、高層の塔を建立した例が幾つも在るようだが、残念ながらそれらの多くは伝わっていない。高層建築に避雷針を据えるというような考え方、知識が無かった時代のことで、高層建築は落雷を受けて大火災となって喪われたという例ばかりのようだ。

↓手が込んだ模型等を視ながら、「平安京」という時代に想いを巡らせるこの場所の展示がなかなかに好かった。
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なかなかに好い施設なので、記憶に留めたい。そしてこういう「古い街の経過」に関心が在る方には広く御薦めしたい。

>>平安京創生館 公式サイト

“セブン”…:早朝:東大路通(2022.12.24)

↓未だ暗い早朝の街で、こういう「コンビニの灯り」は何となく和む…
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↑東大路通を歩く場合、自身の中で「現在位置を把握する目安」というような感じに、何時の間にかなっている店だと思う。

2022年の5月、8月、12月に各々立寄っている。加えて2021年の12月にも立寄ったような気がする。出先の街に、こういう「寄道ポイント」が出来るのも嬉しいものだ。

早朝の八坂神社…(2022.12.24)

四条通を東側へ進んで行くと東大路通に行き当たる。

↓そしてこういう様子が見える…
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↑八坂神社だ。境内の西側の門ということになる。

↓何度も観ているが、立派な門だ。
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↓思い付いて境内を通り抜けてみた。
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↑未だ暗い早朝、様々な灯りが未だ点いていて、色々な建物等が仄かな光に浮かび上がる感じが美しいと思った。

↓多数の提灯に老舗百貨店の名が在る。境内には、名を耳にしたことが在る企業等が寄進したと思われるモノが色々と見受けられた。古くから信心の対象になっている祇園の八坂神社の貫禄を感じさせる。
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↓境内の南側の門から出て振り返った…
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↓東大路通側の門が目立つのだが、この南の門が神社の「正面の門」ということになるのだという。
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未だ暗い八坂神社を訪ね、京都で好い時間を過ごす機会を得られたことに感謝の意を表し、更に歩き廻ったのだった…

公衆電話ボックス…:八坂神社(2022.12.24)

早朝の散策と称して街を歩き廻った…

↓こんな様子を、何となく見入ってしまった…
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↓大きな鳥居と、「八坂神社」という標柱の眼前に在る公衆電話ボックスというのが、何となく好いと思って見入ってしまった…
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こういうような感じ、「早朝の散策」は出先でも愉しいものだ。今般は「足元が凍っているのでもない…」と随分と愉しめた気がする…

<八坂の塔>が在る光景…:早朝(2022.12.24)

「休日前夜」の続きというような空気感も一部に感じられるような、未だ暗い早朝に散策に出た。

四条烏丸から四条通を東側へ進み、祇園から東大路に入って少し南下するという経路を辿った。8月初めにも辿った経路だと思う。8月初めには汗もかいたが、今般はプラス一桁の前半というような気温で、少し歩く中で手指が冷たくなってきた。何気なく持っていた手袋―名寄で入手し、以降は’ポケットに入れていた…―が有難い感であった…

↓<八坂の塔>が視える辺りに至った…
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↑実は…当初は暗過ぎて塔の姿が全く判らず、少し通り過ぎて「多分…違う!」と少し引き返し、そしてこの塔の様子に出会ったという次第だった。

↓何度も見ている様子ながら、見る都度に好いと思う光景だ…
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↓今般も、この様子を早朝に眺めるという機会が設けられ、何か酷く好かった…
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