地下鉄の蹴上駅から然程遠くない辺りに所用で出る際、何となく南禅寺の辺りを散策してみたくなる…
蹴上駅の周辺から南禅寺の側へ「近道」というような具合に、旧い路が在るのだが…
↓こういうような煉瓦造のトンネルが設えられている。が…このトンネルが些か「不思議?」な感じである。
↓1888(明治21)年に竣工したモノであるという。琵琶湖疎水の構造物の一部に、斜めにトンネルを造って通行可能としたのだが、何か斜めに凝った煉瓦の積み方が為されている。
↑トンネル状のモノを指す旧い言い方に「まんぽ」という表現が在るらしい。この場所は斜めに彫られて、斜めに積んだ煉瓦ということで「ねじりまんぽ」と呼ばれているのだという。
何やら「不思議?」な構造物だと思ったが…それはそれとして、蹴上駅周辺で散策する際、この「ねじりまんぽ」は意外に便利な路である…
<新風館>…(2022.08.01)
殊に出先の街では「見覚えが在る…」という建物を歩き廻る際の“目印”にするようなことが在ると思う。
<新風館>という建物もそういう“目印”的な建物と認識しているのだが…
↓余り視ていない側の感じが「こういうようになっている??」と少し意外なように見えた。
↑張り出した建物の一部なのか、何やら植込みのようなモノも在る。
「見覚えが在る…」という事の「曖昧さ」が、街を歩き廻る回数が増す毎に「薄まる」というような気がする。その「曖昧さが少しずつ薄まる」を感じるのが「街に親しむ」ということであるような気がする。そして京都に関して、一部の場所でそういう「曖昧さ」の「薄まり」を少し強く感じるようになったかもしれない…
<新風館>という建物もそういう“目印”的な建物と認識しているのだが…
↓余り視ていない側の感じが「こういうようになっている??」と少し意外なように見えた。
↑張り出した建物の一部なのか、何やら植込みのようなモノも在る。
「見覚えが在る…」という事の「曖昧さ」が、街を歩き廻る回数が増す毎に「薄まる」というような気がする。その「曖昧さが少しずつ薄まる」を感じるのが「街に親しむ」ということであるような気がする。そして京都に関して、一部の場所でそういう「曖昧さ」の「薄まり」を少し強く感じるようになったかもしれない…
京都市役所前駅…(2022.08.02)
ライヴハウスへ向かおうと、地下鉄の京都市役所前駅にやって来た。
地下鉄東西線の列車が発着するのみで乗換というようなことをする場所ではない。が、地下の広い空間が設えられていて、少し面白い。
↓地下の空間で、天井からこういうような道標が提げられている。
「さて…何方であったか?」と思いながら、三条通へ通じるような側の地上を目指したのであった。
最近、この辺りに出入りする機会が少し続いた。何となく、こんな道標に少しだけ馴染んだような気もしないではない…
地下鉄東西線の列車が発着するのみで乗換というようなことをする場所ではない。が、地下の広い空間が設えられていて、少し面白い。
↓地下の空間で、天井からこういうような道標が提げられている。
「さて…何方であったか?」と思いながら、三条通へ通じるような側の地上を目指したのであった。
最近、この辺りに出入りする機会が少し続いた。何となく、こんな道標に少しだけ馴染んだような気もしないではない…
「イチゴのタルト」…(2022.08.02)
ライヴハウスへ向かうべく、同行者を伴って木屋町通に入り、場所を見出すに至ったが「開場」の時刻に些か間が在った。辺りでカフェでも見付けて、少し過ごそうという相談になった。
木屋町通は高瀬川に沿っていて、何やら雰囲気の在る御店も見受けられる。「あそこが好さそう!」と入ってみると、夕刻なので多くが売り切れてしまって、選択の余地は少なくなってしまっているものの佳さそうなケーキが在って、そして珈琲を頂くことが叶う店だった。
↓思わずケーキ…「イチゴのタルト」を写真に収めてしまった…
↓凄い量感…そして、ケーキだけではなく、イチゴだけでもない、「イチゴのタルト」であるが故の美味さというようなモノを堪能した。
時には…本当に「時には…」ということでこういうモノも頂いてしまう…
ライヴハウスの近くで、何日も経ってから地図を視ても場所は特定できる。が、「ラストオーダーから閉店準備」という雰囲気でもあって、御店の様子や看板を余り視ずに去ってしまっていた。聞けば、この辺りでは「なかなかに有名なタルトの美味しい御店」ということであった。記憶に止めたい…そして、こういうような場所にも出逢えるので、出先で歩き廻るのは愉しい。
木屋町通は高瀬川に沿っていて、何やら雰囲気の在る御店も見受けられる。「あそこが好さそう!」と入ってみると、夕刻なので多くが売り切れてしまって、選択の余地は少なくなってしまっているものの佳さそうなケーキが在って、そして珈琲を頂くことが叶う店だった。
↓思わずケーキ…「イチゴのタルト」を写真に収めてしまった…
↓凄い量感…そして、ケーキだけではなく、イチゴだけでもない、「イチゴのタルト」であるが故の美味さというようなモノを堪能した。
時には…本当に「時には…」ということでこういうモノも頂いてしまう…
ライヴハウスの近くで、何日も経ってから地図を視ても場所は特定できる。が、「ラストオーダーから閉店準備」という雰囲気でもあって、御店の様子や看板を余り視ずに去ってしまっていた。聞けば、この辺りでは「なかなかに有名なタルトの美味しい御店」ということであった。記憶に止めたい…そして、こういうような場所にも出逢えるので、出先で歩き廻るのは愉しい。
<祇園祭ぎゃらりぃ>…(2022.08.01)
↓祇園祭の山鉾…実寸大のモノが観られる、それも祭の時季と無関係に、概ね何時でも!そういう場所に出くわした…
↑映像や写真で見るイメージより、少し大きいような?或いは、その種のモノで見るイメージと違わないか?または屋内に置かれた実寸大というモノなので、戸外で実物を見る場面と感じ方が違うか?色々と思いながら眺めた…
祇園に在る<漢字ミュージアム>が入っている同じ建物の1階に<祇園祭ぎゃらりぃ>は設えられている。
↓精巧な模型で山鉾巡行の紹介が為されていた。
↓「後祭」についても、精巧な模型で紹介が為されていた。
色々なモノを取り扱っている売店も在って、拙宅で聴いている祇園囃子のCDも実はここで入手した。
実は、京都で言葉を交わした人達との話しで「祇園祭(の山鉾巡行)に些か出遅れて京都に着いた?」というようなことが話題に上らなかったでもない。何時かは見学に訪ねてみたいものだと思いながら、この<祇園祭ぎゃらりぃ>の展示を興味深く拝見した。
↑映像や写真で見るイメージより、少し大きいような?或いは、その種のモノで見るイメージと違わないか?または屋内に置かれた実寸大というモノなので、戸外で実物を見る場面と感じ方が違うか?色々と思いながら眺めた…
祇園に在る<漢字ミュージアム>が入っている同じ建物の1階に<祇園祭ぎゃらりぃ>は設えられている。
↓精巧な模型で山鉾巡行の紹介が為されていた。
↓「後祭」についても、精巧な模型で紹介が為されていた。
色々なモノを取り扱っている売店も在って、拙宅で聴いている祇園囃子のCDも実はここで入手した。
実は、京都で言葉を交わした人達との話しで「祇園祭(の山鉾巡行)に些か出遅れて京都に着いた?」というようなことが話題に上らなかったでもない。何時かは見学に訪ねてみたいものだと思いながら、この<祇園祭ぎゃらりぃ>の展示を興味深く拝見した。
「今年の漢字」…:<漢字ミュージアム>(2022.08.01)
↓こんなモノを見付けた…「今年の漢字」と称するモノだ。
↑祇園に在る<漢字ミュージアム>という場所の、戸外の壁である。
↓この壁の裏側に、上の「今年の漢字」が掲示されている。
<漢字ミュージアム>というのは、正式には『漢検 漢字博物館・図書館』と称し、「公益財団法人 日本漢字能力検定協会」が携わっているようだ。「漢字を見るだけでなく、触れる・学ぶ・楽しむ展示を通して、いくつもの驚きや発見を生み出す体験型ミュージアム」ということだ。今般、敢えて中は見学しなかった…
「今年の漢字」だが、「漢字の素晴らしさや奥深い意義を伝えるための啓発活動の一環」ということで、「公益財団法人 日本漢字能力検定協会」によって1995年に始められたのだそうだ。。毎年の年末に「一年の世相を表す漢字一字」を全国から募集し、最も応募数の多い漢字を12月12日(いい字一字)の「漢字の日」に清水寺で揮毫して発表しているという「年末の風物詩」という具合になっているモノだ。
展示場所の都合で、戸外に「今年の漢字」の過去の例が全て掲出されているのでもないが、何か記憶に残るモノが多く取上げられている。
機会が在れば、この<漢字ミュージアム>もゆっくりと見学してみたい。そう考えながら、「機会が在れば…」が「余りにも多くないか?!」という気もするのだが…
↑祇園に在る<漢字ミュージアム>という場所の、戸外の壁である。
↓この壁の裏側に、上の「今年の漢字」が掲示されている。
<漢字ミュージアム>というのは、正式には『漢検 漢字博物館・図書館』と称し、「公益財団法人 日本漢字能力検定協会」が携わっているようだ。「漢字を見るだけでなく、触れる・学ぶ・楽しむ展示を通して、いくつもの驚きや発見を生み出す体験型ミュージアム」ということだ。今般、敢えて中は見学しなかった…
「今年の漢字」だが、「漢字の素晴らしさや奥深い意義を伝えるための啓発活動の一環」ということで、「公益財団法人 日本漢字能力検定協会」によって1995年に始められたのだそうだ。。毎年の年末に「一年の世相を表す漢字一字」を全国から募集し、最も応募数の多い漢字を12月12日(いい字一字)の「漢字の日」に清水寺で揮毫して発表しているという「年末の風物詩」という具合になっているモノだ。
展示場所の都合で、戸外に「今年の漢字」の過去の例が全て掲出されているのでもないが、何か記憶に残るモノが多く取上げられている。
機会が在れば、この<漢字ミュージアム>もゆっくりと見学してみたい。そう考えながら、「機会が在れば…」が「余りにも多くないか?!」という気もするのだが…
釜座通(かまんざどおり)…:御池通と交差する通の名を記した標柱(2022.08.02)
京都の街には新旧様々な通が東西に、南北に延びている。同一名称の通であっても、何時の頃かの拡幅が施された箇所と、施されていない箇所とが混在し、同じ通から外れてしまったと錯覚する場所も散見する。
↓そういうことなので、こういうような具合に通の名を大きく掲げた標柱のようなモノが在ると、他所から何となく街を訪ねている自身のような者には非常に有難い。
東西に延びている御池通は、拡幅が施されていて車輌の交通量も多い。この御池通と、南北に延びる様々な通とが交差している。
↓「釜座通」の標柱の裏には、「釜を鋳る職人が多く住んだ」というような通の名の由来が記され、加えて御池通と交わる通が図示されている。
御池通では、各々の通についてこういうようなモノが設けられているように見受けられた。こういうのは有難い。
が、それはそれとして…実は、烏丸通を西に進んで、この釜座通を少し北上することで訪ねたかった店は直ぐだったのだが、少々西へ進み過ぎた辺りで北上し、何やらグルグルと廻って多少迷いながら歩いたということが在り、復路にこの標柱を写真に収め、後から振り返って訪ねた店に関する記憶を確かにしたかったという事情も在る。
そんな他方、この時は期せずして御金神社(みかねじんじゃ)に出くわし、確りと参拝も出来たのが善かったが。
出先でふらりと歩き、不運なような好運なような、何か判らずに色々な文物に当たりながら過ごすというのが、何やら酷く愉しいと振り返っている。
↓そういうことなので、こういうような具合に通の名を大きく掲げた標柱のようなモノが在ると、他所から何となく街を訪ねている自身のような者には非常に有難い。
東西に延びている御池通は、拡幅が施されていて車輌の交通量も多い。この御池通と、南北に延びる様々な通とが交差している。
↓「釜座通」の標柱の裏には、「釜を鋳る職人が多く住んだ」というような通の名の由来が記され、加えて御池通と交わる通が図示されている。
御池通では、各々の通についてこういうようなモノが設けられているように見受けられた。こういうのは有難い。
が、それはそれとして…実は、烏丸通を西に進んで、この釜座通を少し北上することで訪ねたかった店は直ぐだったのだが、少々西へ進み過ぎた辺りで北上し、何やらグルグルと廻って多少迷いながら歩いたということが在り、復路にこの標柱を写真に収め、後から振り返って訪ねた店に関する記憶を確かにしたかったという事情も在る。
そんな他方、この時は期せずして御金神社(みかねじんじゃ)に出くわし、確りと参拝も出来たのが善かったが。
出先でふらりと歩き、不運なような好運なような、何か判らずに色々な文物に当たりながら過ごすというのが、何やら酷く愉しいと振り返っている。
京都駅にて…(2022.08.03)
珈琲…:<スマート珈琲店>(2022.08.01)
同行者を伴って所用を足しながら多少歩き、京都市役所から遠くない辺りに居合わせて、「珈琲でも飲んで一息入れよう」という相談になった。
そして目当ての喫茶店へ足を運んだ…
↓席に通され、ふと見上げるとこういう内装で、何やら美しいと思った。
同行者とは5月にも一緒に立寄った店であった。あの時は所用に出る前、朝食という感覚でホットケーキを摘まんで、珈琲を頂いた。同行者にとっては「想い出の店」として強く記憶に残っているらしい。今般、店の前に至ると「ここだ!」と大喜びだった。
↓ここのオリジナルブレンドは美味いと思う。拙宅用に豆を取り寄せた経過も在った。また何時か取り寄せようかとも思っているが…
同行者がホットケーキを所望した。テーブルに供されると「わー!これだ!!」と大喜びだった。厚くて大きな2枚のホットケーキが在って、同行者は1枚を美味しそうに頂いてしまった。そして「1枚あげる…」と皿を押し出す。「然らば、頂きまする…」ということにした。
↓こういうような、老舗喫茶店で暫し寛ぐというような“時”が酷く愛おしい。
店を退出し、数歩歩いて、少し可笑しさが込み上げた。同行者は「1枚あげる…」とホットケーキを差し出したが…御勘定は自身が纏めて支払ったのだった…そういう何気ないこともまた愛おしい。
そして目当ての喫茶店へ足を運んだ…
↓席に通され、ふと見上げるとこういう内装で、何やら美しいと思った。
同行者とは5月にも一緒に立寄った店であった。あの時は所用に出る前、朝食という感覚でホットケーキを摘まんで、珈琲を頂いた。同行者にとっては「想い出の店」として強く記憶に残っているらしい。今般、店の前に至ると「ここだ!」と大喜びだった。
↓ここのオリジナルブレンドは美味いと思う。拙宅用に豆を取り寄せた経過も在った。また何時か取り寄せようかとも思っているが…
同行者がホットケーキを所望した。テーブルに供されると「わー!これだ!!」と大喜びだった。厚くて大きな2枚のホットケーキが在って、同行者は1枚を美味しそうに頂いてしまった。そして「1枚あげる…」と皿を押し出す。「然らば、頂きまする…」ということにした。
↓こういうような、老舗喫茶店で暫し寛ぐというような“時”が酷く愛おしい。
店を退出し、数歩歩いて、少し可笑しさが込み上げた。同行者は「1枚あげる…」とホットケーキを差し出したが…御勘定は自身が纏めて支払ったのだった…そういう何気ないこともまた愛おしい。
三条木屋町 <RAG>:サックス奏者 カテリーナ <Smooth Quartet>と邂逅…(2022.08.02)
筆者の友人であるサックス奏者のカテリーナは東京へ上陸の後に京都へ移動し、京都で暮らしている。会おうということで京都を訪ねた。
京都滞在の中で「ライヴハウスに音楽を聴きに行ってみる」ということを思い立った。<RAG>という場所での演目が非常に興味深いということで、足を運ぶこととした。
<RAG>の演目は、女性サックス奏者がリーダーを務める4人編成のバンドによる、ジャズ系統の演奏ということであった。カテリーナもジャズ系統のセッションは多く経験しており、更に同じ女性サックス奏者、日本の演奏家の演奏を聴くことを非常に楽しみにしていた。加えて、折角の機会なので、演奏家の皆さんと親しく言葉を交わすようなことでも叶えばと、話しの切っ掛けにもなるように、自身のアルトサックスを持ち運び用のケースに入れて会場に持ち込むこととしたのだった。
このバンドは<Smooth Quartet>(スムース・カルテット)という。4人編成だ。(遠藤真理子(Sax) 杉山悟史(Key) 長谷川晃(B) Von Barron(Ds))リーダーの遠藤真理子を始め、各メンバーが様々な演奏活動を展開している。所謂「スムースジャズ」という、フュージョンが起こったた後に出て来た感じの音を目指し、4人で集まったというバンドである。
正直、同行するカテリーナが「女性サックス奏者がリーダーのジャズ系のバンド」ということで気に入ってくれそうだという程度に思い、事前に色々な情報が在るでもない中で券を入手して演奏を聴きに行ったのだが、これが素晴らしい内容だった!メンバー各々の奔放で力強いソロパートが確り設けられ、「ジャズバンドらしい!」という感の実に素敵な演奏を披露してくれて、各メンバーが本当に愉しそうに演奏していた様子に引き込まれた。自身は、ジャズ系の曲を演奏するミュージシャンによる生演奏が気軽に楽しめるというような機会が寧ろ稀な小さな街に在るので、こういう「関西の音楽シーン」というようなモノに触れた経験は非常に興味深かった。が、同行したカテリーナが非常に嬉しそうに「素晴らしい演奏!!」と愉しんでいた様子が、傍に在って何か嬉しかった。
ライヴそのものは二部構成だった。途中に休憩を挟んで演奏する。“ファースト”、“セカンド”と呼んでいたが、前半と後半というような感じだ。加えて「ネット配信」も確りと行っていた。とにかく非常に力強い演奏に夢中になっていた。あっと言う間に前半が終わって「後半も御愉しみに!!」という感じになってしまった。
その休憩時間にカテリーナは演奏家の皆さんと言葉を交わす機会を持つことが叶った。と言うより、演奏家の皆さんも嬉しくなる程に、カテリーナは嬉しそうに演奏を愉しんでいたので少々目立ち、話し掛けて頂いた訳だ。或いは英語で、或いは勉強中の日本語で言葉を交わし、サックス奏者で自身の楽器を持参してみた旨を話せば「終わってから一緒に音を?」という相談になった。
“セカンド”こと後半も、益々盛り上がった。「ジャズバンドらしい!」という感の、力の籠った演奏に夢中になった。拍手喝采でアンコールを一曲で幕を閉じた。
そして暫し…「ライヴと配信が終了しましたが、ここに残った皆さんだけのためのスペシャルセッションを一曲…」とカテリーナは<Smooth Quartet>の4人と一曲演奏することになった。
↓遠藤真理子のリードで…
↓カテリーナが合わせるという形を基調に一曲演奏してみた…
↓なかなかに力強い音の演奏となった。
↓大いに乗って盛り上がった。
↓杉山悟志、長谷川晃、ヴァン・バロンと各メンバーにも盛り立てて頂いて、カテリーナは嬉々として夢中で演奏していた。
↓最後は長谷川晃も愉しそうに前に踏み出して、力一杯のフィニッシュだった。
本当に「この曲?知ってる!それにしよう!」とセッションが始まった。演奏家達が集まって、自然にセッションという「実にジャズらしい」という場面だったとも思った。こういうセッションに留まらず、カテリーナにも何かの出演機会でも生じるようになって行けば好いのであろうが、それはそれとして、今般は「凄い演奏家と一緒に演奏!」とカテリーナは大興奮で嬉しそうに引揚げることとなった。
こういう素敵な音楽シーンの活き活きとした様が見受けられる街でカテリーナが暮らし始めたということは大変に幸いだ。今般は出逢った<Smooth Quartet>の皆さんに、大いに感謝申上げたい。何か特殊な経過が在ったのでもなく、「カテリーナとカッコイイ音楽でも聴きに行ってみるか…」というだけのことで、こういう出逢いが在った訳だ。自身も大いに愉しんだ。
↓<Smooth Quartet>の4人の関係サイトで眼に留まったモノのリンクを下記に…今般の御縁を大切に、自身も「一音楽好き」として彼らを応援したい…
>>MARIKO' S SAXOPHONE AND MUSIC! Saxophone Player 遠藤真理子 Official Web Site
>>Jazz Pianist Satoshi Sugiyama Official Weblog
>>長谷川晃 ベース教室|京都の音楽スタジオ|スタジオラグ
>>Van Baron Music
「素敵な時間」に纏わる事を、少し真摯に綴っておきたかった…
京都滞在の中で「ライヴハウスに音楽を聴きに行ってみる」ということを思い立った。<RAG>という場所での演目が非常に興味深いということで、足を運ぶこととした。
<RAG>の演目は、女性サックス奏者がリーダーを務める4人編成のバンドによる、ジャズ系統の演奏ということであった。カテリーナもジャズ系統のセッションは多く経験しており、更に同じ女性サックス奏者、日本の演奏家の演奏を聴くことを非常に楽しみにしていた。加えて、折角の機会なので、演奏家の皆さんと親しく言葉を交わすようなことでも叶えばと、話しの切っ掛けにもなるように、自身のアルトサックスを持ち運び用のケースに入れて会場に持ち込むこととしたのだった。
このバンドは<Smooth Quartet>(スムース・カルテット)という。4人編成だ。(遠藤真理子(Sax) 杉山悟史(Key) 長谷川晃(B) Von Barron(Ds))リーダーの遠藤真理子を始め、各メンバーが様々な演奏活動を展開している。所謂「スムースジャズ」という、フュージョンが起こったた後に出て来た感じの音を目指し、4人で集まったというバンドである。
正直、同行するカテリーナが「女性サックス奏者がリーダーのジャズ系のバンド」ということで気に入ってくれそうだという程度に思い、事前に色々な情報が在るでもない中で券を入手して演奏を聴きに行ったのだが、これが素晴らしい内容だった!メンバー各々の奔放で力強いソロパートが確り設けられ、「ジャズバンドらしい!」という感の実に素敵な演奏を披露してくれて、各メンバーが本当に愉しそうに演奏していた様子に引き込まれた。自身は、ジャズ系の曲を演奏するミュージシャンによる生演奏が気軽に楽しめるというような機会が寧ろ稀な小さな街に在るので、こういう「関西の音楽シーン」というようなモノに触れた経験は非常に興味深かった。が、同行したカテリーナが非常に嬉しそうに「素晴らしい演奏!!」と愉しんでいた様子が、傍に在って何か嬉しかった。
ライヴそのものは二部構成だった。途中に休憩を挟んで演奏する。“ファースト”、“セカンド”と呼んでいたが、前半と後半というような感じだ。加えて「ネット配信」も確りと行っていた。とにかく非常に力強い演奏に夢中になっていた。あっと言う間に前半が終わって「後半も御愉しみに!!」という感じになってしまった。
その休憩時間にカテリーナは演奏家の皆さんと言葉を交わす機会を持つことが叶った。と言うより、演奏家の皆さんも嬉しくなる程に、カテリーナは嬉しそうに演奏を愉しんでいたので少々目立ち、話し掛けて頂いた訳だ。或いは英語で、或いは勉強中の日本語で言葉を交わし、サックス奏者で自身の楽器を持参してみた旨を話せば「終わってから一緒に音を?」という相談になった。
“セカンド”こと後半も、益々盛り上がった。「ジャズバンドらしい!」という感の、力の籠った演奏に夢中になった。拍手喝采でアンコールを一曲で幕を閉じた。
そして暫し…「ライヴと配信が終了しましたが、ここに残った皆さんだけのためのスペシャルセッションを一曲…」とカテリーナは<Smooth Quartet>の4人と一曲演奏することになった。
↓遠藤真理子のリードで…
↓カテリーナが合わせるという形を基調に一曲演奏してみた…
↓なかなかに力強い音の演奏となった。
↓大いに乗って盛り上がった。
↓杉山悟志、長谷川晃、ヴァン・バロンと各メンバーにも盛り立てて頂いて、カテリーナは嬉々として夢中で演奏していた。
↓最後は長谷川晃も愉しそうに前に踏み出して、力一杯のフィニッシュだった。
本当に「この曲?知ってる!それにしよう!」とセッションが始まった。演奏家達が集まって、自然にセッションという「実にジャズらしい」という場面だったとも思った。こういうセッションに留まらず、カテリーナにも何かの出演機会でも生じるようになって行けば好いのであろうが、それはそれとして、今般は「凄い演奏家と一緒に演奏!」とカテリーナは大興奮で嬉しそうに引揚げることとなった。
こういう素敵な音楽シーンの活き活きとした様が見受けられる街でカテリーナが暮らし始めたということは大変に幸いだ。今般は出逢った<Smooth Quartet>の皆さんに、大いに感謝申上げたい。何か特殊な経過が在ったのでもなく、「カテリーナとカッコイイ音楽でも聴きに行ってみるか…」というだけのことで、こういう出逢いが在った訳だ。自身も大いに愉しんだ。
↓<Smooth Quartet>の4人の関係サイトで眼に留まったモノのリンクを下記に…今般の御縁を大切に、自身も「一音楽好き」として彼らを応援したい…
>>MARIKO' S SAXOPHONE AND MUSIC! Saxophone Player 遠藤真理子 Official Web Site
>>Jazz Pianist Satoshi Sugiyama Official Weblog
>>長谷川晃 ベース教室|京都の音楽スタジオ|スタジオラグ
>>Van Baron Music
「素敵な時間」に纏わる事を、少し真摯に綴っておきたかった…
「仁丹」の住所表示…(2022.08.02)
孔雀…:DAIMARU(2022.08.02)
マダマダ静かな早朝に四条通を東寄りから西寄りへ向かって歩くこととなった。
↓コレを眼に留めて、何となく足も停めた…
↑「DAIMARU」は百貨店の「大丸」に他ならないが、その上の孔雀が凄く立派で目立つと思った。
大丸では百貨店にこういう孔雀を飾るようなことをして、顧客サービスに「くじゃく〇〇」と命名する、または出資する会社に「ピーコック」(=孔雀)という名を入れるというように、何か思い入れが在るようである。
大丸の店としては、1925(大正14)年に大阪・心斎橋の店の建物を新装していた時に玄関の上に陶製の孔雀を掲げたのが「初めての事例」であるという。
何故、孔雀か?
江戸時代、心斎橋の大丸の近くに、長崎から密かに持ち込まれた孔雀の剥製を秘蔵して「孔雀屋敷」と呼ばれていた故事に因むという説が在るらしい。他方、建物の建築時、米国の業者に飾るための鳥の像を頼んで、不死鳥(=フェニックス)を想定していたのが、如何いう訳か孔雀になったという話しも在るらしい。
何れにしても、壮麗な孔雀は大丸がシンボルとして長く使っている訳だ。京都でも孔雀は四条通を行き交う人々を静かい見詰め続けている…
↓コレを眼に留めて、何となく足も停めた…
↑「DAIMARU」は百貨店の「大丸」に他ならないが、その上の孔雀が凄く立派で目立つと思った。
大丸では百貨店にこういう孔雀を飾るようなことをして、顧客サービスに「くじゃく〇〇」と命名する、または出資する会社に「ピーコック」(=孔雀)という名を入れるというように、何か思い入れが在るようである。
大丸の店としては、1925(大正14)年に大阪・心斎橋の店の建物を新装していた時に玄関の上に陶製の孔雀を掲げたのが「初めての事例」であるという。
何故、孔雀か?
江戸時代、心斎橋の大丸の近くに、長崎から密かに持ち込まれた孔雀の剥製を秘蔵して「孔雀屋敷」と呼ばれていた故事に因むという説が在るらしい。他方、建物の建築時、米国の業者に飾るための鳥の像を頼んで、不死鳥(=フェニックス)を想定していたのが、如何いう訳か孔雀になったという話しも在るらしい。
何れにしても、壮麗な孔雀は大丸がシンボルとして長く使っている訳だ。京都でも孔雀は四条通を行き交う人々を静かい見詰め続けている…
<東華菜館 本店>…(2022.08.02)
祇園辺りから四条烏丸へ引揚げようと、未だ早朝で静かな四条大橋をゆったりと渡った。
↓非常に美しい建物であると、視る都度に思う…
↑<東華菜館>(とうかさいかん)という中華料理店、「北京料理」を謳っているレストランであるという。
1924(大正13)年に着手で、1926(大正15)年に現在の店の前にやっていた洋食の店が開業したそうだ。建物の設計等を手掛けたのはウィリアム・メレル・ヴォーリズである。所謂「ヴォーリズ建築」となるのだが、商業施設系統の例が少ない中、レストランは唯一の事例であるという。
視る都度に「中を…」と思うのだが、なかなか機会を設けられずに居る。今般も「何時か…」と思いながら、何となく眺めて横を通過したのだった…
↓非常に美しい建物であると、視る都度に思う…
↑<東華菜館>(とうかさいかん)という中華料理店、「北京料理」を謳っているレストランであるという。
1924(大正13)年に着手で、1926(大正15)年に現在の店の前にやっていた洋食の店が開業したそうだ。建物の設計等を手掛けたのはウィリアム・メレル・ヴォーリズである。所謂「ヴォーリズ建築」となるのだが、商業施設系統の例が少ない中、レストランは唯一の事例であるという。
視る都度に「中を…」と思うのだが、なかなか機会を設けられずに居る。今般も「何時か…」と思いながら、何となく眺めて横を通過したのだった…
丸型ポスト…:祇園・花見小路(2022.08.02)
↓以前にも眼に留めて写真を撮った経過が在るモノなのだが、それでも好いと思った…
↑程好く年季が入っている感じが好ましい…
四条烏丸から八坂神社辺りに到り、東大路を南下して八坂の塔を望む辺りまで出て、そこから引揚げる際に花見小路に入ってこのポストに出くわした。
ポストの横に貼られた「火廼要慎」(ひのようじん)で「火廼ち慎重を要する」という意味だというが、何か凄く「京都の流儀」というような気がする。
こういうようなモノに眼を向けて何となく歩くというようなことが面白い…
↑程好く年季が入っている感じが好ましい…
四条烏丸から八坂神社辺りに到り、東大路を南下して八坂の塔を望む辺りまで出て、そこから引揚げる際に花見小路に入ってこのポストに出くわした。
ポストの横に貼られた「火廼要慎」(ひのようじん)で「火廼ち慎重を要する」という意味だというが、何か凄く「京都の流儀」というような気がする。
こういうようなモノに眼を向けて何となく歩くというようなことが面白い…
京都市本庁舎…(2022.08.01)
5月にも近くを通ったのだったが…
↓今般もまた通り掛った…
↑手前に「2」と書かれた何かが在るが、自転車を入れるようになっている場所らしい。利用方法はよく判らなかったが…
↓1930年代に入るような頃の建物である訳だが、重厚で好い感じだと思う。
振り返ると、今般はこの京都市の庁舎の他、名古屋市庁舎、静岡市庁舎と1930年代位の面白い建物を眺める機会が在った。
↓今回は、何やら強めな光線に照らし出されて、そんな様が美しいと思った。
一寸聞いたのだが、この京都市本庁舎を望む反対側の歩道に佇むと、祇園祭の山鉾巡行が観易いらしい。そんなことも憶えておきたい気がした…
↓今般もまた通り掛った…
↑手前に「2」と書かれた何かが在るが、自転車を入れるようになっている場所らしい。利用方法はよく判らなかったが…
↓1930年代に入るような頃の建物である訳だが、重厚で好い感じだと思う。
振り返ると、今般はこの京都市の庁舎の他、名古屋市庁舎、静岡市庁舎と1930年代位の面白い建物を眺める機会が在った。
↓今回は、何やら強めな光線に照らし出されて、そんな様が美しいと思った。
一寸聞いたのだが、この京都市本庁舎を望む反対側の歩道に佇むと、祇園祭の山鉾巡行が観易いらしい。そんなことも憶えておきたい気がした…
「意匠変更中」…:三条河原町(2022.07.31)
蝉…:御池通(2022.08.01)
「視える」というよりも「聞こえる」ということで“存在感”を示す存在が在るように思う。蝉のような「無く虫」がそういうモノの典型のように思う。
所用を足そうと御池通を歩いた。好奇心旺盛な同行者が「何?」と眼に留めたモノに歩み寄った。
↓歩道の脇にこんなモノが転がっていた…
御池通の街路樹の上には、姿は余り見えないが多数の蝉が在ることが判る。音が少し凄かった…
↓一寸引っ繰り返してみた…
↓夏らしいやや強い陽射しを避けようと、街路樹の木陰を択ぶ様に歩んだ…
蝉は?地下で育って地上に出て、木に上って鳴き、泣き続けて力尽きると、辺りに落ちてしまうということか…
↓京都の街だが、広い街路が整っているような場所では街路樹も存外に多いような気がする。
所用を足そうと御池通を歩いた。好奇心旺盛な同行者が「何?」と眼に留めたモノに歩み寄った。
↓歩道の脇にこんなモノが転がっていた…
御池通の街路樹の上には、姿は余り見えないが多数の蝉が在ることが判る。音が少し凄かった…
↓一寸引っ繰り返してみた…
↓夏らしいやや強い陽射しを避けようと、街路樹の木陰を択ぶ様に歩んだ…
蝉は?地下で育って地上に出て、木に上って鳴き、泣き続けて力尽きると、辺りに落ちてしまうということか…
↓京都の街だが、広い街路が整っているような場所では街路樹も存外に多いような気がする。
国際会館駅…:京都市営地下鉄(2022.07.31)
銀閣を訪ねてみた後、何気なくバスに乗車した。
「何処か…地下鉄の駅へ連れて行って下さい…」という気分でぼんやりとバスに乗車していた。
↓こういう場所に辿り着いた…
↑国際会館駅…京都の街を南北に縦断する地下鉄烏丸線の北側の起点・終点だ。列車の行先表示で「国際会館」を見掛けるが、初めて現地に至った。
バスでやって来ると、画の場所の裏側に幾つかの運行系統のバスが発着する広場風な、複数の停留所が集まった場所に着く。駅名の由来になっている「国際会館」なる施設は、何処か少し離れた場所なのであろう。
陽が少し高くなり、やや暑さが厳しくなって来たという程度に想いながら、少しこの画のような様子を眺めてぼんやりとしていた。何か「郊外風」でありながら、何となく「街の端側」という感もする。他の街でも、こういうような雰囲気の場所は在りそうだと思っていた…
↓長い階段やエスカレータを通ってホームへ下りた…
↑到着した列車が、暫く待機して折り返し運転となる形が多い様子だ。実際「折り返し、竹田行となります」ということで、これに乗車した。列車には、市営交通が110年となった旨のマークが掲出されていた。
今般、漠然と立寄って列車に乗ったという国際会館駅ではあったが、「そう言えば、全然利用していない?」という駅に何となく寄るのも悪くないものだと思う。
「何処か…地下鉄の駅へ連れて行って下さい…」という気分でぼんやりとバスに乗車していた。
↓こういう場所に辿り着いた…
↑国際会館駅…京都の街を南北に縦断する地下鉄烏丸線の北側の起点・終点だ。列車の行先表示で「国際会館」を見掛けるが、初めて現地に至った。
バスでやって来ると、画の場所の裏側に幾つかの運行系統のバスが発着する広場風な、複数の停留所が集まった場所に着く。駅名の由来になっている「国際会館」なる施設は、何処か少し離れた場所なのであろう。
陽が少し高くなり、やや暑さが厳しくなって来たという程度に想いながら、少しこの画のような様子を眺めてぼんやりとしていた。何か「郊外風」でありながら、何となく「街の端側」という感もする。他の街でも、こういうような雰囲気の場所は在りそうだと思っていた…
↓長い階段やエスカレータを通ってホームへ下りた…
↑到着した列車が、暫く待機して折り返し運転となる形が多い様子だ。実際「折り返し、竹田行となります」ということで、これに乗車した。列車には、市営交通が110年となった旨のマークが掲出されていた。
今般、漠然と立寄って列車に乗ったという国際会館駅ではあったが、「そう言えば、全然利用していない?」という駅に何となく寄るのも悪くないものだと思う。
道元禅師示寂の地…(2022.07.31)
朝から銭湯を利用し、宿へ引揚げようとゆったりと歩いていた。
↓建物一軒が建つか如何かという程度の、一寸した用地が半ば空地のようになっていて、石碑が据えられている様子であるのが眼に留まった。
↓「何?」と思えば、石碑に関して説いている看板が在った。道元禅師に所縁の場所であるということだ。
道元(1200-1253)は鎌倉時代初期の禅僧で、曹洞宗を開いたという人物だ。
比叡山で出家し、建仁寺で学ぶ等した後に宋(中国大陸)へ渡って学び、曹洞宗を起こして行き、やがて越前国の永平寺を本拠地とするようになって行く。最晩年に至って永平寺を後身に託し、道元自身は京都に出て病気療養をしていて、この世紀費の辺りで他界したというのだ。高僧が他界する場合に「示寂」という用語を用いる場合が在るようだが…
「不思議な空地?」と惹かれたが、偶々少し前に『親鸞と道元』という本を読んでいて、「道元」という名に注目した訳である。
↓京都というのは、こういうような少し知られた史上の人物達に所縁の場所というようなモノに「実にさり気ない…」という様子で出くわす場合が在る街だと、改めて思った。
↓建物一軒が建つか如何かという程度の、一寸した用地が半ば空地のようになっていて、石碑が据えられている様子であるのが眼に留まった。
↓「何?」と思えば、石碑に関して説いている看板が在った。道元禅師に所縁の場所であるということだ。
道元(1200-1253)は鎌倉時代初期の禅僧で、曹洞宗を開いたという人物だ。
比叡山で出家し、建仁寺で学ぶ等した後に宋(中国大陸)へ渡って学び、曹洞宗を起こして行き、やがて越前国の永平寺を本拠地とするようになって行く。最晩年に至って永平寺を後身に託し、道元自身は京都に出て病気療養をしていて、この世紀費の辺りで他界したというのだ。高僧が他界する場合に「示寂」という用語を用いる場合が在るようだが…
「不思議な空地?」と惹かれたが、偶々少し前に『親鸞と道元』という本を読んでいて、「道元」という名に注目した訳である。
↓京都というのは、こういうような少し知られた史上の人物達に所縁の場所というようなモノに「実にさり気ない…」という様子で出くわす場合が在る街だと、改めて思った。
白山湯 高辻店…(2022.07.31)
京都の街中には存外に銭湯が多く在るという話しを聞いている。他方で、順次廃業が増えているとも聞くが、それでも意外に賑わっていて利用するのが愉しいようではある。
滞在した宿が立地する四条烏丸辺りからも「片道が徒歩10分程度」という範囲に銭湯が在って、しかも日曜日は朝7時から開いていて好評を博しているということを聞いた。
トートバッグ―一寸いた買い物の際に使う、モノを買って持ち運ぶ際に使うということで、旅先には畳んでバッグに入れて何時も持って行く…―にタオルを入れて、何となく歩いてその銭湯を訪ねてみることにした。
↓地図を見て「この辺りの道を抜けて?」と行きつ戻りつで進むと、それらしい建物に巡り合った。
↑京都の街中には、こういう按配の風景はマダマダ残っているようにも思う…
↓白山湯(はくさんゆ)という屋号の看板だ…
↓「危険な暑さ」が囁かれた日の朝、7時の開店の少し後を目掛けて訪ねた次第だ。
正しく銭湯で、料金は「450円」である。が、中は各種の浴槽と熱いサウナ―最近利用したモノの中では最も高温な100℃か、それを少し出ていたかもしれなかったと思う…―が備わっていて、意外に賑わっていた。そしてなかなかに好かった。タオルは持って出て正解だった。ボディーソープやシャンプーは使用可能なモノが浴場に在ったので、特段に不便は無い。
「普通の銭湯」というモノまで利用してみると、何か京都が更に身近になったような気もする…朝からサッパリだった。
>>白山湯のウェブサイト
滞在した宿が立地する四条烏丸辺りからも「片道が徒歩10分程度」という範囲に銭湯が在って、しかも日曜日は朝7時から開いていて好評を博しているということを聞いた。
トートバッグ―一寸いた買い物の際に使う、モノを買って持ち運ぶ際に使うということで、旅先には畳んでバッグに入れて何時も持って行く…―にタオルを入れて、何となく歩いてその銭湯を訪ねてみることにした。
↓地図を見て「この辺りの道を抜けて?」と行きつ戻りつで進むと、それらしい建物に巡り合った。
↑京都の街中には、こういう按配の風景はマダマダ残っているようにも思う…
↓白山湯(はくさんゆ)という屋号の看板だ…
↓「危険な暑さ」が囁かれた日の朝、7時の開店の少し後を目掛けて訪ねた次第だ。
正しく銭湯で、料金は「450円」である。が、中は各種の浴槽と熱いサウナ―最近利用したモノの中では最も高温な100℃か、それを少し出ていたかもしれなかったと思う…―が備わっていて、意外に賑わっていた。そしてなかなかに好かった。タオルは持って出て正解だった。ボディーソープやシャンプーは使用可能なモノが浴場に在ったので、特段に不便は無い。
「普通の銭湯」というモノまで利用してみると、何か京都が更に身近になったような気もする…朝からサッパリだった。
>>白山湯のウェブサイト
出町柳駅…(2022.07.30)
『綾傘鉾 祇園囃子』/祇園祭綾傘鉾保存会…(2022.08.08)
<KYOTO>のTシャツ…:シェイクシャック 京都四条烏丸店の土産(2022.08.05)
↓京都の<シェイクシャック>で眼に留め、自身で着用可能な「L」のサイズが在ったので求めていた…
↑「KYOTO」と大書している。「T」は「舞妓さんが開いた傘を手にした姿」である。
↓背中には、表面の舞妓さんが「座って御挨拶」という様子の画だ。
京都の<シェイクシャック>でこれを求めた際に店員さんと言葉を交わした。「北海道へ引揚げる前に求めた」としたところ、店員さんは「“京都店”のTシャツを是非とも北海道で!」としていた。そんな訳で、旭川から北上という場面から着用し始めようと思う。
今般は<キエフ>のTシャツ、建長寺の「一円相」のTシャツと計3枚のTシャツを出先で求めたというような形だ。自身の「買物の傾向」としては「こんな感じ?」であろうか。夏季の場合、「思ったよりも着替えの頻度が高くなってしまう…」という中、Tシャツは求めてしまい易いかもしれない。尤も、寧ろ冬季や春季に出る場合が多かった中、「着替えの頻度」と然程の関連も無くTシャツを色々と求めてしまっていた事例も思い出すのだが。
尚、記事に使用の写真は横浜・桜木町の宿で撮っているが、モノは「京都の想い出」に関連するので、記事カテゴリは「京都府」としておく。
↑「KYOTO」と大書している。「T」は「舞妓さんが開いた傘を手にした姿」である。
↓背中には、表面の舞妓さんが「座って御挨拶」という様子の画だ。
京都の<シェイクシャック>でこれを求めた際に店員さんと言葉を交わした。「北海道へ引揚げる前に求めた」としたところ、店員さんは「“京都店”のTシャツを是非とも北海道で!」としていた。そんな訳で、旭川から北上という場面から着用し始めようと思う。
今般は<キエフ>のTシャツ、建長寺の「一円相」のTシャツと計3枚のTシャツを出先で求めたというような形だ。自身の「買物の傾向」としては「こんな感じ?」であろうか。夏季の場合、「思ったよりも着替えの頻度が高くなってしまう…」という中、Tシャツは求めてしまい易いかもしれない。尤も、寧ろ冬季や春季に出る場合が多かった中、「着替えの頻度」と然程の関連も無くTシャツを色々と求めてしまっていた事例も思い出すのだが。
尚、記事に使用の写真は横浜・桜木町の宿で撮っているが、モノは「京都の想い出」に関連するので、記事カテゴリは「京都府」としておく。
<喫茶マドラグ>にて…:京都(2022.08.02)
↓美味い珈琲を啜り、何となく新聞に眼を通す…「喫茶店で独り」という時間の典型かもしれない。
↑灰皿が無く、煙草を点ける訳にも行かないのは「時勢」というものであろうが…
↓<喫茶マドラグ>という店が在る。噂を聞いて、訪ねてみたいと思っていた。
↑地下鉄の烏丸御池駅から然程遠くないのだが、何やら幾つもの細かい通が在り、多少迷いながら、更に暑さで酷い汗もかきながら辿り着いた。
↓長く<喫茶セブン>と号していたという旧い喫茶店を再生させて、店主氏の奥様が大ファンであるフランスの女優ブリジット・バルドーが愛した別荘の名を冠して<喫茶マドラグ>としたのだそうだ。
↓ブリジット・バルドーは「マドラグへ還りたい…」と愛する別荘に言及することが頻繁であったらしいが、この店も「還りたい…」というような想いが沸き起こるような、「古き善き喫茶店」という風合いだ。
↓空気感が酷く好かった。そして「人気店!」だ…
↑開店の11時半に行けば直ぐに満席になった。「席の利用は12時半までで」という話しだったが、ドンドン来店客が在って「12時半頃から御予約…」という話しになっていた。
↓こんな「玉子サンドウィッチ」が供されている。「卵を何個使っている??」と余計なことを考えてしまったが、分厚い熱い玉子焼きに、仄かにソースが入って「初めて!!」という感じで心動かされた一皿だった。
↑これは<コロナ>という伝統を誇った洋食店が閉店した際、その名物メニューを継承したのだという。
こちらの店主氏は、京都の街で愛された喫茶店やそれらで供されていたメニューを再生して受継ぐというような、「京都喫茶文化遺産」という活動を展開しているようだ。面白いと思った。
↓程好く濃いオリジナルブレンドを頂きながら、「きっとまた来よう!」と考えていた…
↑灰皿が無く、煙草を点ける訳にも行かないのは「時勢」というものであろうが…
↓<喫茶マドラグ>という店が在る。噂を聞いて、訪ねてみたいと思っていた。
↑地下鉄の烏丸御池駅から然程遠くないのだが、何やら幾つもの細かい通が在り、多少迷いながら、更に暑さで酷い汗もかきながら辿り着いた。
↓長く<喫茶セブン>と号していたという旧い喫茶店を再生させて、店主氏の奥様が大ファンであるフランスの女優ブリジット・バルドーが愛した別荘の名を冠して<喫茶マドラグ>としたのだそうだ。
↓ブリジット・バルドーは「マドラグへ還りたい…」と愛する別荘に言及することが頻繁であったらしいが、この店も「還りたい…」というような想いが沸き起こるような、「古き善き喫茶店」という風合いだ。
↓空気感が酷く好かった。そして「人気店!」だ…
↑開店の11時半に行けば直ぐに満席になった。「席の利用は12時半までで」という話しだったが、ドンドン来店客が在って「12時半頃から御予約…」という話しになっていた。
↓こんな「玉子サンドウィッチ」が供されている。「卵を何個使っている??」と余計なことを考えてしまったが、分厚い熱い玉子焼きに、仄かにソースが入って「初めて!!」という感じで心動かされた一皿だった。
↑これは<コロナ>という伝統を誇った洋食店が閉店した際、その名物メニューを継承したのだという。
こちらの店主氏は、京都の街で愛された喫茶店やそれらで供されていたメニューを再生して受継ぐというような、「京都喫茶文化遺産」という活動を展開しているようだ。面白いと思った。
↓程好く濃いオリジナルブレンドを頂きながら、「きっとまた来よう!」と考えていた…
<池田屋>…(2022.07.31)
回転寿司の店で友人と落ち合うべく場所を探していた。
思った以上に簡単に回転寿司の店は見つかり、待ち合わせに少しだけ間が在った。辺りを見回した。
↓こんな店が眼に留まった…
↓幕末期の所謂「池田屋騒動」が発生した場所であるらしい…
少し前の2018年に『池田屋乱刃』という小説を読了していた。所謂「池田屋騒動」は様々な形で取上げられているのだが、自身としてはこの『池田屋乱刃』という小説が「最も近い時期に触れた事例」ということになると思う。
↓「現場」での出来事等を紹介する内容が掲出されていた…
<池田屋>は居酒屋になっているようだ。メニューに、ここの騒動で名を馳せた新選組の幹部の名を冠するというようなこともしていると見受けられた。機会が在れば寄りたい感だ…
思った以上に簡単に回転寿司の店は見つかり、待ち合わせに少しだけ間が在った。辺りを見回した。
↓こんな店が眼に留まった…
↓幕末期の所謂「池田屋騒動」が発生した場所であるらしい…
少し前の2018年に『池田屋乱刃』という小説を読了していた。所謂「池田屋騒動」は様々な形で取上げられているのだが、自身としてはこの『池田屋乱刃』という小説が「最も近い時期に触れた事例」ということになると思う。
↓「現場」での出来事等を紹介する内容が掲出されていた…
<池田屋>は居酒屋になっているようだ。メニューに、ここの騒動で名を馳せた新選組の幹部の名を冠するというようなこともしていると見受けられた。機会が在れば寄りたい感だ…
「長刀鉾 NAGINATAHOKO」…(2022.07.31)
<八坂の塔>が在る光景…:早朝(2022.08.02)
同志社前停留所…:京都市営バス(2022.07.31)
「銀閣を訪ねてみよう…」と思い付いた。相国寺の辺りであれば、同志社大学周辺のバス停を通るバスを利用可能な筈だ。
↓朝から飛び交っていた「危険な暑さ」という言辞が現実の事として気に懸り始めるような状況下、停留所に佇んで居ればバスが現れた。
↓最初に現れた車輛は利用したい運行系統ではなかった。そう思えば直後に“連発”で現れた車輛が、利用したい運行系統であったので乗車した。
京都の市営バス等は「〇〇行」というよりも、寧ろ「XX番」と運行系統の番号で区別をしている。グルグルと廻るような路線が設定されていて、目的の停留所を通る運行系統のバスに乗る訳だ。
自身は京都に在る場合、「地下鉄〇〇駅へ出て歩く」というのが寧ろ得意で、バスの利用は少し少ない。が、最近になって京都に住み始めた友人は移動時に出発点と到着予定点とから「運行系統XX番」をスマートフォンで検索し、バスに乗車することを好むようだ。普通の天候の日中であれば、窓から外の様子も視えるバスはより心地好い感もするかもしれない。そして、地下鉄と比べて「圧倒的に多くの地点へ出入り」という「面的輸送」ということが出来ているのかもしれない。そういう訳で、機会が在れば京都のバスに乗ってみる機会も増やしてみたいような気もする…
今回、「換気…」と称して開いていた窓から、程々に冷房が効いた車内に適度に風が入って、銀閣を目指した移動が心地好かったことが記憶に残る。
↓朝から飛び交っていた「危険な暑さ」という言辞が現実の事として気に懸り始めるような状況下、停留所に佇んで居ればバスが現れた。
↓最初に現れた車輛は利用したい運行系統ではなかった。そう思えば直後に“連発”で現れた車輛が、利用したい運行系統であったので乗車した。
京都の市営バス等は「〇〇行」というよりも、寧ろ「XX番」と運行系統の番号で区別をしている。グルグルと廻るような路線が設定されていて、目的の停留所を通る運行系統のバスに乗る訳だ。
自身は京都に在る場合、「地下鉄〇〇駅へ出て歩く」というのが寧ろ得意で、バスの利用は少し少ない。が、最近になって京都に住み始めた友人は移動時に出発点と到着予定点とから「運行系統XX番」をスマートフォンで検索し、バスに乗車することを好むようだ。普通の天候の日中であれば、窓から外の様子も視えるバスはより心地好い感もするかもしれない。そして、地下鉄と比べて「圧倒的に多くの地点へ出入り」という「面的輸送」ということが出来ているのかもしれない。そういう訳で、機会が在れば京都のバスに乗ってみる機会も増やしてみたいような気もする…
今回、「換気…」と称して開いていた窓から、程々に冷房が効いた車内に適度に風が入って、銀閣を目指した移動が心地好かったことが記憶に残る。
相国寺…(2022.07.31)
何気なく地下鉄の四条駅へ…特段に行先を詳しく決めていたのでもなかった。
不意に思い出したのは5月に立寄った相国寺だった。四条駅からであれば、今出川駅へ少し北上すると傍だ。同志社大学にも近い辺りということになる。
↓辺りに着いてみれば…「過ぎる程!!」に時季らしい様子な天だった…
↓強力な光線に、陰影が際立つような感じだ…
↓陰影が際立ち、何やら「ペンで強めに描いた?」というような景色に視えた…
↓建物のディーテールがより鮮明に浮き上がるようにも視え、少し面白かった…
↓或る意味で非常に絵画的な眺めであったかもしれない…
少し調べると、相国寺は拝観を受け入れる期間を限定しているようで、訪ねた時には中を拝観出来なかった。が、鮮烈な景観を眺めて愉しんだ…
不意に思い出したのは5月に立寄った相国寺だった。四条駅からであれば、今出川駅へ少し北上すると傍だ。同志社大学にも近い辺りということになる。
↓辺りに着いてみれば…「過ぎる程!!」に時季らしい様子な天だった…
↓強力な光線に、陰影が際立つような感じだ…
↓陰影が際立ち、何やら「ペンで強めに描いた?」というような景色に視えた…
↓建物のディーテールがより鮮明に浮き上がるようにも視え、少し面白かった…
↓或る意味で非常に絵画的な眺めであったかもしれない…
少し調べると、相国寺は拝観を受け入れる期間を限定しているようで、訪ねた時には中を拝観出来なかった。が、鮮烈な景観を眺めて愉しんだ…
バス停のポスター…(2022.07.31)
「危険な暑さ」という言辞が飛び交い、「無理をしない、ゆったりとした日曜日ということにしよう…」とは考えていたが、それでも戸外を少しばかり動き回ってみたくなった。
半世紀の歴史を誇るカフェに立寄り、「御蔭様で、昼食は無用…」という程度にヴォリューム感溢れていた“モーニング”を頂き、ふらりと烏丸通に出た。
↓風雨や陽射しを避けられる屋根が据えられたバス停だ…
↑ポスターに眼が向いた。「京都に即戦力を」と在る。
「陽射しを避けられる屋根が据えられたバス停」が好いような気がして写真を撮ったが…歩を進めて気になった。「“即戦力”?」とである。
多分、求人情報系のサービスのポスターなのだと思う。そこで“即戦力”だ。気になったのは「自身のこと」である。何かで“即戦力”なのだろうか?或いはどこで何を如何やっても“戦力外”ではないか?何気なくそういうことを思わないでもなかった訳だ…妙な話しだが…
半世紀の歴史を誇るカフェに立寄り、「御蔭様で、昼食は無用…」という程度にヴォリューム感溢れていた“モーニング”を頂き、ふらりと烏丸通に出た。
↓風雨や陽射しを避けられる屋根が据えられたバス停だ…
↑ポスターに眼が向いた。「京都に即戦力を」と在る。
「陽射しを避けられる屋根が据えられたバス停」が好いような気がして写真を撮ったが…歩を進めて気になった。「“即戦力”?」とである。
多分、求人情報系のサービスのポスターなのだと思う。そこで“即戦力”だ。気になったのは「自身のこと」である。何かで“即戦力”なのだろうか?或いはどこで何を如何やっても“戦力外”ではないか?何気なくそういうことを思わないでもなかった訳だ…妙な話しだが…