広島駅の227系電車(2016.11.23)

↓広駅から広島駅まで、新しい車輛<レッドウィング>こと227系電車で到着したが、そのまま折り返しの列車になるらしく、乗務員の交代等が行われていた…
Hiroshima Station on NOV 23, 2016 (1)

↓同じホームの反対側の乗場に岩国へ向かう列車が近付こうとしていたが、更に向こうの乗場にも、新しい車輛<レッドウィング>こと227系電車が待機中だった…
Hiroshima Station on NOV 23, 2016 (2)

↓結局、各々の行先を目指す、新しい車輛<レッドウィング>こと227系電車が並んで待機している…
Hiroshima Station on NOV 23, 2016 (4)

この<レッドウィング>が数を増やし、何となく広島辺りの“鉄道の風景”が「変って行こうとしている」ような空気を強く感じた…

実はこの画を撮った時…「広島カープの“ファン感謝デー”…広島の街が混み合っている?」と広島駅を「岩国行の列車に乗車」というだけで、“素通り”してしまった経過が在る…他方、岩国に早く着いて、ゆっくりと錦帯橋の様子を愉しんだことや、錦帯橋のイラストが入った地元の銘酒<五橋>に出逢ったことも非常に好い想い出なのだが…機会が在れば、この<レッドウィング>に乗車して、もっと広島近隣に親しみたいというような想いが募る昨今である…
posted by Charlie at 17:42Comment(0)広島県

<保命酒>(ほうめいしゅ)の看板(2016.11.22)

福山からバスで移動…片道30分弱な辺りに鞆の浦が在る…

鞆の浦は瀬戸内海で展開された海上輸送の中、干満差が大き目な海域で“潮待ち”を行い、帆走するのに都合が好い風を待つ“風待ち”を行い、更に物資の補給等も行う場となっていた。現代風に言えば“重要港湾”というようなことになるであろうか…

江戸時代には福山の城主が知行地の一部として管轄していたようだが、この地に少し個性的な銘酒が受け継がれている…

↓これは永くこの鞆の浦で受け継がれていた銘酒を扱う店の、伝統を受継ぐ看板である…<保命酒>(ほうめいしゅ)という銘酒である…
Tomo-no-ura area on NOV 22, 2016 (13)
↑この看板を最初に造った業者は、この<保命酒>の製造販売から撤退し、その際に事業を続ける同業者に看板を譲ったらしい。譲り受けた業者がこれを店内に飾っていて、そこに立寄った際、記念に看板の写真を撮った…

<保命酒>は、米で醸造する酒に各種の薬草を加えた“リキュール”のようなモノだ。概ね日本酒のような14度程度の度数であるのが伝統的な代物だ…

幕末期、“黒船”のペリー提督を饗応するようなことになった際、鞆の浦を知行地の一部とした幕府の老中であった阿部正弘は、地元の銘酒を取寄せて饗応の席で用いたという。地元の銘酒というのが<保命酒>に他ならない…

この相当に古くから伝わるらしい、凄く精巧な龍の彫刻の入った看板を飾っていた店で<保命酒>の小瓶(300ml)を求めて福山の宿に持ち帰り、「かのペリー提督も親しんだ味??」と試飲して、ゆっくりと小瓶を開けてしまったのは、暫く経ってみれば非常に愉しい想い出である…

↓焦点が甘いが…<保命酒>の小瓶は、こういう代物だ…
I enjoyed traditional liquer from Tomo-no-ura at Hotel room on NOV 22, 2016
posted by Charlie at 02:00Comment(0)広島県

福山城(2016.11.22)

福山の城が在った辺りというのは、明治期以降に色々に利用されていて、例えば鉄道が通っている辺りも嘗ては城の敷地だった場所なのだという…

そういうことらしいが、福山駅の辺りを列車で通り過ぎると、車窓に天守閣が視える…

↓列車の車窓で何度か視たような記憶が在る福山城の天守閣…初めて間近に仰ぎ視る機会が在った…
Fukuyama Castle on NOV 22, 2016 (5)

↓天守閣の建物は、昭和20年までは江戸時代に使われていた“オリジナル”な建物が残っていたらしいが…戦災で損なわれてしまい、戦後に再建したモノが現在見られる天守閣であるという…
Fukuyama Castle on NOV 22, 2016 (3)
↑この種の建造物で「昭和20年まで古い建物が残っていて、戦災で損なわれ、戦後に再建」というようなパターン…存外に多いような気がしている…

この福山城だが…幕末の“黒船”の頃に幕府の老中として活躍した阿部正弘が城主だった経過が在る…
posted by Charlie at 01:00Comment(0)広島県

三原駅で待機中の227系電車(2016.11.23)

「福山から呉線経由で広島」と考えて、未だ暗かった福山駅から列車で出発し、途中の三原駅に至った…

↓三原駅で待機していた、呉線を経由して広島駅まで向かう列車だ…
Mihara Station on NOV 23, 2016 (1)
↑広島圏に投入された新しい車輛の227系電車を初めて間近に視たのだった…

↓「休日の早朝」ということで、車内は空いていたので、車内の様子も写真に撮っておいた。
Mihara Station on NOV 23, 2016 (3)
↑なかなか座り心地が好いシートだった…2015年登場の車輛と言うが、マダマダ真新しい感じがする車内だ…

考えてみると、呉線の広駅以東の三原駅から、広島駅へ直通する列車は本数が限定されているようなので「少し貴重」な乗車経験だったかもしれない…が、この時は竹原駅まで乗車した…
posted by Charlie at 01:00Comment(0)広島県

御手洗:“スクールゾーン”(2016.11.23)

何処の地方にも、登下校の小学生等が通る辺りに“スクールゾーン”という看板を掲出した場所が見受けられるものだが…

↓御手洗では、ランドセルを背負った小学生が、随分と勢いよく走り回るらしい…
Mitarai on NOV 23, 2016 (7)
↑この「凄く元気!」という感じがする看板が記憶に残った…
posted by Charlie at 06:47Comment(0)広島県

御手洗:屋根瓦の飾り(2016.11.23)

↓御手洗で見掛けて、何か非常に気に入ったモノ…
Mitarai on NOV 23, 2016 (20)
↑屋根瓦に飾りのようなモノを設えて在るのは色々と視たが…こういう感じのモノは御手洗で初めて視た…

この型…何処と無く「古代エジプトか何処かのモノ??」というように見えた…鷹を模っているのか?何となく面白い…
posted by Charlie at 04:36Comment(0)広島県

竹原:竹鶴夫妻の像(2016.11.23)

広島県竹原市には“町並み保存地区”が在り、地区内を散策するのはなかなかに愉しい…

↓竹原の“町並み保存地区”に、こんな銅像が在った。殆ど人物の実寸大と思える像だった…
Takehara on NOV 23, 2016 (11)
↑これはこの竹原出身の竹鶴政孝翁とリタ夫人の像である…

竹鶴翁は、北海道の余市に在る<ニッカウヰスキー>を起こしたことで知られているが、この竹原で醸造業を営んでいた一家の生まれである。

大阪の学校で醸造に関することを学び、大阪の会社で働いていた時、当時は余り詳しく知られていなかった「本格的なウィスキー造り」を学ぶ機会を得てスコットランドに渡った。スコットランドでリタ夫人とも巡り合い、共に帰国する…

その後、現在も続くサントリーの山崎蒸留所を起こす仕事に携わり、10年程経たところで「スコットランドにより近い環境でウィスキー造りに勤しむ」という夢を追い求め、北海道の余市に自身の蒸留所を起こした。ウィスキーは最初の製品を送り出すまでに年月を要することから、竹鶴翁は余市で収穫されるリンゴを使ったジュースを製造販売しながらその年月を繋ぐことを構想し、<大日本果汁>という社名を掲げた。この“日”と“果”を取って「ニッカ」という略称が登場し、それがウィスキーのブランド名になって行くのだ…

北海道ではなかなかに有名な竹鶴翁に、御自身の故郷で出会うことが出来たのは、少し嬉しかった。しかも、深く愛し合っていたという、リタ夫人と一緒の姿である。リタ夫人は竹鶴翁よりも先に他界してしまったが、竹鶴翁は「自分がリタに無用な苦労を掛けてしまったから先に逝ってしまった」と随分深く悲しんでいたと伝えられているそうだ…
posted by Charlie at 02:00Comment(0)広島県

竹原駅の105系電車(2016.11.23)

“呉線”というのは、広島県の三原駅と海田市駅との間を、呉を経て結ぶ路線である。呉駅以西を行き交う列車は、海田市駅の少し先に在る、地域の中核的な駅となっている広島駅に乗り入れている列車ばかりだ…

呉線の西寄りな側は、「広島都市圏」に完全に入っている感じで、列車運行本数は多いが…

↓東寄りな側になる竹原駅辺りでは、多少運行本数が少なめな時間帯も見受けられる…
Takehara Station on NOV 23, 2016 (3)
↑実は西へ向かおうと駅に辿り着き、列車が出たばかりの時間帯で、次まで1時間以上待つ羽目になった…急ぐ旅でもなく、近隣に喫茶店を見付けて一息入れていたのだった…

↓気を取り直して、列車が出る時間帯に竹原駅へ…何か味わいの在る、2輛運行の電車が現れた…
Takehara Station on NOV 23, 2016 (4)
↑広駅へ向かう列車だ。広は、何となく呉線の東側と西側とが分けられる境界のように見えた駅だが…

↓乗車した車輛は105系電車だ。
Takehara Station on NOV 23, 2016 (5)
↑国鉄時代の1981年に登場した車輛で、直流電化区間に対応した電車である。JR東日本とJR西日本が継承しているが、JR東日本では既に運用していない。現在ではJR西日本の各区間で活躍しているものが見られるばかりなのだという。

この105系は、1980年頃の時点で、地方の電化区間では1950年代に初登場したような旧型車が多く残っていたことを受けて、それらを更新する目的で開発製造されたものであるという。が、こちらも現在では「一寸…古い…」という感じに既になって来ている…

「広島都市圏」では、新しい車輛も登場し始めている他方、こういう「一寸、古い…」もマダマダ見受けられた。どちらも、それぞれに好いと思う…

posted by Charlie at 03:00Comment(0)広島県

御手洗港の<かがやき2>号(2016.11.23)

↓瀬戸内海の“真中”のような位置に在る、大崎下島の御手洗に連絡船が着いたところ…
Mitarai on NOV 23, 2016 (2)
↑竹原から、大崎上島、大崎下島の港に寄りながら航行している高速艇だ。船内の掲示によると、32名定員ということだった…

竹原から大長(おおちょう)の航路は、概ね45分間程度の運航である。全体で1日に7往復が運航されているようだが、御手洗に関しては、午前中の1往復が寄港することになっているという。今般、早朝に竹原に移動し、最初の便で御手洗に入り、少し後の復路の便で竹原に引揚げた…

船の乗り心地…「多少状態が悪い道路を、中途半端な大きさの自動車で移動した時」の感触を思い出すような感じだった…

御手洗を発つ時、出入港関係の業務を請け負っているという風だった御夫妻のおばちゃんと言葉を交わした。乗船客が在る時には、合図の回転灯を点けて、船に見えるようにしておくのだという。実際、その合図が見えないらしい停泊地について、船は通過していた…

↓この後は大長に向かい、また竹原へ折り返す…
Mitarai on NOV 23, 2016 (3)

何かこの航路は…海上を駆ける小型高速艇でありながら、何処と無く「小さな町の路線バス」というような風情が漂っていた…

言葉を交わしたおばちゃんが、「“島だった”頃は、もっといろいろな船が出入りして賑やかじゃった…」と口にしていた。この辺の小さな島は、架橋が推進されていて、橋を経て本州等と往来がし易くなった。そうなると、島の側は賑わいが失われて行ったようだ…

大崎下島の辺りだが、行政管轄としては広島県呉市になるそうだ…
posted by Charlie at 06:42Comment(0)広島県

鞆の浦の坂本龍馬(2016.11.22)

↓誰かが扮装しているのではない…リアルに造られた人形だ…実際に人間の大きさになっている…
Tomo-no-ura area on NOV 22, 2016 (11)
↑鞆の浦の古くから在る港に近い資料館で視掛けた…

幕末、坂本龍馬が関わった<海援隊>が運用していた船<いろは丸>が紀州徳川家の船との間で事故を起こしてしまった…現場が鞆の浦辺り…事故の後始末のため、坂本龍馬は鞆の浦にやって来て滞在したという…その時の様子をイメージしたのがこの人形だ…
posted by Charlie at 01:00Comment(0)広島県

早朝の原爆ドーム(2015.10.28)

夜行バスで広島のバスターミナルに着いた後、直ぐ近くでもあったことから、原爆ドームを視に行った…

↓「明るくなって来たな…」という中、少し離れた辺りから眺めてみた…
A-Bomb Dome at Hiroshima on OCT 28, 2015 (5)
↑「明るくなって来たな…」という中だが、未だ灯りが少し残っていた…

初めてこの原爆ドームを視た時、「思ったより小さな建物?」とも思ったのだが…このドームの部分の両脇に、昭和20年時点では色々な官庁のオフィスなどが入居していて、建設当初には各種の見本展示会等に利用されたという大き目な建物が在った…爆風で建物の三分の二か四分の三が吹き飛ばされてしまっている訳である…

この日、何度か辺りを通り過ぎ、夕刻に今一度立寄って原爆ドームを眺めたが…通り過ぎながら、これを見上げて、写真を撮る人が絶えない感じだった…正しくこの原爆ドームは、ここで起きてしまったことを静かに伝え続けるモノだ…
posted by Charlie at 07:37Comment(0)広島県

原爆ドームの傍の広島電鉄「352」(2015.10.28)

夜行の都市間バスで福岡から広島へ移動した…広島のバスターミナルは、原爆ドームに近い…

未だ薄暗かった早朝、バスターミナルから原爆ドームへ歩き、暫し様子を眺めた。そして周辺を歩き始めたのだったが…

↓原爆ドームが背後に見える辺りに、少し古風な路面電車が姿を見せた。
Tramcars at Hiroshima on OCT 28, 2015 (1)
↑「350形」と呼ばれるこの車輛…1958年に「850形」として初登場し、1971年に「350形」と改番されたモノであるという…既に半世紀を超える車輛だ…

路面電車が元気な広島…こういうような、少し古風に見える車輛も多く、そういう車輛が行き交う様子がなかなかに好い…
posted by Charlie at 18:09Comment(0)広島県

広島港停留所の広島電鉄「5012」(2015.10.28)

広島は路面電車が随分と元気な街である…

↓広島港旅客ターミナルの前と、広島駅との間を往来する路線が在って、広島港の停留所は何となく賑やかだ…
Tramcars at Hiroshima on OCT 28, 2015 (8)
↑5000形という、非常に目立つ型の車輛が停車中だった…

5000形とは、1999年から2002年に掛けて12編成が導入されていて、ドイツ製である…GREEN MOVER(グリーンムーバー)という愛称が在る。5連接構造の低床型電車だ。長さが約30mも在る…

広島港停留所は行き止まり式で3本の軌道がフォーク状に並んでいるのだが、そういう場所でこの車輛は見栄えがした…この型に乗車したり、街で見掛ける機会も在ったが、「2輛を基本に運行している電車が、道路上の併用軌道に登場した」ように感じる。車内での運転台側、反対側が見える時の“距離感”が「2輛連結」のようなのだ…そしてこの型での運行時には、運転士に加えて車掌も乗務している…

広島は路面電車の“一日乗車券”で巡るのが愉しい街だ。そういう街については、「何度でも寄ってみたい」ように思う…
posted by Charlie at 05:00Comment(0)広島県

広島城(2015.10.28)

↓広島の街の真中…広い公園のような空間が拡がり、画のように城の天守閣が見える…
Hiroshima Castle on OCT 28, 2015 (3)

この時は…堀の周囲を歩き回って、この天守閣を仰ぎ見ていたが…機会が在れば、間近にも寄ってみたいものだ…
posted by Charlie at 05:50Comment(0)広島県

原爆ドーム(2015.10.28)

長く「訪ねてみたい…」と思っていて、初訪問を果たしたのは2009年のことだった…以降、再訪の機会を伺ったが、果たせたのは2015年10月だった…

福岡・博多からの夜行バスで広島入りし、バスターミナルから近い原爆ドームを起点のようにして、好天に恵まれた広島市内を動き回った…

↓モノクロ写真の原爆ドーム…何とも言い難い“雰囲気”を醸し出すものだ…
A-Bomb Dome at Hiroshima on OCT 28, 2015 (8)
posted by Charlie at 07:38Comment(0)広島県