原爆ドーム…(2021.12.23)

このブログに写真を掲出している例だけでも2015年2018年2019年と「広島に立寄った記憶が在る限り」は、殆ど必ず足を向けて、少し眺めているという場所が在る。広島へ立寄る機会が生じたなら、時間が許す限り、この場所を訪れてみるのは、全く初めて広島に入った時以来の恒例となっている…

↓「時間が停まった…」かのような状況で保存されている建物なのだが、それでも「迎えた新たな一日への期待」というような感じで佇んでいるようにも感じられた。薄暗い早朝の原爆ドームだ。
23-12-2021 X-Pro2 (23)

暗い中で何も考えずに路面電車に乗り、少し違う側に出て、何やら逆方向に歩いてしまって迷ったので、通り掛かったタクシーを利用して辺りに至った…

↓ここに足を運ぶと、辺りを何回か廻って様子を眺める…
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↓全く初めてこれを実際に視た際には「存外に…小さい?」というようにも思ったのだが、残っているのは建物の概ね真中辺りに相当する箇所で、両脇に相当する6割程度が損なわれてしまっているので、そういう具合に思ったのであろう。
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↓好天な朝、朝陽が上る前の「少し明るい…」という按配でこれを眺めるのも好い…
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↓少々草臥れた落葉が絨毯のようになっていたのが面白かった…
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今般、広島滞在が想い出多いものとなったことから、広島を離れようとする段になって早速に「何時か再訪を…」と思っていることに気付かされる。再訪が叶えば、この場所も訪ねてみなければなるまい。
posted by Charlie at 02:10Comment(0)広島県

<582>…:市役所前停留所:広島の路面電車(2021.12.23)

「一日乗車券」を手に、早朝から何度も路面電車に乗降を繰り返して広島市内、一部に廿日市市内を動き回っていた。一部、停留所間を徒歩で動き回ることもした。

市役所前停留所に至った。ここから宿の近くに引揚げようとしていた…

広島電鉄の宇品線は1912(大正元)年に開業したという。紙屋町から御幸橋の間だったということだ。この開業当初から、真菰橋停留場(まこもばしていりゅうじょう)という名で、現在の市役所前停留所に相当する停留場は登場しているとのことだ。1944(昭和19)年に停留場は休止ということになったが、1946(昭和21)年に再開し、その際に「市役所前停留所」ということになって現在に至っている。

↓何やら古めかしい型の車輛が登場した…
23-12-2021 X-Pro2 (213)
↑最近、広島では最新型やもっと新しいモノが多い感じなので、こういう車輛は酷く目立つ…

↓西広島を目指してこの車輛が出発したのを見送ったが、<582>は神戸からやって来た車輛だ。「582」という番号は、神戸で用いられていた独特な書体で書かれているという。
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↑<582>は1960年製造で、神戸で運行されていた。「570形」という。1971(昭和46)年に神戸で路面電車が廃止された中、神戸市交通局から広島電鉄が買い取った車輛であるという。

↓「50」というマークが掲出されているが、これは「神戸から広島へ移って50年」ということなので掲出しているそうだ…
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↑神戸からやって来たこの型は、現在ではこの1輛だけが運行中であるとのことだ。

こういうように「他所から移って長く稼働を続ける」という車輛は好い。こういうのが幾つも在ることで、何か「現に稼働していながらも“資料館”になっている」という雰囲気になるのが面白い。
posted by Charlie at 01:16Comment(0)広島県

<651>…:広島港停留所:広島の路面電車(2021.12.23)

広島在住の友人が身軽に動き回って観察した結果、広島の街で活躍する路面電車に関して「多くの種類の車輛を視たい!」ということなら、恐らく広島港停留所に陣取って眺めるのが好いという結論に至ったという。

「広島電鉄」が運行する路面電車は多分「日本国内最大?」と見受けられるような規模である。最新の工夫が施された新しい車輛が主流を占めつつある中、様々な年代の車輛、或いは他所で路面電車の運行が停止した後に移籍した車輛等が入り混じっていて実に面白い。と言っても、古い車輛に関しては、電車の運行が増える朝の混雑時間帯に登場する場合が多いという。更に自身でも気付いたが、「広島港⇔西広島」という運行系統に在っては、古い車輛の搭乗頻度が高いようだ。

そういうことで、朝の広島港停留所に足を運んでみた。

↓味わい深い古い車輛が広島港停留所に現れた…
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↓広島港停留所は3本に枝分かれした軌道に続々と電車が着いて、折り返しで出発するという仕組みになっている。入って来た車輛がその軌道の一つに入った。
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↓<651>という車輛だ…これは「少し特別…」な車輛でもある。
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この<651>は1942(昭和17)年生まれである…

<651>が登場した1942(昭和17)年頃にもなると、軍隊への動員というような事も在って、各産業で色々な影響も受けていた。路面電車の運行にしても、運行に携わる要員確保の観点で運行本数を減らさざるを得ない面が在った。そういう中で「少し大き目な車輛を用意し、多くの乗客を輸送可能なようにするという構想が持ち上がり、「650形」が製造されることになった。そして<651>が産声を上げた。

↓<651>は初登場以来80年になろうとしているが、未だ普通に運用されている。
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「広島港⇔西広島」という運行系統に投入されていたのだが、この系統を往くことに関して<651>はかなり年季が入っている。1945(昭和20)年8月6日、<651>は現在の「広島港⇔西広島」という運行系統に在る停留所である<中電前>の周辺で原爆の被害を受けてしまっている。そのことから「被爆電車」tp呼ばれる。

↓原爆投下の際に大きな被害を受けた<651>は修理され、1946(昭和21)年3月頃には修理を終えて復帰したのだという。そして現在に至るまで、時代の要請で様々な改造も施されているが、運用されている…
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広島は原爆の惨禍に見舞われてしまったが、その後は「短い区間であっても、可能な範囲で電車の運行を…」ということになり、動いている電車は苦境に在った人々に希望を与えたのだという。そして精力的な復旧努力が重ねられた。

↓今日も<651>は「広島港⇔西広島」を往来していた…
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↑こういうような経過の車輛で、永く大切に使われてきた訳で、同型の車輛の中の1輛は既に「博物館の展示品」になっているという。が、この<651>は「飽くまでも普通に運用」である。或いはそれは、博物館で保存するよりも意義深い。そして運行可能な状態でメンテナンスをし続けるのも、なかなかに大変かもしれない。

所謂「被爆電車」が「現在でも普通に運用」とは聞いていた。その車輛を間近に視られたのは好い経験だったと思う…
posted by Charlie at 21:48Comment(0)広島県

建造中かもしれない巨船が覗く光景…:呉(2021.12.22)

港と共に興り、様々な経過を経ている街…瀬戸内海を渡る風が感じられる地域…時季としては「やや温かい?」と思える程度の好天…不慣れな街ではあるが、一度訪ねてみた、または立寄った思い出も少し在って、それも殊更に懐かしい。そういうような呉なのだが、何やら訳も無く「好いなぁ…」という感慨が沸き起こった。

↓思わず足を停めて眺めてしまった…
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↑呉は巨大な軍艦を建造、修理した海軍工廠の流れを汲む造船所が今でも活動していて、様々な用途の巨大な船が建造されている。そんな船の一つだと思いながら眺めた。

余り細々としたことを考えない程度に、何処かの駅へ足を運んで列車に乗り、余り馴染んでいない街に辿り着いて歩き廻ってみる…というだけのことなのだが、何か「解き放たれた」というように自身は感じるのだ。

時季としては「やや温かい?」と思える程度の好天の中で動き回った。日中は13℃程度にはなっていたと思われる。少々汗ばんだのも思い出だ…
posted by Charlie at 04:42Comment(0)広島県

昨今の広島駅…(2021.12.22)

↓呉駅で乗り込んだ列車が到着し、折り返し運転となる列車に乗る多くの乗客が見受けられ、乗務員が交代して車輛の脇辺りに…記憶に在る「広島駅の様子」という感だ。
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↑画の227系電車は広島地区で初めて登場し、JR西日本の方々に拡がっている車輛だ。広島地区では<レッドウイング>という愛称も冠せられている。

「還って来た」というような錯覚を抱く程に広島を訪ねているのでもないかもしれない。が、到着してみればこの駅の「風」という程度のモノは記憶の中から甦る。

跨線橋へ上がって改札口を潜り抜けて駅前に出ようとした。路面電車が発着する場所も在る南口から出て、求めた宿へ歩こうとした。

駅の中では、何やら「工事中?」というような覆いが視えた。「↑」が床等に示されていて「工事中なのでこちらを御進み願います」というような状態になっている。札幌駅辺りでも見受けられるような状況だ。

↓工事箇所を覆う覆いの壁に囲われた状況から、外光の下に出たが、思わず足を停めて眼を疑った。
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↑「あの大きな駅舎が?無い!?」と大いに驚いた。

↓駅舎を建替えているのだということだ…
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↓広島駅の前に着けば、駅舎は視えずに「工事中の場所を覆う壁に何やら案内が大書されている」という状況に出くわすことになる。
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↓駅を背に右側へ進んだ場合に目立っていて、個人的には「広島駅周辺の目印の1つ」という程度に思っていた大きな郵便局も建替えていた。
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↓郵便局「であった場所」の前に在ったポストは残った。そしてこんな眺めだ…
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或いは、こういう「一寸変わった様子」を記録するというのも意義深いのかもしれない。とにかく驚いたのだが、何年か経ったら「竣工して供用されている新駅舎」にも列車で到着してみたいものだ。
posted by Charlie at 04:12Comment(0)広島県

<5009>:広島の路面電車(2019.06.04)

↓広島駅方向へ向かおうと路面電車を待っていれば、反対側の宮島口に行く路面電車が現れた…
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↑何度出くわしても「何やら凄いモノがやって来た…」と、多少驚き、注目してしまう…

今般、実際に乗車する機会も在ったが、この5000形は「市内線」の併用軌道が主体な場所を走り回る他、西広島から専用軌道になっている区間に入って宮島口まで向かう…更に…この長い連接車輌は、必ず運転士と車掌の2人が乗務している…

利用してから多少時間を経て、この5000形が酷く懐かしい感じになる…
posted by Charlie at 00:00Comment(0)広島県

宮島口:広島の路面電車(2019.06.04)

↓宮島口は広島電鉄の起点・終点となっている…
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↑次々と電車が到着し、少し経って折り返し出発して行く…

↓この宮島口を発着する電車は、旅客定員が多めな長い連接の車輌が殆どだ…
04-06-2019 Hiroshima (4)

↓宮島口から広島駅へ…併用軌道の区間は、どうしても道路が混み合って時間を要する場合も在るが…
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↑何時でも<一日乗車券>が利用可能なので、厳島神社を訪ねるのであれば意外に使い易い…

利用してから多少時間を経て…広島の路面電車が酷く懐かしい感じになる…
posted by Charlie at 00:00Comment(0)広島県

<一日乗車乗船券>:広島電鉄(2019.06.04)

↓広島でなかなかに活躍してくれたモノだ…
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<一日乗車乗船券>は、広島の街を行き交う路面電車、専用軌道になっている街の西側から宮島口までの電車、加えて宮島口から宮島へのフェリーに1日中何度でも乗降可能という代物だ。料金は840円だが…広島駅等、街の中から宮島口を往復し、宮島口から船で宮島を往復すると…既に料金分程度になってしまう…安価で大変に結構!!

↓利用する日付をスクラッチして、その場所を電車乗降時、フェリーの乗船時に乗務員または係員に提示するようになっている…
04-06-2019 at Nara (7)
↑この券が在ると、宮島のロープウェーの割引料金が適用されるらしい…そちらは敢えて利用しなかったのだったが…

こういう「1日券で自在に動き回ることが出来る地区が在る街」を訪ねるのは非常に好きだ…

※ この券の写真は奈良の宿で撮ったが…広島の路面電車に深く関連する内容なので、記事は<広島県>に分類しておく…
posted by Charlie at 00:00Comment(0)広島県

鹿…:宮島・厳島神社の周辺…(2019.06.04)

↓宮島には…鹿が居る…
04-06-2019 Hiroshima (16)

↓少しばかり陽射しがキツいと感じているのかもしれない…何となく「ペタッ…」としている様子が眼に留まった…
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↑鹿の毛並みが艶々としているように見える…そして辺りのモノの影…6月の陽射しを思い出す…

稚内で視掛けるエゾシカとは、少し種類が違うように思う…やや小柄な感じがする鹿だ…
posted by Charlie at 16:01Comment(0)広島県

<5004>:広島の路面電車(2019.06.04)

広島では…路面電車の「1日乗車券」でも手にして、路面電車で動き回るというような具合が…好いと思う…

↓<原爆ドーム前>の停留所…多分、<宮島口>から来ていたのだと思うが、<広島駅>へ向かう電車が姿を現した…
04-06-2019 Hiroshima (89)
↑<5000形>という、連接方式の低床型の車輌…「広島で路面電車に乗車…」と強く感じるような車輌だ…

↓目指していた<広島駅>に到着して下車した…
04-06-2019 Hiroshima (90)
↑広島駅前は、軌道が入組んで敷設されていて、沢山の電車が発着している…

↓<広島駅>に着いた電車は、行先表示を<宮島口>というようにして、また乗客を迎えて走る訳だ…
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こういう忙しく働く電車を眺めて…「1日で何回往復するのか?」というようなことを考えてしまう…広島駅・宮島口間は、実際に乗車してみたが、片道で1時間弱だった…

路面電車のような街中の公共交通…利用するのが意外に愉しい!
posted by Charlie at 05:20Comment(0)広島県

原爆ドーム…(2019.06.04)

↓広島へ立寄る機会が生じたなら…時間が許す限り、この場所を訪れてみるのは、全く初めて広島に入った時以来の恒例となっている…
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↑今回は「初夏の風情」という中だった…

↓今般は、広島から神戸への移動に向けて広島駅へ出る少し前、広島城を観た後、ここへ立寄った…
04-06-2019 Hiroshima (84)
↑ここは視る時季毎に各々の風情が在るとも思う…

↓何度立寄っても…何やら複雑な想いで眺める場所だ…
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この時、広島では小中高の各レベルの修学旅行らしきグループを随分と見掛けた。この原爆ドームの辺りでも、地元のガイドの話しに耳を傾けながら辺りを歩く青少年を多く見掛けた訳である。また近年の特徴かもしれないが、様々な国々から訪れている、あるいは滞日中の外国人の来訪も多かった…

この場所…「とりあえず寄りたい」という場所で、ここで何が在ったのかということに関しては、広く伝え継がれなければならないのであろう…
posted by Charlie at 05:37Comment(0)広島県

500系新幹線…:広島駅(2019.06.03)

↓新山口駅から広島駅へ…到着して改札口に向かおうとした際に眼に留めた…
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↑JR西日本が開発した<500系>である…停車している場面に出くわすと、思わずゆっくり眺めてしまう…

この車輌…初めて「時速300㎞での営業運転」を可能ならしめた高性能車で、登場してから暫くは「博多・東京」の列車として運用されていた…が、その「博多・東京」の列車はN700系の系統で揃えるというようなことになり…500系は短めな編成になり、JR西日本のエリア内で走り回る列車としての運用が専らになっている…

この日見掛けたのも、広島・新大阪間で各駅に停まる列車と見受けられた…が、この「SFのメカ!!」というような、独特な形状は大きな存在感を示す…
posted by Charlie at 06:14Comment(0)広島県

平清盛…:宮島(2019.06.04)

久し振りに<厳島神社>を訪ねてみることにした…広島駅辺りから、広島電鉄の電車に乗ると、路面電車の市内線のエリアを抜け、専用軌道になっている区間を進んで宮島口に至る…そこからフェリーで宮島へ渡る訳だ…

↓「久し振りに上陸した…」と、辺りをキョロキョロしていると、こんなモノに出くわした…
04-06-2019 Hiroshima (13)
↑「酷く貫禄が在る御坊様…誰だ??」と見入ってしまった…

↓<厳島神社>を現在のような形に整備したという平清盛の像だった…
04-06-2019 Hiroshima (11)
↑以前に視た記憶が無かったのだが…2014年に登場した像とのことだった。この日はよく晴れていて、こういう銅像は見栄えが佳かった…

平清盛は権勢の絶頂であった時期には「入道相国」(にゅうどうしょうこく)と呼ばれていたという。「相国」は「太政大臣」というような最高の位に就いている人物を指す。「入道」は仏門に帰依して出家しているということになる。そういうことで、像の平清盛は僧侶の姿をしている訳だ。

彼の時代の前後には「法皇」と呼ばれた人達も在った。それは「譲位した天皇」である“上皇”が出家した場合に呼ばれた呼称で、その高い身分を示す特別な僧衣を身に着けたという。平清盛も、その「法皇」の例に準じた特殊な僧衣を身に着けたらしい…像はそんな「入道相国」の姿を再現しようとしたものであり、宮島の<厳島神社>を「整備したというご本人が50歳代位であった頃の様子を想像して造ったようだ…

なるほど「酷く貫禄が在る御坊様…」な訳だ…同時代の“最高実力者”の様子なのだから…

遥かな時代の様子を想像させる銅像を眺めながら、時代を超えて受け継がれて来た建築を擁する社へ…なかなかに面白い…
posted by Charlie at 18:00Comment(0)広島県

<1908>:広島電鉄1900形電車:広島の路面電車(2019.06.04)

↓路面電車を利用して、広島の街を動き回る中で出くわした車輌だ…
04-06-2019 Hiroshima (43)
↑<1908>…「あらし山」という愛称が冠せられている…愛称は2001年頃から冠するようになったらしい…

この<1908>を含む「1900形電車」は、1978年に京都から広島にやって来た。京都の路面電車が廃止され、車輌が広島に移籍した訳だ…京都では1957年に登場し、1970年に改造を施した車輌だというが…京都では約20年間、広島では約40年間と永く活躍している…広島に移ってからの活動の方が長くなってしまっている訳だ…

広島では、様々な来歴の車輌が各々に併用軌道で活躍中で、乗車したり眺めたりがなかなかに愉しい…
posted by Charlie at 05:49Comment(0)広島県

濠から望む天守閣…:広島城跡(2019.06.04)

↓滑らかな水面に城の構造物が、空の様子共々に映り込んでいる…
04-06-2019 Hiroshima (61)
↑左奥が天守閣だ…右側は護国神社の建物が見えている…石垣の上は緑豊かで、木々の緑が濃くなって来ている…

↓「暑い…」とは思ったが…暫し辺りを散策してしまった…
04-06-2019 Hiroshima (70)

何か…「実に好い光景に出くわした」というように思った…こういうような様子に出逢えるから…時に時間を設けてフラフラとしてみたくなる…
posted by Charlie at 05:21Comment(0)広島県

近くで見上げる…:天守閣:広島城跡(2019.06.04)

以前に、広島に立寄った際に少し離れた位置から視ていたが、近くで視た記憶が無かった広島城の天守閣…

↓2015年に立寄っていて「機会が在れば、間近にも寄ってみたいものだ…」というような当時の記憶を綴っていた…
>>広島城(2015.10.28)

↓今回は傍まで足を運んだ!!
04-06-2019 Hiroshima (54)

↓1958年の復元と聞くが…1945年まで「本物」が在って、研究資料も色々と在るようで、なかなかに「よく出来ている…」という感じだ…
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↓「混み合っていた」というのでもないが、「切れ間無い」という感じで来訪者が見受けられた…
04-06-2019 Hiroshima (56)
↑訪日中、滞日中の外国人と見受けられる方が多かった…家族連れも少なくなかった…

訪日中、滞日中の外国人の中で「広島」という地域は古今の色々なモノに触れられる、なかなかに人気が高い地域なのかもしれない…

天守閣は、城で戦闘ということになれば「最後の抵抗…」の場になるような感の場所だが…平時には「領主の威光」を示すような感の代物なのだと思う。毛利家の本拠地だった頃、既に「中国地方の覇者」としてその威光を示すような意味が天守閣には在ったかもしれない…江戸幕府の体制下では、完全に「権威の象徴」だ…

↓現在では…世界中の人達が辺りの眺望を愉しむ場になっている天守閣だ…
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部分的に剥き出しな感じの板が貼られていて、何か面白い外観になっているようにも思う…
posted by Charlie at 04:55Comment(0)広島県

「鯉城」の鯉…:広島城跡 濠(2019.06.04)

↓広島城跡の濠…夥しい数の鯉だ…
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↑「広島城」の別名が「鯉城」というらしい…

広島城があった一帯は「己斐浦」(こいのうら)と呼ばれていたらしく、「己斐」という字を使う前は「鯉」という字を使っていたと言われる。江戸時代の漢詩に「鯉城」という表現が出て来るモノが存在するらしいが、これが人口に膾炙したのは明治時代以降だとも言われる…

それにしても…何やら驚く程度に大きな鯉が沢山居た…
posted by Charlie at 01:08Comment(0)広島県

大鳥居:厳島神社(宮島)(2019.06.04)

久し振りに宮島を訪ねてみた…

↓実は干潮の時には砂州の地面が出ていて、そこに大きな鳥居が建てられているのだが…満潮の時には浮かんでいるかのように見える…
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↑不思議なモノだと思いながら、随分と眺め入ってしまった…

↓天と海との間に鳥居…一寸面白い光景だと思う…
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↑空が面白い感じだったと思う…

こういう面白い景色を求めて、自由に動き回ることが出来るということに…感謝しなければなるまい…
posted by Charlie at 00:17Comment(0)広島県

二の丸表御門:広島城跡(2019.06.04)

広島城…戦国時代末期、中国地方に覇を唱えた毛利一門が、本来の本拠地以上に海陸交通の便が良い場所に本拠地を求めて築いたという城…その城下町が現在の広島の礎にもなっている訳だが…

この広島城の天守閣に関して、濠の辺りに足を運んで眺めた記憶は在るのだが、近付いた経過は無かった…そこで「間近に天守閣を眺めよう」と広島城跡に足を運んだが…

↓いきなり、これに圧倒されてしまった…
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↑随所に掲出されている案内図を頼りに天守閣の在る「本丸」の手前に相当する「二の丸」に至ると、この構造物が迎えてくれた…

これは「二の丸」に築かれた<表御門>と称するモノである…中国地方に覇を唱えた毛利家の本拠地で、江戸時代にも安芸国を広く知行していた浅野家の本拠地だった訳で…「大大名の居城の門」という貫禄十分だ…

広島城に関しては…昭和20年の原爆で街が灰燼に帰してしまうまで、色々な大きな構造物が「江戸時代のまま」に残っていたそうだ…航空機の乗員が上空からの美しい眺めを愛し、広島上空を飛ぶことを楽しみにしていたという話しも何処かで読んだような記憶も在るが…近代の建築技師が建物を実測した研究資料も色々と残っているらしい…

この<表御門>は、様々な研究資料を参考にし、往時の建築技法を推定しながら復元したものであるのだという…

↓門を潜って「二の丸」に入り込み、振り返った眺めだ…
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「城」は基本的に「防衛拠点」だ…二の丸は?恐らく城に詰める大軍の一部が展開して城を囲む敵方を迎えるべく備える場所なのだろう…そんな様子を想像しながら、この辺りを歩き回った…

「稚内の真夏??」というような、やや暑い程度の好天の中で歩き、汗もかき、日焼けもした…
posted by Charlie at 22:48Comment(0)広島県

「面白きこともなき世を面白く」(2019.06.03)

↓広島の宿で、求めたばかりの新しいTシャツを広げた…Tシャツの背中…
03-06-2019 my one (1)
↑「面白きこともなき世を面白く」というのは…かの高杉晋作の言葉であるという…

「面白きこともなき世を面白く」というのは?何か「面白くないから自身で面白くしてみよう!」というようにも受け止め得るかもしれないが…寧ろ「気持ちの持ちようで“面白くなき”も“面白く”なるのかもしれない…」ということであるような感だ…

この際…自身としてはどちらでも構わない…何か酷く気に入ってしまった…

↓正面はこういう感じ…指月山が在る萩のイメージ…左側に高杉晋作が佇んでいる…
03-06-2019 my one (2)

萩の<萩博物館>の中に在ったショップで求めた代物…早速、今日から使おう…

動き回っている地区は…20℃を超え、日中は25℃にも届いている感だ…稚内では“夏”という様相だ…
posted by Charlie at 06:22Comment(0)広島県

<1009>:広島の路面電車(2018.11.24)

原爆ドームの辺りから、広島駅前へ引揚げようとしていた…

↓行き先が一寸違うので乗車せず、見送った電車が、新し目な車輛で美しいと思った…そして、「路面電車が行き交う街の夜」という風情が強く感じられる画になった…
Hiroshima on 24-11-2018 (30)
↑2012年から順次導入されているという<1000形>で、画の<1009>は2016年に登場したようだ…未だ「ピカピカ!」という感じで眼を奪われた…出来れば乗ってみたかったが、やや遅くに目的地から大きく外れる方角へ行くのも気乗りせず、見送ってしまった…

画の右側、停留所で風雨を避けるように据えられている「原爆ドーム前」という停留所名看板の辺りに立つと、アクリル板越しに原爆ドームが視える…初めてこの停留所に路面電車で到着した時、「本当に停留所の名前どおりに“前”じゃないか…」とやや驚いたことが忘れられない…

路面電車が活躍する広島では、老朽化した車輛を順次新しいモノ、乗降し易い「低床型」に入れ替えるようにしている。「低床型」の登場当初は、長い編成になる車輛が主であったようだが、その種の車輛が入り悪い線区でも対応可能な短い編成の車輛ということでこの<1000形>が登場したようだ…

広島では、街でこういう新しい車輛と出くわす機会が、立寄る都度に増えていると思った。新旧様々な、色々な経過の在る車輛が同じ軌道で活躍している様子が視られる路面電車…出会う都度に愛おしいように思う…
posted by Charlie at 00:00Comment(0)広島県

「JAPAN'S OLDEST BRAND」:<サッポロラガービール>(2018.11.25)

↓広島で頂いたモノ…「こうして観ると…ラベルがなかなか好い…」と、思わず写真に収めてしまった…
Hiroshima on 25-11-2018 (2)
↑当初、広島県内の酒造会社の製品らしいモノを頼んだが、品切れだった…眼に留まったコレを御願いした…

↓コレ…北海道内では出くわす機会が少ないような気がしないでもない…
Hiroshima on 25-11-2018 (1)
↑「全国展開」というメーカーの製品…「地域毎の好みに若干の差異」ということで、北海道内と他地域で眼に留まるモノが異なるという場合も在るのかもしれない…

「1876年以来の伝統」と「日本最古のブランド」を謳うサッポロビールの、「昔ながらの味や雰囲気」が漂う製品…悪くないと思う…
posted by Charlie at 11:43Comment(0)広島県

「お好み焼き」:広島駅の傍…(2018.11.25)

↓最近になって「酷く懐かしい…」という感じになって来た代物の写真…
Hiroshima on 25-11-2018 (4)
↑広島駅の傍…広島に到着した夜と、広島を発つ直前の昼…2回立寄った店…画は2回目の方で、「よりヴォリューム感を…」と「麺の大盛」というのをお願いした方のモノだ…

「広島駅」という場所柄、方々の人が通り過ぎる関係か、「広島では余り使わない表現」であるらしい「広島風お好み焼き」というように店の前には書かれていた…

「お好み焼き」と聞くと…個人的には「広島の流儀のヴォリューム感が在るアレ…」というようなことを連想する…或いは、必ずしも機会が多いでもない「広島への立寄り」という状況で、この「お好み焼き」を頂いたことが何度か在るからそういう連装をするのかもしれない…

「お好み焼き」を頂く場合…酒造会社が多く在る広島県なので、日本酒を頂きながらというのも好い…そして、ソース等の濃い味が付いている関係上、ビールと合わせるのも好いように思う…この写真の時は…「昼からビール…」ということをしていた…
posted by Charlie at 15:32Comment(0)広島県

<酒都 西條>:マンホールの蓋…(2018.11.25)

広島から山陽線を東へ…西条駅が在る…駅の近所は、山陽線を輸送手段として利用し易かったということから、嘗ての宿場町で酒造業が盛んになって、現在でも酒造会社が立地している“酒蔵通”という通称になっているエリアが在る…

西条の“酒蔵通”には、江戸時代に「宿場町の酒造家」であった場所の伝統を明治、大正、昭和、平成と受継いで酒造業を続けているという会社も在る―その会社の酒を求め、土産として友人に配って好評を博したが、自身でも試飲して非常に好かった。西条を訪ねた「想い出の味」となっている…―が、多くは明治時代辺りに酒造業を始めたか起こっているという会社であるらしい。故に江戸時代から受け継がれた建築様式である白壁の土蔵造りな建物に、煉瓦造りの煙突が組み合わさったような、更に板を組み合わせた洋館的なモノも一部に混ざるような、独特な旧い建築群が伝わっている。近年では「独特な街並みを大切に…」と、景観を護って整備するようなことも在るようだが、多くは「創業以来、多くの人達が大切に使ってきた建物を大事に使い続ける…」ということで、自然な形で独特な雰囲気が守られて来たという経過らしい…“宿場町”だった時代以来の、現在の感覚では狭隘な道路に沿ったエリアで、中途半端な開発が永く入らなかったという事情も在るのかもしれないが…

その独特な雰囲気のエリアは西条駅に近く、列車で到着して、駅構内の観光案内所で周辺地図を頂いて、それを手に何となく歩いて向かった…

↓こういうマンホールの蓋に出くわす…西条を旧い書体で「西條」としている…
Saijo, Hiroshima pref. on 25-11-2018 (1)
↑「白壁の土蔵造りな建物に、煉瓦造りの煙突」という、辺りの雰囲気を表すイラストが入ったモノだ…

蓋の画をよく視ると…飛行機も飛んでいる…これは、西条を含む東広島市が広島空港を擁するからなのであろう…さり気なくアピールしている…

気が向くまま、足が向くままに方々を訪ねるのは愉しい…そしてそういう時のことは永く記憶に留まり、時々、不意に断片的に色々と思い出すものでもある…

posted by Charlie at 22:02Comment(0)広島県

新旧車輛…:広島駅(2018.11.25)

↓早朝の「多分…始発…」という列車で岩国を訪ねてみようと、広島駅のホームに出て視掛けた様子である。
Hiroshima Station in early morning on 25-11-2018 (8)
↑各地へ向かう列車が各ホームに入っているが…右側から古い115系電車…新しい―2015年から運用されている…―227系電車…更に115系電車に227系電車…新旧の車輛が交互に並んでいた…一寸面白いと思い、何となく注目してしまった…

中国地方…山陽地域では、古くからの車輛の内装や機器を更新したモノと、近年配備された新車とが入り混じって軌道を行き交っている様子が視られる…何方の車輛も好きなので…この方面を旅すると「新旧の何れに乗るのか?」と列車を待つ間が何となく愉しくなる…

↓待っていた列車は115系電車による運行で、これに乗って岩国へ向かっta
Hiroshima Station in early morning on 25-11-2018 (10)
posted by Charlie at 04:40Comment(0)広島県

<賀茂鶴>:西条(広島県)(2018.11.25)

広島の東側…山陽線の列車で広島駅から40分程進むと西条駅が在る。

西条は酒造業が盛んな地域として知られる…盛んになったのは、重量物―清酒の一斗樽のようなモノ…―の輸送を容易にする鉄道の山陽線が通った明治期以降であるという。鉄道で酒を方々に出荷することが出来るので、売上を伸ばして製造量も増やしたということになるのであろう…

そして西条は、幾つもの酒造会社が立地し、独特な景観を見せる町になり、「酒都西条」とまで呼ばれるようになった…

↓「酒都西条」という表現が似合う景観…
Saijo, Hiroshima pref. on 25-11-2018 (15)
↑「広島県の西条の酒造会社」として広く知られる<賀茂鶴>の辺りである。古くからの「蔵」という造りの建物に、煉瓦造の煙突が組み合わさる感じ…独特で好い…

↓敷地の中にも入ることが出来る…
Saijo, Hiroshima pref. on 25-11-2018 (7)

↓建物と建物との間…
Saijo, Hiroshima pref. on 25-11-2018 (10)

↓売店等が設けられていた辺りだ…
Saijo, Hiroshima pref. on 25-11-2018 (11)

こういうような、西条の独特な景観…強く記憶に残る…また訪ねられるか否かは判らないのだが…こういう景観は受け継がれて欲しいものだ…各酒造会社の銘酒の美味さと共に…
posted by Charlie at 18:26Comment(0)広島県

夜の原爆ドーム(2018.11.24)

夜の広島駅から路面電車に乗車して訪ねてみた場所…

↓ここだ…
Hiroshima on 24-11-2018 (18)
↑辺りの芝生に、適当に落葉も散らばっている…夜間も照明に浮かび上がっている…あの原爆ドームだ…

路面電車の停留所は<原爆ドーム前>と言うのだが…本当に「前」である…

古くは、路面電車の停留所は「相生橋」と、辺りの橋の名前に因んだ呼称だったそうだが…頻繁に「あの原爆ドームは?」と尋ねられることから、停留所名を<原爆ドーム前>としてしまったと聞く…

↓停留所の古い呼称の起こりということになっているという相生橋に足を運ぶと、灯りに照らされた原爆ドームが川面に揺らいでいる様子も視える…
Hiroshima on 24-11-2018 (24)

原爆ドームがこういう姿になった「事態」は朝に発生したというが…恐らくその当日辺りは、夜になっても灯りが然程在るでもない中で、辺りは大変な惨状が続いていたのであろう…そして現在、夜でも煌々と明るい大都市広島が在り、酷い戦禍から出発した経過を伝える史跡の原爆ドームも灯りに浮かび上がっている訳だ…

この夜の様子は、カメラを確りと手で持って撮影しているが…ISO1600ということで、意外に巧く撮影は出来る…大きな用紙にプリントするでもないので、ISOはもっと上げても、然程不自然にはならないのかもしれないが…
posted by Charlie at 07:23Comment(0)広島県

<5009>:広島の路面電車(2018.11.24)

成田空港に到着した直後…ターミナル地下の駅で切符を求め、<成田エクスプレス>で品川駅に出て、新幹線の<のぞみ>に乗換えて広島駅に至った…

「三連休の真ん中」という状況だった夜の広島…駅前に出て最初に向かったのは…路面電車の停留所だ…

↓発車前の待機中だった路面電車…
Hiroshima on 24-11-2018 (9)
↑特徴的なデザインの車輛だ…「低床型」である…<5000形>と呼ばれ、ドイツ製だという…連接型で「編成」と呼ぶべきな形の車輛で、1999年から2002年に12編成が順次導入されたそうだ…

過去にも乗車したことが在ったが、その時に視ていた限りでは、運転士と車掌の2名が乗務するのが通例となっていると見受けられる…

↓暫し眺めてしまったが…これに乗車してみたのだった…
Hiroshima on 24-11-2018 (10)
↑広島駅前から各所の停留所を経て、宮島口とを結ぶ路線に入って行く電車だった…様子を視れば、実際に運転士と車掌の2名が乗務していた…
posted by Charlie at 06:42Comment(0)広島県

<トワイライトエクスプレス瑞風>:広島駅(2018.11.25)

「始発」と目される列車で岩国駅を目指そうと…駅前の“指定休憩所”を引揚げて広島駅に入った…

IC乗車券の<ICOCA>を利用して改札口を潜り、目指すホームへ向かえば、ホームに車輛が視えた…「既に列車が待機中?」と思いながら近寄ったが…何か見知った山陽線の普通列車で運用されている車輛と様子が違う…

↓停車中であったのはコレだった…
Hiroshima Station in early morning on 25-11-2018 (1)
↑遠い国の車輛を思わせる個性的なデザイン…<トワイライトエクスプレス瑞風>だ…

JR九州で“クルーズトレイン”というモノを成功させ、それに触発を受けるようにJR東日本やJR西日本も同種のモノの運行を始めた…<トワイライトエクスプレス瑞風>はJR西日本のモノだ…京都・大阪を起点に山陽・山陰を走り回る“クルーズトレイン”である…

2015年に計画が発表され、2017年から運行を始めている<トワイライトエクスプレス瑞風>…何処の線区にも入り込める―非電化区間を含む…―ようにディーゼルカー―「JR西日本87系」と呼ばれるようだ…―となっていて、マダマダ真新しい感じだ…

↓「団体列車が発車します」のアナウンスが流れ、静かな日曜日早朝の広島駅を<トワイライトエクスプレス瑞風>は出発した…
Hiroshima Station in early morning on 25-11-2018 (4)

この種の列車…「駅で眺めるだけ…」に留まってしまっているが…「何時か乗車したい!!」というような気になる…

列車名の「瑞風」とは「瑞々しい風」のことで、「吉兆を現す風」という意味を併せ持つとされているらしいが…これを視られて「地域に歓迎されている!!」という嬉しい気分になった…
posted by Charlie at 03:47Comment(0)広島県

到着した広島駅から…更に西の終点を目指す<のぞみ>…(2018.11.24)

列車の後尾側…14号車の15号車寄りに乗車していた…下車後に列車の後尾側へ廻り込んだ…

↓品川から広島まで運んでくれた列車に敬意と感謝を込めて、静かに見送った…
Hiroshima on 24-11-2018 (3)

途中の新大阪まではJR東海の乗務員と系列の車内販売…終点の博多まではJR西日本の乗務員と系列の車内販売だ…乗務員に関しては、人は交替していても、制服が違っているというだけだが…車内販売は扱い品が変わる…違う会社で手掛けているので当然かもしれないが…
posted by Charlie at 03:35Comment(0)広島県