ユジノサハリンスク >> コルサコフ:列車に初めて乗車…(2017.08.12)

「サハリンの鉄道」は「樺太の鉄道」の流れを汲むモノである。ロシア国内に在っては「ユニークな存在」ということになる、「日本の鉄道省(=後の国鉄)の規格」である1067㎜の軌間で敷かれた鉄道である。(2003年以降は“再建”と呼ばれる、3本目の線路を敷いてロシア規格の車輛が通れるようにするという努力も続いているようだが…)

その「樺太の鉄道」の流れを汲む鉄道も、往時の路線がそのまま利用されていたり、利用不可能となってしまっていたり、或いは一部には新たに敷設された部分も在るという。非常に「興味深い存在」ではあるのだが…ハッキリ言って「使えない…」感じである…

「使えない…」感じとは?極端に旅客列車運行本数が少ないのである。北海道内や、個人的に知る限りでは九州の一部路線に見受けられるような、「1日に数本」という運行体制な区間ばかりで、「列車で〇〇を訪ねて…そして更に〇〇に寄って…」というようなことは、「駅を離れずに“乗りっ放し”を辞さない」という「極端に過ぎる」計画を「相当に綿密に練る」のでもなければ「物理的に不可能」な感である…

そういうようなことで、「列車に乗ってみる」という機会をかなり永い間に亘って設けることが出来ずにいたのだったが…昨日の夜、偶々気付いた…「土日のみの運行」ということだが、「朝9時10分にユジノサハリンスク駅を出て、10時15分にコルサコフ駅に着く列車」なるモノが在ったのだ!これであれば、復路の列車利用は不便極まりないので断念にしても、普通にコルサコフを散策し、復路場バス利用で戻ることも可能だ…

折り好く、「何となく空いた土曜日」を迎えることになり…曇天で小雨は時折交じったが、歩き回ることに支障は無い範囲なので、朝からユジノサハリンスク駅へ足を運んでみた…

↓ユジノサハリンスク駅の窓口で乗車券を求めた…券そのものは、随分以前に欧州諸国で求めたような券の様式である…「近郊乗車券」(ПРИГОРОДНЫЙ БИЛЕТ)と在る。コピー出来ない「光るモノ」が確り付いている。或いは「ルーブル紙幣よりも立派?」なので驚いた…
railways on Sakhalin, 12-08-2017 (1)
↑駅へ入るには、何やら「手荷物X線検査」と「金属探知機」のゲートが在る、警察官が貼り付いている場所を通り抜ける…窓口は硝子張りで料金や券をやり取りする小窓が開いている感じ…「ロシア鉄道」の略称の“РЖД”をアレンジした赤いロゴが入ったお洒落な制服に身を包んだ女性係員が対応してくれた。「9時10分に出る、コルサコフに行く列車の券を…」と申し出れば「コルサコフ駅でよろしいですね?70ルーブル20コペイカです」ということだった。100ルーブル紙幣を出せば、釣銭は30ルーブルだった。50コペイカ以下は切り捨てられてしまっていることが殆どだ…

駅の中からホームへ出る扉は、列車が発車する直前でなければ開けないようだった。券の窓口の脇に、案内を担当しているような方が居る窓口が在ったので尋ねれば、「外の横断通路経由でホームに出られる」という話しだった…

駅舎を出て、ハンバーガー店と反対側、右へ行けば何やらホームへの出入口が在り、地下への階段も見受けられる。これは駅構内を横切って反対側のエリアへ出る通路を兼ねているモノで、日本国内の駅でも見受けられる“跨線橋”と逆に地下から各線のホームに出られる方式だ…

サハリンの鉄道駅や踏切辺りの線路や列車が視える辺りで、何となく写真を撮っていると「禁止ですから!!」と関係者にお叱りを受ける場合が在る…

↓それでも1枚…これは、画の奥のベンチに先客が在ったので、何となく眼に留めた「やや離れたベンチ」に腰を下ろし、脇にバッグを置いて一服していた時、何となく撮ってしまった画だ…
railways on Sakhalin, 12-08-2017 (5)
↑左側は、北のノグリキを前夜に経って、夜通し走って到着した列車だ…既に乗客が下車して、車輛はこれから移動するかどうかするのであろう…赤い大きなディーゼル機関車が視えるが、これはポロナイスクの手前辺りの駅を目指す列車のようだ。何処かで増結するのかもしれない。そして右側がコルサコフへ向かう列車だ…

画の右側のコルサコフへ向かう列車だが、“ディーゼルカー”という風情ではあるのだが、日本国内で見受けられるようなディーゼルカーとは機器配置のバランスが違うような気がした。乗り心地がやや違う。自身は画に写っている、列車の最後尾に乗車したのだが…

↓誰も居ないので、遠慮なく撮影した車内…
railways on Sakhalin, 12-08-2017 (6)
↑結局、下車するまで「貸切」だった…

↓9時8分頃に姿を見せた列車に乗り込み、「貸切」の車内で座席に陣取って、窓から眺めた様子である…
railways on Sakhalin, 12-08-2017 (7)
↑ゆっくりと車輛の感じを撮影出来ない状態なのだが…乗降口は、乗り降りがやや大変だ。低目なホームから扉辺りの手摺に掴まって「よいしょ!」と上がり込む感じだ。序でに…下車した際も、何か「ひょい!」と飛び降りる感じもした…

列車はゆっくり動き出した。恐らく時速50㎞に届くかどうかというような、ゆったりしたペースで進むのだが…“停車”が想像よりも遥かに多い!

ユジノサハリンスク駅を出ると、“インスティトゥート”、“ボリシャヤ・イェラニ”、“オクチャーブリスキー”、“シティーモール”、“ホムートヴォ”とユジノサハリンスク市内に設けられた乗降場で停車する。

「乗降場」だが、列車に長さには遥かに及ばない、バス停のような感じの場所だ…中には、踏切が在って、列車の後部が道路上に在る状態で、行き交う車が踏切が開くのを待っている中で乗降しているような事例も在った…バス停との違い?律儀に乗降場の名を示す看板が在ることだ…バス停に関しては「名称不詳」が多々在るのだ…

それにしても“シティーモール”という乗降場には驚いた…本当に道路を一本渡ると、あの大型商業施設だ…が…「列車で<シティーモール>に行った」という話しは聞いたこともない!あそこはバスか車、或いはタクシー等が普通な感じだ…

“ホムートヴォ”については、ユジノサハリンスク空港へ向かう辺りで、そこを過ぎると“フリストフォロフカ”という場所に停車する。この場所は貨物駅か何かのようで、嘗ては「車庫でも在ったのか?」というような設えだった。そこを過ぎると、宗谷線の一部等の北海道内の鉄道にも見受けられるような、「森の中」という感じの場所を少し進む…

発車から30分程すると、コルサコフ地区内の乗降場に入って行く。“ミツリェフカ”、“ダチノエ”、“ソロヴィヨフカ”と進む。“ソロヴィヨフカ”を過ぎれば、進行方向の右に海が視える…

ユジノサハリンスク・コルサコフ間の道路は、丘陵の起伏の上り下りのままに山林を開いて築かれたような感じだが、鉄道の方はかなり海岸に寄った辺りを走っている感じだった…

列車は“トリーチャヤ・パーディ”、“フタラヤ・パーディ”、“ピェールヴァヤ・パーディ”と進む。ここは「三の沢」、「二の沢」、「一の沢」だ。“ピェールヴァヤ・パーディ”では進行方向左側に引き込み線が視える。この引き込み線はコルサコフとを往来する道路を横切って、一応警報機は設置されているが、辺りが土で埋まっていて、全然使用されていない様子が伺える線である…

やがてコルサコフ市内の港が視える。コルサコフの街へ車で訪れる際に見覚えが在る、ロシアの石油会社である<ロスネフチ>のマークが在るガソリンスタンドの見える辺りで停車をしたが、そこが“スタールィー・ヴァくザール”(旧駅)である。

↓列車は更に進んで“コルサコフ”に着いた…
railways on Sakhalin, 12-08-2017 (9)

とりあえず、散策してみたい辺りにも近いので、ここで下車したが、列車はもっと港に寄った辺りへ進み、そこに設けられた乗降場で乗客の出入が在って、直ぐに折り返し運転でユジノサハリンスクに引揚げたようだ…

実際…ユジノサハリンスク・コルサコフに関して「列車で移動」は聞いたことが無かった。自身で試してみることが出来たのは好かった…

復路に関しては、料金が135ルーブルのバスでユジノサハリンスク市内に引揚げた。バスは10分や20分も待っていれば、直ぐに現れる。ユジノサハリンスク・コルサコフに関しては、自家用車や借上げる車輛以外で移動するとすれば、このバスが一般的だ…が…列車は何か「勿体ない」感じだ…本数が少な過ぎて「全然使えない!!」のだが、沿線の景色は好いのだ…そしてユジノサハリンスク市内の部分等、「意外に便利」な側面も在る…

列車に関しては、また別な型でも乗車を試みたい。

灯りが点る:百貨店<サハリン>(2017.08.11)

↓午後8時45分前後…日没時刻の周辺だ…雲が多い一日ではあったのだが…
11-08-2017 (10)
↑行き交う車輛のライトが目立つようになって来ていたが、百貨店<サハリン>の文字ロゴや、テナントの広告看板等にも灯りが入り始めた…

独特なムードが漂う光景で、最近は俄かに気に入っている…

<Возлюби Дальнего Своего>(2017.08.09)

ダリネエー(Дальнее)という場所が在る。ユジノサハリンスク市の管轄区域で、街の北西側に相当する。運行系統#81のバスで街の北西側に進むと“終点”に相当するエリアだ。

日露戦争当時の1905年、樺太上陸を決行した日本軍とロシア軍との戦闘が生じているが、ダリネエーはその舞台になった地域だ。日露戦争後、ダリネエーの戦いで歩兵大隊の指揮を執って戦死した西久保豊一郎少佐に因み、辺りは「西久保村」と命名された。やがて「西久保村」は「豊原村字軍川」となる。そして鉄道の豊真線が開通して辺りに駅が出来ると「西久保駅」が登場した。更に豊原に町制が施行された際、「豊原町西久保」という地名になる。

現在は日露戦争以前のダリネエーであるが、ユジノサハリンスクの「近郊住宅街」という趣で、比較的新しい集合住宅が並んでいるような感である。道路の込み方で状況は異なるが、レーニン通の美術館(嘗ての北海道拓殖銀行の建物)辺りの停留所からバスに乗車して20分程度で辺りに到着した。2002年頃に1700人台だった人口が、10年程経た2013年には2000人台になっているらしく、「人口が漸増する新興住宅地」という雰囲気だ。

日露戦争の歴史が伝えられる地域ではあるものの、ダリネエーに記念館や史跡を示す記念碑が在る訳でも何でもない…そして、何か特別なモノが売られている場所が在るでもない…ハッキリ言えば、「何の面白味も無い住宅等が並んでいるエリア」という以上でも以下でもない場所だが、夕刻に一寸時間が在ったので訪ねてみた…

↓こういうモノが在る…
09-08-2017 (4)
↑<ピェールヴァヤ・モスコーフスカヤ通>という住所に並ぶ集合住宅の1棟の壁に、граффити(グラフィティ)とかстрит арт(ストリート アルト)と呼ばれるモノが登場したのだ。

これは、2人のデザイナーが“高所作業車”をわざわざ借りて、7月末の好天の日に仕上げたモノである。

↓<Возлюби Дальнего Своего>(ヴォズリュビー ダーリニェヴォ スヴァエヴォ―)と流麗な書体で描かれている…
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↑何やら色々な“掛詞”的な含意が感じられるが「ダリネエ―を愛せよ」というようなこと、「自身の過去や未来を愛せよ」というようなことであろうか…

この2人のデザイナーによる“仕事”が一寸した論争のようになっているようだ。建物の管理という見地で、認め難いことであるという論の他方、「殺風景な壁面を飾って親しみ易くするのは好い」という論が出ているという。

граффити(グラフィティ)とかстрит арт(ストリート アルト)と呼ばれるモノには色々と在って、「要するに妙な落書き??」というモノも在るのかもしれないが、この画のようなモノは「何処かのアーティストの作品」として通ってしまうような感だ。

最近、ユジノサハリンスク辺りでは「街のデザイン」というような問題意識も高まっている様子で、こういう「アート」の可否を巡る論争も、そういう文脈でのことのようにも思える。

レーニン通にスーパーの灯りが漏れる…(2017.08.09)

↓午後8時半を過ぎた辺りである…
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↑雲が多目で薄暗い感じがした夕刻ではあるが、この時間帯に「灯りが漏れる」という雰囲気だ…少し前までは未だ明るい感じだった時間帯である…

このスーパーの場所…以前にはカフェだった場所だ…

灯りが漏れるカフェ…(2017.08.09)

↓午後8時半を過ぎた辺りだ…
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↑自身でも利用することが多い、パンやケーキに飲物類を売るカフェだ…ここでは持ち帰りでパンと珈琲を求めることが多い。一部の店員さんは私を覚えていて「珈琲ですか?」と顔を視ると尋ねてくる場合も見受けられる…

少し前まで、こんなに漏れる灯りが目立つ感じは意識しなかった…午後8時台にも未だ明るかったからに他ならない。

きっとこれからは、暗い時間帯が長くなって行って、こういうように「灯りが漏れる感じ」を視ることが多くなるのであろう…

1年7ヶ月程度を経た愛用のジーンズ(2017.08.08)

2015年12月入手のジーンズ…大切に愛用し続けて今日に至っていて、4月からはサハリンでも多用している…

↓何回目か判らなくなっている洗濯をした…
my jeans on 08-08-2017 (1)
↑「新品の頃」が想い起こし悪いような状況になって久しいのだが…

↓後ろ側から視た感じ…
my jeans on 08-08-2017 (2)

このジーンズはゆったりした造りで、細かい皺が存外に出来悪い感じなので、少し独特な色落ちの按配だ。“18oz”という規格の生地で、色落ち後の感じは少し独特だ…

my jeans on 08-08-2017 (3)

結局、この2015年12月入手のジーンズと、2017年6月に入手した全く同じ型のジーンズを「ほぼ交替で着用」というのが最近の感じだ…

建設中の高層住宅群(2017.08.05)

ユジノサハリンスクの街を南北に貫くミール通を北側の方向へ歩いてみた…

↓こういう様子を眼に留めた…
05-08-2017 (5)
↑用地の経過は承知しないが、広い敷地で、数棟の高層住宅の建設が一気に進められていた…

↓分譲販売の問い合わせ先と思われる連絡先が入った、完成予想図の着いたポスターが辺りに掲出されていた…
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最近のユジノサハリンスクでは、道路での工事、建物周辺の整備、建物外壁の補修というようなものが非常に目立つが、こういう大きな住宅建設も存外に目にする…

「СОЛЯНКА ПО ГРУЗИНСКОМУ РЕЦЕПТУ」(サリャンカ パ  グルジンスカム レツェプトゥ)=「ジョージア流のレシピによる“サリャンカ”」(2017.08.06)

「グルジア料理レストラン」…ユジノサハリンスクで人気が在る店で、訪ねてみればなかなかに賑わっていて、食事をしたいと申し出れば「御予約は?」と尋ねられる感じだった…

“グルジア料理”としたが、これは「ロシア語からの訳」でこうしたまでで、最近は“ジョージア料理”と書く方が好いかもしれない…

“ジョージア”は、嘗ては「ソ連に加盟する共和国」であったが、ソ連解体後に独立国となり、1992年には日本との国交も樹立している。そしてロシア語からの訳で“グルジア”と呼ばれていたが、2015年から事実上の日本政府による「外国の国名の日本語標準表記の根拠」となっている「在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律」(略称は「在外公館設置法」)を改正して“ジョージア”と改めた。これはジョージア側の希望を日本政府が容れたものである。

↓そのジョージアの料理が愉しめるという店で頂いたスープ…
Dinner on 06-08-2017 (1)
↑これが凄く美味かった!!「ジョージア流のレシピによる“サリャンカ”」と名付けられていた…

“サリャンカ”と言えば、若干の酸味も入った、肉や野菜がたっぷりなロシアでポピュラーなスープだが、それに関して「ジョージア流のレシピによる」としている…コーカサス山脈周辺の色々なモノが交じり合った地域でもあるジョージア…非常に期待しながら頂いたが…期待以上だ!!

ロシアの流儀のモノと若干異なり、少し香辛料が効いている…そして、細切りの牛肉がたっぷりで、酸味も在るピクルスを刻んだモノも入っている…正直「おかわり!!」と叫んでみたくなった…

これはそのうち「アンコール!」でまた立寄らねばなるまい…

コーヒーブレイク…(2017.08.06)

↓午後の一時…近所のホテル館内のカフェにて…
coffee break on 06-08-2017
↑中途半端な待ち時間を過ごすべくカフェに…何となく、居眠りでもしながら珈琲を啜るような感…

多分、館内で働いている方が夏休み中のお子さんを連れて来ていたのだと思うが…奥の方の席で、子どもに勉強を教えているような声が聞こえていたのが微笑ましかった…

長閑な夏の休日の午後という感…珈琲は200ルーブルだった…

公園内の戸外に飲料自販機(2017.08.06)

↓ユジノサハリンスクの<ガガーリン公園>で視掛けた…
at the Park on 06-08-2017 (1)
↑日本国内で視掛ける自販機を、ロシアの紙幣や硬貨を使用可能なように改造した代物だと思う…

↓日本の飲料メーカーが輸出していると見受けられるモノが130ルーブル…韓国のメーカーのモノ、またはロシア国内製造と見受けられるモノが50ルーブルと、売られているモノの価格に幅が在る…
at the Park on 06-08-2017 (2)

こういう自販機が、何処かの建物の中、または限られた関係者が出入する施設敷地内に置かれている例は視た記憶が在るが、「不特定多数が通り過ぎる公園内」というような例は初めて視た…

<АРАБИКА BLEND COFFEE>(アラビカ ブレンドコーヒー)(2017.08.05)

↓こういう缶の飲料を見付けて、思わず試しに飲んでみた。
05-08-2017 (6)
↑以前から缶は何度も視掛けていて非常に気になっていたのだ…

“АРАБИКА”と言えば、珈琲豆の種類というのか、系統というようなもので、挽いて淹れる多くの豆が「アラビカ」という分類になっている。取り立てて変わった用語でもないのだが、何やらロシア文字で書いて在ると、変にエキゾチックに視える…

缶の上の方が明るい色になっていて、缶全般のデザインから浮き上がっている。「20% бесплатно」と在る。“бесплатно”(ビェスプラートナ)とは「無料」ということなので、直訳すれば「20%が無料」となるのだが、日本国内で視掛ける類似事例を想い起せば「20%増量中」という程度が好いであろうか…

ミール通を北上しながら歩いていて、何か飲みたくなったので、通り掛かりに在った小さな店で求めた。レジの脇で、保温が出来る容器に感が並んでいて、店のおばちゃんに「それを一つ…」と言うと出してくれる。

この缶コーヒーは53ルーブルだった。100ルーブル紙幣で払おうとすれば、店のおばちゃんは「3ルーブルの小銭は在りませんかね?」と尋ねて来た。最近はこういうスタイルが多い。昔であれば「釣銭が無い!!」となったものだが…そこで3ルーブルの小銭を出せば、50ルーブル紙幣が釣銭として登場である。こじんまりとした、中に然程のモノが陳列されているでもない、“ポストソ連”な時期を想起させる店だったが、「3ルーブル?」と尋ねるおばちゃんの物腰や、おばちゃんが扱っていた小さいモニターが付いたコンピュータのレジが“当世風”という感だった…

「少し長めに歩いたので一息」と缶コーヒーを頂いてみた。「かなり懐かしい」感じがする「凄く甘い、クリープを一杯入れたような」という、「昔ながらの缶コーヒー」という味がした。私事だが…亡くなって久しい祖母が、時々愉しむために買置きしていた缶コーヒーが在って、それを頂いた時のことを思い出した…

缶の裏に色々な事が記載されていたものの、文字が細か過ぎて読めなかったのだが、これは韓国か何処かの製品と見受けられる。しかし、最初からロシア語の商標等が刷り込まれ、「最初から“輸出仕様”」である。「ロシアに輸入された外国商品」であることが判るシールの貼り付けは無かった。時々、そういうモノを視掛ける。

ミール通の猫(2017.08.05)

ユジノサハリンスク市街のやや東寄りを南北に貫くミール通を北上した…多少の小雨を気に掛けないようにして歩き、「中心市街の北端辺り」というようなエリアに至った…

↓民家の屋根に猫が…
05-08-2017 (8)

↓やや上がり悪そうな、段差の在る上の方を伺っていた…
05-08-2017 (10)

何となく、こういう猫を視掛けるとカメラを向けるようになった…

<奇蹟者聖ニコライ寺院>(2017.08.04)

コルサコフ港からユジノサハリンスク市内を目指して北上し、街の南側に在るユジノサハリンスク空港の辺りを通り過ぎ、巨大な商業施設<シティーモール>を視ながらミール通に入って行くと、特徴的な建物が視える…

↓こういう建物である…
04-08-2017 (10)
↑或いは「ロシア」と聞くとぼんやりと思い浮かべるのはこういう建物かもしれない…ロシア正教の教会だ…寧ろ“寺院”と訳される用語で呼ばれてはいるのだが…

コルサコフ港からユジノサハリンスク市内を目指して北上し、ミール通を進んでこの教会―暗くなって以降の時間帯には見え悪いが…―が視えた後、少し大きな集合住宅等が目立つようになり、何か「街の中に入った…」という感が強まって来るものだ…

↓こういう様式の木造を取り入れた教会の建築…サハリンでは方々で視掛ける様式だ…
04-08-2017 (13)
↑サハリンで盛んに教会が建設されるようになったのは、「ポストソ連」というような状況だった1990年代以降のことで、この建物もそれほど古いということでもない…

この教会は<奇蹟者聖ニコライ寺院>と呼ばれている。この教会を建てようという構想自体は1996年頃から起こっていたということだが、2004年に着工し、2005年に教会そのものの建物が竣工している。以降、敷地内の整備や付属的な建物の建設が進められ、現在ではそれらが一応完成しているようだ。

ロシア正教ではこの“奇蹟者聖ニコライ”を正式には「ミラ・リキヤの大主教奇蹟者聖ニコライ」と呼ぶそうだ。西暦270年頃に産れたとされる、古代ローマ帝国時代の聖職者である。“奇蹟者”という異名が在るように、数々の奇蹟を起こしていると伝えられ、多くの人達を救い導き、大変に敬愛される人物であるという。そして、「“サンタクロース”は“聖ニコラウス”の転訛である」とも言われ、欧州諸国などで12月に「聖ニクラウスの日」という祭事が催されている事例も在る…

↓これがその“奇蹟者聖ニコライ”である…
04-08-2017 (12)
↑この教会は、建物の中にイコンが飾られ、ロシア正教の祭事が催されているのだが、それ以外にもこうやって敷地内にイコン風なモノが飾られている…

↓教会敷地へ入る場合は、南北に延びているミール通の側ではなく、東西に延びるバリニッチナヤ通の側に廻り込む必要が在る…
04-08-2017 (3)

↑これがその門である…イコン風なモノが据えられているが、何か「独特な画風」というような感じがする…

住まいからはやや遠く、こうやって立ち寄り、敷地内を一寸歩くという機会は設け悪い感じだ…が、行くと何となく好い感じがする…

Шурпа(シュルパー)=中央アジア風のスープ(2017.08.03)

↓最近、酷く気に入ってしまったスープ…
03-08-2017 (5)
↑ソ連時代に中央アジア由来のモノが色々とロシアにも広まったというようなことを聞くが、これは中央アジアに由来するスープである。“シュルパー”と呼ばれている…

中央アジア方面にも見受けられる各種のスープは、日本でも色々な型で紹介されてはいるようだが、「中央アジアの料理」と言われても思い浮かぶイメージは貧弱なものだ…

この“シュルパー”は、骨付き羊肉が使われ、ゴロっとした感じの野菜が入って、実に味わい深い。一見すると「スープカレー?」という外見だが、カレーのように色々なスパイスを入れる訳でもないようで、また「普通にスープ」であって、米飯と併せる必然性も低い…中央アジアの流儀でもあるようだが、料理の奥に一寸写っている“リェペシカ”と呼ばれるパンと一緒に頂くのが好い…

この“シュルパー”…これは日本国内に戻ってから、「あれが…」と思い出すことになりそうな気配が漂う逸品だ!!

歩道上の木陰…(2017.08.02)

↓陽射しが強めな時…思わず探してしまうのがこういう場所だ…
02-08-2017 (1)
↑木陰は実に爽やかな感じがするものだ…

道路際の樹木の枝…車輛通行の妨げになると、カットされる場合も在ると思うが…ユジノサハリンスクは歩道が広く、車輛通行と関係が薄いので、こういう木陰が存外に多い…

“阪神タイガース”のTシャツ(2017.07.31)

↓ユジノサハリンスクの街で…こんなTシャツを着て歩き回っていた…
31-07-2017 (1)
↑確か2016年春に関西へ出た折り、大阪・梅田の阪神百貨店に在るタイガースグッズの店で求めたモノだった…

モノは「沖縄キャンプを記念した限定品」という触れ込みだったと記憶している…何となく着る機会が無かったのだが、何となくサハリンに持って来ていた…

↓かなり以前…“日本のカラオケ”が置かれていたユジノサハリンスクの店に先輩と一緒に立寄り、「こんな歌が入っている!?」と『六甲おろし』を見付けて、大声で歌って大笑いしていた思い出が在る…と言って、熱心なタイガースファンという程でもないのだが…
31-07-2017 (2)

こういうような「アジア趣味」とでもいうようなデザイン…サハリンでも、方々の土産のようなTシャツを着た方を多く視掛けるので、街で「浮く」感じではない…が…“野球”の人気チームのグッズと言っても、サハリンでは野球が「超マイナースポーツ」で、人との話しが弾まないのがやや寂しい…

コルサコフ地区行政府庁舎(2017.07.30)

↓港の夕暮れを視た後、宿に引揚げようとした際、近隣のコルサコフ地区行政府庁舎の辺りを通り掛かった。
Korsakov in evening 30-07-2017 (14)
↑朝から日中、陽が沈んでしまうかなり以前までの時間帯に、何度もこの建物は視ているが、こういう「夜の様子」は初めて視た…

↓真正面側に進んでみた…
Korsakov in evening 30-07-2017 (15)

この庁舎自体は年季が入っていたモノだが、2013年頃から改修が施され、外壁材が貼られて見栄えが変わった…そういう建物の事例は幾つも見受けられるが…

輝く空の一部を覆う霧:コルサコフ港(2017.07.30)

↓コルサコフでは少々知られているのかもしれない、「摂政宮の樺太行啓の折の御立寄り」という1925年の故事を有する高台に立寄ると、一寸「普通ではない?!」という眺めだった。
Korsakov 30-07-2017 vol02 (1)
↑輝くような空の他方、画の左側上方、東寄りな方向が何やら深い霧に包まれている…

東寄りなオホーツク海寄りな海水は水温が低めだ…この日は好天で俄かに気温が上昇し続けた…そこで、気温と水温との温度差で霧が生じたのだ…

↓多少の望遠で視れば、丘陵状の地形や、丘陵の上に立っている建築まで霧に包まれている…或いは幻想的だ…
Korsakov 30-07-2017 vol01 (1)

少しばかり「珍しい?」と思えるような雰囲気の光景に触れられた…全面的に霧で辺りが視えないというのは在りそうだが、こういうように「部分的に霧」というのは、少し面白い…

コルサコフ港の夕暮れ…(2017.07.30)

偶々「コルサコフに一泊」という日…「一日を通して好天」という状況に恵まれた…昼前には気温と海水温との差というモノで、霧が発生していた場所も在ったが、それでも夕刻には「西日が眩しい」という感のコルサコフであった…

↓何度も立寄っている、港が視られる高台へ…こういう「日没周辺な時間帯」にここへ上るのは初めてだ…夏には日没が午後9時台なので、「泊まる」のでもなければ、やや訪ね悪いという状況は在るが…
Korsakov in evening 30-07-2017 (1)
↑アルファベットの「n」のような型をした湾の、n字の頂点のやや右寄り、若干東に寄ったコルサコフ港である。港の手前の海の向こうに、サハリン島南西部の陸地が視える。この陸地の向こうが島の西側の日本海で、夕陽はその日本海の方に沈む…島の南西部の陸地の向こうに、沈みかかった夕陽が視える…そして空は海は、独特な“夕暮れ”の光だ…

この高台…駐車スペースやベンチが在って、地元の皆さんや来訪する人達が港の様子を眺めて楽しめる場所として、多少は知られている。例の「摂政宮行啓の折の御立寄り」の場所よりも、少しだけアクセスし易いような気がする場所だ…この光景を視た際にも、存外に「港を眺めに来た」という感じの方が見受けられた…

この日は、「色画用紙のような?」という雲が全くないような青空ではなく、「適当に雲が散る」感じだったので、日没辺りの光加減は面白いモノになった…

↓陽が沈んだ直後、やや北西側へ視点を転じた…方々に灯りが入り始めている…
Korsakov in evening 30-07-2017 (12)

これまで、こんな「夕暮れのコルサコフ港」をゆっくり眺めるようなことをする機会が設けられなかった…非常に幸運だった!!

亜庭神社の石段の痕跡(2017.07.30)

↓コルサコフの地区行政府庁舎からも然程遠くない、警察署の敷地の斜め裏辺りに不思議な石段が…
Korsakov 30-07-2017 vol02 (11)
↑これは街が“大泊”と呼ばれていた時代、街で最も格式が高い、南樺太全般でも「二番目の格式」と言われた亜庭神社の痕跡である…

石段を築いた際に積み上げられた石の一部が、何となく傾いて崩れてしまいそうな雰囲気もないではない…愛犬の散歩をしている方が石段を通ったのを偶々視たが、通行人も稀で、積まれた石の隙間から雑草が伸びている…時々ゴミも見えるが…

往時は人々に敬愛された街一番の社で、近くが“神楽岡公園”と呼ばれた住民の憩いの場でもあったとのことで、石段を多くの人達が行き交っていたのであろう…

↓こちらは、上の画の石段を上った先に更に在る石段である…
Korsakov 30-07-2017 vol02 (14)
↑恐らく“社殿”が建っていたような場所へ通じていたように思えるが、辺りは「単なる空地」で、神社であった頃の面影が判る雰囲気は全く無い…

或る種の“廃墟”という感じになっている場所だ…

ユジノサハリンスク空港に着いた市内とを結ぶ路線バス(2017.07.29)

↓運行系統#63…ユジノサハリンスク市内から空港へ向かうバス…
evening on 29-07-2017 (2)
↑午後9時前…陽が傾いた中で空港に到着した…

未だ、この時間帯には市内との間を往来しているバスは存外に多い。場所にもよるが、順調であれば20分程度の移動だ。しかし、曜日や時間帯によっては道路が混雑し、30分以上を要する場合も見受けられる…

↓2年程前から登場したという、新しい車輛である。車体の長さは数種類在るようだが、この運行系統#63に投入されているバスは、沿道に大型商業施設の<シティーモール>というものも在って乗客が多目なので、ロングタイプの車輛が多いように見受けられる…
evening on 29-07-2017 (1)
↑車体後方の窓に相当する部分に広告のフィルムが貼られている。社内からは「黒っぽい網戸」のように車外の様子を伺うことは可能だが、外からは広告の画や文字しか見えない…何時も「不思議?」と思う…

空港までは「結構な時間の乗車…」と思うが、“市内線一律料金”の適用区間なので、運賃は20ルーブルである…