<スフェーラ・ツェントル>(2017.10.11)

↓朝の未だ暗い時間に相当する7時頃…「早朝」だが、既に多くのオフィススペースから灯りが漏れている…
11-10-2017 (2)
↑漏れた光が、戸外の街灯の光等と相俟って、多少拡散しているようにも視える…

最近、何となく眼に留めてカメラを向けてみる機会が増えた近所のビルである…

広告看板…(2017.10.08)

↓ユジノサハリンスクでは、この種の道端の広告看板が、有力な広告媒体と考えられている様子だ…
08-10-2017 (5)
↑時には「広告募集中」というのも視るが、それでも様々な広告が掲出されている…

↓眼に留めたのは、航空会社の<アエロフロート>の広告看板だ…
08-10-2017 (6)
↑ユジノサハリンスクから、モスクワ、ハバロフスク、ウラジオストクへの直行便が運航中である旨を伝えている…

場所はレーニン通の南寄り、プルカエフ通の手前の辺りになる…こういう「広告看板が並ぶ感じ」はユジノサハリンスクの「らしい」感じの一つかもしれない…

カプチーノにストロー…(2017.10.08)

アイスホッケーを観戦に出掛け、会場に入るにはやや時間が在ったので、会場手前の商業施設へ…そこの館内のカフェで少々寛いだ…

↓カプチーノを頂いた…美しい見栄えである…
08-10-2017 (9)
↑そしてこれにストローが添えられている…酷く熱いでもないので、ゆったりとストローを使って頂いてみた…

初めて洗濯したジーンズ(2017.10.09)

↓9月に入手したジーンズを洗濯した…
09-10-2017 (1)

↓これは裏側…
09-10-2017 (2)

かなり分厚い感じの“23oz”という生地のジーンズ…漸く少し馴染んだ感じで、多少汚れが気になったので洗濯してみたという訳だ…

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<БЕЛОМОРКАНАЛ>(ベラモルカナル)(2017.10.09)

2014年頃からロシアでは煙草関係の色々な規制が強化されている…

「煙草を視えるように陳列して販売してはならない」ということになり、買い求める場合には、専ら「扱っている店で店員さんに申し出て出してもらう」という感じになっていた…

今年、サハリン上陸に関しては少しだけ間隔が開いた中で、サハリンのスーパー等を覗くと…蓋がしまった戸棚のようなモノがレジの近く等に置かれている事例を視掛けるようになった。その蓋が付いた戸棚のようなモノの蓋を開けると、中に煙草が並んでいる。そこから求めたいモノを選び、また蓋は閉めておく…戸棚のようなモノの中から選んだ煙草を、他の商品のように、或いは他の商品と一緒にカゴに入れてレジへ持って行けば、煙草が求められる…この方式が「視えるように陳列して販売していない」という理解になるようだ…

正直…この「視えるように陳列して販売していない」という理解になるらしい“戸棚”方式のスーパーで煙草を求めるのが、何となく買い求め易い…視掛けると利用する場合が多く在るが…

↓日曜日、普段は余り利用しないようなスーパーで“戸棚”方式で煙草を売っているのを視掛けて利用したが…視た時に「うゎっ!!」と声が出そうになった代物だ…
БЕЛОМОРКАНАЛ  09-10-2017 (1)
↑思わず買い求めてしまった…1箱が55ルーブルの煙草である…

↓「パピロス」とロシア語では呼ばれるモノ…フィルターは無く、煙草を紙で巻いた部分の延長線上に厚めの紙を丸めた筒状のモノが付いている…
БЕЛОМОРКАНАЛ  09-10-2017 (3)

↓25本入っている「パピロス」を一寸出してみる…
БЕЛОМОРКАНАЛ  09-10-2017 (5)
↑こういう形状の紙巻き煙草…各国では1940年代位までで廃れてしまっていたらしいが…ソ連ではそれが延々と受け継がれ、ロシアの時代になっても…未だ残っている…

<ベラモルカナル>だが、これは「白海・バルト海運河」を指し示す語であるという。その名を冠した煙草を、当時のレニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)の工場で造り始めたのが1932年であるという…今年が「初登場から85年」である…

全く初めてこれに出くわしたのは…学生時代にどなたかの土産として頂いたモノだった筈だ…「ソ連の匂い?ソ連の味?ソ連のデザインの箱と煙草そのもの?何やら妙だ…」と思ったものだった…

時々、不意にこれに出くわし、思わず求める等してしまうのだが…今般は「随分と久し振りに視掛けた…」という気がする…

そしてこれを“モノクロフィルム調”な画になるように撮ってみたが…酷くモノクロの画が似合うモノだ…

M.A.プルカエフ上級大将のプレート(2017.10.08)

ユジノサハリンスク市内を南北に延びる通…西寄りからレーニン通、ミール通、コムソモリスカヤ通、ゴーリキー通というような、やや交通量が多いように見える通が在って、それらと交わる東西に延びるやや交通量が多い通が在る。その東西に延びる通の中、南寄りの辺り、コルサコフ港やユジノサハリンスク空港から都心側へ北上する際に「繁華な地区に入って行く…」というように感じる辺りがプルカエフ通だ…

レーニン通を南下してプルカエフ通の西寄りな辺りに至り、プルカエフ通に入って東側へ進んで行く…コムソモリスカヤ通にまで至ると大きな商業施設が在る。その手前である…

↓こういうプレートを見付けた…
08-10-2017 (8)

随分以前、モスクワでこの種の「建物に掲出されたプレート」を方々で視た。文化人、政治家、軍人、官吏等、功績が伝えられる人達に所縁の場所であること等を示すプレートだ…ユジノサハリンスクでも、官公署や古くからの会社等の建物の壁に、関係分野での功労者を顕彰するためのプレートが掲出されている例を視掛ける…

プルカエフ通でプレートを視掛けた…申し訳ないが、建物が伝統を感じさせる重厚なモノにも視えず、官公署か何かという風でもないので、何か「どういう人を顕彰しているのか?」と気になった…

↓「この通はマキシム・アレクセェヴィチ・プルカエフ上級大将、1945年8月のサハリン及びクリルを解放したソ連軍部隊の指揮官を記念したものである」とプレートには在る…
08-10-2017 (7)
↑文の脇の人物は、よく視れば軍服を着用している…

M.A.プルカエフ(1894-1953)は、独ソ戦を戦い、1943年4月から極東方面で指揮を執り、1945年8月の対日参戦時に実戦部隊の司令官を務めている。戦後は極東管区の司令官を務め、後年は最高会議の代議員を務めたとのことだ。

この通の場所が、殊更にプルカエフ上級大将と縁が在ったのか否かは判らないが…こういうような形式で史上に足跡を遺した人物を伝える…少し興味深い…

因みに…このプルカエフ通を東端まで進めば、アジアリーグアイスホッケーの試合が催される<クリスタル>に至る…

明暗…(2017.10.08)

↓ゴール前の攻防で、右側の白いユニフォームのチームは失点をしてしまった…
08-10-2017 Ice Hockey (41)
↑左側のチームは、攻撃が奏功して得点した…

何か両者の「明暗」の対照が1枚の画に収まった感…

構える…(2017.10.08)

アイスホッケーの試合を観戦…「1列目」の席で、防護のアクリル越しにリンクを視る型に…

↓釧路からやって来た<クレインズ>のゴールキーパー…
08-10-2017 Ice Hockey (7)
↑何時でも動けるようにしながら戦況を見守っている様子だ…

相手陣での動きから、自陣での動きへの切替わりは速いのだ…

ベンチ…(2017.10.08)

↓半ば身を乗り出すようにして戦況を見守る選手達…後列の高い場所で戦況を見詰める監督やコーチ達…
08-10-2017 Ice Hockey (35)
↑こういう状態から、プレーの区切り等で随時選手が入替って試合が進んで行く…

アイスホッケーのリンクの「らしい」雰囲気だ…

護る…(2017.10.08)

↓攻める側は、1人がゴールキーパーに掴み掛るように接近する他方で、弾かれたパックを奪うべく2人がゴールを遠巻きに…
08-10-2017 Ice Hockey (19)
↑護る側は、ゴールキーパーに寄り添うようにして、パックを停めて奪おうとする…

アイスホッケーのゴール前の攻防「らしい」感じだ…

倒れる…(2017.10.08)

↓両軍選手が入り乱れての押し合い…ゴールキーパーが倒れてしまった…
08-10-2017 Ice Hockey (20)
↑プレーが切れて、フェイスオフになって行く前のゴール前の様子だ…

アイスホッケーの「らしい」場面かもしれない…

流れる雲と<大祖国戦争勝利70年並びにキリスト生誕記念主教座大聖堂>(2017.10.07)

↓ゴンドラに乗って丘陵の頂上部に上がろうと、辿り着いた大聖堂の様子を何気なく見上げた…
07-10-2017 (11)
↑周囲の雲が少し不思議な感じに拡がっている…

↓丘陵の頂上部で過ごし、小一時間を経て大聖堂の辺りに戻り、何気なく見上げた…
07-10-2017 (28)
↑小一時間で、周辺の雲の感じがかなり変わっている…

こういうような「その一瞬」という景色と出くわすこと、それを撮影するというのが面白い…

暮れ落ちて行く感…:ユジノサハリンスク鳥瞰(2017.10.07)

オフシーズンには「大展望台」の様相であるスキー場の<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>はユジノサハリンスクの街の東側を占める丘陵である。望む風景は「西寄りの空」を背景とするモノに他ならない…

最近、日が傾いて行く時間帯が早くなっている。午後7時を過ぎると暗くなり始めて行くので、何となく「午後6時台」であれば、「やがて暮れ落ちる…」という雰囲気が濃くなる…

好天の土曜日の午後、不意にそんなことを思い出してしまった…そして<ゴールヌィー・ヴォーズドゥフ>へ足を運んだ…

「やや冷たくなっている風…」という感で、午後6時台に、街の東側を占める丘陵の上にゴンドラで上がった…

↓こういう様子が眼下に拡がった…
07-10-2017 (13)
↑雲の切れ間から西日の光が漏れ、「天と地とを結ぶ光の梯子」という様相を呈している箇所が多く在る…そういう光に浮かび上がる箇所と、影になっている箇所とが点在する市街である…

↓こんな景色を見入ってしまい、風がやや冷たいことも苦にせずに、暫く過ごしていた…
07-10-2017 (15)

Салаты - Цезарь с курицей (シーザーサラダ チキントッピング) (2017.10.06)

↓利用頻度が比較的高い「ピザとパスタの店」で頼む機会が多いサラダだ…
06-10-2017 (2)
↑“Цезарь”(ツェーザリ)はかのカエサル、「シーザー」のこと…「シーザーサラダ」というモノだ…

このサラダ…別段にかのカエサルとは関係が薄いようだ…

1924年、メキシコの米国国境に近い街であるティファナで<シーザーズ・プレイス>というレストランで、料理人のシーザー・カルディーニが考案して提供していたのが起こりと伝えられる。カルディーニはイタリア系で、ファーストネームは寧ろチェーザレと言っていた感じではあるが…

1920年代の米国と言えば、「禁酒法」の時代だった。国境を少し越えたティファナはその適用が及ばない訳で、米国人が沢山出掛けて酒も入る食事を愉しむということが盛んに行われていた。そんな中、カルディーニが偶々供したサラダが人気になり、「シーザー・サラダ」として米国等で広まったというのだ…

しかしカルディーニは、詳しくこのサラダのレシピを書き遺したという訳でもないということで、彼が供したという「オリジナル」、「元祖シーザーサラダ」というモノに関してはよく判らないらしい…

そんな来歴が在る訳だが…ロシアのサハリンの街、ユジノサハリンスクでもレタスにドレッシング、チーズやクルトン、更にチキンをトッピングするという型で常時提供されている…一寸面白いのだが…このサラダ…美味い!

ネフチェゴルスクのモニュメント(2017.10.07)

↓ユジノサハリンスク都心部の巨大なレーニン像が建っている広場の、レーニン像が視える辺りから奥側、鉄道駅に近い側に進むとこういうモノが在る…
07-10-2017 morning (11)
↑これは1995年の災害のことを記憶に止めるべく設けられたモニュメントである…霧の朝に、久し振りに眺めて写真を撮った…

1995年5月28日、サハリン島北部のネフチェゴルスクという町で地震が発生した。特段に観測地点になっていないことから、詳しいデータは伝わっていないらしいが、日本の気象庁では「震度5強から震度6程度」と推定しているということである。極めて強い地震で、ネフチェゴルスクは断層の上に在ったようで、町は壊滅的被害を受けた。

地震発生は現地の深夜1時という、3200名程であったという町民の大半が家で休んでいるような時間帯の出来事だった。耐震性が顧慮されていない集合住宅が多く、それらの住宅群は瓦礫の山と化してしまい、住民の7割近くが死亡してしまったという。

災害後、余りにも被害が大きく、町の再建は断念してしまった…そして、このモニュメントが出来た。800名程居たという生存者は、各々が方々に移ったようだ…

静かにそんな出来事を伝えるモニュメント…広場のメンテナンスの一環と言ってしまえばそれまでだが、何時も辺りは綺麗に清掃が行き届き、その役目を無言で果たしている…

霧とレーニン(2017.10.07)

朝7時少し前…戸外の様子を伺えば、深い霧に包まれていた…そのまま…少しばかり歩いた…

↓大きなレーニン像が霧の中に佇み、周辺は未だ灯りが点いている…
07-10-2017 morning (7)
↑幻想的な感じがして、暫し見入った…

辺りでは、日中に催しが在るらしく、何やら準備に勤しんでいる様子も見受けられた…

↓霧が深いと、朝なのか夜なのか、非常に判り悪い…
07-10-2017 morning (4)

↓灯りが消えて、急に明るい感じになっては来たが…霧は未だ残る…
07-10-2017 morning (8)

更に時間を経て…霧が晴れると好天な感じの土曜日になって行った…

<スフェーラ・ツェントル>(2017.10.06)

近所に、少し目立つ形のオフィスビルが在る。「円筒状で鏡張りのような形状」が建物正面に突き出すようなデザインが目立ち、なかなかに画にもなる…ロシア国内外の企業がオフィスを構え、地階にレストランも入居しているらしい…

↓午前7時前…この時間帯が「未だ暗い」という雰囲気になった昨今である…
06-10-2017 early morning (1)
↑鏡張り風な箇所が、少し不思議な光の感じになっている…そしてオフィスらしい場所で、煌々と灯りが点っている箇所が存外に多い…

何やら、大きな時差が在るような場所と関係が深いような企業も在るのであろうし、「早朝から少し遠い現場との間を往来」というような人達が多く出入りしているのかもしれない…

こういうモノを視掛けると…「眠らないユジノサハリンスク」というようなフレーズが思い浮かぶ…

V.M.ゴロヴニーンの胸像(2017.10.05)

↓最近、この胸像が酷く気に入っている…
05-10-2017 (13)
↑午後6時台に辺りを通り掛かる機会が一寸多いのだが、その都度に何となく目が向く…この時季の、この時間帯の光加減で「見栄え」が好いのかもしれない…

↓世界周航を成し遂げた人物で、日本の幕吏に捕えられて日本に滞在した経験を綴って公開したということも知られるゴロヴニーン…何か「視線の先に世界と未来が…」という浪漫のようなモノを感じさせる胸像だと、視る都度に思う…
05-10-2017 (12)

↓序でに…9月から使っている“新機材”<X100F>はこういう感じの画を撮るのが得意なようで嬉しい…とにかく持ち歩きたくなり、持ち歩いていれば使ってみたくもなる…
05-10-2017 (11)

私としては…毎度、このゴロヴニーンに挨拶をしながら、お気に入りの料理を頂きに出掛けているのだが…こういうような「何時もの眺め」というのが、何か妙に愛おしい…

雲と<復活主教座聖堂>(2017.10.05)

↓気に入っている風景ではあるのだが、通り掛かった時に思わず足を停めた…
05-10-2017 (1)
↑背後の空の雲の感じが好い…

↓“和風”を容れた設えの庭の背後に「ロシア!」な感じの正教の施設…
05-10-2017 (2)
↑「日本の向こうにロシア…」という感じなのが面白いと思っている…

「中秋の名月」だったそうだ…(2017.10.04)

ユジノサハリンスクは晴れたり雨が降ったりと多少忙しなく天候が変わる感じの数日である…

夕刻、少し晴れていて、何となく気持ち好く辺りを歩いて夕食を愉しみ、何となく住まいへ引揚げようとしていた…

↓近所のスーパーの辺りで、「妙に月が明るい…」と思った…
04-10-2017 (4)
↑スーパーの建物の角辺りから、少し離れた集合住宅が視えて、その上空に「大きな電球が浮かんでいる?」かのように月が視える…

所謂「中秋の名月」という日だったそうだ…

N.V.ルダノフスキー胸像(2017.10.03)

サハリンスカヤ通はユジノサハリンスク市街を東西に延びている通で、その北寄りな側に4つの緑地が整備されている。

何れの緑地にも、海事関係の歴史で功績が在る人物の胸像が据えられ、その人名を冠して<〇〇広場>と呼び習わしているようだ…

それらの広場の一連の胸像に在って…「最もダイナミックに人物の表情を表現?」と私が思っているのは…

↓このルダノフスキーの胸像である…
03-10-2017 (2)
↑多少「忙しない?」と思える程度に、雨が降ったり止んだりを繰り返した一日が暮れようとしていた日の夕刻、少し晴れていて気分が好かったので、食事に出る序でに映画館の近く―と言って、映画を観た訳でもないが…―でもある広場に寄って、「少しだけ御無沙汰しましたかね?」とルダノフスキーを眺めて来た…

ルダノフスキーは、現在のコルサコフ地区に拠点を築いて指揮を執っていたネヴェリスコイ麾下の士官だった経過が在り、1853年から1854年に主に南部サハリンの各地を踏査し、地図を作成し、詳しい報告を遺したことで、ロシアでは少し知られる人物である。「サハリンの歴史」ということでは、「地域の最も古い記録の一つは、かのルダノフスキーの記録で…」という例が色々と在るらしい…実際、南西部のネベリスク地区では、この記録が残っている「ルダノフスキーの到達」という故事を“建都”と位置づけてさえいる…

↓何処となく、当時は道路も整備されていないような中で苦労しながら踏査旅行をしていたルダノフスキーが、立ち止まって一息入れながら、サハリン南部の山河を眺めているような雰囲気が漂って、この胸像は素敵であるように思う…
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↓胸像は、こういう具合に台座に据えられている…
03-10-2017 (4)

当時はよく知られていなかった地域を丹念の踏査して、地図を作って詳細な報告をしたというルダノフスキー…もう少し注目されても善いような気がしている…

ライトアップ:サハリン州郷土博物館(2017.10.03)

「暗くなる時間帯」が、6月頃の様子等を想えば「随分早い」感じになった昨今…不意に思い付いてサハリン州郷土博物館辺りに道草をしてみた…

↓午後7時半頃の様子である…
03-10-2017 (16)
↑暗めな空に、照明に浮かぶ博物館の建物が映える…手前の噴水は、鏡面のような小さな池という様相で、建物や空や植え込みが映り込んでいる…

↓やや角度を変えて眺めてみた…
03-10-2017 (17)

6月頃等は「遅くまで明るめでなかなかライトアップが点灯せず、点灯しても短い時間で消灯になってしまう…なかなかライトアップが視られない?」という雰囲気も在ったが、現在は午後7時半頃に近くを通ると画のような様子なので、或いは「観易くなった」とも言えるかもしれない…