↓長崎駅辺り…路面電車が発車する…
↑<308>…細々した改造も施しながら半世紀以上使用されている、「典型的な長崎の路面電車」という雰囲気が色濃く漂う車輛だ…
「8月9日」は「長崎」と話題になるからかもしれないが…何となく「長崎の路面電車」が懐かしくなり、最も近い時期に長崎に立ち寄った時の写真を引っ張り出して眺めていたのだった…
<367>と<308>:長崎の路面電車:長崎駅前(2018.11.28)
<306>:長崎の路面電車(2018.11.28)
<3002>:長崎の路面電車(2018.11.28)
↓やや雨が交じり、湿った感じの街に在って…提げていたカメラで、咄嗟に撮った…
↑「低床型」の電車だ…
↓ぼんやりと視ていると、画の左から右へ、電車は軌道上を静かに動き始めた…
↑2004年に登場したモノで、長崎では初めての「低床型」ということになる<3000形>の1輛である…3輛在るそうだ…
↓長崎の路面電車は、かなり永く運用されていると見受けられる車輛が未だ多く、この種の新型車両に出くわす例はやや少ない…
何か「長崎」と聞けば、「路面電車が行き交っている」という様子を思い浮かべる…この時は…「とりあえず路面電車を眺めて乗車して…」という位の感じで、然程深く考えずに、長崎に道草をしたのだった…この画を撮った時は?戯れに「長崎市へ納税しますから…」とコンビニで煙草を求めて店員さんの笑いを誘い、序でに珈琲も求めて辺りで一息入れて、行き交う電車を眺めていた場面だったと思う…
旅に出たから写真を撮るのか、写真が撮りたいから旅に出るのか…よく判らなくなっているが、こういう「どうでもよさそうな写真」から、「歩き廻った不慣れな旅先の街の空気」が酷く思い出されるのだ…
↑「低床型」の電車だ…
↓ぼんやりと視ていると、画の左から右へ、電車は軌道上を静かに動き始めた…
↑2004年に登場したモノで、長崎では初めての「低床型」ということになる<3000形>の1輛である…3輛在るそうだ…
↓長崎の路面電車は、かなり永く運用されていると見受けられる車輛が未だ多く、この種の新型車両に出くわす例はやや少ない…
何か「長崎」と聞けば、「路面電車が行き交っている」という様子を思い浮かべる…この時は…「とりあえず路面電車を眺めて乗車して…」という位の感じで、然程深く考えずに、長崎に道草をしたのだった…この画を撮った時は?戯れに「長崎市へ納税しますから…」とコンビニで煙草を求めて店員さんの笑いを誘い、序でに珈琲も求めて辺りで一息入れて、行き交う電車を眺めていた場面だったと思う…
旅に出たから写真を撮るのか、写真が撮りたいから旅に出るのか…よく判らなくなっているが、こういう「どうでもよさそうな写真」から、「歩き廻った不慣れな旅先の街の空気」が酷く思い出されるのだ…
噴水…:長崎 <諏訪神社>(2018.11.28)
神馬(しんめ):長崎 <諏訪神社>(2018.11.28)
↓少し惹かれる彫刻だ…
↑青銅の馬…「神馬」である…
<諏訪神社>には、明治時代に寄進―戦艦<武蔵>も建造している三菱重工長崎造船所の前身である<長崎製鉄所>が寄進したそうだ…―を受けた青銅の神馬が在ったという。しかし、これは戦時の「金属供出」で無くなってしまった…
↓1985(昭和60)年に至り、<平和祈念像>を手掛けている彫刻家の北村西望(きたむらせいぼう)(1884-1987)の手になる<神馬像>が奉納された…
↑「神馬」という存在の尊さと、力強さとが感じられる彫刻だと思う…
境内で見掛けたさりげない像にも、何らかの「物語」が在る…そういう事柄と出会うのが、何処かへ出掛ける場面での大きな楽しみでもある…
↑青銅の馬…「神馬」である…
<諏訪神社>には、明治時代に寄進―戦艦<武蔵>も建造している三菱重工長崎造船所の前身である<長崎製鉄所>が寄進したそうだ…―を受けた青銅の神馬が在ったという。しかし、これは戦時の「金属供出」で無くなってしまった…
↓1985(昭和60)年に至り、<平和祈念像>を手掛けている彫刻家の北村西望(きたむらせいぼう)(1884-1987)の手になる<神馬像>が奉納された…
↑「神馬」という存在の尊さと、力強さとが感じられる彫刻だと思う…
境内で見掛けたさりげない像にも、何らかの「物語」が在る…そういう事柄と出会うのが、何処かへ出掛ける場面での大きな楽しみでもある…
885系電車の<かもめ>:長崎駅(2018.11.28)
博多・長崎間を運行する<かもめ>に関しては、787系電車による運行と、885系電車による運行とが見受けられる…
↓長崎駅から鳥栖駅を目指そうとした際、885系電車による<かもめ>に乗車する機会が在った…
↑何か「欧州諸国の特急列車?」というような雰囲気のデザインが好い…
当初、この885系電車は博多・長崎間の<かもめ>で運用する編成と、博多・大分間の<ソニック>で運用する編成とに明確に分けられていたようだ…現在では、両者は混ざり合っているように見受けられる。
↓この編成は、初登場時には「<ソニック>で運用」だったと見受けられる。運転台の下の辺りに“S”というマークが付いている。
↑初登場時には「<かもめ>で運用」だったと見受けられる方の編成は、少し潰れた“V”に見える「鴎の翼」をイメージしたマークだった筈だ…
↓今般は「ラッピング」の編成に乗車することとなった…
↑向かおうとしていた鳥栖駅の近隣にホームスタジアムを構えるサッカーJリーグのチーム<サガン鳥栖>の応援という「ラッピング」だった…
この885系電車の特急列車…カーブ区間での減速を抑える「振り子式」の構造を持った、時速130㎞までの運行が可能な「在来線最速」という仕様になっている車輌だ。内装も立派なシートが並んでいる感じで、出くわして乗車機会が生じると嬉しくなる車輌だ…
↓長崎駅から鳥栖駅を目指そうとした際、885系電車による<かもめ>に乗車する機会が在った…
↑何か「欧州諸国の特急列車?」というような雰囲気のデザインが好い…
当初、この885系電車は博多・長崎間の<かもめ>で運用する編成と、博多・大分間の<ソニック>で運用する編成とに明確に分けられていたようだ…現在では、両者は混ざり合っているように見受けられる。
↓この編成は、初登場時には「<ソニック>で運用」だったと見受けられる。運転台の下の辺りに“S”というマークが付いている。
↑初登場時には「<かもめ>で運用」だったと見受けられる方の編成は、少し潰れた“V”に見える「鴎の翼」をイメージしたマークだった筈だ…
↓今般は「ラッピング」の編成に乗車することとなった…
↑向かおうとしていた鳥栖駅の近隣にホームスタジアムを構えるサッカーJリーグのチーム<サガン鳥栖>の応援という「ラッピング」だった…
この885系電車の特急列車…カーブ区間での減速を抑える「振り子式」の構造を持った、時速130㎞までの運行が可能な「在来線最速」という仕様になっている車輌だ。内装も立派なシートが並んでいる感じで、出くわして乗車機会が生じると嬉しくなる車輌だ…
<諏訪神社>:長崎(2018.11.28)
「鎮西大社」と称えられる長崎の総氏神様…<諏訪神社>である…
↓坂道と平地が複雑に絡み合って独特な街並みを形成する長崎…そんな長崎の「総氏神様」は、幾つかの坂道が組み合わさった辺りの高台に鎮座する…
↑長く大きな石段を幾つも上がり、入口前の最後の石段に漸く至る…
↓門の真下で注連縄を見上げた…
↑以前、年末にこの場所に立ち寄った際、この注連縄を替える作業をしていた記憶も在る…
↓本殿を望む…
↑雨が交じっていたので、屋根が在った辺りに佇んで様子を伺ってみた…
多少の雨ながら、「時季」ということで「七五三参り」の親子連れが散見した。保護者の方がお子さんの手を引いて、長い石段を上がっている様子も視た…そういう様子を見掛けると「地域の人達に愛されている社」ということを強く感じる。
長崎は戦国時代にイエズス会に領地が贈られるというような経過も在って、神社は少々廃れていたようで、諏訪・森崎・住吉の三社を1625年に改めて祀ったのが<諏訪神社>の起こりとされているのだという。
1648年に幕府の朱印を得て社殿を建築したものの、1857年に火災で焼失してしまった…それを約10年掛けて、以前以上に立派な形で再建し、1829年に登場したというのが現在のモノの基礎となっているようだ。
諏訪・森崎・住吉を祀り、厄除け・縁結び・海上守護の神社として親しまれているのだという…何となく「地元の皆さんの愛着」のようなものが感じられ、訪ねて心地好い場所であると思う…
↓坂道と平地が複雑に絡み合って独特な街並みを形成する長崎…そんな長崎の「総氏神様」は、幾つかの坂道が組み合わさった辺りの高台に鎮座する…
↑長く大きな石段を幾つも上がり、入口前の最後の石段に漸く至る…
↓門の真下で注連縄を見上げた…
↑以前、年末にこの場所に立ち寄った際、この注連縄を替える作業をしていた記憶も在る…
↓本殿を望む…
↑雨が交じっていたので、屋根が在った辺りに佇んで様子を伺ってみた…
多少の雨ながら、「時季」ということで「七五三参り」の親子連れが散見した。保護者の方がお子さんの手を引いて、長い石段を上がっている様子も視た…そういう様子を見掛けると「地域の人達に愛されている社」ということを強く感じる。
長崎は戦国時代にイエズス会に領地が贈られるというような経過も在って、神社は少々廃れていたようで、諏訪・森崎・住吉の三社を1625年に改めて祀ったのが<諏訪神社>の起こりとされているのだという。
1648年に幕府の朱印を得て社殿を建築したものの、1857年に火災で焼失してしまった…それを約10年掛けて、以前以上に立派な形で再建し、1829年に登場したというのが現在のモノの基礎となっているようだ。
諏訪・森崎・住吉を祀り、厄除け・縁結び・海上守護の神社として親しまれているのだという…何となく「地元の皆さんの愛着」のようなものが感じられ、訪ねて心地好い場所であると思う…
787系電車の<かもめ>:長崎駅(2018.11.28)
早朝に新幹線の列車で鹿児島中央駅を発ち、新鳥栖で特急列車に乗り換えると、存外に早く長崎駅に至ることが叶う…
「九州上陸…」という想いを募らせた時、「訪ねたい!」と思ったのは鹿児島や長崎だったのだが…鹿児島に至ることを優先した関係で、長崎は「何時になるか判らない“次の機会”」と考えていた。が、無理をするまでもなく、「長崎の一日」を過ごしてから北上に備えて取った宿へ移動することも可能と気付いたのだった…
↓新鳥栖駅から長崎駅まで乗車した車輌である…
↑787系電車…1992年に初登場し、2002年まで製造増備されて来た経過が在るJR九州の特急列車用の車輌だ…
様々な特急列車に利用された経過が在り、九州新幹線の部分開業後は、未開通区間を結ぶ<リレーつばめ>という列車の車輌として御馴染みだったという。九州新幹線の全線開業後は、九州各地の特急列車として運用され、国鉄時代以来の車輌が787系に入れ替わって行った。
そうした経過の故、この車輌は「JR九州の“看板”」のようなイメージも在るような気がする…幾つか編成のパターンが在るようだが、乗車したのはオーソドックスな感じの7輌編成のものだった…
↓長崎駅は「行き止まり式」でホームが並んでいる…その「行き止まり」な場所から、到着した列車を眺めるのが好きだ…
「九州上陸…」に関しては、JR九州が運用している様々な車輌による列車で動き回ってみるというのも、物凄く愉しいと感じる…
「九州上陸…」という想いを募らせた時、「訪ねたい!」と思ったのは鹿児島や長崎だったのだが…鹿児島に至ることを優先した関係で、長崎は「何時になるか判らない“次の機会”」と考えていた。が、無理をするまでもなく、「長崎の一日」を過ごしてから北上に備えて取った宿へ移動することも可能と気付いたのだった…
↓新鳥栖駅から長崎駅まで乗車した車輌である…
↑787系電車…1992年に初登場し、2002年まで製造増備されて来た経過が在るJR九州の特急列車用の車輌だ…
様々な特急列車に利用された経過が在り、九州新幹線の部分開業後は、未開通区間を結ぶ<リレーつばめ>という列車の車輌として御馴染みだったという。九州新幹線の全線開業後は、九州各地の特急列車として運用され、国鉄時代以来の車輌が787系に入れ替わって行った。
そうした経過の故、この車輌は「JR九州の“看板”」のようなイメージも在るような気がする…幾つか編成のパターンが在るようだが、乗車したのはオーソドックスな感じの7輌編成のものだった…
↓長崎駅は「行き止まり式」でホームが並んでいる…その「行き止まり」な場所から、到着した列車を眺めるのが好きだ…
「九州上陸…」に関しては、JR九州が運用している様々な車輌による列車で動き回ってみるというのも、物凄く愉しいと感じる…
出島停留所の<209>:長崎(2018.11.28)
<ちゃんぽん>(復刻版)と<皿うどん>(オリジナル):長崎(2018.11.28)
早朝に鹿児島中央駅を発って移動し、長崎に至って一日を過ごした…翌日のフライトに備えて泊まることとした鳥栖へは、夕刻にでも移動すれば善いという算段だった…
路面電車の「1日乗車券」を手に動き回り、何となく「ランチタイム」ということになった。
訪ねてみたのは…<ちゃんぽん>や<皿うどん>の「発祥の店」という話しも在る<四海楼>だった…
店の前に「満席」と掲出されていたが…店に入って、順番待ちの名簿に名前を記載して程無く呼ばれ、「待った…」という程でもなく食事を摂ることが叶った…
↓お願いしたのはこういう感じの料理だ…
↑手前が<ちゃんぽん>(復刻版)…奥が<皿うどん>(オリジナル)である…
↓<ちゃんぽん>という呼称の起こりには諸説在るようだ…豚骨出汁と野菜出汁を合わせたようなスープに、やや太目な麺と様々な具材という料理だ…
↑小ぶりな丼に蓋を付けて…これは「往年の出前用」だったらしい…
↓これは、「スープが在るでもない“うどん”を皿で供する」として<皿うどん>と呼び始めた頃のレシピで作るという<皿うどん>だ…
↑<四海楼>で、<ちゃんぽん>のヴァリエーションということで、焼きそば的なモノを作って供するようになって行ったのだという。現在では、チリチリの堅い麺の<皿うどん>が普及しているので、この「炒めた<ちゃんぽん>の麺」というのは「柔らかい方の<皿うどん>」と呼び習わされていた…
「こうもり傘1本で長崎へ行く船に乗り込み…」と伝えられる創業者が長崎で起こし、伝統的な店として発展した<四海楼>で、「ポピュラーな料理が流行り始めたような頃」を復元した感じの料理を頂いてみるというのは、なかなかに面白い…
実は以前にも頂いてみたことが在って、御無沙汰していたので「再度!」という思いが沸き起こり、<四海楼>へ足を運んでみたのである…
路面電車の「1日乗車券」を手に動き回り、何となく「ランチタイム」ということになった。
訪ねてみたのは…<ちゃんぽん>や<皿うどん>の「発祥の店」という話しも在る<四海楼>だった…
店の前に「満席」と掲出されていたが…店に入って、順番待ちの名簿に名前を記載して程無く呼ばれ、「待った…」という程でもなく食事を摂ることが叶った…
↓お願いしたのはこういう感じの料理だ…
↑手前が<ちゃんぽん>(復刻版)…奥が<皿うどん>(オリジナル)である…
↓<ちゃんぽん>という呼称の起こりには諸説在るようだ…豚骨出汁と野菜出汁を合わせたようなスープに、やや太目な麺と様々な具材という料理だ…
↑小ぶりな丼に蓋を付けて…これは「往年の出前用」だったらしい…
↓これは、「スープが在るでもない“うどん”を皿で供する」として<皿うどん>と呼び始めた頃のレシピで作るという<皿うどん>だ…
↑<四海楼>で、<ちゃんぽん>のヴァリエーションということで、焼きそば的なモノを作って供するようになって行ったのだという。現在では、チリチリの堅い麺の<皿うどん>が普及しているので、この「炒めた<ちゃんぽん>の麺」というのは「柔らかい方の<皿うどん>」と呼び習わされていた…
「こうもり傘1本で長崎へ行く船に乗り込み…」と伝えられる創業者が長崎で起こし、伝統的な店として発展した<四海楼>で、「ポピュラーな料理が流行り始めたような頃」を復元した感じの料理を頂いてみるというのは、なかなかに面白い…
実は以前にも頂いてみたことが在って、御無沙汰していたので「再度!」という思いが沸き起こり、<四海楼>へ足を運んでみたのである…
<372>の運転台:長崎(2018.11.28)
↓車輌正面の感じが独特な、少し年季が入った路面電車の運転台付近である…
↑空いていた電車に乗車し、進行方向とは逆の、乗務員(運転士)が乗務していない側である…
古い車輌だが、画の左上には停留所や運賃等の情報が映るモニターが据えられ、運賃箱は両替機能を備え、加えて長崎地区のICカード乗車券に対応する機器―乗車時に料金を引き落とす機能と、現金をチャージする機能を有する。―が組み込まれている。何か「古くても着実に更新」という感じで、電車は永く走り続けている訳だ…
↓上の運転台はこの車輌のモノだ…
↑<372>は、1962(昭和37)年に製造され、和暦に因んで「370形」と命名された車輌の1輌である…
既に55年間以上働いている車輌だが、「今、求められるモノ」を装備して「使い易さ」を損なわないようにしていることになる。
↑空いていた電車に乗車し、進行方向とは逆の、乗務員(運転士)が乗務していない側である…
古い車輌だが、画の左上には停留所や運賃等の情報が映るモニターが据えられ、運賃箱は両替機能を備え、加えて長崎地区のICカード乗車券に対応する機器―乗車時に料金を引き落とす機能と、現金をチャージする機能を有する。―が組み込まれている。何か「古くても着実に更新」という感じで、電車は永く走り続けている訳だ…
↓上の運転台はこの車輌のモノだ…
↑<372>は、1962(昭和37)年に製造され、和暦に因んで「370形」と命名された車輌の1輌である…
既に55年間以上働いている車輌だが、「今、求められるモノ」を装備して「使い易さ」を損なわないようにしていることになる。
眼鏡橋(2018.11.28)
長崎…路面電車が大活躍な街…「1日乗車券」を手に、気儘に街を巡るのが愉しい…少々御無沙汰していたが、早朝から新幹線と在来線の列車を乗り継いで鹿児島から長崎に至り、「1日乗車券」を入手して動き回った…
↓諏訪神社を訪ねた後、「運行系統4番の電車で真直ぐ…」と思い至り、訪ねてみた眼鏡橋だ…
↑とりあえず「超有名…」な場所で、雨混じりな平日でも存外に来訪者が多かった…
雨で湿って「足元が…滑る?」と思いながら、狭い川辺にゆっくりと下りて、川を渡ることが出来るように置かれた“飛び石”の上を慎重に歩き「水面レベルで橋を望む」ということをしてみた…川面に雨が落ちているのも少し判る画になったが…好条件とは言い難い状況ながら、水面に橋が映り込んで、呼び名の由来のように「眼鏡」の形になっている…
確か17世紀の橋である…江戸時代を通じて様々な動きが在った長崎の街に在り続け、その後も明治・大正・昭和の近代、平成の現在も在り続けている橋だ…長崎に所縁の史上の人物達の多くが視ている、または実際にこの橋を渡っているということになるだろうか…そういうことを想い起すと、この場所を訪ねるのは益々面白い…
↓諏訪神社を訪ねた後、「運行系統4番の電車で真直ぐ…」と思い至り、訪ねてみた眼鏡橋だ…
↑とりあえず「超有名…」な場所で、雨混じりな平日でも存外に来訪者が多かった…
雨で湿って「足元が…滑る?」と思いながら、狭い川辺にゆっくりと下りて、川を渡ることが出来るように置かれた“飛び石”の上を慎重に歩き「水面レベルで橋を望む」ということをしてみた…川面に雨が落ちているのも少し判る画になったが…好条件とは言い難い状況ながら、水面に橋が映り込んで、呼び名の由来のように「眼鏡」の形になっている…
確か17世紀の橋である…江戸時代を通じて様々な動きが在った長崎の街に在り続け、その後も明治・大正・昭和の近代、平成の現在も在り続けている橋だ…長崎に所縁の史上の人物達の多くが視ている、または実際にこの橋を渡っているということになるだろうか…そういうことを想い起すと、この場所を訪ねるのは益々面白い…
<3003>:長崎駅前の路面電車…(2018.11.28)
長崎駅に辿り着けば…とりあえず眼前の大きな歩道橋に眼が向いて、何となく歩道橋に上がってみる…
↓歩道橋は路面電車の「跨線橋」のような様相を呈している…
↑丁度、長崎電気軌道の低床型電車が現れたところだった…3000形だ…
全く初めて長崎駅に着いた時…この歩道橋の辺りの様子に少し驚き、「路面電車が大活躍する街…」と感心したものだった…
↓<3003>は先行する電車を追うように、静かに発車した…
↓反対側の軌道に、古くから活躍している車輛が現れた…
↑最も新しい部類の車輛と、半世紀も活躍しているような旧い車輛…同じ軌道で動き続けているというのが、路面電車を眺める愉しさの一つのように思う…
歩道橋を上がる前…辿り着いた長崎駅の観光案内所で、「1日乗車券」(500円…)を確り求めていた…その券を手に、歩道橋から乗り場に下り、長崎市内を巡ってみた…
↓歩道橋は路面電車の「跨線橋」のような様相を呈している…
↑丁度、長崎電気軌道の低床型電車が現れたところだった…3000形だ…
全く初めて長崎駅に着いた時…この歩道橋の辺りの様子に少し驚き、「路面電車が大活躍する街…」と感心したものだった…
↓<3003>は先行する電車を追うように、静かに発車した…
↓反対側の軌道に、古くから活躍している車輛が現れた…
↑最も新しい部類の車輛と、半世紀も活躍しているような旧い車輛…同じ軌道で動き続けているというのが、路面電車を眺める愉しさの一つのように思う…
歩道橋を上がる前…辿り着いた長崎駅の観光案内所で、「1日乗車券」(500円…)を確り求めていた…その券を手に、歩道橋から乗り場に下り、長崎市内を巡ってみた…