「エスコンフィールド記念」の黒基調ユニフォーム用のレプリカキャップ…:北海道日本ハムファイターズ(2024.10.06)

↓小樽の北運河辺りに在るカフェで食事を愉しんだ後、脱いでその辺に置いていたキャップを取り出した。何気なく眼前の卓上に置けば、射し込む光で見栄えが好いと思い、提げていたカメラを使った。
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↓北海道日本ハムファイターズは2023年から新しいスタジアム<エスコンフィールド>を本拠地としている。2024年、その新スタジアムのイメージのユニフォームを用意した。そのユニフォームのキャップのレプリカだ。
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↑今季のファイターズはリーグ戦で2位と善戦した。そういう中、黒基調の「エスコンフィールド記念」のユニフォームで登場した試合では「勝率が高い」ということになり、当初の予定以上にこの黒基調ユニフォームを使用したようだ。

↓限定のユニフォームのレプリカというようなモノは、それが発表される春頃に限定発売される。それに気付くと、とりあえず申し込む訳だ。
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「出掛けた際に被っていたキャップ」という程度のモノは、如何でも何でも構わないのかもしれないが、何となく写真に収めておきたいような気分になる場合も在る。

昼に…:<PRESS CAFE>:小樽・北運河(2024.10.06)

小樽運河の辺りを歩き廻った。小樽に関しては、札幌都心で見受けられるような「南X条西X丁目」、「北X条東X丁目」というような調子の住所が出ているのでもないので、歩き廻る際に方角は然程意識しないかもしれない。が、小樽運河の浅草橋の側から中央橋の側へ進むと概ね「南側から北側」ということになる。中央橋を通り過ぎて更に進み、<旧北海製罐倉庫株式会社>の「第3倉庫」の特徴的な様子が見えるような辺りは「北運河」と呼ばれるようだ。

↓「北運河」と呼ばれるような辺りも旧い倉庫等の建物というようなモノが見受けられる。この建物には大きく「北運河」と掲出されている。
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↓旧い倉庫の建物がカフェとして利用されている。
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↓往年の名車が飾られた空間が拡がっていた。
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↓こういうのも好い感じだと思う。
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↓居心地が好さそうだ。食事を摂ることも出来る。倉庫という程々に広い空間が活きた、ゆったりしたレイアウトであると思った。
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↓メニューを拝見し、料理を択ぶ。
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↓「ランチセット」を択ぶとサラダが提供された。
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↓インド風チキンカリーを頂いた。種々の野菜と柔らかく煮込んだ鶏肉が入っている。非常に好い感じだった。
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↓小さなカップのプリンがデザートとして供された。
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↓食後に美味しいブレンドの珈琲を頂いた。
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実に好い感じだった。そして様子を観ていれば、切れ間なく来店が在り、辺りの席は直ぐに埋まった。北運河の人気店であるようだ。

何か好い場所に巡り合えた。小樽には未だ、こういうような好い感じの場所が色々と在りそうで、何時かまた探してみたいというように考えた。そんなことも思いながら、ゆっくりと小樽駅の方向へ歩を進めることとした。

<旧久保商店>…:小樽・堺町通(2024.10.06)

↓堺町通の中で、眼に留まり易い建物であるような気がする。
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↓1907(明治40)年の建物であると聞くが、商家風の和風建築と見受けられる。
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↓近寄ってこういう角度で観るのも迫力が在るように思う。
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堺町通に関しては「早朝に散策」という場合が多く、店舗として営業している場所の中を余り観ていないというような傾向も個人的には在る。そして「次の機会に…」という程度のことを思うのだが、その“次の機会”にも「早朝に散策」ということをしてしまう。

結局、起き出すと朝早くから動きたいという気持ちになり、それを抑えられずに動き回る。そういう中、堺町通を早朝から散策するような感じになる。静かなので建物等の写真が撮り易いのだが、様子を観ながら「往年の様子は?」と想像を巡らせる訳である。

堺町通も含め、小樽というのは訪ねてみて立ち去った後に「また何時か…」ということを想い易い街かもしれない。

「綜合金物卸商社 奥野株式会社」:小樽・堺町通(2024.10.06)

↓「北海道内各地で見受けられた古い商店」という風情の建物だ。現在となっては余り見掛けないような気もする。この建物の謂れのような事柄は特段に伝わらない。
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↑朝なので静かだが、日中は色々と雑貨を扱っている御店になっているように見えた。実際に「綜合金物卸商社 奥野株式会社」として金物を商っていた場所であるという。廃業してしまったらしいが、看板等はそのままに、別な御店で利用されているようだ。

それにしても、幼少の頃に親類が在るような小さな街を訪ねた場面で見た辺りの商店が、この建物のような雰囲気だったかもしれないと頭の奥に微かな記憶が在る。そんな記憶が不意に甦るのが興味深い。

旧 北海雑穀株式会社:小樽・堺町通(2024.10.06)

↓如何にも「旧い蔵」という雰囲気だと思う。木の骨組みと石を組合わせた「和洋折衷」な感じの建物であるようだ。
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↑「明治期の北海道」という個性が感じられるのがこの種の建物だと思う。

以前は店舗として利用されていたように思うが、現在はそれらしい看板は掲出されていない。街が動いているような日中に様子を観るのが好いのかもしれないが、結局「朝の早めに散策」という程度のことをすると写真が撮り易いのでそのようにしてしまう。静かな様子を眺めながら、往年の様を思うというようなことをするのが、こういうような旧い街並みを歩き廻る際の楽しみ方であるようにも考えている。

堺町通を歩くのが気に入っている。

<旧金子元三郎商店>…:小樽・堺町通(2024.10.06)

↓やや強めな朝の光による陰影で、旧い建物の風情が際立つようだ。左右両側に大きな「うだつ」という形が凄く特徴的だ。
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↑画の商店の主であった金子元三郎(1869-1952)は政治家としても少し知られているそうで、地域の歴史が凝縮したような場所なのかもしれない。旧い建物が数多く伝わる堺町通に在る。

今年4月、遡って2020年3月と同じ場所で写真を撮った経過も在る。こうした場所は、訪ねて眺める都度に異なる雰囲気を醸し出すようにも思う。こんな場所でカメラを提げて歩き廻るというようなことをするのが気に入っている。

<旧 越中屋ホテル>(2024.10.06)

↓この建物は1931(昭和6)年に竣工でホテルであったという。往時は、国外でも「日本の北海道の小樽という場所に在る宿」として紹介もされていたのだそうだ。もっと時代が下った頃の建物であるようにも見えるデザインだと思う。
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↑ホテルから、軍の将校クラブとなり、占領期に米軍に接収される等の色々な経過を辿った建物であるという。「小樽市指定歴史的建造物」でもある建物が、数年を費やしてリニューアルされ、現在はホテルとして営業中であるという。

以前にも眼に留めていた建物ではある。何時か中で愉しい一時を過ごしたいというようなことを思うのだが、なかなか実現出来ずに居る。それはそれとして、竣工時は相当に斬新であったと見受けられる建物のデザインは魅力的だ。

<旧 三井銀行小樽支店>(2024.10.06)

少し早めに札幌駅を発ち、自ずと少し早めに小樽駅に着き、小樽の街を歩いた。堺町通の側を目指した。<北一硝子>に立寄ってみるということが念頭に在ったが、それはそれとして、興味深い建物が色々と見受けられる辺りを歩き廻るのは興味深い。

↓嘗ての三井銀行の小樽支店だ。1927(昭和2)年に竣工したという。金融業界の再編成が繰り返された中、この建物を建てた時の三井銀行は現在の「三井住友銀行」の前身の一つということになっている。その「三井住友銀行」が登場して日が浅かった頃迄、この建物は銀行として営業していたという。
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↑朝早くなので、建物前で外観を眺めたというだけのことである。内部を見学した経過も在るので、中の様子を思い出しながら辺りを通り過ぎた。

こういう重厚な建物が伝わる地区というのは好い感じだ。この景観が永く受継がれて欲しいと強く思う。小樽に寄る機会がまた在って、個々の見学が可能な状態であれば、再訪したいと思う。

<小樽商工會議所>=旧 小樽商工会議所:(2024.10.06)

↓何度も前を通り掛かっているが、その都度に眼が向く建物だ。
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↑1933(昭和8)年竣工の小樽商工会議所の建物なのだが、当時は「鉄筋コンクリートのビル」を設えること自体が「凄く特別」で、特別に石材も取り寄せて装飾を施したのであろう。

↓この建物と隣の新しい建物を組合わせて宿泊施設ということになっている。嘗ての小樽商工会議所の建物にも客室が設えられていて滞在可能なので1泊してみたことも在った。
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↑嘗ての小樽商工会議所の建物だが、屋内の天井が最近の建物よりも高い設えで、室内が少し広く感じる様子だった。そして建物の中は何か重厚な感じがした。

朝、辺りを歩いて通り過ぎたというだけなのだが、それだけでも建物の色々な様子を思い出す。1泊してみた経過の故に「小樽の好きな場所の一つ」に挙げられる場所となった。

旧 塚本商店=現 後藤商店:小樽(2024.10.06)

↓小樽駅前から運河の側へ進み、右側の通へ入り込んだ。朝の光の感じが好かった。
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↓重厚な建物だ。未だ朝が早く、非常に静かな様子ではある。
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↑昔ながらの店舗兼住宅の大きなモノという感の形だが、往時の少し新しい工夫であったコンクリートで塗り固める壁を採用していた訳だ。 入ってみた経過はないが、飲食店が入居しているようだ。なかなかに存在感が大きな建物だ。

趣の在る建物が集まる辺りへの導入口というような場所にこの建物が在り、気に入っている。

<似鳥美術館>…(2024.10.06)

↓商都として栄えた経過が在る小樽には古い立派な建築物が多く伝わっていて、それらが様々に活用されている例も多い。
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↓嘗ての「北海道拓殖銀行」の建物は<似鳥美術館>となっている。
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「北海道拓殖銀行」は「たくぎん」の通称で親しまれた北海道最大の銀行であったが破綻してしまい、銀行の営業は他の北海道内の地方銀行に譲渡されて現在に至っている。<似鳥美術館>の建物は、その「北海道拓殖銀行」の小樽支店だった。作家の小林多喜二が小樽商科大学の前身となる学校を卒業して就職した先としても知られる。かの三浦綾子が小林多喜二の母を主人公にした小説を綴っていたが、作中で街に出た母が小林多喜二の勤務先である建物を視て驚くという場面が在った。立派な建物が多かった中で、この「北海道拓殖銀行」の小樽支店は際立っていた。北海道を本拠地とする銀行にとって、昭和の初め頃の小樽は「際立って重要な拠点」であった筈で、銀行の威光を示すような立派な手てものが建てられたのであろう。

美術館としての展示をゆっくり愉しんだが、この種の場所では「往年の雰囲気が感じられる」というような「建物そのもの」を観るのが少し愉しい。

↓こんな階段を関係者の皆さんが行き交ったことであろう。
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↓4階に上がると、階段の踊り場辺りから隣の小樽郵便局や向こうの日本銀行等が見えた。眼下の道路が浅草通である。
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↓艦内を歩き廻りながら、こういう階段の様子も興味深く眺めた。
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↓照明の感じが渋い。
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実は、何度も小樽を訪ねているが、ここには初めて入った。何れまた立寄りたい。

「色内銀行街」のポストカードと手拭…(2024.10.06)

↓何に如何使うというようなことを何も考えずに「好い!」と衝動的に求めるのが「出先での土産」というモノなのだと思う。
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↑<似鳥美術館>で販売されていたポストカードと手拭だ。

↓小樽の色内という辺りに残る旧い建物のイラストが入っている。
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↑これらは何れも嘗ては銀行だった建物だ。

第百十三国立銀行、第百十三銀行、日本銀行、北海道銀行、三菱銀行、北海道拓殖銀行、第一銀行、三井銀行、安田銀行、第四十七銀行と色内という辺りに銀行の本支店が集まっていて「色内銀行街」と呼ばれたそうだ。既に姿を消した銀行、現在の同名のゴン公と無関係の銀行、金融業界の再編が繰り返されて合併した銀行と様々だ。人やモノが集まり、北海道の経済活動の要となっていた小樽には、銀行も多く立地していた。そんな歴史を伝える建築群だ。

そういうイラストが入ったグッズを何となく入手してしまったのだが、大切にしたいと思う。

※写真そのものは10月7日に札幌の宿で撮っているが、モノは10月6日に小樽で求めている。記事は「北海道/小樽」のカテゴリに加える。

ハロウィン…:<旧名取高三郎商店>:小樽・堺町通(2024.10.06)

↓こんなモノを見掛けて驚いた。
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↓こういうモノも在った。
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↓こういう具合になっていた。
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大きなハロウィンの飾りの傍であったが、<旧名取高三郎商店>の脇にこの骸骨達が飾られていた。ハロウィンの飾りということのようだ。

時にはこういうモノも面白いかもしれない。が、個人的には普段の様子が好いとも思う。

<旧名取高三郎商店>…:小樽・堺町通(2024.10.06)

朝の小樽駅に着き、早速に街を歩いた。

↓堺町通の入口辺りに相当するが、この建物を眺めた。
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↓大きな「うだつ」が特徴的な建物だ。
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1904(明治37)年に大きな火災が生じた小樽では、街の多くの建物が焼失したというような経過が在る。その時期以降、防火を意図した石材、煉瓦、コンクリートというような材料を外壁に用いる堅牢な建築が増えた。そういうような時代の建物が色々と伝わる小樽に在って、堺町通の辺りはその種の建物が多く伝わり、現在も店舗等として利用されている例も多い。散策するのが愉しい辺りだと思う。

小樽駅を発つ…(2024.10.06)

↓午後の小樽駅に辿り着いた。存外に歩き廻った。
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↓ゆったりとホームに出て、出入口から遠い辺りに歩を進めた。列車が現れた。
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↓5番ホームに到着する列車が折り返し運転となる。
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↓733系電車も何時の間にか凄く見慣れた。
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↓到着時は最後尾であった側が、折り返し運転の時は先頭になる。多くの乗客が小樽駅で下車した。
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↓未だ空いている間に乗車した。
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「特別快速、札幌経由新千歳空港行、特別快速<エアポート>です。停まる駅は南小樽、小樽築港、手稲、琴似、桑園、札幌、新札幌、南千歳、終点の新千歳空港です」ということだった。札幌迄が速く、少し驚くことになった。

ハロウィン…:小樽・堺町通周辺(2024.10.06)

↓こんなモノを眼に留めた。堺町通の辺りだ。
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↑ハロウィンの飾りだ。ここで記念撮影をしている方達も見受けられた。

何となく憶えている。中学生の頃、英語の教科書の文章にハロウィンへの言及が在った。英語圏、殊に米国の少し変わった行事というような扱いだったというように記憶する。その頃はハロウィンで如何した、こうしたということが無かったのだ。

そういうように憶えていたが、何時の頃からか日本国内でもハロウィンを取上げて、色々と飾ることや、何やらの催事というようなことになっていた。方々で「10月はハロウィンの飾り」というようなことになっていた。画のようなカボチャや、霊界や冥界の使者たるモンスターや魔女というような飾りが登場する。

↓如何でも、何でも構わないが、街に少し大きなオブジェが据えられるというのも、何となく華やいで好いのかもしれない。
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或いは「時節毎の華やぎ」というようなことで、「10月?特段に何も無い?否!ハロウィンだ!」ということで注目されたのかもしれない。

小樽運河…:浅草橋から中央橋(2024.10.06)

何か光が強烈だった。暑いという程でもないが、陽射しで多少気温は上がっていたようだ。半袖Tシャツの上に長袖シャツを半ば上着のような感覚で引っ掛けていたが、やや汗はかいた。

↓小樽運河の浅草橋に到った。
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↑嘗ての日銀が在る場所として知られる浅草通を海側へ進んだ辺りだ。通りの名は、遠いを進んで街の後背の丘陵を上った辺りに在る「浅草観音寺」に由来するそうだ。

↓運河に沿って散策し、蔦が絡まる旧い倉庫の建物を眺めた。
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↓運河の水面は静かな場合が多いが、鏡面のようになっていた。
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↓中央橋の方向へ歩を進める。
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↓何か好い風情だ。
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↓中央橋の辺りから運河を眺めた。
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↓天の様が水面にも在るかのような様相だった。
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何度も辺りを散策している小樽運河であるが、素晴らしく明るい秋の陽射しの下で歩いたのは愉しかった。

灯油ランプ…:<北一ホール>:北一硝子 三号館:小樽・堺町通(2024.10.06)

早目な時間帯に札幌駅を発ち、当然ながら早目な時間帯に小樽駅に到着した。朝の未だ静かな街を歩き廻った。

↓堺町通の北一硝子に到った。幾つもの建物が在るのだが、訪ねたのは三号館である。
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こちらの<北一ホール>を観たかった。開店時に、ホール内に据えられた夥しい数の灯油ランプを灯す作業が行われるという。先着順で、その様子が見学出来ると聞いていたのだった。

↓訪ねてみれば少し並んでいたが、余裕を持って入り込むことが叶った。作業開始時、壁の辺りの照明の薄暗い灯りを頼りに関係者の皆さんが動き始める。
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↓灯油ランプに一つずつ着火して灯す。そして硝子の覆いを被せて行く。
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↓夥しい数の灯油ランプを順次灯す。オイルの仄かな香りが感じられるようになる。
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↓これは天井に吊り上げられ「シャンデリア」になるというモノである。
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↓準備が粗方整ったようだ。
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↓「シャンデリア」はゆっくりと吊り上げられる。
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↓今度は卓上が順次整えられる。
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↓壁面の照明を落とし、夥しい数の灯油ランプの灯りのみということになった。
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↓店頭の様子を見学して立ち去っても差支えは無いのだが、準備が整ったホールで飲物等も愉しめる。順番を待って御案内して頂き、珈琲と<小樽ビール>のドンケルを頂いた。
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↓ランプの灯りは好い感じだ。
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北一硝子は九州から北海道へ移住した創業者が1901(明治34)年に起した工房を前身としていて、灯油ランプの製造で業績が大きく伸び、更に1910(明治43)年頃には漁業用のガラスの浮き球の製造も手掛けるようになったのだという。本拠地の小樽の他に室蘭、旭川、釧路、更に樺太にも製造拠点を設け、400名もの従業員を擁する北海道内屈指の企業になって行ったそうだ。

そういう伝統を有する北一硝子だが、第2次大戦後に北海道の経済活動の中心が札幌となって行った中、小樽で独自の道を拓いて現在に至っている。<北一ホール>も色々と展開している取組の一環と見受けられるが、ここまで多量の灯油ランプ、北一硝子の代表的な商品を前面に押し出した「ショールーム」は圧巻だ。

オイルの芳香が仄かに漂うような中、珈琲やビールを愉しみながら、小樽の街や北海道の来し方に何となく想いを巡らせた。それはそれとして、これだけの膨大な灯油ランプが「実際に点火、点灯」という様子は余り観られないと思う。朝早くから動いて小樽を訪ね、この<北一ホール>に出会うことが叶って本当に善かった。自身としても再訪したいと思うが、誰かを同伴して見せてあげたいとも思う。素晴らしい場所だ。

小樽駅到着…(2024.10.06)

札幌駅を発った列車は順調に進み、間もなく小樽駅である。

↓列車の先頭側に乗っていた。間も無く到着なので立ち上がって身体を伸ばした。そして前方を眺めた。
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↑2番線に入るとのことだ。普通列車はその辺りになる場合が多い。H100形が待機しているのが右側に見えた。

↓減速していて、間も無く停車するのが判る。
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↓小樽駅に列車は到着した。
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↑所謂“札幌圏”では733系電車が目立つ。

↓小樽駅では随所にランプが在る。
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↑小樽では硝子工芸を盛んに行っているということで、寄贈を受けて駅に飾るようにしているようだ。

↓北海道の流儀でビールの広告も入った駅名標が好い感じだ。
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↓改札を出て振り返ると、こういうような感じになっている。
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↓朝の小樽駅に着いた。凄く天候が好かった。
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<旧久保商店>…:小樽・堺町通(2024.04.14)

小樽で夜を明かし、早朝に散策を愉しんだのだった。

↓堺町通で、見掛ける足を停めて眼を向ける場合が多い建物だ。
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↑和風の商家という造りだと思うが、小間物、雑貨を商う商店であったという。1907(明治40)年の建物であるとのことだ。

↓早朝の、御店などが営業する以前の時間帯に、こんな旧い建物の辺りを行き交った人々やモノを想いながら、漫然と歩き廻るというような散策も悪くはない。
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↑そう思う反面、カフェとして利用されているという中に入ってみたいという好奇心も沸く。

この場所は、毎度同じようなことを想いながら通り過ぎている気がするのだが、それでも「美しいのでカメラを向けてみたい建物」は素晴らしい。そして、こういう静かな時間帯に動き廻るような場合、X100Fを提げて歩き、気が向くままに使うというような様子が酷く心地好い。このカメラがこういう街並みを撮るのに適しているとも言えると思うが、「街並みが写真を撮るために在るのか?」という気さえしてしまう。

今般、小樽を訪ねてから少し長く時日を経たが、この建物の画を取上げていなかったことに気付いて記事を起こした。

小樽駅の眺め…(2024.04.14)

↓気に入っている眺めだ。何か「春の好天」という風情で、殊更に好い感じだった。
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↑ロッカーに荷物を預け、身軽になって街を歩こうと、朝の小樽駅へ足を運んだ際に「好い眺め…」と足を停め、提げていたカメラを使った。

1903(明治36)年に駅が登場した際には「小樽中央駅」と称し、直ぐに「稲穂駅」と改称した。1904(明治37)年に「高島駅」、1905(明治38)年に「中央小樽駅」と改称が続いた。

1920(大正9)年に「小樽駅」と改称して現在に至っている。実はこの時迄、現在の“南小樽駅”が“小樽駅”であったということだ。

1934(昭和9)年に、「3代目」ということになる駅舎が登場した。この建物が現行の建物になっている。北海道内の駅では、鉄骨鉄筋コンクリート造(RC造)はこの小樽駅が初めてであるのだという。随分と長い経過が在る建物だ。

時々立寄る小樽で、この建物を眺めるのは愉しい。

小樽駅到着…(2024.04.13)

札幌駅でロッカーの荷物を引き取って、改札口を潜れば、それ程待たずに小樽へ向かう列車が現れた。新千歳空港駅を発ち、札幌駅を経て小樽駅へ向かうという列車で、何となく混み合った感じだったが、とりあえず着席出来た。

↓ぼんやりと乗車して、途中で居眠りに陥ってしまった区間も在ったようだが、とりあえず小樽駅に到着し、下車した。
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↑列車は折り返しに札幌駅を経て新千歳空港駅へ向かうようになるということだった。下車する乗客と、乗車する乗客が入り交じって、少し混み合ったが、動き悪いので暫し様子を眺めて佇んだ。

↓近年は順次数を減らしている721系電車である。
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↓この5番線は、新千歳空港駅との間を往来する列車の発着に利用される場合が殆どだと思う。
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↓改札口を出て振り返る。この感じが「小樽駅!」という様子だ。
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↓戸外へ出る側を何となく見上げた。
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小樽駅に列車で着く感じが少し気に入っている。今般もそういう感じを少し愉しみ、小樽で時間を過ごした。

<LAWSON>…:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓小樽では立寄る機会が多いような場所である。
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↑堺町通の、独特な旧い建物が目立つ辺りへと続くような一画に在る御店だ。

この辺りに関しては、「早朝に散策」というようなことをすることを好む。早朝であっても「あそこは営業している…」という安堵感が在る。

或いは、所謂「コンビニ」が「そこに在って当然で、在れば安心」というような「或る種の社会資本」のような存在感を帯びているのかもしれないというようなことも思う。

多分、小樽で早朝にでも歩くなら、この御店には何度も寄るであろう。早朝でもない時間帯に辺りを歩き廻る場合も在るが、そんな場合にも立寄っている。

<龍宮神社>:小樽(2024.04.14)

早朝から散策を愉しみ、宿に引揚げて一休みで、ゆっくりと外へ出た。多少嵩張るモノは小樽駅のロッカーに預け、少し街を歩こうということにした。

↓小樽駅から然程遠くない辺りに<龍宮神社>が在る。
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↑「武揚建立」と在る。これはかの榎本武揚のことだ。箱館の戦いで、幕府方の指導者として政府軍と戦った榎本武揚は、後に政府に出仕て開拓使の仕事をすることとなった。 その榎本武揚は1876(明治9)年に「北海鎮護」と献額し、北海道への移民の安寧を願って、アイヌ達が祭礼を行っていた場所でもある現在地に社を起こした。

↓境内の社殿辺りに、榎本武揚が献額した「北海鎮護」を映した石碑が据えられている。
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↓榎本武揚の銅像も在る。
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↓趣が在る社殿だと思う。
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↓参拝した。好天に恵まれた中、小樽で好い時間を過ごしていることについて、感謝の意を表した。
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↓やや小高い辺りから、街を見守るかのような感じで鎮座する<龍宮神社>である。
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↓記念に御朱印も頂いた。
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<龍宮神社>は小樽駅に近く、立寄り易い。気に入っている場所の一つだ。

丸型ポスト…:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓小樽の堺町通は、この型のポストが似合う街に数えられると思う。
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↑試作品の試用という段階を経て、1949(昭和24)年正式に登場した型のポストだ。その後も長く製造され、設置され続けていたようで、街角で見掛けるモノがどの程度古いのかは判らない。

↓凄く静かな早朝、こういうような様子を眺めるというのが好い。
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この辺りに関しては、何時でもこんなポストが似合う雰囲気であって欲しいというように思う。

<旧共成株式会社>…=現<小樽オルゴール堂 本館>:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓概ね南北に延びる堺町通の南側の広い辺りに在る、なかなかに目立つ建物だ。
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↓大き目な建物で、道が交差する辺りでもあるので、なかなかに目立つ建物だ。
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↑有力な米穀商であった共成社が1915(大正4)年に建てた建物で、煉瓦が多用されている建物であるという。

現在ではオルゴールの店として広く知られているようだ。こういう場所は、早朝に歩き廻ると、外観を眺める、外観の写真を撮るには好いかもしれない。

<旧金子元三郎商店>…:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓1899(明治32)年の建築であるという。明治期の小樽の商店建築という雰囲気をよく伝えている建物であるという。
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↑左右両側に大きな“うだつ”という形が凄く特徴的だ。

様々な物産を扱い、肥料販売や海運を営んだ商店であったという。明治期に肥料と言えば「鰊しめ粕」であって、小樽はしめ粕の材料になる鰊の漁が盛んであった場所だ。鰊漁の網元が建てたという屋敷鰊漁の番屋を見学したことも在った。

画の商店の主であった金子元三郎(1869-1952)は、政治家としても知られる。初代の「小樽区長」を務めたそうだ。「市長」ということになる。

※ 1888(明治21)年に市制、町村制が定められたが、北海道ではそれが適用されなかった。1899(明治32)年に北海道での町村制と併せて「区」が設けられた。
※ 「北海道区制」で言う「区」は、各地の「市」に準じるが、各地で「市会」(議会)に認められていた権限等で認められていないモノが見受けられた。
※ 「北海道区制」の施行後、直ぐに札幌区、函館区、小樽区が設置された。1914(大正3)年に旭川区、1918(大正7)年に室蘭区、1920(大正9)年に釧路区が設置された。
※ 1922(大正11)年に北海道を除外した市制に関する法改正が在り、北海道内の6つの「区」が「市」になった。

古い建物には、地域の色々な経過が滲むというものである。

<岩永時計店>…:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓屋根に鯱が飾られている。小樽では時々見受けられるが、それ程多いのでもなく、意外に目立つ。
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↑1896(明治29)年に岩永時計店は起こり、1899(明治32)年に現在の場所にこの建物が建ったそうだ。この建物は1991(平成3)年に修復し、概ね創建時の外貨とした経過が在るようだ。

記事の件名で、小樽の古い建物の呼び方は「小樽市指定歴史的建造物」というような案内に準じている。多くは<旧〇〇〇〇>というような感じで、「嘗て〇〇〇〇であった建物」というようになっている。が、ここは「旧」が無い。

小樽の<岩永時計店>は、「創業明治29年」という老舗として知られている。現在では都通り商店街の「都店」と称している店舗が知られているが、この建物が「本店」となっているようだ。故に「小樽市指定歴史的建造物」というような案内に「旧」が無いようだ。

現在、この建物は<オルゴール堂>という御店が利用している。

<旧百十三銀行小樽支店>…:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓趣が在る建物だ。1908(明治41)年に竣工と伝わる。
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1月に映画を観た。日露戦争の少し後の頃という設定になっている物語で、小樽の街が出て来る。作中、銀行が襲撃されるという騒ぎが描かれる。その映画の画面に登場する銀行というのが、この建物そっくりに再現したセットであったのだという。観た時、「あそこでこんなに派手な映画撮影をしたのか?!」と驚いた。

観た映画というのは『ゴールデンカムイ』である。漫画作品を原案とする映画で、漫画にもこの建物のイメージの画で、襲撃される銀行が表現されているようだ。作者は「日露戦争の少し後位の時代の北海道」ということで、小樽に足を運んで古い建物や、博物館に収蔵されているモノのスケッチをして、作中でそれを活用していたそうだ。

そんな話しも思い出しながら、早朝の静かな堺町通を歩き廻った。