<旧久保商店>…:小樽・堺町通(2024.04.14)

小樽で夜を明かし、早朝に散策を愉しんだのだった。

↓堺町通で、見掛ける足を停めて眼を向ける場合が多い建物だ。
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↑和風の商家という造りだと思うが、小間物、雑貨を商う商店であったという。1907(明治40)年の建物であるとのことだ。

↓早朝の、御店などが営業する以前の時間帯に、こんな旧い建物の辺りを行き交った人々やモノを想いながら、漫然と歩き廻るというような散策も悪くはない。
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↑そう思う反面、カフェとして利用されているという中に入ってみたいという好奇心も沸く。

この場所は、毎度同じようなことを想いながら通り過ぎている気がするのだが、それでも「美しいのでカメラを向けてみたい建物」は素晴らしい。そして、こういう静かな時間帯に動き廻るような場合、X100Fを提げて歩き、気が向くままに使うというような様子が酷く心地好い。このカメラがこういう街並みを撮るのに適しているとも言えると思うが、「街並みが写真を撮るために在るのか?」という気さえしてしまう。

今般、小樽を訪ねてから少し長く時日を経たが、この建物の画を取上げていなかったことに気付いて記事を起こした。

小樽駅の眺め…(2024.04.14)

↓気に入っている眺めだ。何か「春の好天」という風情で、殊更に好い感じだった。
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↑ロッカーに荷物を預け、身軽になって街を歩こうと、朝の小樽駅へ足を運んだ際に「好い眺め…」と足を停め、提げていたカメラを使った。

1903(明治36)年に駅が登場した際には「小樽中央駅」と称し、直ぐに「稲穂駅」と改称した。1904(明治37)年に「高島駅」、1905(明治38)年に「中央小樽駅」と改称が続いた。

1920(大正9)年に「小樽駅」と改称して現在に至っている。実はこの時迄、現在の“南小樽駅”が“小樽駅”であったということだ。

1934(昭和9)年に、「3代目」ということになる駅舎が登場した。この建物が現行の建物になっている。北海道内の駅では、鉄骨鉄筋コンクリート造(RC造)はこの小樽駅が初めてであるのだという。随分と長い経過が在る建物だ。

時々立寄る小樽で、この建物を眺めるのは愉しい。

小樽駅到着…(2024.04.13)

札幌駅でロッカーの荷物を引き取って、改札口を潜れば、それ程待たずに小樽へ向かう列車が現れた。新千歳空港駅を発ち、札幌駅を経て小樽駅へ向かうという列車で、何となく混み合った感じだったが、とりあえず着席出来た。

↓ぼんやりと乗車して、途中で居眠りに陥ってしまった区間も在ったようだが、とりあえず小樽駅に到着し、下車した。
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↑列車は折り返しに札幌駅を経て新千歳空港駅へ向かうようになるということだった。下車する乗客と、乗車する乗客が入り交じって、少し混み合ったが、動き悪いので暫し様子を眺めて佇んだ。

↓近年は順次数を減らしている721系電車である。
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↓この5番線は、新千歳空港駅との間を往来する列車の発着に利用される場合が殆どだと思う。
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↓改札口を出て振り返る。この感じが「小樽駅!」という様子だ。
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↓戸外へ出る側を何となく見上げた。
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小樽駅に列車で着く感じが少し気に入っている。今般もそういう感じを少し愉しみ、小樽で時間を過ごした。

<LAWSON>…:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓小樽では立寄る機会が多いような場所である。
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↑堺町通の、独特な旧い建物が目立つ辺りへと続くような一画に在る御店だ。

この辺りに関しては、「早朝に散策」というようなことをすることを好む。早朝であっても「あそこは営業している…」という安堵感が在る。

或いは、所謂「コンビニ」が「そこに在って当然で、在れば安心」というような「或る種の社会資本」のような存在感を帯びているのかもしれないというようなことも思う。

多分、小樽で早朝にでも歩くなら、この御店には何度も寄るであろう。早朝でもない時間帯に辺りを歩き廻る場合も在るが、そんな場合にも立寄っている。

<龍宮神社>:小樽(2024.04.14)

早朝から散策を愉しみ、宿に引揚げて一休みで、ゆっくりと外へ出た。多少嵩張るモノは小樽駅のロッカーに預け、少し街を歩こうということにした。

↓小樽駅から然程遠くない辺りに<龍宮神社>が在る。
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↑「武揚建立」と在る。これはかの榎本武揚のことだ。箱館の戦いで、幕府方の指導者として政府軍と戦った榎本武揚は、後に政府に出仕て開拓使の仕事をすることとなった。 その榎本武揚は1876(明治9)年に「北海鎮護」と献額し、北海道への移民の安寧を願って、アイヌ達が祭礼を行っていた場所でもある現在地に社を起こした。

↓境内の社殿辺りに、榎本武揚が献額した「北海鎮護」を映した石碑が据えられている。
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↓榎本武揚の銅像も在る。
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↓趣が在る社殿だと思う。
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↓参拝した。好天に恵まれた中、小樽で好い時間を過ごしていることについて、感謝の意を表した。
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↓やや小高い辺りから、街を見守るかのような感じで鎮座する<龍宮神社>である。
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↓記念に御朱印も頂いた。
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<龍宮神社>は小樽駅に近く、立寄り易い。気に入っている場所の一つだ。

丸型ポスト…:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓小樽の堺町通は、この型のポストが似合う街に数えられると思う。
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↑試作品の試用という段階を経て、1949(昭和24)年正式に登場した型のポストだ。その後も長く製造され、設置され続けていたようで、街角で見掛けるモノがどの程度古いのかは判らない。

↓凄く静かな早朝、こういうような様子を眺めるというのが好い。
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この辺りに関しては、何時でもこんなポストが似合う雰囲気であって欲しいというように思う。

<旧共成株式会社>…=現<小樽オルゴール堂 本館>:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓概ね南北に延びる堺町通の南側の広い辺りに在る、なかなかに目立つ建物だ。
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↓大き目な建物で、道が交差する辺りでもあるので、なかなかに目立つ建物だ。
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↑有力な米穀商であった共成社が1915(大正4)年に建てた建物で、煉瓦が多用されている建物であるという。

現在ではオルゴールの店として広く知られているようだ。こういう場所は、早朝に歩き廻ると、外観を眺める、外観の写真を撮るには好いかもしれない。

<旧金子元三郎商店>…:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓1899(明治32)年の建築であるという。明治期の小樽の商店建築という雰囲気をよく伝えている建物であるという。
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↑左右両側に大きな“うだつ”という形が凄く特徴的だ。

様々な物産を扱い、肥料販売や海運を営んだ商店であったという。明治期に肥料と言えば「鰊しめ粕」であって、小樽はしめ粕の材料になる鰊の漁が盛んであった場所だ。鰊漁の網元が建てたという屋敷鰊漁の番屋を見学したことも在った。

画の商店の主であった金子元三郎(1869-1952)は、政治家としても知られる。初代の「小樽区長」を務めたそうだ。「市長」ということになる。

※ 1888(明治21)年に市制、町村制が定められたが、北海道ではそれが適用されなかった。1899(明治32)年に北海道での町村制と併せて「区」が設けられた。
※ 「北海道区制」で言う「区」は、各地の「市」に準じるが、各地で「市会」(議会)に認められていた権限等で認められていないモノが見受けられた。
※ 「北海道区制」の施行後、直ぐに札幌区、函館区、小樽区が設置された。1914(大正3)年に旭川区、1918(大正7)年に室蘭区、1920(大正9)年に釧路区が設置された。
※ 1922(大正11)年に北海道を除外した市制に関する法改正が在り、北海道内の6つの「区」が「市」になった。

古い建物には、地域の色々な経過が滲むというものである。

<岩永時計店>…:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓屋根に鯱が飾られている。小樽では時々見受けられるが、それ程多いのでもなく、意外に目立つ。
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↑1896(明治29)年に岩永時計店は起こり、1899(明治32)年に現在の場所にこの建物が建ったそうだ。この建物は1991(平成3)年に修復し、概ね創建時の外貨とした経過が在るようだ。

記事の件名で、小樽の古い建物の呼び方は「小樽市指定歴史的建造物」というような案内に準じている。多くは<旧〇〇〇〇>というような感じで、「嘗て〇〇〇〇であった建物」というようになっている。が、ここは「旧」が無い。

小樽の<岩永時計店>は、「創業明治29年」という老舗として知られている。現在では都通り商店街の「都店」と称している店舗が知られているが、この建物が「本店」となっているようだ。故に「小樽市指定歴史的建造物」というような案内に「旧」が無いようだ。

現在、この建物は<オルゴール堂>という御店が利用している。

<旧百十三銀行小樽支店>…:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓趣が在る建物だ。1908(明治41)年に竣工と伝わる。
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1月に映画を観た。日露戦争の少し後の頃という設定になっている物語で、小樽の街が出て来る。作中、銀行が襲撃されるという騒ぎが描かれる。その映画の画面に登場する銀行というのが、この建物そっくりに再現したセットであったのだという。観た時、「あそこでこんなに派手な映画撮影をしたのか?!」と驚いた。

観た映画というのは『ゴールデンカムイ』である。漫画作品を原案とする映画で、漫画にもこの建物のイメージの画で、襲撃される銀行が表現されているようだ。作者は「日露戦争の少し後位の時代の北海道」ということで、小樽に足を運んで古い建物や、博物館に収蔵されているモノのスケッチをして、作中でそれを活用していたそうだ。

そんな話しも思い出しながら、早朝の静かな堺町通を歩き廻った。

<旧名取高三郎商店>…:小樽・堺町通(2024.04.14)

↓旧い建物に見受けられる「うだつ」というモノが独特だ。画のやや左、屋根の端側に壁状なモノが突き出る。
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↓こういうような建物である。
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↓少し廻り込んで、やや異なる角度から建物を眺めた。
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早朝、堺町通辺りを歩き廻った。小樽で夜を明かした後、この辺りを早朝から散策してみるのは意外に愉しいのだ。

小樽では1904(明治37)年に大きな火災が生じ、街の多くの建物が焼失したというような経過が在る。その時期以降、防火を意図した石材、煉瓦、コンクリートというような材料を外壁に用いる堅牢な建築が増えた。そういうような時代の建物が色々と伝わる小樽である。堺町通にはそういう建物も多く在り、歩き廻るのが愉しいのだ。

「余市蒸留所セット」…:<ニッカバー“リタ”>:小樽(2024.04.13)

↓小樽運河に近い辺りに「出抜小路」(でぬきこうじ)が在る。
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↓少し凝った外観の小さな建物が幾つも設えられている感じだ。
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↑足元辺りの看板に少し惹かれた。

↓奥の左寄りに「BAR」と在る。
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↓こちらに立寄ってみる。
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↓開店時刻の少し後であったようだが、渋い内装だ。
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↓カウンターに在ったモノだ。
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↑店名の“リタ”は、ニッカウヰスキーを起こした竹鶴政孝(1894-1979)のパートナーであった女性だ。カウンター上のモノは御夫妻の画を入れている。

本格的なウイスキーの製造方法を学ぶべくスコットランドに渡った竹鶴政孝は、後のリタ夫人に出会う。結婚するために、竹鶴政孝はスコットランド残留ということも思ったらしいが、学んだ知識が紹介されることを待ち望む人達が在る筈だと、一緒に日本へ向かうことをリタ夫人が促したそうだ。

やがて竹鶴政孝は、現在のサントリーの山崎蒸留所を興す仕事に携わったような経過を経て、余市に「大日本果実」という会社を起こす。ウイスキーを造って、市場に出す迄に数年を要することから、リンゴのジュース等を製造販売することを構想して名付けた社名だという。やがて「大日本果実」を略した「日果」から「ニッカ」という名が登場し、「ニッカウヰスキー」というようになって行った。

ニッカウヰスキーの蒸留所を擁する余市と小樽とは、一般に「車で30分位」とされているような感じで、言わば「小樽もニッカウヰスキーの御当地」というようになる。そこで「出抜小路」にこのバーが起こったのだそうだ。

↓余市蒸留所の売店で売られているのみであるという、希少な酒を3種類試すことが叶うということで、それを愉しんだ。
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↓こういうような説明が書かれたモノを敷いて、そこに各ウイスキーが登場する。
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↑スモーキーでウイスキーらしい感じ、色々な要素が交った芳醇な感じ、爽やかで香りが好い感じと、貯蔵樽の酒類の差異等で味の個性も分かれるというウイスキーの魅力に触れるようなことになった。

↓こういうのは愉しい!
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札幌に在る<THE NIKKA BAR>にも、幾つかの酒類を比べて飲むというのが在った。が、ここは「余市蒸留所の限定品」でそういうことをしている。非常に面白い!

御店の方と歓談し、3種類の希少なウイスキーを愉しんで引揚げた。「御気に入り」が加わった感である。

↓「夕べの小樽」というのも好い感じだった。
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小樽駅を発つ…(2024.04.14)

嘗て小樽商工会議所であった建物を改装した宿に滞在し、時季としては温かい穏やかな天候の中で過ごした小樽であったが、札幌へ向けて移動することとした。

↓小樽駅へやって来た。
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↓預けた荷物を引っ張り出して改札へ向かった。
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↓札幌を経て岩見沢へ向かう普通列車が待機中だった。
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↓乗り込んだ先頭側3輛が731系電車で、後尾側3輛が733系電車という6輛の列車だった。最近は時々見掛ける感じだ。
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↓各駅に停車し、札幌駅迄は45分程の道程となる。荷物を棚に上げ、ロングシートに陣取った。
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小樽・札幌間の列車での移動も好い感じだ。

<小樽商工會議所>=旧 小樽商工会議所:(2024.04.13)

小樽で過ごした後は、所用に備えて札幌へ移動する段取りだった。直ぐに移動しても構わなかったが、少しゆっくりとすることにして、<旧 三井銀行小樽支店>を見学する等していた。が、活動開始が早目であり、未だ昼前だった。<旧 三井銀行小樽支店>辺りから歩を進め、直ぐに多少馴染んだ<FamilyMart>の辺りに至った。そして一息入れたが、何となく辺りを伺った。かつて小樽商工会議所であった建物が見えた。そして気付いた。直ぐに駆け寄った。

↓「無粋極まりない!!」と思っていた、建物前に駐車の車輛が無い状態だったのだ。
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↑美しい建物は、景観を妨げるモノと無関係な状態で眺めたいものだ。

↓何回眺めても好い感じだと思う。
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↑小樽を発つ前にこういう様子が観られて好かった。

建物外観を眺めて愉しんだというないようなので、記事件名から<OMO5 小樽>という施設名は敢えて外した。

朝…:<小樽商工會議所>=旧 小樽商工会議所:<OMO5 小樽>(2024.04.14)

早朝、散策に出てから宿へ引揚げた。

↓朝の光を受けて佇むこの建物は美しい。
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↑左の「南館」こと嘗ての小樽商工会議所の建物は3階建であるが、右の「北館」こと新しいビルは7階であると見受けられる。旧いビルは天井が高いゆったりした内装であることが判る。

↓「北館」側から出入りし、フロントの前辺りを通って通路に進み、「南館」に出入りする仕組みになっている。
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↓2階に上がった。
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↓嘗てはこのビルで小樽商工会議所の活動が展開されていた訳で、様々な人達が行き交ったであろう廊下で歩を進めた。
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↓居室の扉は重厚な感じだ。
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↓居室で少し休んだ後、外に出るべく階段を下った。
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↓古いデザインの階段が酷く美しい。
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↓何人の人がこの階段を行き交ったのだろうかというようなことを、思わず考えてしまった。
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↓非常に思い出深い場所となった。
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正直、自身が日頃利用する宿泊施設よりも料金は高い。が、「時には…」と何とか許容できる範囲だと考えた。何度も辺りを通って興味を覚えていた建物に入って一晩過ごすことが叶うというのは、少しだけ特別な経験だ。正直、別段に「特別」は望まない方だ。それでも興味を覚えた古く趣が在る建物を利用した部屋に泊まるという程度のことはしてみたい。

<旧 向井呉服店支店 倉庫>…(2024.04.14)

寧ろ静かな日曜日の午前中、街を散策していた。

↓実に趣深い建物だと思う。
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↓間口は広くないが、4階建になっている。煉瓦造の壁だ。
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↓広角ズームの故に、こういうような横から見た感じの画も撮れる。
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↓1907(明治40)年に登場した4階建の倉庫だという。1904(明治37)年に大きな火災が生じたことから、煉瓦造で防火扉を備えたという、この倉庫のような建物が登場したようだ。
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小樽では、日露戦争の時期、その少し後に登場した防火対策を念頭に置いた堅牢な建物が多く伝わっている。面白い!

<日本銀行旧小樽支店金融資料館>の建物…(2024.04.14)

早朝に街を歩いて宿へ引揚げ、少しゆっくりと宿を辞去し、また午前中から街を歩き廻っていた。

↓この建物の趣が非常に好い。
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「北のウォールストリート」とも呼ばれ、金融業界の北海道での要であった経過も在る小樽には日本銀行の支店が設置されていた。 日本銀行小樽支店は、著名な建築家で、東京駅の設計等で広く知られる辰野金吾や他の建築家達が取り組んだ建物で、1912(大正元)年に竣工している。

日本銀行小樽支店は2002(平成14)年まで活動していて、後に札幌支店に統合となった。現在は資料館となっている。

街角…:日曜日の昼前:小樽(2024.04.14)

運河の側から、少し緩い坂を上るように進み、都通商店街へ通じる辺りに至った。

↓路地のようになっている辺りを通り抜けた。日曜日の昼前、飲食店や商店等は休んでいて非常に静かだった。
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↑日陰になっている辺りの壁に、雑多な看板やポスターが見受けられる様子が面白かった。

自販機…:小樽駅周辺(2024.04.14)

小樽駅前から小樽運河の側へ延びる道を歩いた。

↓こういうモノを眼に留めた。
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↓コカ・コーラのみを売っている自販機だ。「北海道」というイメージの画が入ったモノだ。
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多分、各地のイメージの画が入ったモノが在るのだと思う。旅行者も多く歩き廻るような辺りなので、「北海道」の画は人気なのであろう。思わず提げていたカメラを使った。

早朝の<FamilyMart>…:小樽(2024.04.14)

小樽の宿で夜を明かした。短く深く眠り、眼を開けて、少し起きて居てまた眠るということを繰り返し、結果的に早起きとなった。

↓思い付いて起き出し、戸外に出て宿の眼前というような位置の御店に立寄った。
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↑天が明るくなり始め、美しい様子だった。

御店で飲物を求め、御店前の灰皿が据えられた辺りで飲みながら煙草を点けた。「くらり…」とするような感を覚えた。「全面禁煙」の中で寄るを過ごした後だ。

今般、小樽滞在中に何度も立寄った場所だった。

オリックス・バファローズのTシャツ…(2024.04.13)

↓小樽の宿で、着替えに持参していた新しいTシャツを引っ張り出した。
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↓オリックス・バファローズのロゴが入った紺色のTシャツだ。汗で湿っても乾き易い化繊のモノである。
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出先の札幌や小樽は、日中は温かい感じになっていた。こういうようなTシャツが重宝するような感じになろうとしているかもしれない。

宵…:<小樽商工會議所>=旧 小樽商工会議所:<OMO5 小樽>(2024.04.13)

↓外を動き回って、暗くなった頃に引揚げた。美しい建物を見上げる。この建物に滞在するのだ。
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↓暗くなってからは階段の趣も少し変わる。
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↓階段を上がりながら思った。天井が高目な設えだ。
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↓居室辺りへ歩を進めて振り返った。窓の辺りが暗くなっている。
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↓この部屋着を利用する場合、別途200円が要る。
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↓それにしても、この巨大なベッドである。沢山在る枕の類を左側に集め、1つだけ枕を使って右側の端辺りで眠ることにした。
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何時も眺めていた旧い建物に滞在というのは興味深かった。が…やや不慣れな広い部屋や、過ぎる程に大きなベッドには、率直に言って戸惑った。

<小樽商工會議所>=旧 小樽商工会議所:<OMO5 小樽>(2024.04.13)

↓美しく、貫禄も在る建物であると視る都度に思う。1933(昭和8)年竣工の小樽商工会議所の建物だ。
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↓この建物が改装されて宿泊施設になっている。
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↓<OMO5 小樽>というそうだ。
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↑小樽商工会議所の建物は「南館」と称し、直ぐ横の新しい「北館」と合わせた施設となっている。

↓今般、この<OMO5 小樽>の「南館」に宿を求めた。2階の部屋だ。
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↑小樽商工会議所として利用されていた頃の部屋の仕切り方が殆どそのままなのだと思う。貫禄が在る感じだ。

↓部屋番号は足元に刻まれている。
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↓扉が重厚な感じだ。
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↓大きなベッドが据えられている部屋だ。
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↓所謂「ユニットバス」ではない方式の浴室と御手洗が設えられている。
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↓部屋にモノを置いて街へ出てみる時に階段を使った。“昭和”な感じだ。
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↓旧い建物は、こういうような箇所に“歴史”が滲むような気がする。
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↓こういう箇所の独特な光の入り方が面白いと思う。
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↓「南館」を出入する場合、「北館」に在る「ルームキーを使って開閉する扉」を必ず通るようになっている。そことの間の通路も何となく趣が在る。
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↓外に出て、改めて「南館」こと小樽商工会議所の建物を見上げた。
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こういう宿は「宿泊すること自体」が「少し変わった観光」という感じになると思う。因みに「全館禁煙」である。

「北のウォールストリート」の面影…(2024.04.14)

↓午前5時台の静かな街を散策した。小樽では旧い大きな建築物が他の用途で利用されている例も少なくない。この辺りにもそういう建物が並ぶ。
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↑画の右側、バス会社がターミナルとして利用しているのは嘗ての三菱銀行だ。その奥には美術館となっている嘗ての北海道拓殖銀行が見える。更に奥には嘗ての三井銀行が在る。

小樽は物流拠点として大きな存在感を示し、商業等が盛んで、金融業の拠点ともなった。それ故に様々な銀行が営業店舗を設けていた。そんな様子を「北のウォールストリート」と呼んだのだという。

↓この辺りはそういう「北のウォールストリート」の面影が覗く。
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三井住友銀行のATM…:小樽(2024.04.14)

↓商業施設の出入口辺りに据えられたATMである。小樽駅に程近い辺りだ。
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この商業施設には、北洋銀行や北海道銀行のATMが見受けられた。それらは小樽に営業店舗も在る、北海道内を主な活動地域としている銀行である。三井住友銀行に関しては、小樽に営業店舗は無い。

↓それでもここに在る。「札幌支店小樽出張所」ということになっている。中に2台のATMが据えられていた。
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小樽は大正期から昭和の初めに様々な金融機関が営業店舗を据えていた経過が在る街だ。現在も立派な建物が伝わる「三井銀行」の支店も在った。三井銀行は色々と社名を変えているが、現在の三井住友銀行という社名になってからも支店は活動を継続していた。が、「札幌支店へ統合」ということになって、小樽での営業店舗は見受けられなくなった。

そういう経過だが、三井銀行時代に設置したATMが現在でも稼働中である。勿論、機器は時代に応じて更新していて、現在のATMは方々で見掛けるような最近の型のモノである。

北海道内で、全国展開をしている銀行のような企業の看板を見掛ける機会が多いのは札幌だ。小樽でそれを見掛けると「やや意外?」とも思う。が、「歴史」がそこに在るのだ。少し興味深いと思った。

<旧 三井銀行小樽支店>(2024.04.14)

↓何度観ても、非常に見栄えがする建物だと思う。
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↑1927(昭和2)年に竣工したという<旧 三井銀行小樽支店>だ。鉄骨鉄筋コンクリート造で、外壁に花崗岩を使っているという、なかなかに立派な建物だ。

↓中に入ってみることにした。
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実は2023年10月に訪ねた経過が在ったのだが、何かの研究発表会が催されていて、写真を撮るには些かの制約が在った。不意にそれを思い出し、入ってみることにしたのだった。

↓今般はそうした制約はなく、見学可能場所は随意に観て、写真も撮り易い様子だった。
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この場所に関しては「古い銀行建築を御覧になって頂く場所」ということになっていて、美術館のような何かの展示というようなことをしているのでもない。それでも自身は、こういう古い建物を見学させて頂くようなことを好むので、全く問題は無いと思っている。が、「より広い層の人達に立寄って頂きたいので催事を」ということになったようだ。

↓大きな天井を利用し、プロジェクションマッピングである。
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↓「北国の四季」というようなイメージの作品で、約7分間の上映であった。
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↓なかなかに立体的に視えて不思議な感じがする映像作品であった。
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↓訪ねた時、偶々「もう少しで上映」という時間帯であったので、ゆっくりと拝見したのだった。
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↓竣工して銀行として活動し始めたような頃はこういう様子だったそうだ。
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↑米国流の様式で、強盗のような不測の事態に備えて直ぐに乱入出来ないように柵状のモノをカウンターに据え、1階を見下ろして囲むような2階廊下に警備員等を配置し得るようにしたのだという。

↓現状はこういうような感じだ。
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↓なかなか愉しく見学させて頂いた。
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↓「三井銀行小樽支店」は「帝国銀行小樽支店」となる。
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↓やがて「三井銀行」に復し、その後は「太陽神戸三井銀行」、「さくら銀行」を経て、現在の「三井住友銀行」へと改編が繰り返された。
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↓この場所は2002年迄は銀行の支店として使われ続けた。その頃になると、色々と内装は改まっていたというのだが、竣工した時代をイメージした修復も施されている。
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↓細かい設えも美しいが、なかなかに贅を凝らした建物であったことが想像に難くない。
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この建物が竣工した頃というのは、昭和初期の不況の前で、銀行のような会社は立派な建物を競って建てるような感じだったのかと想像する。偶々、敦賀を訪ねた折りに、同じ時代に建った銀行建築を利用した博物館を見学したが、あの建物もなかなかに立派だった。

↓今般、ゆったりと制約無しに見学し、この場所が「御気に入り」に加わったような気もする。
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小樽運河:早朝(2024.04.14)

小樽の宿で、早目に眼が開いた。一寸散策に出た。

↓小樽運河の辺りに至った。
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↓日中から気温が落ちている早朝である。
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↓運河に沿って歩を進めた。
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↓静かな水面に、運河沿いの建物が映り込む様子が面白い。
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↓提げているカメラのレンズの画角の範囲で画を創るのが面白い。
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↓高くなって行く朝陽の光が射し込む角度であるようだ。
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↓この辺りは、早朝が最も静かなのだと想像する。
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↓「小樽運河」とでも聞けば思い浮かぶような景色の辺りに至った。
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こういうような、出先での早朝の散策は愉しいものだ。

夕刻に…:小樽駅(2024.04.13)

↓辺りを歩き廻っていて、小樽駅に到った。
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↑好い雰囲気だと思った。

↓旧い外観が活かされているというのが好いと何時も思う。
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↓暗くなり始めえている感じだ。こういう様子になる時間帯が少し遅くなって来たという時季だ。
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↓脇の側にはハンバーガーの店も在る。
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小樽駅の辺りも、少し気に入っている場所である。

小樽運河…(2024.04.13)

↓未だ暗くなる前に歩き廻り、運河に至った。
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↓出発した朝の稚内を思えば、少し温かい感じであったと思う。
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↓運河に沿って、少し散策した。
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↓運河沿いの倉庫であった建物は、様々な用途に利用されている。その灯りが多少目立つ場合も在るような感じになって来た。
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↓天候が好く、光加減が素敵だった。
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↓このよく知られた眺めの辺りに至った。
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小樽運河は何度眺めても、時間帯や時季や天候によって見え方が変わる。興味深く、何度でも寄りたくなる。