<旧久保商店>…:小樽・堺町通(2023.10.01)

↓堺町通を通り抜ける都度、眼が向く、または歩も停まる場所だ。大きな存在感を放っている建物だと何時も思う。
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↑1907(明治40)年の建物であるという。和風の商家という造りだと思うが、小間物、雑貨を商う商店であったという建物だ。

内部がカフェになっていると聞く。「立寄りたい」という思いは頭の隅に在るのだが、何時も通り過ぎてしまってから「そう言えば寄らなかった…」と悔いてみるか、早朝の営業時間外に漫然と歩くという展開が多い。何時かは…

<岩永時計店>の辺り…:小樽・堺町通(2023.10.01)

↓堺町通に入った辺り、こういうような様子が気に入っている。
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↓1896(明治29)年創業という岩永時計店の建物だ。凄く趣が在る建物だ。
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↑この建物は別な業者が利用している様子だが、岩永時計店は現在も別な場所で営業を続けている。なかなかの老舗ということになる。

↓隣の建物も雰囲気が好い。
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当然ながら現在の様々なモノも辺りには見えるが、古い建物が並ぶ辺りを歩くと、建物が登場したような遠い時代に飛んで行けるかのような気がする場合も在る。

<旧百十三銀行 小樽支店>…:小樽・堺町通(2023.10.01)

↓角地に佇む大き目な建物で、大きな存在感を放っている。
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↓1908(明治41)年の建物であるという。「第百十三国立銀行」として起こり、「百十三銀行」に改称したようだ。当初の支店の建物が手狭になって、画の建物に移転したということである。
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↓石貼りであった外壁は、後から煉瓦タイルが貼り付けられているそうだが、壁の蔦が面白い感じだ。
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↑入ってみたことは無いが、建物では色々なモノの販売が行われているようだ。

この百十三銀行は、1928(昭和3)年には現在の同名の会社とは無関係な当時の<北海道銀行>に吸収されて歴史を閉じたという。

こういう建物を眺めながら歩き廻る感じが、なかなかに好い。

<北一硝子>の辺り…:小樽・堺町通(2023.10.01)

↓なかなかに重厚な倉庫建築を眼に留め、歩を停めた。
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↑頑丈な木の骨組みに石材を貼るという古くからの典型的な倉庫建築で、明治20年代(1887-1896)頃の建築らしい。当初は海産物等の倉庫であったが、時代の移ろいと共に様々な用途で使用されたということである。1980年代以降は<北一硝子>が使っている。

<北一硝子>は「浅原硝子」として1901(明治34)年に起こっている。漁業で広く用いられた“浮球”やランプを製造した。本拠地の小樽の他、旭川、室蘭、釧路、更に樺太の真岡(現在のホルムスク)でも硝子製品の製造販売を手掛けていた。1971(昭和46)年に<北一硝子>へ改称した。以降、経済の集散地であったと同時に文化の集散地という色彩も濃い小樽で独自の活動を続けて現在に至っている。

<北一硝子>の創り出すモノは、「小樽の少し知られたモノ」という感じだ。その会社が古い倉庫を大切に使っているという様子は好ましいと思う。

<齋田産業株式会社 小樽縫製工場>…(2023.10.01)

↓南小樽駅に近い辺りに在る、少し目立つ古い建物である。
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↑辺りは繊維関係の産業で栄えた経過が在り、画の建物は1932(昭和7)年に<神野兄弟合名会社>という会社が建てたそうだ。鉄筋コンクリート3階建て、地階も在るそうだ。

↓角が丸くなっている美しい建物である。現在も利用されている。
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↑<齋田産業株式会社>という、建物の上階に備え、火災の場面で使う救助袋を製造、販売している会社の工場と営業所であるそうだ。

こういう目立つ建物は、「この先が南小樽駅…」、「この先が堺町通等に続く路…」というような、頭の中の“目印”になる。

<旧中越銀行 小樽支店>…:小樽・堺町通(2023.10.01)

↓「堺町通の御店」とでも聞くと思い浮かべる、カフェや菓子類等の売場が合わさったような場所だが、何か「新しいような?古いような?」と感じられる建物だった。
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↓よく見れば辺りに「指定歴史的建造物」の看板が在った。
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↑<中越銀行>の支店として1924(大正13)年に建てられた建物であるという。<中越銀行>は1943(昭和18)年に他行と合併して<北陸銀行>となって行く。そうなるとこの建物は「北陸銀行 南小樽支店」ということになったそうだ。その後、様々な経過で現在のように利用されているということなのであろう。

中へ入ってみると、↓広めな吹き抜けの空間が在って、デッキのような2階が設えられているようだ。
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↓階段を上がってみると、1階が菓子類等の売場で、2階がカフェという様子が判り易い。
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↓小樽駅に着いてから、昼食も摂ったが、少し精力的に歩いたので珈琲を1杯頂いて一息入れることにした。
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↓珈琲を頂いた後、脇の水道でカップを濯いで、小箱に入れて記念品として持ち帰ることが出来るという売り方をしていた。運河のイラストが入った小さめなカップは、珈琲を頂いた後に持ち帰った…
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何となく「大勢の来訪者で賑わう堺町通の御店」という風情が「往年の銀行の設えの建築」に入り込んでいる様子が凄く面白いと思った。

小樽に関しては、立寄ってみる都度に「一寸面白い…」という箇所が増えるような気もする。

小樽駅…(2023.10.01)

↓小樽駅は軌道が敷設されている箇所が「一段高い」という辺りで、改札口方向へ向かうにはエスカレータを下りる。その下りエスカレータからの眺めだ。
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↑往年の人気俳優である石原裕次郎が子ども時代を過ごした街でもある小樽であるため、駅のホームに石原裕次郎の写真パネル―人気俳優として活躍していた頃に小樽を訪ねた時の画と見受けられる―が据えられ、4番線を示す「4」を彼が愛したというヨットのような形にデザインしたモノが掲出されている。そして、やや古風な「おたる 小樽 OTARU」という看板が見える。

↓趣在る様子を眺めながらエスカレータで下りて、改札を潜ると正面の様子が面白い。
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↑硝子細工の工房が起こって人気が高い小樽ということで、硝子のランプを多数据えている。

↓振り返れば改札口の上側にも硝子のランプが多数据えられている。
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↓駅舎の前に出てみる。街の交通結節点にもなっている広場に面している感じだが、「往年の駅」のままという外観を維持しているのが好いと思う。
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↓街を歩こうと、駅の前の道路を渡って、何となく振り返った。気に入っている眺めだ。
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小樽駅は、臨時列車を除けば特急等の優等列車は停車せず、札幌と札幌以遠の一部とを結ぶ普通列車や快速列車、余市方面の各駅とを結ぶ普通列車が発着していて、「大きな街の近郊に在る中規模の街を代表する駅」という感じなのだと思う。が、何か凄く「旅情溢れる」という設えの駅だと思う。立寄る都度に少し嬉しい感じもする駅だ。今般、思い付いて足を延ばしてみて善かったと思う。

手宮線跡…(2023.10.01)

↓小樽駅前から運河側へ進むと、不意に「線路」が現れる箇所が在る。
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↓嘗ては鉄道の軌道であた場所で「手宮線」であった。路線が1985(昭和60)年に廃止になった後、散策路として殆どの部分が整備されて現在に至っている。
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この「手宮線」は1880(明治13)年に北海道内で初めて敷設され、列車が運行された鉄道の一部を成していた。色々と変遷は在るようだが、最終的には現在の南小樽駅から、元日本銀行支店や美術館の在る辺りの色内を経て、博物館の在る手宮へという経路であったようだ。延長2.8kmで全国屈指の「短い路線」であったようだ。

↓小樽市内では存外に目立つかもしれない場所で、少し面白いと思う。
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北陸銀行…(2023.10.01)

↓小樽駅前から運河側への道筋に在って、少し目立つ感じだった看板だ。「22℃」と在るが、確かに寒い感じは免れ、と言って暑くもない感じで過ごし易かった。
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看板の「北陸銀行」はえの右側に進むと「小樽支店」に到るようだ。その支店に寄った記憶はないのだが。

「北陸銀行」とは、富山県に本店を構える銀行である。前身となる幾つもの銀行が順次合併して行き、1943(昭和18)年に「北陸銀行」が設立され、現在にまで受け継がれている。富山県と北海道との繋がりは深く、富山県出身者とその後裔が北海道内には多く在る。銀行業でも、1899(明治32)年には前身の一つである十二銀行が早くも小樽支店を開いている。2004年には「北海道銀行」との経営統合で「ほくほくファイナンシャルグループ」を形成して現在に至っている。

北海道の歴史に深い縁が在る他県に本社を構える会社の看板が、目立つ場所、判り易い場所に在るのも一寸面白い。そういうことが面白いと思うのだが、同時に「あの看板が在る辺りは…」と頭の中で、「歩き廻る際の目印の一つ」というように認識もしてしまっている。多少、苦笑いが漏れる。

<旧 三井銀行小樽支店>(2023.10.01)

↓大変に重厚な建物である。
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↓出入口の設えが立派で、中に入ってみようとすれば些か緊張しないでもない。
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↓古い建物は、細かい装飾も手が込んでいる。
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↓現在、この建物は美術館ということになっていて、施設名が入口に掲げられている。
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1927(昭和2)年に竣工したという<旧 三井銀行小樽支店>だ。鉄骨鉄筋コンクリート造で、外壁に花崗岩を使っているという、なかなかに立派な建物だ。竣工して以来、「三井銀行小樽支店」、「帝国銀行小樽支店」、「三井銀行小樽支店」、「太陽神戸三井銀行小樽支店」、「さくら銀行小樽支店」、「三井住友銀行小樽支店」と銀行の組織改編や改名を経ながら、2002年に至るまで一貫して銀行店舗として利用され続けていたのだそうだ。(現在、三井住友銀行の支店は札幌支店に統合されていて、小樽には無い…)

去る5月にも辺りを通って建物外観を眺めていたが、「中の見学」をしようと訪ねたのだ。漸く念願が叶う感である。

↓昭和の初め頃迄の銀行のような建物に見受けられたような雰囲気…
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広めなホールを利用し、何かの研究発表会が催されていて、些かの制約は在ったが、中を見学することが可能で、写真を撮っても構わないようになっていた。そこで入場券を求めて入った次第だ。

↓吹き抜けの広い空間が設えられている。1階は銀行店舗等として利用される部分が広い面積を占め、上階はその1階を囲うような具合になっている。
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↓金庫室だ。
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↑この分野では非常に高名だった米国のモスラ―社による金庫であるそうだ。広島市内では同社の金庫に収められた書類等が、原爆に被爆した後にも無事だったという挿話が在るそうだ。そんな代物が小樽にも在る訳だ。

↓金庫室の隣の部屋だ。
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↓こういうような空間の設え方、使い方がなかなかに贅沢であると思った。
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↓階段を上がってみた。
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↓独特な趣が在る階段だ。
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↓上階から見た感じだ。
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↓やや大きな会議室が在った。
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↓支店長以下の幹部達や外部からの人達が集ったのか?または本店から立場の在る人達がやって来て会合でも催したのか?重厚な雰囲気だ。
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↓グルグルと廻りながら建物内の様子を眺めた。
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↓地下にもモスラ―社の金庫が据えられている。
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↓こちらは貸金庫だった場所だ。
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↓利用者に割り振られたボックスが並んでいるのだ。
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↓廊下の鏡が曇らない程度に防湿状態は良好であるようだ。
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初めて「内部」を見学したが、面白かった。再訪したい場所だ…

<小樽商工會議所>=旧 小樽商工会議所(2023.10.01)

↓美しい建物だと思う。何度も見掛けているが、辺りを通る都度に何か足が停まる。
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↓1933(昭和8)年竣工の小樽商工会議所の建物なのだが、当時は「鉄筋コンクリートのビル」を設えること自体が「凄く特別」で、特別に石材も取り寄せて装飾を施したのであろう。
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↓ホテルとして建物が利用されるようになったと聞くが、何時か滞在する機会も設けてみたいというようなことも思う。
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生ラムジンギスカン…:出抜小路 <小樽ジンギスカン倶楽部 北とうがらし>(2023.10.01)

↓小樽運河に近い辺りに、酷く目立つ構造物が在る。
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↑「出抜小路」と称し、色々な種類の飲食店等が集まっている場所だ。

↓「ジンギスカン」の文字に惹かれた。昼食には好適と見受けられるような時間帯でもあった。
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↓暖簾も掲げられ、ランチタイムの営業中だった。
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↓カウンターのみで、10人かもう少々多く入れば一杯になるような御店だった。二人連れ、三人連れと他の人達が在って、そこに自身が一人で加わった形だ。
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↓とりあえずハイボールを頂きながら、料理の設えが整うのを待つこととした。
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↓分厚い鋳鉄と見た。年季が入った古風なジンギスカン鍋が、炭火を熾している七輪に載せられている。
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↓御店の方が、古くからのジンギスカンの「作法」で確りと野菜をジンギスカン鍋に載せてくれる。
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↓生ラムは、タレで事前に味付けしているのでもない。焼いてからタレを点けるようになっている。
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↓こういう具合に分厚い鋳鉄と見受けられる鍋に肉を載せて焼く。
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↓肉が焼き上がる。炭火の火力の故か、直ぐに焼ける…
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「実に素晴らしいではないか!このジンギスカンは!」と嬉しくなり、夢中で肉を焼いて、適宜野菜と合わせてタレに付けてドンドン頂き、平らげて大満足だった。「佳かった!」と悦に入りながら、「妙な事態…」に気付く羽目に陥った。ハイボールが殆ど全部残っている。ラム肉と野菜とを分厚い鋳鉄の鍋に炭火で焼き、ガツガツと頂いている間に飲物は如何でも構わなくなっていたのだった…

↓キムチを御願いして、それを摘まみながら残ったハイボールをゆったりと頂き、ジンギスカンの余韻に浸った。
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こういうような「一寸した肉の料理」というモノが、北海道内では意外に好いのかもしれない。そんなことを想っていた。小樽に限らず、北海道の方々で巧いジンギスカンのようなモノは頂ける。が、この小樽の御店の「分厚い鋳鉄の鍋と炭火」というのは素敵だ!

ジンギスカンで栄養を着けて、南小樽駅に近い住吉神社迄、ゆっくりと歩いた訳だ…

住吉神社…:小樽(2023.10.01)

航海安全、交通安全、商業農業の祖神として信仰を集めているという「住吉三神」は各地の神社で祀られている。海運や漁業、更に商工業の街として、海陸交通の要衝としての経過が在る小樽でも、「総鎮守」として祀られている。

↓その小樽の住吉神社へ足を運んでみた。
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所用のために札幌へ出た。翌日の所用迄に間が在る訳だが、天候も好かったので小樽に出て散策をしてみようと思い立った。列車で小樽駅に出て、歩いて住吉神社を訪ね―文字どおりに「足を運んだ」のだった…―、南小樽駅から札幌駅へ列車で引揚げたのだった。住吉神社は南小樽駅から緩やかな傾斜を少し上ったような、歩いて10分も要しないような辺りに在る。

1864(元治元)年に「ヲタルナイ」「タカシマ」両場所の総鎮守として住吉大神を勧進するということになり、蝦夷地を統括した箱館奉行が寺社奉行に掛け合って、1865(慶応元)年に「ヲタルナイ運上屋の最寄りの地へ勧請奉祀」が許された。やがて1868(明治元)年に現在の神社の基礎となる社が起る。住吉神社は明治期以降の地域の歴史と共に歩むことになったのだ。

↓古くから多くの人達の尊崇の対象となっていた住吉神社は、小樽で成功した実業家達から色々と寄進を受けた経過が在る。そういう旨が紹介されていた。
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↓緩やかな石段が組み合わされ、小高い辺りに色々な建物が見受けられる。
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↓1934(昭和9)年竣工という社務所は凄く立派で、大変に栄えた小樽の総鎮守としての威光が感じられる。
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↑小樽市の「指定歴史的建造物」だが、現在も普通に使用されている社務所だ。

↓街や港を見守り続けた総鎮守の持つ、名状し難い「何か」を感じる。「雰囲気」が在る場所だ。
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↓新しいモノだと思ったが、手水鉢の龍が好い…
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↓参拝をした。日々、無事に過ごしていることへの感謝の意を表した…
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↓雰囲気の好い境内だ。
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↓静かと言えば静かであったが、日曜日であったことから参拝する人達も存外に視掛けた。
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↑時節柄か「七五三参り」の皆さんを何組か見掛けた。カメラマンが登場し、両親と着物姿の幼い姉妹が記念写真を熱心に撮っていた…

↓地域の歴史と共に在り続け、現在でも人々に親しまれているという社は好い感じだ。
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↓御朱印も頂いた。専ら書置きということになっていたが、「海辺の街の総鎮守」ということを想わせる柄の、少し凝ったモノが在った。
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以前にも住吉神社は訪ねていたが、年末だったので初詣の備えで何やらゴチャゴチャとしていたようで、ブログに写真を掲載していないようである。そこで今般は写真を掲載した訳である。

<小樽出世前広場>…(2023.10.01)

小樽の堺町通を何気なく歩けば、不意に英語で話し掛けられた。外国人の家族連れか何かで、「写真のシャッターを…」ということだった。最近は「写真=スマートフォン」で、液晶画面の上の指定箇所を押す“タッチパネル操作”だ。実は酷く苦手である。「如何なっている??」と判らない場合も多々在る。そういうことを頼まれた時は「チェックを!問題は無いだろうか?」と尋ねることにしている。今般は尋ねて正解で、何やら画が記録されていない様子だったので再挑戦で巧く運んだ。

↓その一行が記念写真を撮って去った場所がここだ。
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↑何か順番待ちの人達が見受けられるような感じの場所だったが、折良く人通りが途切れた瞬間に「面白い!」と思って写真を撮った。

↓大き目な旧い建物が並び、それを利用している場所であるが、路地のような様子の場所に傘を沢山飾っている。
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↓こういう設えは今季から始めたようだ。好評を博し、9月末まで延期したということなのだが、片付けてしまう前の段階で観られたということになる。或いは少し運が好かったかもしれない。
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こういう「一寸したこと」も今季は多く見受けられ、加えて街の人出が増えているように見える場所も多い。小樽でも「少なくとも日本語ではないと思われる話し声」を耳にした場面も多かった。国内外各地の人達が行き交うようになって来た。

それにしても…写真は普通のデジタルカメラで撮りたい…

ロールスロイス シルバーシャドウ:小樽市総合博物館 自動車展示館(2023.05.14)

小樽の博物館には様々な展示が在るのだが、夏季は屋外の展示が観られるのが好い。

↓屋外の展示が観られる場所の一隅に建物が在る。
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↑建物の中に展示が在るのだが、場所の関係上、出入りして展示を観られるのは夏季のみとなる。

↓中にはこういう展示が在る。
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↑これは俳優、歌手として活躍した石原裕次郎(1934-1987)の愛車であった<ロールスロイス シルバーシャドウ>である。

石原裕次郎は海運会社に勤務した父親の仕事の関係で、神戸で産れた後、小樽で幼少期(3歳から9歳)を過ごし、以降は逗子に在ったという。小樽には縁が深いと言える著名人である。

この石原裕次郎に所縁が深い小樽には、1991年に「石原裕次郎記念館」が開館した。人気ドラマで使用された車輌や、石原裕次郎の愛車が展示されていた。建物を老朽化等により、2017年に記念館は閉館した。その後、同館に展示されていた<ロールスロイス シルバーシャドウ>は小樽市に贈られた。大変に著名な、小樽に足跡の在る石原裕次郎の事績等を長く伝えるべく、車輌は博物館に展示されることとなったのだ。

↓石原裕次郎の等身大パネルと並んで、彼の愛車が展示されている。
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↓これは博物館で初めて一般に公開されたということだが、石原裕次郎御本人が使っていたガソリンスタンドのカードや、「自動車安全運転センター」の安全運転証明書というモノも展示されていた。
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↓石原裕次郎は、丁寧な造りで頑丈な、この車を愛していたようだ。
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こうした「地域に縁の在る著名人に所縁の品」というような展示は面白いと思った。そして、この<ロールスロイス シルバーシャドウ>は、多分長く使ったと見受けられるが、酷く状態が好いことにも驚かされた。面白い展示を拝見した。

X-Pro2にXF10-24㎜F4を装着…(2023.05.14)

↓小樽駅に近い辺りで、カメラのレンズを交換した時に撮った画だ。X-Pro2の姿をX100Fで撮った。
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↑左端の大き目なポーチにXF10-24㎜F4を容れて持ち歩いていた。X-Pro2にはXF16㎜F2.8を装着した状態であったが、換えたのだ。XF16㎜F2.8はポーチに容れて持ち歩いた。

X100Fが凄く気に入り、「少し違う画角の画…」という想いで、レンズ交換が可能なX-Pro2を入手したという経過だった。「少し違う画角の画…」という想いは在るが、それほど多彩なレンズを所持して使っているのでもない。が、それはそれとしてカメラやレンズは何れも愉しく使っている。

この画に写っているXF10-24㎜F4やXF16㎜F2.8は相対的に出番が多いかもしれないと思っている。X100Fに搭載の23㎜レンズも、XF16㎜F2.8レンズも、その画角はXF10-24㎜F4の範囲と被ってしまう。が、それで構わないと思っている。

XF10-24㎜F4については「X100Fと殆ど同じ画角で持っていて、撮る場面で広い範囲が視えるようにズーム」という使い方をすることが最近は増えた。以前は10㎜側で持って、24㎜側にズームしていた。結局、X100Fの画角に慣れて、それを基準に「もう少し広い範囲…」と考える場合が増えたのであろう。何時の間にか思考の傾向が替り、やることが「逆転」したのであろう。

XF16㎜F2.8については「やや広い画角」と最初から決まっていて変わらないので、少し広い範囲の画を量産するだけである。そしてXF10-24㎜F4より軽快であるのが好い。

広角系のレンズに関しては、「観た景色」という感じの画に好適であると思う。「広角系」の範囲ではあるかもしれないが、X100Fに搭載の23㎜レンズになると「眼前の様々な大きさのモノ」を「概ね何でも…」という具合に撮れるような気がする。そしてX100Fは、単焦点レンズを装着したX-Pro2より「更に軽快」であるのが酷く気に入っている。

大概、出先ではカメラ1台と交換レンズのポーチ等を入れたバッグを肩に掛け、電源を“ON”にすれば直ぐに使える状態のカメラ1台を提げて辺りを歩き廻るような感じだと思う。バッグに入るレンズは、XF10-24㎜F4が最も大きいモノで、他は小ぶりな単焦点レンズばかりだ。バッグは「カメラ機材を容れています」という雰囲気でもない、「その辺で用事を足す時の何気ない持物」という雰囲気だ。場合によって、「2号機」を敢えて持ち歩かない感じにする場合も在るが。

今般、小樽でもここで言及した機材である「X-Pro2にXF10-24㎜F4を装着」が活躍した。これからも使い続けると思う…

小樽駅を発つ…(2023.05.15)

小樽で過ごし、所用のために札幌へ向かうことにした。

↓札幌方面の列車の発車案内を見てホームに出た。「るたお」と旧い方式で「おたる」と書いている看板が在った。
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↓7時26分の「札幌・新千歳空港」という行先表示の列車だが、これは札幌駅迄が各駅に停車する普通列車で、札幌駅から先の新千歳空港駅までが<快速エアポート>として運行される列車だということだ。
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↓ホームに佇んでいると列車が到着した。
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↓小樽駅で多くの乗客が下車した。そしてそのまま折り返し運転で「札幌・新千歳空港」という列車になる。
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↓列車の最後尾側で着席した。721系電車の座席は居心地が好い…
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↓こんな感じの酷く「収まりが好い」という感じの場所に陣取った。
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小樽駅を発車する時点では然程混んではいないのだが、少しずつ通勤・通学というような乗客も多くなって行く列車だった。札幌駅迄、この列車で移動したのだった。

何年か前に札幌で所用が在った際、最後に小樽でも所用ということで「宿を動くのが面倒なので、用の期間中は小樽に陣取る」としたことが在った。札幌の所用に関しては、都度小樽から通って、用が済んだ時点で小樽へ引揚げるようにしたのだった。それが何となく気に入っていたということで、今般は札幌の所用に関して小樽に宿を求めるということをした訳だ。小樽も泊まってゆったりと滞在するのが心地好いという感じの場所だと、改めて思った。

旧 久保商店:小樽・堺町通:早朝(2022.05.14)

↓古い建物が連なる通を、「貸切?」という感じな早朝に歩き廻ると、「時間と空間を超え…」というような不思議な気分が沸き起こる場合も在る。
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↑北海道内で「古い建物」とでも言えば、ぼんやりと思い浮かぶのはこういう感じであろうか?

↓少し離れて全般が判り易いように眺めてみた。
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↑1907(明治40)年頃の建物であるという。

自身は、幼少期に「新興住宅地の草創期」というような状況下に在った関係で、「少し旧い時代に行き交ったモノの音や、人々の話し声が聞こえそうな古い建物」というモノに憧れのような何かを抱いているのかもしれない。そういうことなので、「商都」として街が発展していた明治期や大正期の雰囲気を想像させてくれる建物が幾つも見受けられる堺町通は非常にこう見b会場所だ…

旧 塚本商店=現 後藤商店(2023.05.13)

↓なかなかに重厚な建物だ。
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↑建物の先、画の奥で道路が交差している。そこを左折して進むと小樽駅の方向だ。右折して進めば小樽運河である。

↓建物には「後藤商店」の看板が掲げられている。しかしこの建物は「旧 塚本商店」として「小樽市指定歴史的建造物」に指定されている。「第68号」だそうだ。これを知って、少々の苦笑いが漏れた…
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小樽では1904(明治37)年の火災で甚大な被害が発生したことから、それ以降は「燃え悪い建築」という意識が高まり、色々と工夫が施された。

↓1920(大正9)年に完成したというこの「旧 塚本商店」は、外壁をコンクリートで塗り固め、出入口や窓を防火戸で覆う工夫が施されている。
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↑昔ながらの店舗兼住宅の大きなモノという感の形だが、往時の少し新しい工夫であったコンクリートで塗り固める壁を採用していた訳だ。

入ってみた経過はないが、飲食店が入居しているようだ。なかなかに存在感が大きな建物だ。

<小樽商工會議所>=旧 小樽商工会議所(2023.05.13)

堺町通から、嘗ての銀行の支店等の立派な建物が見受けられる辺りに進み、小樽駅前から運河に延びている通へ通じる辺りに足を踏み入れる。

↓旧い字体が入口に掲げられているような様子の建物を見掛けると、足を停めて「これは?」と注目してしまう場合も在る。
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↑1933(昭和8)年に竣工したという旧い小樽商工会議所の建物だ。

昭和初期の貴重な鉄筋コンクリート造建築であるが、外装は彫刻も施した石で、玄関には大理石も使用されているのだという。地元の建築家が設計を手掛け、地元の会社で施工したのだそうだ。

↓独特な存在感を放つ建物だ。少し見入ってしまう。
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この建物に関しては、改修を施し、隣接地に新しい建物を建て、両者を合わせて宿泊施設にするという話しが在った。諸般の事情で計画実現が危ぶまれた時期が在ったようだが、2022年に無事に開業している。「北館」と呼ばれるそうだが、新しい建物の側が出入口である。辺りに車輌が気になる程に少し多く駐車中だったので、そちらの写真は撮っていない。旧い商工会議所の建物は「南館」と呼ばれるそうだ。

旧い商工会議所は銀行等の企業が多々立地した辺りに建っていて、美しい建物は現在も利用されているのだが、現在の商工会議所は小樽駅に近い<小樽経済センター>というビルに入っているという。

小樽に関しては、「札幌に泊まって滞在中に時間を設けて寄ってみる」という来訪者が目立つことから、「小樽で泊まる“理由”になるような宿泊施設」ということになり、この旧い商工会議所の建物を利用することが計画されたようだ。少し興味深い…

<旧 三井銀行小樽支店>:午後(2023.05.13)

堺町通から小樽駅が近い辺りへ通じる道を目指して歩を進めた。

↓<小樽藝術村>と称する、数棟の建物から成る美術館の一部として使われているという建物なのだが、非常に重厚な壁で、歩を停めて見入っていた。
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↑鉄骨鉄筋コンクリート造で、外壁に花崗岩を使っているということだが、これは1927(昭和2)年に竣工した建物であるという。

以前に眺めて写真に撮った際にも確かめたが、竣工して以来、「三井銀行小樽支店」、「帝国銀行小樽支店」、「三井銀行小樽支店」、「太陽神戸三井銀行小樽支店」、「さくら銀行小樽支店」、「三井住友銀行小樽支店」と銀行の組織改編や改名を経ながら、2002年に至るまで75年間程にも亘り、一貫して銀行店舗として利用され続けていたのだという。75年間の経過ということで登場する銀行名を追うだけで、何やら「日本の銀行業界の歴史」が滲む感じがする。

昭和の初めには、金融取引に関して小樽は大きな存在感を放っていて、全国展開しているような銀行が立派な建物を建てて支店を設けた。が、全国展開しているような銀行が北海道の拠点として支店を設けるのであれば札幌が好いという様子になっているのであろう。北海道の諸都市の中で、札幌の存在感は他を寄せ付けない程度に巨大になっているのだ。そういう事情で、三井住友銀行の時代に入って、小樽支店は札幌支店に統合という形になり、この建物が空いた訳である。

辺りの<小樽藝術村>という美術館として利用されているという建物の外観は何度も眺めているのだが、美術館に入ってみたことが無かったことに思い至った。そして「そのうちに時間が在れば…」という程度に考える。しかし、“時間”は「在れば…」ではなく「創る」とか「設ける」という性質のモノであるとも思う。

小樽から引揚げて然程時日を経たのでもないのだが、そして今般は「かなりゆっくり愉しんだ」という気で居るにも拘らず、「次の機会の“課題”」に続々と思い至ってしまう。

旧 名取高三郎商店:小樽・堺町通:午後(2023.05.13)

「堺町」と書いて「さかいまち」または「さかいちょう」と読む地名は各地に見受けられるようだ。

新潟県長岡市、愛知県豊川市、京都市、大阪府岸和田市、兵庫県姫路市、岡山県津山市、広島市、高知市、北九州市に例が見受けられるらしい。序に鳥取県倉吉市にも「堺町」が在るらしいが、読み方は「さかえまち」であるという。

随分と多々在って、各々に由来も在るのであろうが、小樽にも「堺町」は在り、辺りが「堺町通」と呼び習わされている。街が興って行く経過の中、「2つの地区の境界」という意味合いで「堺町」という呼び方が起こったようだ。

小樽の堺町は古くからの商業地区ということになる。火災が繰り返されたことを踏まえ、明治時代の終わり頃に燃え悪い石、コンクリート等を用いた建物が登場した。それらは多く遺され、現在に伝わり、店舗等として利用されている例も多く在る。散策してみると、何か興味深い場所でもある。

やや早目な夕食の後、その堺町通に到った。
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↑防火の意味も在るという“卯建”(うだつ)の大きなモノが設えられている、個性的な外観の建物だ。外壁は石材だ。

↓少し近寄って、独特な造りの建物を眺めた。
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↓「小樽市指定歴史的建造物」の案内看板も在る。この<旧 名取高三郎商店>は指定されているのだ。
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↓小樽駅が近い側へ通じる道を目指して堺町通を離れようとした時、この個性的な建物の外観を今一度眺めた。
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小樽から引揚げて然程時日を経たとも言い悪いが、早くも「堺町通へまた…」と思い始めていることに気付く。

一等客車「い一号」:小樽市総合博物館(2023.05.14)

↓蒸気機関車の<しづか>の隣りに客車が鎮座している。
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↑<一等客車「い一号」>というそうだ。1892(明治25)年に現在の小樽市総合博物館の辺りに在った「北海道炭礦鉄道 手宮工場」で造られた客車であるのだという。台車は米国からの輸入品で客室部分を手宮工場で造ったそうだ。

↓少し入って中の様子を伺うことも出来る。
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「い一号」の“い”であるが…古く客車は“一等車”、“二等車”、“三等車”に分類され、“一等車”の車輌には“イ”、“二等車”の車輌には“ロ”、“三等車”の車輌には“ハ”の記号が充てられた。これは永く受継がれていて、例えば「キハ54」の「ハ」は三等車の流れを汲む普通客車なので使用されている記号であり、二等車の流れを汲むグリーン席客車では「ロ」の記号が使われている。そんなことを思い出していた。

↓進入可の辺り迄入り込んで中の様子を観た。
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↑細長く、両側が窓なので鉄道車輛という雰囲気は色濃いが、なかなか好い内装だ。ストーブが据えられたサロンのような雰囲気である。自身ではそういう仕様の車輌に乗車した記憶は余り無いが、北海道では古くは客車内にストーブという例は色々と在ったようだ。それはそれとして、ストーブもやや細工が細かいのが面白い。

この客車は「貴賓車」として扱われ、来訪した韓国皇太子が乗車したというような経過も在ったそうだ。やがて札幌の定山渓鉄道に払い下げられて利用され、使用されなくなって時間が経ち、1963(昭和38)年に国鉄に寄付された。そして小樽市総合博物館の前身の一つになっている国鉄の「北海道鉄道記念館」に保存・展示されて現在に至っているそうだ。

こういう古い時代の車輌を眺めるのも少し面白い。様々な様子を想像してしまう…

米国製蒸気機関車=7100形蒸気機関車の製造銘板:小樽市総合博物館(2023.05.14)

↓こんなモノが展示されていた。
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↑1880年製造の1号機が<義經>(義経)、2号機が<辯慶>(弁慶)、1882年製造の3号機が<比羅夫>、4号機が<光圀>、1884年製造の5号機が<信廣>、1885年製造の6号機が<しづか>と愛称が与えられているのだが、それらの機関車に着いていた製造銘板のレプリカだ。

↓直ぐ傍に展示されている<しづか>だが、左側の筒状になっている場所に銘板が着いているのが判る。各機にもこういう要領で銘板が着いていたのだ。
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↓1号機の<義經>(義経)の銘板。<義經>(義経)は京都の博物館に在る。
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↓2号機の<辯慶>(弁慶)の銘板。<辯慶>(弁慶)は大宮の博物館に在る。
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↓3号機が<比羅夫>の銘板。
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↓4号機の<光圀>の銘板。
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↓5号機の<信廣>の銘板。
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↓上記の着いている例を示した6号機の<しづか>の銘板。
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北海道にやって来た機関車の製造記録や残っている実物の銘板を細かく調べて、各機の銘板を特定して再現したのであろう。何れも製造開始年次と思われる年号と、工場での通し番号と思われる数字が在る銘板だ。

明治時代の機関車には史上の人名が採られたのだが、如何いうモノであれ、乗物に愛称が冠せられるというような感じは、個人的には好きだ。

義経と弁慶の主従については、平泉の戦いの後に抜け出して遠く北海道へ渡ってというような伝説も在るようだ。そういうことで、北海道で走る機関車に命名したのか?そして暫く経って、機関車を増備する際に「別れてしまっていた静が義経を追って北海道へ…」と<しづか>と命名したのだろうか?色々とかってに想像するのだが、<しづか>の後に同形機が増備された際には、こういうような愛称は無かったそうだ。

少し興味深く拝見した展示を記憶に留めたい。

<キハ82>:小樽市総合博物館(2023.05.14)

↓左の蒸気機関車<C55 50>に対し、右の特急列車用のディーゼルカーである<キハ82>も好い。長く活躍した型の車輌だ…
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↓列車愛称をカラーのイラストマークで掲出するのが一般的になり、現在もやっているので当然化しているが、それ以前は文字で愛称を示すだけだった訳だ。表示されている列車愛称は<北海>だ。
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<北海>という列車は、函館から「山線」と通称される古くからの函館本線を経て小樽を通り、札幌に入ってから旭川を目指す特急列車として登場した。後に「山線」経由の函館・札幌間の列車ということになる。

小樽では「特急のディーゼルカー」が現れる時は専ら<北海>であった訳で、ここの展示車輌も<北海>を掲出した状態なのだと思う。小樽を通る特急列車だが、1986(昭和61)年に<北海>が廃止となっているので、以降は「臨時列車」が運行される場合のみとなっている。(小樽を通る臨時の特急に乗車の機会が在った。停車時間等の都合だったと思うが札幌駅を出る前の臨時特急の写真だ。)函館・札幌間の特急列車に関しては、海側の苫小牧や東室蘭を経由する経路の列車が専らとなって久しい。

キハ82については、四国地方以外の全国各地で運用された経過が在る。車輛の変遷等を伝える、この博物館のような場所には相応しい車輌かもしれない。JR化の後、JR東海とJR北海道がキハ82を受継いで運用を続けたそうだ。キハ82は1990年代迄に定期運用を外れ、後継車種の部品取り等も含めて解体ということになった他、イベント列車、ジョイフルトレインというような形に改造を施される例も在ったが、2009年頃迄にそれらも廃止された。

キハ82には、記憶は朧気であるが、何度かは乗車したことが在ったと思う。ここで展示中のキハ82を少しぼんやりと眺めたのだった。

<C55 50>:小樽市総合博物館(2023.05.14)

↓日本国内で「蒸気機関車」とでも言った時に想い起すような形状は、こういうような感じであろうか?C55形蒸気機関車が在る。
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↓小樽市総合博物館では、こういう具合にディーゼルカーや電気機関車と並んで置かれている。昭和40年代半ば位であれば、実際に何処かの大きな駅でこういうような感じも視られたのかもしれないと想像した。
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C55は、1935(昭和10)年から1937(昭和12)年の期間に62輌製造されたそうだ。4社で手分けして製造されたようだが、<C55 50>は<汽車製造>という会社で1937(昭和12)年に製造されたという。北海道も含めて各地で活躍した型だ。

↓形式の「C55」と機番の「50」が在るプレートの左側の斜め下に「旭」と在る。これは旭川の機関区に在ったということだ。
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<C55 50>は旭川を拠点としていて、宗谷線でも走っている。稚内にも何度も来ていた蒸気機関車だ。因みに、稚内では嘗てこのC55の49号機が在ったが、戸外展示で傷みが激しくなり、解体撤去してしまった。そういう経過が在るので、この小樽の50号機は永く大切に保存して頂きたいと思っている。改良型で、より生産数が多いC57に比べて、C55は保存されている数も少ないのだ…

2019年5月に観た経過も在ったのだが、「その時よりも少々…?」と思った面も、些か残念ながら在った。が、それはそれとして、またこれに会いに博物館を訪ねたい感だ…

<C12 6>:小樽市総合博物館(2023.05.14)

↓少し久し振りに出会ったような気がした蒸気機関車だ。この後ろ寄りから近付いた。
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↓C12形である。2019年5月に観た経過も在った。
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↑石炭や水を積載するテンダーを連結しないタンク式の機関車である。走行可能な距離は少々短くなるが、身軽に様々な路線に入り込むことが出来るという好さが在る。

1932(昭和7)年から1940(昭和15)年の期間、そして間隔が開いて1947(昭和22)年に製造されていて、総数は282輌に上るというが、写真の6号機は1933(昭和8)年製だという。

こういう車輌を眺めるのが好きで、思い付いて博物館に寄ったのだった。非常に好かった。

早朝の小樽駅…(2023.05.14)

早朝に街へ出て散策をすることとした。

↓横断歩道を渡る時、中央分離帯の辺りに佇み、提げていたカメラを使った…
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↑日曜日の早朝5時半過ぎというような時間帯の静寂である。早朝から好天でもある。

こういう「何気ない眺めの写真」、または「だから?」というような画が、後から観て凄く好い感じである場合も多い…