<龍宮神社>:小樽(2023.05.13)

特段に大袈裟な荷物を持っていた訳でもないのだが、滞在する宿に荷物を置いて身軽になると、何か酷く晴れ晴れとした気分にもなり、辺りを少しばかり散策してみたくなる。そういう思い付きに身を任せ、小樽の街へ出た。

↓小樽駅前の道を、バスターミナル等とは逆な側へ進むと、坂道の上り口のような場所を経て、こういう鳥居が在るのに出くわす。
13-05-2023 X100F (75)

↓鳥居を潜って坂道を進めば、こういう石柱が在る。
13-05-2023 X100F (76)
↑<龍宮神社>の入口だ。

箱館の戦いで、幕府方の指導者として政府軍と戦った榎本武揚は、後に政府に出仕て開拓使の仕事をすることとなった。

その榎本武揚は1876(明治9)年に「北海鎮護」と献額し、北海道への移民の安寧を願って、アイヌ達が祭礼を行っていた場所でもある現在地に社を起こした。その後、有栖川野宮熾仁親王の揮毫を頂いたことで<龍宮殿>と号したが、一条実孝侯爵の揮毫を頂いたことから1916(大正5)年に<龍宮神社>と改称して現在に至っているのだという

↓静かな境内に上ってみた。
13-05-2023 X100F (77)

↓社を起こしたという榎本武揚の銅像も在る。
13-05-2023 X100F (78)

↓榎本武揚の紹介も掲出されている。
13-05-2023 X100F (79)

↓何度か立寄った経過も在る龍宮神社だが、また立寄る機会が在ったこと、無事に小樽に着いたことに感謝の意を表すべく参拝した。
13-05-2023 X100F (81)

↓運河の側、海の側へ下り坂の道が視える。神社辺りから運河や海の側とを結ぶ通が、<龍宮神社>に因むのだと思うが、「龍宮通」と呼ばれている
13-05-2023 X100F (82)

小樽駅から然程遠くないような辺りに、辺りが少しずつ拓かれた経過を想起させる、比較的知られた史上の人物に所縁が深い場所が在るのは興味深い。少し気に入っている場所だ。

<旧北海製罐倉庫株式会社>(第3倉庫)…(2023.05.14)

↓何度も眺めている建物だが、何気なく見入ってしまう。不思議な迫力が在る建物だと何時も思う。
14-05-2023 X-Pro2 (224)

2023年3月2021年8月2020年7月と立寄っているが、寄る都度に眺めたくなる場所だ。今般は雪が残っていた2023年3月よりも圧倒的に歩き易く、好天であったので、正直なところ少し歩き過ぎで消耗気味でありながらも、心地好く歩き廻っていた。

↓缶詰に使う缶を製造販売する会社の施設であった建物だ。画の建物は<第3倉庫>と呼ばれるそうだが、大正時代後期から昭和の初めに整備されたという4棟が「小樽市指定歴史的建造物」に指定されているのだという。
14-05-2023 X-Pro2 (223)

↓何か「小樽の産業史」を伝える貴重な建物であると思う。
14-05-2023 X-Pro2 (225)

小樽に関しても、少しずつ「眼に馴染んだ」、「気に入った」という眺めが増えているのかもしれない。そういう「付き合い方」が、他所の土地を訪ねる場合には愉しいのかもしれない。

日和山灯台…:小樽 祝津(2023.05.14)

↓岬の小高い崖の上に灯台が在る…
14-05-2023 X-Pro2 (137)

↓小さな山のような地形の場所をゆっくり上るとこの灯台に近付くことが出来る。
14-05-2023 X-Pro2 (131)

↓旧い書体で看板が据えられている。「日和山灯台」(ひよりやまとうだい)という。
14-05-2023 X-Pro2 (130)

↓1883(明治16)年に、ここに灯台が設置された。小樽の海域の大切な灯台である訳だ。現在のコンクリート造の灯台になったのは1953(昭和28)年で、1986(昭和61)年に改修されているのだという。
14-05-2023 X-Pro2 (132)

↓この種のモノは近くで観ると凄く存在感が在る。
14-05-2023 X-Pro2 (134)

↓凄く爽やかな眺めである。
14-05-2023 X-Pro2 (139)

↓眺望が素晴らしい…
14-05-2023 X-Pro2 (138)

何やら「北国の初夏」というようなことも思うような、好天で少しだけ気温も上昇するような中で、寒風が強いのでもないという様子だった。気分は「一寸したハイキング」という感じだったかもしれない。今般は天候に恵まれ、小樽の風情を満喫出来たような気がする。そういうことに感謝したい…

<小樽あんかけ焼きそば>…(2023.05.13)

札幌での所用に先駆け、小樽に辿り着いて滞在するという段取りにした。早朝に稚内を発ち旭川に到り「臨時急行」というモノを見送り気に入っている車輛による列車に乗り、札幌に到って一息入れてから小樽へ移動したのだった。

やや強い安堵感の中、宿にモノを置いて辺りを少しだけ動き回り、やや早い夕食を愉しもうとした。

↓<小樽あんかけ焼きそば>というモノを頂いた。
13-05-2023 X-Pro2 (13)

その起こりには諸説在るようだが、小樽では昭和の時代からこの「あんかけ焼きそば」の人気が高いのだという。方々の御店の人気メニューなので、「小樽の地元の人達の間で好評を博している」ということで、何時の頃からか<小樽あんかけ焼きそば>と称しているようだ。

↓小樽運河の眼の前に在る「出抜小路」(でぬきこうじ)という飲食店街に在る御店で、この「あんかけ焼きそば」を前面に押し出していた。
13-05-2023 X-Pro2 (2)

↓何か凄く惹かれて、思わず立寄った…
13-05-2023 X-Pro2 (6)

↓魚介類や肉やウズラ玉子等、様々なモノが入った「あんかけ焼きそば」である。この種のモノはかなり好きで、非常に愉しく頂いた。
13-05-2023 X-Pro2 (11)

こういうような「“普段着”の一皿」に何となく巡り合うのが好い…

八重桜…:小樽運河周辺(2023.05.14)

早朝の小樽を散策した。

↓小樽運河に近い辺りで眼に留めた。
14-05-2023 X-Pro2 (46)
↑咲き誇る八重桜が「ハート形」を形成しているようにも見える。面白い。

八重桜は他の桜よりも花の時期が少し遅いようだ。今般、随所に八重桜が咲いている様子が見受けられた。小樽運河周辺にも幾分植えられているようだった。

↓出先で花が咲いている様子に出くわすと「地元に歓迎して頂いている…」という程度の、少し嬉しい気分になるものだ。
14-05-2023 X-Pro2 (47)

↓「八重桜」の名に違わず、花弁が幾重にも折重なっているような花だ。
14-05-2023 X-Pro2 (48)

今般の小樽に立寄ったということに関しては、「八重桜が美しい時季だった」というように記憶することになるように思う。

恵比須神社…:小樽 祝津(2023.05.14)

小樽に祝津(しゅくづ)という地区が在る。海辺だ。祝津は鰊漁の故に、相対的に早くから拓け、そして大変に栄えていた経過が在る地区である。小樽駅前から祝津へのバスは、本数が酷く多くもないのかもしれないが、「ハッキリ言って使えない…」というように少な過ぎるのでもない。程好いかもしれない。訪ねて面白い筈と考え、祝津へ足を運んだ。

↓好天に恵まれ、次第に気温が上がっていた中、こういう鳥居を眼に留めた。
14-05-2023 X-Pro2 (118)
↑小さな山、或いは丘陵というような感じの小高い場所が連なるように在って、細目に海岸部の平地が在るという地形だ。その海岸部から高い場所へ上るようになっている。

↓少し急な坂道が連なる中を上ると古い神社が在る。
14-05-2023 X-Pro2 (119)

↓何やら趣が在るのだが、この奥に覆屋が在って、そこに据えられている本殿が1863年の建築と言われている。小樽市内に現存する最も古い木造建築と見受けられるというのだ。
14-05-2023 X-Pro2 (120)

↓神社は1774年に創建と伝わるそうだが、その創建の頃から在ると見受けられる木が在った。
14-05-2023 X-Pro2 (122)

江戸時代には鰊漁が始まり、関係者が往来、または住むようになったという祝津である。神社もそういう中で起こったのであろう。そして神社は地元で受継がれた訳だ。

↓他にもなかなかに大きな木が在った。
14-05-2023 X-Pro2 (125)

↓振り返ると鳥居越しに海が見えた。
14-05-2023 X-Pro2 (124)

↓石の鳥居の柱に「紀元二千六百年」と刻まれている。“皇紀”である…
14-05-2023 X-Pro2 (126)

↓反対側の柱に「昭和十五年」と刻まれている。“皇紀”の「紀元二千六百年」は1940(昭和15)年だ。
14-05-2023 X-Pro2 (127)

祝津の鰊漁は明治期以降も隆盛だったというが、昭和30年代初め頃(1950年代半ば頃)迄に鰊が獲れない情況になって衰退したという。1940(昭和15)年は未だ鰊漁が隆盛で、地元の社会でこの恵比須神社が大きな存在感を持っていたと推察する。そこでこういう「紀元二千六百年」を記念する鳥居が奉納されたのであろう。

少し急な坂道を上り下りして、静かな古い社を訪ねてみたが、何か地域の盛衰の経過を想い起させた。興味深い。

夕刻の小樽駅…(2023.05.14)

夕食を愉しんだ後、戸外に出た。

↓こういう様子を眼に留めた。
14-05-2023 X100F (13)
↑午後7時台の様子だ。「灯りが多少目立ち始める」という感じになるのが午後7時台になっている昨今だ。中は何度も改装しているが、1934年の竣工―「北海道内初となる鉄骨鉄筋コンクリート造(RC造)の駅舎」ということだ…―以来、外観を変えていないという駅舎が、仄かに灯りに浮かび上がるように見えるのが美しいと思った。

↓好天に恵まれた日曜日が静かに暮れて行くという風情だ。
14-05-2023 X100F (14)

時間を設けて精力的に歩き廻り、少し好い時間を過ごすことが叶った…

<特大にしん焼き定食>…:小樽 祝津(2023.05.14)

小樽の祝津は鰊漁の故に、相対的に早くから拓け、そして大変に栄えていた経過が在る地区だ。小樽駅辺りから、バスで20分から25分程度の地区で、バスの本数は酷く多くもないのかもしれないが、「ハッキリ言って使えない…」というように少な過ぎるのでもない。訪ねて面白い筈と考え、なかなか興味深かった。

早朝から小樽の街を歩き廻り、その足で小樽駅辺りに出て祝津へ向かうバスに乗った。そして祝津で歩き廻っていた。「朝食には出遅れながら、昼食にもやや早いかもしれない…」というような時間帯に至っていた。

↓こういう様子を見掛けた。
14-05-2023 X-Pro2 (155)
↑炭火で魚を焼いている。「何?この魚は?」と思ったのだが、これが「見慣れない程度に大きい…」という鰊だった。

鰊に関しては、日頃から時々頂く。稚内でもヌカニシンが食べられる御店が幾つか在って、そういう場所でヌカニシンを頂く。他に普通の鰊の焼魚を頂く機会も在る。更に「切込」のような加工品も在る。そういうように親しんでいる鰊だが、ここで見掛けた鰊は非常に大きく驚いた。

↓店頭で大きな鰊を焼いていたのは食堂で、単品または定食で大きな鰊を頂けるということであった。早速に御店に入って定食を御願いした。
14-05-2023 X-Pro2 (157)
↑名付けて<特大にしん焼き定食>だ。米飯や味噌汁の御椀は普通なサイズである。それと比べると、正しく「特大にしん焼き」である。

↓「とりあえず…凄い…」という感じの大きな鰊だ…
14-05-2023 X-Pro2 (158)

↓この大きな鰊をゆっくりと頂いた。大満足…
14-05-2023 X-Pro2 (161)

↓「鰊漁で栄えた…」という地域の歴史も踏まえながら鰊を供する食堂…好い場所を覚えた。
14-05-2023 X-Pro2 (153)

<ミニ塩らーめん>…:小樽(2023.05.14)

長い移動で辿り着いた夜と、所用の前の夜とで連泊中だ。

そういう展開になると「第2日」は早朝から動き回る。今般は小樽の街をゆっくりと散策した足でバスに乗って祝津を訪ね、祝津から手宮に引揚げ、博物館に寄ってから小樽駅辺り迄歩いた。結果的に早朝の5時前から午後2時過ぎ迄、殆ど休みなく動いていた。宿の居室で“昼寝”に至り、何やら3時間程度眠り、目覚めて寛いだ。

そうしていた中、酷く空腹を覚えたのだが、「やや早い昼食(兼朝食)」の後に何も食べていないことに思い至った。辺りで軽く何かを頂くこととした。

↓小樽駅傍のビルの2階、窓辺の席に陣取って夕食を摂ることとした。
14-05-2023 X100F (10)

↓<ミニ塩らーめん>を所望した…
14-05-2023 X100F (9)

↓敢えて量が少な目な「ミニ」にしたが、程好い量だと思った…
14-05-2023 X100F (8)

↓各種出汁が効いて脂が多目でこってりとしたスープで太目な麺だ。個人的な好みに合う…
14-05-2023 X100F (11)
↑続々と来店客が現れ、自身が入った直後から混み始めたので、美味い<ミニ塩らーめん>を素早く頂いた。

↓こういう具合にビルの2階に在る御店だ。
14-05-2023 X100F (6)

↓2階へ上る辺りにメニューが掲出されていた。
14-05-2023 X100F (7)

“昼寝”から目覚めた後、宿の直ぐ傍で食事を済ませようと立寄ったが、「偶々…」で好い場所を覚えた感である。

小樽市・ナホトカ市=姉妹都市…(2023.05.14)

早朝から小樽の街を散策した足で、小樽駅前からバスに乗ろうとした。

↓駅舎近くで様子を伺うと大きな壁画が設えられていた。
14-05-2023 X-Pro2 (71)
↑なかなかに立派なモノだと眺めていた。「海のイメージ」と見受けられるので「小樽らしい…」と思って眺めていたが、「НАХОДКА」(ナホトカ)という露語のアルファベットが在ることに気付いた。

↓小樽市とナホトカ市とが姉妹都市であるとして、両市に共通する「海の街」、「港町」というイメージの壁画を制作したと見受けられる。壁画そのものの紹介というような掲出には気付かなかった。
14-05-2023 X-Pro2 (72)
↑ナホトカはロシアの沿海地方に在る街だ。個人的には訪ねたことは無い…

「日本海を隔て相対する貿易港を持つ間柄であることから、対岸貿易の振興を図るとともに両市の経済的・文化的交流を通じて日ソ両国間の相互理解と友好親善に貢献」として1966(昭和41)年に当時の小樽市長の訪ソ中に訪れたナホトカで姉妹都市提携の調印を行ったのだそうだ。

【参考】>>小樽市の姉妹都市:小樽市ウェブサイト

↓然程注目はされていないような感じだったが、姉妹都市交流の歴史ということでは55年間を超える経過が在る訳だ。
14-05-2023 X-Pro2 (73)

小樽駅到着…(2023.05.13)

札幌駅で「快速エアポート」に乗車した。札幌・小樽間の移動では、新千歳空港駅から札幌駅に到る「快速エアポート」の中に、札幌駅以遠に進む列車が見受けられ、それを利用するのが速い。札幌・小樽間は駅も存外に多いので、各駅停車は少し時間を要する。

↓6輛連結となっている733系電車が減速しながら小樽駅に入って停車した。列車の最後尾に乗っていたのだが、改札口まで存外に歩くことになる。急ぐなら、小樽へ向かう場合は列車の先頭側が改札口に近い。
13-05-2023 X100F (65)

↓急がないので、辺りを眺めながらゆっくり歩いた。
13-05-2023 X100F (66)
↑右から731系電車、733系電車、721系電車と、この辺りの電化区間で運用されている各車輛が並んでいた。

↓駅名の看板を見上げた…
13-05-2023 X100F (67)

↓改札口へ向かう手前で振り返った。乗っていた列車は折り返し新千歳空港駅へ向かう「快速エアポート」となるようで、乗客を待ち受けて待機中だった。
13-05-2023 X100F (68)

↓改札口を潜ると、こういう様子が見える。「小樽に着いた…」という感を強く抱く。
13-05-2023 X100F (69)

↓好天な土曜日の午後であった…
13-05-2023 X100F (70)

小樽駅を発つ…(2023.03.05)

札幌に在って、些か時間が設けられて、思い付いて小樽に立寄ってみた。何度もやっていることだが、時には好いと思う。

小樽・札幌間については、列車で移動する場合は、札幌以遠を目指す列車では快速列車も普通列車も札幌駅でやや長く停車するのが通例だ。快速列車は40分程度で、普通列車は1時間弱という感じだと思う。手軽な移動だ。小樽駅まではICカード乗車券も利用可能だ。自身はICOCAを利用している。

↓ICOCAで改札を通り、札幌方面へ向かう普通列車が待機中であるらしいホームを目指した。
05-03-2023 X-Pro2 (102)
↑エスカレータで上り下りするようになっている。

↓「おたる」という平仮名の駅名標だ。北海道内で古くから見受けられる様式で、ビールの広告も定番だ。
05-03-2023 X-Pro2 (106)

↓何時頃からだろうか?小樽駅のホームにはランプが据えられている。
05-03-2023 X-Pro2 (107)

↓手前が733系電車で、奥が731系電車という「3+3」の6輌編成の列車が静かに乗客を待っていた。
05-03-2023 X-Pro2 (105)

「時には好い…」と思う小樽の想い出を胸に、列車に乗込んで札幌駅へ向かった…

海馬(トド)…:小樽市総合博物館 運河館(2023.03.05)

↓所謂「骨格標本」という代物である。何か不思議な形状をしている。動物らしい。或いは、古生物の化石を参照して造った、概ね実寸大の模型でも観ているような気もした。
05-03-2023 X-Pro2 (85)
↑全体にズングリしていて、4本の脚は余り長くない。脚の先、接地する足は扁平で大き目だ。

↓トドの骨格標本なのだそうだ。体長が3m20㎝程で、トドとしては最大級という程度に大き目な個体であるようだ。
05-03-2023 X-Pro2 (86)
↑小樽の街の西側、札幌駅から列車で移動する場合に「小樽市内に入った…」という感じになる辺りに銭函駅が在る。その銭函辺りの海岸に漂着したモノを使って作った骨格標本であるという説明が掲出されていた。

小樽市総合博物館は、鉄道車輛等も在るような本館に対して、より街中に相当する場所に、旧い倉庫の建物を利用して<運河館>と呼んでいる分館を設けている。その分館で、この骨格標本を観たのだ。

ズングリしていて、海中を泳いで魚を獲り、海から頭を出す、岩場に寝そべるという動きの所謂“海獣”の骨格というようなモノに関しては、考えてみたこともなかった。それを観たことが興味深かった。加えて、こんなに大きな海の生物が居る、辺りの自然は実に豊かな訳だ。標本になったトドの巨体であるから、凄い量の魚を捕食する筈で、それだけの魚が海に居なければ彼らは生きられないのだから。

<田中酒造店>…:小樽(2023.03.05)

小樽の街を歩いた。小樽駅から運河沿いに小樽市総合博物館へ至り、展示を愉しんだ後に、小樽駅へ通じる道筋を目指した。

好天に恵まれて心地好い状況では在ったが、些かの気温上昇と陽射しで積雪が融け、足元が酷く濡れていた。加えて、冬季間は歩道の除雪状態の関係で歩行者が歩き悪い感じの場所も散見した。

↓些か歩き悪いとブツブツ言うような感と、好天で心地好いという感とが複雑に入り混じった中、何やら趣深い建物が眼に留まった。
05-03-2023 X-Pro2 (67)

↓<田中酒造店>という会社の本店だ。「寶川」または「宝川」という銘の酒を製造販売している。
05-03-2023 X-Pro2 (71)

<田中酒造店>は、1899(明治32)年に現在の本店が在る場所の辺り―この記事の写真を撮った辺り―で起こったのだという。創業120年を超えたところだ。物資の統制等が行われた戦時中に醸造を止めていた時期も在ったものの、1950年代に入ってそれが復活している。1956(昭和31)年には、現在の会社の体裁を整えている。平成に入って、本店を街への来訪者等も迎える販売店として整備し、更に醸造の様子を見学することも叶う蔵を別な場所に整備したということだ。

↓こういう小さな瓶で「宝川」が売られていたので、思わず求めた。
05-03-2023 X-Pro2 (70)
↑「そのまま(包装は無用)で持って帰ります…」と上着のポケットに容れて外に持ち出し、一寸呑んでしまった…何回かに分けて、何時の間にか小瓶が空いた…

港を擁する街で、北海道内の石炭を積み出す場となり、様々な物資を受容れる場となり、各種の商取引の拠点となった経過も在る小樽である。そういう街では酒の需要も在る訳で、この<田中酒造店>のような業者も起こったのであろう。

街の歴史に想いが巡るのだが、それはそれとして、スッキリしていながらも少し芳醇な感じがした「宝川」が、自身の好みに合って美味かった。「健康上の課題」が無いでもないので、清酒のような醸造酒は少し控えてはいるのだが…

小樽運河…(2023.03.05)

↓少し久し振りだと思いながら眺めた、「小樽運河」とでも言えば思い出す辺りの光景だ。
05-03-2023 X-Pro2 (14)
↑午前中の少しずつ陽が高くなり始めている頃だった。光の感じが好い。が…陽射しで半ば凍った積雪路面の表層が融けているらしく、酷く滑り易く歩き悪い感じであった。

画の右側の運河に沿った歩道ではなく、背中側に振り返って進み、博物館が在る辺りを目指して歩いたのだった…それはそれとして、この画の景色は少し気に入っている。

小樽駅…(2023.03.05)

不意に思い付いて小樽に足を運んだ。多分…2021年8月に立寄った後は御無沙汰というように思う。小樽の博物館で、海を通じた活動を繰り広げたアイヌに関連する企画展が催されていて、偶々その企画展の最終日と聞き及んだことから「小樽へ?」と思い立ったのだった。

↓小樽駅に到着し、改札を潜って振り返った時の感じが気に入っている。
05-03-2023 X-Pro2 (7)
↑小高い辺りに軌道が敷設され、駅舎等の施設は少し低い場所になる。多数のランプが飾られた窓の向こう、高い辺りで列車が発着している。

↓好天に恵まれていた中で戸外に出た。
05-03-2023 X-Pro2 (9)

↓小樽駅の建物外観は1934年のモノだ。内部は改装が施されている。
05-03-2023 X-Pro2 (10)

↓少し離れて様子を眺めた。
05-03-2023 X-Pro2 (11)
↑中央に駅で、左がバスターミナルが在り、右寄りにタクシー乗り場が設けられている。この場所は、小樽の街の交通結節点という様相である。

今般、この小樽駅を起点に少し歩き廻った。時には好いのだが、積雪が少し融け、滑り易い感じの箇所も見受けられ、歩き悪い様子ではあった。

<ぶん公>…:小樽の“消防犬”(2023.03.05)

↓こんな像を見掛けた。
05-03-2023 X-Pro2 (13)
↑冬の寒さを凌ぐマフラーや帽子を着けている。何方かが贈ったということなのだと思う。

以前にも眺めて、その物語を知ったのだった。消防隊員に火災現場の辺りで拾われた<ぶん>は、消防隊の本部で飼われていて、消防隊員達に可愛がられていた犬だった。隊員達に可愛がられて育った<ぶん>は「消防隊の末席を温めている」というようなつもりだったのかもしれない。小樽の“消防犬”として、少し知られていたそうだ。

↓辺りは雪が堆く、些か動き悪い感じではあったが、<ぶん>は歩き悪そうに行き交う人達を静かに見詰めていた。
05-03-2023 X-Pro2 (12)

<旧北海製罐倉庫株式会社>(第3倉庫)…(2023.03.05)

↓非常に大きな存在感を示す建物だ…
05-03-2023 X-Pro2 (17)

博物館へ向かおうと小樽の街を歩いた。運河沿いの路を行けば善い筈だと、運河に沿って進もうとしていた。

↓この<旧北海製罐倉庫株式会社>の「第3倉庫」と呼ばれた建物は、大正時代後期から昭和の初めに整備が進んだ建物の1つであるという。
05-03-2023 X-Pro2 (19)
↑大正時代後期から昭和の初めは、カムチャッカ辺りまでを含む広い海域での漁業、所謂「北洋漁業」が盛んになっていった時代で、獲った水産物を缶詰に加工する際に使う缶を大量に保管して供給する必要が在った。小樽はそういう事業の拠点であった訳だ。

↓冬季は、運河の直ぐ脇で雪が堆くなっている、また積雪で足元が悪いという箇所が多く、些か歩き悪いのは止むを得ない。というより、好天に恵まれ、積雪が緩んで滑り易い様子になっていたという感でもあった。
05-03-2023 X-Pro2 (25)

↓光線が鮮やかで、陰影が明確になって、建物は存在感を増していたように思う。
05-03-2023 X-Pro2 (26)

こういう独特な建物を眺めながらの散策も好い。が、今般は足元が酷く悪く、少し慎重な足取りで進まざるを得なかった。

<しづか>=7100形蒸気機関車:小樽市総合博物館(2023.03.04)

2019年5月2日に観た記録が在るのだが、小樽の博物館に展示されている古い蒸気機関車を不意に眺めたくなった。あの博物館では屋外に鉄道車輛が展示されている場所が在るのだが、冬季は車輛等を覆って風雪から護るようにしている関係で辺りに近付けない。が、明治時代に北海道に鉄道が走り始めた頃、米国企業の工場に発注した蒸気機関車が導入されたのだが、後に「7100形」という呼称が与えられた一連の機関車の1輛が館内の展示室出入口辺りに鎮座している。

↓展示室入口から入ると、こういう具合に機関車が鎮座している訳だ。
05-03-2023 X-Pro2 (39)

↓1880年代の車輛で、後の日本の蒸気機関車と比べて少し小ぶりだが、それでも近くで観ると迫力は在る。
05-03-2023 X-Pro2 (43)

↓小樽に在るこの機関車は「6号機」で、先頭に「6」と大きく書かれている。
05-03-2023 X-Pro2 (44)

↓製造に携わった米国のポーター社のプレート等が在る。
05-03-2023 X-Pro2 (58)

1880年製造の1号機が<義經>(義経)、2号機が<辯慶>(弁慶)と、1882年製造の3号機が<比羅夫>、4号機が<光圀>と、1884年製造の5号機が<信廣>と各々愛称を与えられた。1885年製造の6号機は<しづか>と命名された。間隔が少し開き、1889年に2輛製造されているが、これらには愛称は冠せられていなかった。同型が計8輛在ったのだ。

↓テンダーに<しづか>と確り愛称も入っている。
05-03-2023 X-Pro2 (45)

↓説明の表示も掲出されていた。
05-03-2023 X-Pro2 (56)
↑仕様データは英語とロシア語も入っていた…

↓運転台だ…
05-03-2023 X-Pro2 (55)

↓所謂「西部劇」の時代の設計で、独特なデザインの蒸気機関車で面白い。
05-03-2023 X-Pro2 (57)

炭鉱を開発し、石炭を運び出す輸送手段である鉄道の敷設が進められた関係で、北海道の鉄道敷設は国内の他地域と比べて比較的早い。小樽市総合博物館が在る手宮は、北海道で最初の鉄道が敷設された地域という経過も在る。内陸の幌内炭鉱の石炭を小樽へ運び、船積みして需要先へ送り出すということが企図されたのだ。

↓石炭輸送に加えて、客車を牽引した例も在ったようだが、明治時代の乗客の夢や希望も運んでいた筈の米国生まれで在る機関車を眺め、何となく色々と想い巡らせていた。
05-03-2023 X-Pro2 (41)

坂道…(2021.08.21)

南小樽駅に到り、街に出て歩き廻ってみた。水天宮の辺りで上り、新しめな建築が古い邸宅を囲むようになっている辺りで些か下り、何やら不規則に上った、下ったが交差している街を歩いた。こういう「複雑な地形の中に拓いた街」というのは、訪ねる都度に少し新鮮な感じもする。

↓小樽では時々この種の標識を見掛ける…
21-08-2021 X-Pro2 (24)
↑急勾配への注意を喚起するような標識だ…

急な坂道が入組んでいるような地形の街では、この種の標識は珍しくないのだと思う。が、何方かと言えば平坦な海岸部に拡がっている街で日頃暮らしている関係で、この種の標識が酷く珍しいモノであるかのように感じる。

↓坂道では、坂の下に在る建物の屋根等が、やや意外な角度で除く場合が在って一寸面白い…
21-08-2021 X-Pro2 (25)

こんな「坂道が入組んだ街」を訪ねて、上りや下りで「視た感じ」が次々に変わる場所を歩き廻るのもなかなかに愉しいと想い出していた…

<旧 板谷邸>…(2021.08.21)

「商都」として大変に栄えた経過が在る小樽には、様々な法人や個人が手掛けた趣向を凝らした建物が登場した経過が在り、そうしたものの一部が現在にも伝えられている。「一部」とは言っても一定の数になり、それらの中には文化財として大切にされているモノも少なくない。

小樽の街は「坂道が入組む」というような、些か不思議な様相の中で用地利用が進められて来た経過も在る。新旧様々な建物が、複雑な地形の中で見え隠れし、歩き廻るのが少し面白い。比較的近い他地域では、何となく函館が少し似ているかもしれない。国内のやや遠い場所では長崎がこういう雰囲気かもしれない。国外まで視野に入れると、米国のサンフランシスコやロシアのウラジオストクにも通じるような気がする。

↓そういうことも想いながら<水天宮>の辺りから「入組んだ坂道」に入り込めば、「比較的近年に手掛けられた建物?」という感のモノが眼前に姿を見せた。
21-08-2021 X-Pro2 (20)

↓少し古い時代の趣向を凝らした建物も好いが、比較的近年の「現代の感覚でのスタイリッシュな建物」というモノも個人的には嫌いではない。そう思いながら、入組んだ坂道の隙間で建物を見上げた。
21-08-2021 X-Pro2 (18)
↑そして「少し妙だ?」と訝しんだ…小樽では、少し古い時期の趣向を凝らした建物を文化財として大切に伝えようということで、その旨の“指定”を行い、指定を受けた建造物である旨を説く文章を記したプレートを掲げる場合が多々見受けられる。画のやや左側、電柱の陰にその文化財指定を示すプレートらしきモノが視えたのだ。「現代の感覚でのスタイリッシュな建物」という眼前の建物について、「余程の高名な建築家が?」とでも思った。

↓どうやら直ぐ傍に、成功した事業化が手掛けた邸宅の建物が在って、それが文化財に指定されているということを記したプレートが掲出されていたということが判った…
21-08-2021 X-Pro2 (19)

↓こういうことになっていた…
21-08-2021 X-Pro2 (17)
↑比較的新しい建物に囲まれ、食事や休養をする施設の一部として、古い時代の成功した事業化が手掛けた邸宅であった建物が利用されているようなのだ…

↓和式な邸宅と洋館とを連結したような、些か不思議な感じ…大正時代から昭和初期の独特な雰囲気が伝わるような気がする…
21-08-2021 X-Pro2 (21)

↓“現代”の「使い易いように…」と整備された建物に囲まれるように“文化財”の和洋折衷な邸宅が在るという様子…これ自体が非常に興味深く、「更に時間が経過した未来」には「如何なっている?如何いうように伝えられている?」というようなことを想った…
21-08-2021 X-Pro2 (22)

この辺りを、何となく通り過ぎただけであったことも在ったかもしれない。が、ゆったりと歩いてみて、こういう不思議な様子に気付いた。「歴史を誇る街」というような場所は殊更だが、街は「歩き廻る…」というのが好いと強く思った…

<水天宮>:小樽(2021.08.21)

朝の旭川駅から<青春18きっぷ>を手に列車に乗り、札幌市内に到って札幌貨物ターミナル駅を眺めた後、好天な中で少し時間が在ったので「小樽の散策?」と思い付き、南小樽駅に向かって移動し、そこから歩き廻ることにした。

↓<水天宮>の鳥居に到った…
21-08-2021 X-Pro2 (4)

「以前にも寄ったが…何時だった?」と振り返れば、それは「2019年12月21日」だった。

↓ゆっくりと高台へ進む…
21-08-2021 X-Pro2 (7)

↓<水天宮>の境内だ…
21-08-2021 X-Pro2 (11)

↓この神社との再会を言祝ぐ…
21-08-2021 X-Pro2 (10)

↓港を見下ろす高台に在る神社だ…
21-08-2021 X-Pro2 (12)

↓長い石段で、反対側の街へ下りられる…
21-08-2021 X-Pro2 (13)

↓「多少…怖い?」という場合も在るような急峻な石段を慎重に下りることになる…
21-08-2021 X-Pro2 (15)

時にはこういう場所に立寄るのも好いものだ…

<日本銀行旧小樽支店金融資料館>の建物…(2021.08.21)

↓眼前を通り掛かれば、思わず足を停めて眺めてみたくなる…
21-08-2021 X-Pro2 (42)
前年にも通り掛かって写真を撮っていたことを思い出していたが、前年とは異なる様子だ…今般は、夏の雰囲気が未だ色濃い日中の様子である。

小樽という街は「眼前を通り掛かれば、思わず足を停めて眺めてみたく…」という建物が色々と在るのが好い…

<小樽商工會議所>=旧 小樽商工会議所(2021.08.21)

以前に見掛けた時と様子が少し変わっていることに気付いて足を停めた…
21-08-2021 X-Pro2 (48)

↓少し貫禄も在る建物は1933(昭和8)年に建てられたという、嘗ては小樽商工会議所であった建物だ。
21-08-2021 X-Pro2 (50)

以前に見掛けた時は辺りが白くやや背が高い板塀に囲われていて「整備工事中」という様相だった。建物は改装してホテルとして利用される計画なのだそうだが、昨今の“事情”の故か、開業予定時期を若干延期となっていた。その工事も段落した様子で、反対側の通からも建物正面が視える感じになっていた。

聞くと、当初この建物を改装したホテルを運用しようとしたグループとは別のグループの手に事業が移り、その新たなグループによって冬に開業するというような計画になったようだ。隣に新設された建物と連結したホテルになるらしい…

古い建物の外観も活かしながら、色々なモノが造られるという様子を視るのも興味深い。

小樽運河…(2021.08.21)

陽が高くなるに連れて「少し…暑い…」というようにも感じられるようになった日であった…

↓よく知られている景色であると思うが、足を停めて眺めた…
21-08-2021 X-Pro2 (66)

↓「酷く暑い…」という次元は免れていると思ったが、それでも「夏…」という眩しい感じだった…
21-08-2021 X-Pro2 (67)

↓揺らぐ水面と、嘗ては運河沿いの倉庫であった数々の建物をぼんやりと眺めていた…
21-08-2021 X-Pro2 (69)

↓テーブルが置かれているが、倉庫であった建物の多くは飲食店になっている。この時は敢えて寄らなかったが…
21-08-2021 X-Pro2 (71)

小樽運河の辺り…好天の日に散策するには好適だ…

<旧北海製罐倉庫株式会社>(第3倉庫)…(2021.08.21)

↓酷く存在感が在る建物だと思いながら眺めた…
21-08-2021 X-Pro2 (62)

↓個人的な感覚では…特撮ヒーローやSFアニメや、何かそういう類のモノに登場する場所のような気がしてしまう…
21-08-2021 X-Pro2 (63)
↑聞けば…往年の名作『仮面ライダー』で“北海道ロケ”という挿話が在って、“一文字隼人”こと“仮面ライダー2号”が北海道に現れた“ショッカー”の企てを挫くということだが、その中で「ショッカーのアジト」というモノの外観にこの建物の画が使われたらしい…

そんなことも聞いたが…これは缶詰に使う缶を製造販売する会社の施設であった建物だ。画の建物は<第3倉庫>と呼ばれるそうだが、大正時代後期から昭和の初めに整備されたという4棟が「小樽市指定歴史的建造物」に指定されているのだという。

大正時代後期から昭和の初めというのは、カムチャッカ辺りまでを含む広い海域での漁業、所謂「北洋漁業」が盛んになっていった時代で、獲った水産物を缶詰に加工する際に使う缶を大量に保管して供給する必要が在った。小樽はそういう事業の拠点になっていた訳だ…

↓倉庫のモノを運河上の船に滑らせて入れるというような、少し独特な装置が建物に据え付けられている様子等も伺えて面白い外見だ…
21-08-2021 X-Pro2 (60)

昨年立寄っている経過も在るが…光の条件が異なる他、写真撮影に用いた機材も異なるモノだった…同じ場所でも、写真を撮ってみる度に出来上がりも異なるので、愉しみは尽きないと思う…

<牛かつ御膳(並)>…(2021.08.21)

<青春18きっぷ>を利用し、朝早くに旭川駅を発って札幌市内に至った後、嵩張る荷物を札幌駅のロッカーに預けて小樽に足を延ばしてしまった…

<青春18きっぷ>を手に早朝から列車で動いていると「そう言えば…特段に何かを食べたというのでもない…」と酷い空腹感を覚える時間帯が訪れてしまう場合も在る。実際、特段に朝食を摂るのでもなく駅へ向かって列車に乗って動くという場合、飲物を口にするばかりで昼近くまで「考えてみれば何も食べていない…」ということも多々在る…これは列車で動き回る日に限ったことでもないかもしれないが…

↓「昼食を供する店が開店するような頃?」と頭に思い浮かんだタイミングで出くわした…
21-08-2021 X-Pro2 (35)

↓店の前に掲出された看板…何か好さそうだ…
21-08-2021 X-Pro2 (36)

豚肉を使うトンカツ、鶏肉を使うチキンカツというモノに対して、牛肉を使うビーフカツというモノも確かに在ると思うのだが…更にそのビーフカツを頂いた記憶も在るのだが、敢えて「牛かつ」と称しているというのが、自身にとっては少しだけ“新奇”であるようにも思った。

↓食券を求めて席に陣取ると、何やら“マニュアル”と称する説明も掲出されていた…
21-08-2021 X-Pro2 (37)

↓待つこと暫しで<牛かつ御膳(並)>というモノが登場した…
21-08-2021 X-Pro2 (38)

↓メインの「牛カツ」だ…所謂レア、ミディアムレアの焼き加減のステーキで供するような牛肉に、衣を着けてカツにするのだが、揚げ加減で肉がミディアムレアになっているという代物である。
21-08-2021 X-Pro2 (39)

最初は…ミディアムレアの焼き加減で山葵と大根おろしとポン酢を混ぜた調味料を点けて…少しそれを愉しんだ後は少しだけ加熱してオリジナルのソースで…という具合に少しだけ味付けも替えながら、この「牛かつ」を堪能した。

↓立寄り易い感じの立地、雰囲気で、何よりもメインディッシュの「牛かつ」が酷く美味かった!
21-08-2021 X-Pro2 (41)

こういう調子で、各地に「お気に入り!」と話題にしたい料理を供してくれる場を見付けるのは愉しいことだ…