↓「海老天?御無沙汰だ…」と思いながら頼んだモノだが…何か零れた笑いに“苦笑い”めいたモノが交じった気がする…
↓メニューを見て「四本」ということにしてしまい…「御飯は少な目で…」ということにはした…
早朝に奈良を発ち、神戸を経て到った岡山で西大寺を訪ね、岡山駅に何となく戻ってみれば「ピークを少し過ぎたランチタイム」という様子だった。奈良を発った辺りから、何やら飲物を飲んではいるが、食事らしい食事を摂らずに在ることに思い至り、岡山駅のビルで飲食店が色々と在る辺りを見出して寄ってみた訳だ…
↓海老の他にも天ぷらが色々と丼の飯に載っていた。何やら「凄いボリューム感」だった…
地元の皆さんの間でも、自身も含む、岡山駅を行き交く各地の旅客も、「誰でも満足、納得の天丼」というような感じだと思った。何となく「記憶に留めたい」という気がするモノだ。これを頂く前も、これを頂いた後も、何となく天丼は御無沙汰だ…「だから?」という話しではあるが…
西大寺…:岡山(2021.12.21)
岡山の市域内に西大寺駅が在る。辺りは「岡山市東区西大寺」という住所である。要は「西大寺周辺の門前町」というようなことで、辺りの通称も寺の名と同様の西大寺になっていた訳で、それが現在の住所にまでなっている。
そういうことなので、西大寺駅を起点に「寺の西大寺」を訪ねてみようかと思い付けば…辺りの住所そのものが「西大寺」と称する関係上、何処を視ても、何でもかんでも「西大寺〇〇」というような感じになっていて「寺の西大寺は??」と少々戸惑った…
↓西大寺駅から少し進んで、何やら商店街の脇に「寺のモノ?」という構造が覗く場所が在る…
↑画の右側の商店が「西大寺玩具」なる看板を掲げているが、本当にこの辺りは「何でもかんでも!」という感じで、殆ど全て、何もかもが「西大寺〇〇」で驚かされた…
↓扁額に山号の「金陵山」と在る。西大寺の門に辿り着いた…
751年に観音像が安置されたという故事が在って、その辺りに777年に堂宇が建立されたということが西大寺の起こりとされているようだ。元々は「犀の角を戴き鎮めた地に建立した」とされていることから、「犀戴寺(さいだいじ)」と称したという。後に後鳥羽上皇の祈願文に合わせて「西大寺」に改称したとされる。
↓三重塔…大きいという印象ではないが、何か美しい形だ…
↓なかなかに大きな本堂が在る…
↓石門というのも、何やら趣深かった…
↓鐘楼門という門も知られているようだ…
↓天候も好く、何か境内でのんびりと過ごしたという感であった。
西大寺については、旧暦1月に行われる新年の祈祷である「修正会」というモノに起源を有するという祭りが知られているという。毎年2月の第3土曜日に開催の会陽(裸祭り)という祭りで、牛玉所大権現(ごおうしょだいごんげん)の裸の守護神を参詣というものであるらしい…
↓立寄ったこの日は、何やら凄く静かな感じであった…
↓何やら不思議な石板が嵌められた箇所も在った…
とりあえず西大寺駅に到って、この西大寺を無事に訪ね、冬の好天という中で散策を愉しんだ。「何となく好かった…」と記憶に残る…こういうような「何となく好かった…」というのを、色々と積み重ねたいような気もする…
そういうことなので、西大寺駅を起点に「寺の西大寺」を訪ねてみようかと思い付けば…辺りの住所そのものが「西大寺」と称する関係上、何処を視ても、何でもかんでも「西大寺〇〇」というような感じになっていて「寺の西大寺は??」と少々戸惑った…
↓西大寺駅から少し進んで、何やら商店街の脇に「寺のモノ?」という構造が覗く場所が在る…
↑画の右側の商店が「西大寺玩具」なる看板を掲げているが、本当にこの辺りは「何でもかんでも!」という感じで、殆ど全て、何もかもが「西大寺〇〇」で驚かされた…
↓扁額に山号の「金陵山」と在る。西大寺の門に辿り着いた…
751年に観音像が安置されたという故事が在って、その辺りに777年に堂宇が建立されたということが西大寺の起こりとされているようだ。元々は「犀の角を戴き鎮めた地に建立した」とされていることから、「犀戴寺(さいだいじ)」と称したという。後に後鳥羽上皇の祈願文に合わせて「西大寺」に改称したとされる。
↓三重塔…大きいという印象ではないが、何か美しい形だ…
↓なかなかに大きな本堂が在る…
↓石門というのも、何やら趣深かった…
↓鐘楼門という門も知られているようだ…
↓天候も好く、何か境内でのんびりと過ごしたという感であった。
西大寺については、旧暦1月に行われる新年の祈祷である「修正会」というモノに起源を有するという祭りが知られているという。毎年2月の第3土曜日に開催の会陽(裸祭り)という祭りで、牛玉所大権現(ごおうしょだいごんげん)の裸の守護神を参詣というものであるらしい…
↓立寄ったこの日は、何やら凄く静かな感じであった…
↓何やら不思議な石板が嵌められた箇所も在った…
とりあえず西大寺駅に到って、この西大寺を無事に訪ね、冬の好天という中で散策を愉しんだ。「何となく好かった…」と記憶に残る…こういうような「何となく好かった…」というのを、色々と積み重ねたいような気もする…
<三備一宮 吉備津神社 御神酒>…(2021.12.21)
吉備津神社を訪ねてみた際、石段の下辺りに在った店で「気になるモノ」を眼に留め、それを求め、抱えて岡山の宿に入った。
↓吉備津神社の「御用達」という清酒である。
↑<御神酒>で「ごしんしゅ」というように、売っていた御店の方は言っていた。一見した時、正直「如何いうように読む?」とも思った…
↓岡山市内の酒造会社が製造しているようだ。極聖(きわみひじり)という銘の酒である。
↓箱から引っ張り出すと、300ml入りの小さ目な瓶で、1人で頂くにも好適である程度のモノだ…
↓時々「限定販売」というような酒で見掛ける、製造者と販売者が別々になっている例のモノだとラベルで判った。
何やら面倒なことは如何でも構わない。何やら「行掛り…」というように岡山へ至り、岡山で宿を求めてゆったりとしたが、岡山県下の神社の中でも殊に深い由緒が在るらしい吉備津神社を訪ねられたということは、自身の慶びが大きい。それを祝して、翌日からの「旅の続き」に向けて呑みたい気分が高まっていた。そこでこの<三備一宮 吉備津神社 御神酒>に登場願ったのだ。
極聖(きわみひじり)という銘の酒はなかなかに評価が高いようだ。芳醇でありながらも「すうっと…」という具合に呑めるような按配で、「岡山県の清酒!佳い…」と思った。
この<御神酒>は、何か「三備一宮」とも呼ばれ、嘗ての吉備国、その後の備前、備中、備後を護る鎮守との縁を深めてくれた存在というようにも感じられる。御蔭様で美味しくこれを空け、深く眠って翌早朝に元気に出発となったのだった。
↓吉備津神社の「御用達」という清酒である。
↑<御神酒>で「ごしんしゅ」というように、売っていた御店の方は言っていた。一見した時、正直「如何いうように読む?」とも思った…
↓岡山市内の酒造会社が製造しているようだ。極聖(きわみひじり)という銘の酒である。
↓箱から引っ張り出すと、300ml入りの小さ目な瓶で、1人で頂くにも好適である程度のモノだ…
↓時々「限定販売」というような酒で見掛ける、製造者と販売者が別々になっている例のモノだとラベルで判った。
何やら面倒なことは如何でも構わない。何やら「行掛り…」というように岡山へ至り、岡山で宿を求めてゆったりとしたが、岡山県下の神社の中でも殊に深い由緒が在るらしい吉備津神社を訪ねられたということは、自身の慶びが大きい。それを祝して、翌日からの「旅の続き」に向けて呑みたい気分が高まっていた。そこでこの<三備一宮 吉備津神社 御神酒>に登場願ったのだ。
極聖(きわみひじり)という銘の酒はなかなかに評価が高いようだ。芳醇でありながらも「すうっと…」という具合に呑めるような按配で、「岡山県の清酒!佳い…」と思った。
この<御神酒>は、何か「三備一宮」とも呼ばれ、嘗ての吉備国、その後の備前、備中、備後を護る鎮守との縁を深めてくれた存在というようにも感じられる。御蔭様で美味しくこれを空け、深く眠って翌早朝に元気に出発となったのだった。
吉備津神社…(2021.12.21)
「桃太郎線」という愛称で呼び習わされる「吉備線」の列車に乗って吉備津駅へ足を運んだ。
↓ほんの少し歩けば、立派な標柱が視える。
↓鳥居が据えられていて…
↓松の並木…参道らしい感じだ…
↓神社の境内に上る石段…
↓年始に備える時季であるが故か?夥しい数の提灯が見受けられた…
↓門を潜って境内に進入する…
↓何やら類例が思い当たらないような、独特な建物の神社だ…
↓吉備津神社の本殿・拝殿は国宝であるという…
↓独特な存在感を放っている…
↓聞き覚えがあるような企業名が入った提灯も色々と視掛けた…
↓神馬の像も在って、酒も随分と色々と供えられていた…
↓タッチパネル方式の御案内も設けられていた。これによればあの本殿・拝殿は1425年の建築で、同じ様式の建物は無いのだそうだ…
岡山県の瀬戸内海側の辺り、一部に広島県東部を含める地域を古くは「吉備国」と呼んでいて、吉備津神社は「吉備国一宮」ということだった。やがて「吉備国」は備前国、備中国、備後国と3つに分けられた。備前一宮、備後一宮が各々設けられ、吉備津神社は備中一宮ということになった。が、古い経過の故に吉備津神社を「三備一宮」というようにも呼ぶそうだ。
↓独特な存在感を放つ、何となく面白い神社だった…
↓時節柄、何やら目立った大きな絵馬だ…
例年、12月下旬に方々を歩き、年始の準備をしている神社に立寄る場合も少なくない。そして無事に年末を迎えていることに感謝し、平穏に新しい年を迎えられることを祈るという感じになる。
吉備津駅辺りにこういう案内の標柱が在って、一寸地味なのだが、これに従って歩くと吉備津神社は直ぐ近くだ…吉備津駅も岡山駅から列車で20分程である。
何か、今般はこういう場所に立寄って、岡山に少し親しむことが叶ったという感だ…
↓ほんの少し歩けば、立派な標柱が視える。
↓鳥居が据えられていて…
↓松の並木…参道らしい感じだ…
↓神社の境内に上る石段…
↓年始に備える時季であるが故か?夥しい数の提灯が見受けられた…
↓門を潜って境内に進入する…
↓何やら類例が思い当たらないような、独特な建物の神社だ…
↓吉備津神社の本殿・拝殿は国宝であるという…
↓独特な存在感を放っている…
↓聞き覚えがあるような企業名が入った提灯も色々と視掛けた…
↓神馬の像も在って、酒も随分と色々と供えられていた…
↓タッチパネル方式の御案内も設けられていた。これによればあの本殿・拝殿は1425年の建築で、同じ様式の建物は無いのだそうだ…
岡山県の瀬戸内海側の辺り、一部に広島県東部を含める地域を古くは「吉備国」と呼んでいて、吉備津神社は「吉備国一宮」ということだった。やがて「吉備国」は備前国、備中国、備後国と3つに分けられた。備前一宮、備後一宮が各々設けられ、吉備津神社は備中一宮ということになった。が、古い経過の故に吉備津神社を「三備一宮」というようにも呼ぶそうだ。
↓独特な存在感を放つ、何となく面白い神社だった…
↓時節柄、何やら目立った大きな絵馬だ…
例年、12月下旬に方々を歩き、年始の準備をしている神社に立寄る場合も少なくない。そして無事に年末を迎えていることに感謝し、平穏に新しい年を迎えられることを祈るという感じになる。
吉備津駅辺りにこういう案内の標柱が在って、一寸地味なのだが、これに従って歩くと吉備津神社は直ぐ近くだ…吉備津駅も岡山駅から列車で20分程である。
何か、今般はこういう場所に立寄って、岡山に少し親しむことが叶ったという感だ…
西大寺駅…(2021.12.21)
↓全く初めて立寄っている駅なのだが「何処か懐かしい」という気分が沸き起こる駅だと思った。
↓或いは?国鉄時代に各地で建てられた、駅の標準的な機能を詰め込んだような建物であるかもしれない。
↓公衆電話ボックスも健在だ…
↓判り易い「駅の案内」も掲出されていたのは嬉しい。
↑が、別段に面倒な感じでもないシンプルな駅ではあるが…
↓駅から近い辺りの案内図も掲出されていた…
西大寺駅は赤穂線の駅である。兵庫県の西寄りに在る相生駅と東岡山駅との間が赤穂線である。西大寺駅は岡山駅や東岡山駅の少し東、住所は「岡山市東区」だそうだ。「西大寺」という寺が在り、それに因んで辺りの地域名自体も「西大寺」である。案内図を視れば、様々な官署も小中学校も何でも「西大寺〇〇」である。寺の西大寺を探そうとすると、その何でも「西大寺〇〇」という状況に埋没してしまうかのようで、何やら戸惑った…
↓ICカード乗車券を利用可能な、今では少し見慣れてしまっている改札口の感じだ…
↓近隣の私立学校の広告看板が在って、保線関係のモノと見受けられる車輛が停まっていた。
↓岡山駅へ向かう列車が現れた…
↑「4輛」が基本の113系電車を「2輛」で運用可能なように改造した車輛が使われているのだが、何か少し不思議な外見であるように思う。
↓(時間を遡って)こちらが岡山駅から列車が着いた時の様子で、2輛で運行されている列車の逆側の外見だ…
こういうような雰囲気…何にも替え難いと思っている…更に、保線関係の車輛に「晴れの国」と在ったが、この日の輝くような冬の蒼天も忘れ難いものであった…
↓或いは?国鉄時代に各地で建てられた、駅の標準的な機能を詰め込んだような建物であるかもしれない。
↓公衆電話ボックスも健在だ…
↓判り易い「駅の案内」も掲出されていたのは嬉しい。
↑が、別段に面倒な感じでもないシンプルな駅ではあるが…
↓駅から近い辺りの案内図も掲出されていた…
西大寺駅は赤穂線の駅である。兵庫県の西寄りに在る相生駅と東岡山駅との間が赤穂線である。西大寺駅は岡山駅や東岡山駅の少し東、住所は「岡山市東区」だそうだ。「西大寺」という寺が在り、それに因んで辺りの地域名自体も「西大寺」である。案内図を視れば、様々な官署も小中学校も何でも「西大寺〇〇」である。寺の西大寺を探そうとすると、その何でも「西大寺〇〇」という状況に埋没してしまうかのようで、何やら戸惑った…
↓ICカード乗車券を利用可能な、今では少し見慣れてしまっている改札口の感じだ…
↓近隣の私立学校の広告看板が在って、保線関係のモノと見受けられる車輛が停まっていた。
↓岡山駅へ向かう列車が現れた…
↑「4輛」が基本の113系電車を「2輛」で運用可能なように改造した車輛が使われているのだが、何か少し不思議な外見であるように思う。
↓(時間を遡って)こちらが岡山駅から列車が着いた時の様子で、2輛で運行されている列車の逆側の外見だ…
こういうような雰囲気…何にも替え難いと思っている…更に、保線関係の車輛に「晴れの国」と在ったが、この日の輝くような冬の蒼天も忘れ難いものであった…
岡山駅からの出発…(2021.12.22)
↓こういう感じ?「早朝」なのだが…「深夜そのもの」な雰囲気だと思う。
↑岡山駅の出口から数分というような辺りに求めた宿を午前5時半頃に出た時、何となく振り返って眼にした光景だ。
↓こういう具合に眺めると岡山駅は大きい…
↑16輛編成の列車が発着する新幹線の軌道と乗降場を上に載せたビルと、方々を結ぶ路線の軌道が在る地上部分とが組み合わさっている。
↓余り深く考えずに岡山駅へ向かったが、山陽線を西へ向かう列車は、既に待機中だった。
↑4輛編成の113系電車だ。「国鉄時代」に登場した車輛で、改造が重ねられて現在でも運用されているモノだ。何となく気に入っている車輛でもある…
↓こういう具合に、確りと棚の上に荷物を上げて、座席に陣取った…
↑リュックサックと上着やキャップの他、カメラを入れたバッグも在って、それは抱えて座っている。乗客の多くの「日常」な移動の荷物と大きく変わらない感じだと思う。
先走ったことを話題とするが…出発した際には「座席が何となく埋まるような感じ」だった車内だが、糸崎駅へ向けて進む中で、入れ替わりながらも乗客は増えて行ったような感じだった。そういう「日常」というような中で移動する感じが好いと思っている。
↑岡山駅の出口から数分というような辺りに求めた宿を午前5時半頃に出た時、何となく振り返って眼にした光景だ。
↓こういう具合に眺めると岡山駅は大きい…
↑16輛編成の列車が発着する新幹線の軌道と乗降場を上に載せたビルと、方々を結ぶ路線の軌道が在る地上部分とが組み合わさっている。
↓余り深く考えずに岡山駅へ向かったが、山陽線を西へ向かう列車は、既に待機中だった。
↑4輛編成の113系電車だ。「国鉄時代」に登場した車輛で、改造が重ねられて現在でも運用されているモノだ。何となく気に入っている車輛でもある…
↓こういう具合に、確りと棚の上に荷物を上げて、座席に陣取った…
↑リュックサックと上着やキャップの他、カメラを入れたバッグも在って、それは抱えて座っている。乗客の多くの「日常」な移動の荷物と大きく変わらない感じだと思う。
先走ったことを話題とするが…出発した際には「座席が何となく埋まるような感じ」だった車内だが、糸崎駅へ向けて進む中で、入れ替わりながらも乗客は増えて行ったような感じだった。そういう「日常」というような中で移動する感じが好いと思っている。
吉備津駅…(2021.12.21)
岡山駅の列車発着案内に「桃太郎線」という用語が用いられている。これは岡山駅・総社駅間の「吉備線」の愛称なのだそうだ。
岡山に至って宿を求めることにした中、岡山で一寸だけ動いてみた。そんな中でこの「桃太郎線」の列車を利用してみた。
↓岡山駅から20分に満たないような乗車だと思う。吉備津駅だ…
石段の下まで10分もかからずに歩いて着く場所の吉備津神社を訪ねた後、岡山駅へ引揚げようと立寄って利用した駅である。
↓「駅舎」と言うより?必要な機材を置くための場所に「屋根」を設えたという感じもする…
↑ICカード乗車券のチャージも可能な券売機や、飲料の自販機も据えられて、利用者の用事は足りる…御手洗も別棟の小さな建物に在る。
↓周辺の路線図に運賃が書き込まれた、駅では御馴染なモノが掲出されている。
↑吉備津・岡山間の運賃は210円だ…
↓列車の時刻表が掲出されている。「存外に利用し易い運行体制では?」と思った。単線区間であるようだが…
吉備津駅は1904(明治37)年にこの路線が敷設された頃に設置された駅なのだそうだ。1971(昭和46)年から無人駅化されている。2007(平成19)年からICカード乗車券が利用可能になったそうだ。
↓対面方式になっている2本のホームが在る。1番側から入って、2番へは「歩いて線路を渡る」ということになっている。
↓「何も無い」という感で、こんな掲示が在った…
↓総社駅へ向かう列車が現れた…
↓出発して行ったのを見送った…
↓岡山駅へ向かう列車が視ええた…
↓列車はゆっくりと停止位置へ近付く…
↑これに乗った…
所謂「国鉄型」の、2輛連結で走るキハ47が主に行き交っていた。何か風情が濃い感じだった…長閑な風情を求めて、沿線を巡ることも叶いそうな運行体制でもあった。再訪を期したい…
岡山に至って宿を求めることにした中、岡山で一寸だけ動いてみた。そんな中でこの「桃太郎線」の列車を利用してみた。
↓岡山駅から20分に満たないような乗車だと思う。吉備津駅だ…
石段の下まで10分もかからずに歩いて着く場所の吉備津神社を訪ねた後、岡山駅へ引揚げようと立寄って利用した駅である。
↓「駅舎」と言うより?必要な機材を置くための場所に「屋根」を設えたという感じもする…
↑ICカード乗車券のチャージも可能な券売機や、飲料の自販機も据えられて、利用者の用事は足りる…御手洗も別棟の小さな建物に在る。
↓周辺の路線図に運賃が書き込まれた、駅では御馴染なモノが掲出されている。
↑吉備津・岡山間の運賃は210円だ…
↓列車の時刻表が掲出されている。「存外に利用し易い運行体制では?」と思った。単線区間であるようだが…
吉備津駅は1904(明治37)年にこの路線が敷設された頃に設置された駅なのだそうだ。1971(昭和46)年から無人駅化されている。2007(平成19)年からICカード乗車券が利用可能になったそうだ。
↓対面方式になっている2本のホームが在る。1番側から入って、2番へは「歩いて線路を渡る」ということになっている。
↓「何も無い」という感で、こんな掲示が在った…
↓総社駅へ向かう列車が現れた…
↓出発して行ったのを見送った…
↓岡山駅へ向かう列車が視ええた…
↓列車はゆっくりと停止位置へ近付く…
↑これに乗った…
所謂「国鉄型」の、2輛連結で走るキハ47が主に行き交っていた。何か風情が濃い感じだった…長閑な風情を求めて、沿線を巡ることも叶いそうな運行体制でもあった。再訪を期したい…
115系電車…:岡山駅(2020.07.31)
朝の少し早めな時間帯に姫路駅で列車に乗り、兵庫県の西側で往来をしている人達、兵庫県の西側と岡山県の東側で往来をしている人達、岡山を中心とする地域の中で往来している人達と、色々な形で行き交う人達の様子を見ながら進んでいた…
↓そして岡山駅に着いた…未だ、通勤や通学という感じの人達の姿も目立つ時間帯であった…
↑姫路駅から乗車の115系電車なのだが、岡山駅で下車して、少々身体を伸ばしながらぼんやりと眺めた…
岡山駅というのは、「在来線の上に新幹線のより高い高架を重ねた?」ような感じになっている。(一部駅で在る形ではあると思うが…)岡山駅で在来線の列車が発着する箇所の一部は何となく「屋根の下?半ばトンネル?」というように見える場合が在る。今般はその「屋根の下?半ばトンネル?」というように見える場所に列車が着いた…
岡山県に関しては、2016年に岡山城を訪ねてみた経過、倉敷へ立ち寄った経過が在った。が、それ以外、近年は岡山駅を通り過ぎているばかりのような気もする…岡山県内を訪ねてみるというのも、今後のテーマの一つとして悪くないかもしれない…
↓そして岡山駅に着いた…未だ、通勤や通学という感じの人達の姿も目立つ時間帯であった…
↑姫路駅から乗車の115系電車なのだが、岡山駅で下車して、少々身体を伸ばしながらぼんやりと眺めた…
岡山駅というのは、「在来線の上に新幹線のより高い高架を重ねた?」ような感じになっている。(一部駅で在る形ではあると思うが…)岡山駅で在来線の列車が発着する箇所の一部は何となく「屋根の下?半ばトンネル?」というように見える場合が在る。今般はその「屋根の下?半ばトンネル?」というように見える場所に列車が着いた…
岡山県に関しては、2016年に岡山城を訪ねてみた経過、倉敷へ立ち寄った経過が在った。が、それ以外、近年は岡山駅を通り過ぎているばかりのような気もする…岡山県内を訪ねてみるというのも、今後のテーマの一つとして悪くないかもしれない…
8000系電車:岡山駅(2020.07.31)
岡山駅に至り、瀬戸大橋を渡る列車に乗換えようと駅の中を少し歩いた…
↓少し見慣れない車輌を視て足を停めた…
↑“実物”を視たのはかなり久し振り…或いは初めてか?これはJR四国の車輌だ…
瀬戸大橋を経て四国と本州とを行き交う列車では、岡山県側の瀬戸大橋の手前となる児島駅でJR四国とJR西日本の乗務員が交代するようになっているようだ。
↓先頭車のデザインが美しい8000系電車だ…これは松山へ向かう特急列車<しおかぜ>として運用されている車輌であろう…
JR四国とJR西日本との境界のようになっているらしい児島駅では、列車が少し長めに待機するのでもないような気がする…そういう意味で岡山駅は「少し長く停車している四国の車輌が視られる」という、「一寸、珍しい機会が在る?」という場所かもしれない。「だから?」というようなことで恐縮だが…
↓少し見慣れない車輌を視て足を停めた…
↑“実物”を視たのはかなり久し振り…或いは初めてか?これはJR四国の車輌だ…
瀬戸大橋を経て四国と本州とを行き交う列車では、岡山県側の瀬戸大橋の手前となる児島駅でJR四国とJR西日本の乗務員が交代するようになっているようだ。
↓先頭車のデザインが美しい8000系電車だ…これは松山へ向かう特急列車<しおかぜ>として運用されている車輌であろう…
JR四国とJR西日本との境界のようになっているらしい児島駅では、列車が少し長めに待機するのでもないような気がする…そういう意味で岡山駅は「少し長く停車している四国の車輌が視られる」という、「一寸、珍しい機会が在る?」という場所かもしれない。「だから?」というようなことで恐縮だが…
<サンライズ瀬戸>と<サンライズ出雲>の「切り離し」…:岡山駅(2019.06.02)
「14輌」というような次元の列車?近年は余り聞かないような気がする…
夜の10時に東京駅を出発して西へ向かう夜行列車がこの「14輌」という長大な編成で走る…これに乗車した訳だ…
岡山駅到着を前に、「7号車と8号車の間の扉を閉鎖するので行き来が出来なくなる」という旨の車内案内が流れる…
↓岡山駅のホームで、こういうような様子が見られる…
↑左が「7号車」で右が「8号車」である。
↓「7号車」までと、「8号車」以降とが切り離された…
↑「14輌」であった列車は「7輌」の列車が2本という体裁になった…
「7号車まで」は<サンライズ瀬戸>と名乗って、橋を渡って四国へ上陸する…「8号車」以降は<サンライズ出雲>と名乗って、伯備線を通って日本海側に進む、山陰線を西へ向かう…
↓<サンライズ瀬戸>が少し先に発車する…それを見送った後、<サンライズ出雲>に乗り込んだ…
こういうような…何となく「浪漫溢れる…」という列車…もう少し色々と在れば好いとも思うのだが…今般は<サンライズ出雲>に乗って旅が出来て非常に好かった!
夜の10時に東京駅を出発して西へ向かう夜行列車がこの「14輌」という長大な編成で走る…これに乗車した訳だ…
岡山駅到着を前に、「7号車と8号車の間の扉を閉鎖するので行き来が出来なくなる」という旨の車内案内が流れる…
↓岡山駅のホームで、こういうような様子が見られる…
↑左が「7号車」で右が「8号車」である。
↓「7号車」までと、「8号車」以降とが切り離された…
↑「14輌」であった列車は「7輌」の列車が2本という体裁になった…
「7号車まで」は<サンライズ瀬戸>と名乗って、橋を渡って四国へ上陸する…「8号車」以降は<サンライズ出雲>と名乗って、伯備線を通って日本海側に進む、山陰線を西へ向かう…
↓<サンライズ瀬戸>が少し先に発車する…それを見送った後、<サンライズ出雲>に乗り込んだ…
こういうような…何となく「浪漫溢れる…」という列車…もう少し色々と在れば好いとも思うのだが…今般は<サンライズ出雲>に乗って旅が出来て非常に好かった!
倉敷駅から発車しようとする113系電車(2016.11.22)
<山陽本線>というのは神戸駅が起点であるといい、それより東は<東海道本線>なのだそうだ…<東海道本線>の駅ということになる神戸の元町駅を早朝に出発し、そのまま<山陽本線>を西へ進んだ…西明石駅、姫路駅で各々乗換え、岡山駅で下車して岡山城を観た後、更に倉敷駅へ進んだ…
↓岡山・倉敷間で乗車した列車…ホームで何となく見守ってしまった…
↑列車の後尾側に相当する。安全確認をして出発の合図をしようとしている乗務員さんのシルエットが視える。女性だった。JR西日本では、女性の乗務員さんに出くわす確率が高いような気がする…
山陽路、中国地方の鉄道では「国鉄時代以来の車輛」を見掛ける割合が少し高い感じだが…近年は最新の車輛も入って来た…そして見掛ける「国鉄時代以来の車輛」も、改良が施されていて、加えて外装の色も「黄色の単色」が増えている…画のような「外観が国鉄時代の塗り分け」というのは、非常に少数派になったように思う。実際、何度も山陽本線の列車に乗ったが、この外観の車輛に乗車したのは岡山・倉敷間だけだった…
何時の間にか旅から戻って時日が経ち、冬の厳しさの最中に在るのだが、陽射しが眩しい海や街を眺めながら進んだ山陽本線の旅が「妙に懐かしい」と感じてしまう…
↓岡山・倉敷間で乗車した列車…ホームで何となく見守ってしまった…
↑列車の後尾側に相当する。安全確認をして出発の合図をしようとしている乗務員さんのシルエットが視える。女性だった。JR西日本では、女性の乗務員さんに出くわす確率が高いような気がする…
山陽路、中国地方の鉄道では「国鉄時代以来の車輛」を見掛ける割合が少し高い感じだが…近年は最新の車輛も入って来た…そして見掛ける「国鉄時代以来の車輛」も、改良が施されていて、加えて外装の色も「黄色の単色」が増えている…画のような「外観が国鉄時代の塗り分け」というのは、非常に少数派になったように思う。実際、何度も山陽本線の列車に乗ったが、この外観の車輛に乗車したのは岡山・倉敷間だけだった…
何時の間にか旅から戻って時日が経ち、冬の厳しさの最中に在るのだが、陽射しが眩しい海や街を眺めながら進んだ山陽本線の旅が「妙に懐かしい」と感じてしまう…